2021.01.21

短歌や詩をもっと身近な存在に。 27歳の歌人が考える言葉の未来とは。

現在27歳の歌人・伊藤紺さん。歌人として活躍する彼女の作品は、軽やかでありながらも、読む人の心の中にじんわりと染み込んで、言葉にならない感情を形にして呼び起こしてくれる。伊藤さんが紡ぐ言葉は、いま若い世代にとって短歌や詩を身近な存在にしています。今回は、彼女が言葉に魅せられる理由、これからの時代の中で言葉が持つ可能性についてお話を伺います。

感情の世界が一気に立ち上がる、

言葉を生み出すことの魅力って?

F.I.N編集部

 

伊藤さんが短歌を始めたきっかけについて教えてください。

伊藤紺さん(以下、伊藤さん)

大学時代、話すことがすごく苦手でした。3年次からライターのインターンをはじめて、週に何度か本気で文章を書くようになると、書くことだったらいけるかもと思い始めたんです。日々自分のモヤモヤした気持ちを書き出していたら、ある日急に俵万智さんの『サラダ記念日』を思い出し、帰り道、ブックオフで歌集を何冊か買ったことがきっかけですね。それから、短歌を作り始めて、投稿用のツイッターアカウントを作りました。

F.I.N編集部

最初に書いた短歌を覚えていますか?

伊藤さん

3日目か4日目くらいに書いたのは、実は1冊目の歌集『肌に流れる透明な気持ち』に入っています。「満ちている時に会いたい君が好き 満たしてくれる人よりずっと」という短歌。口に出して言うのは恥ずかしいですね(笑)。

歌集『肌に流れる透明な気持ち』より

F.I.N編集部

現在はライターとしても活動されていますが、長文と31字の短歌とでは違いますか?

伊藤さん

違いますね。頭の回転がゆっくりなくせに、いちいち考えこんじゃうので、長文はあまり得意とは言えなくて、7,000字くらいを超えてくると、頭がショートします(笑)。でも、31字なら“自分の範囲”がきちんと決まっているから、すごくよく分かるし、何度も戻って極限までこだわれます。例えば、音のリズムとか響き。「あ・い・う・え・お」の「あ」がここで続くのはおもしろいなとか。

F.I.N編集部

言葉を生み出すことにどんな魅力を感じていますか?

伊藤さん

感情やイメージ、気分みたいなものを言葉にする時、相手が「きみ」なのか「あなた」なのか「あんた」なのか、もしくは自分のお母さんではないけど、架空のお母さんっていう存在なのか、最初は全然わからないんです。とにかく浮かんだことをひたすら書き出して言葉にしていく過程で、だんだん全貌が見えてくるというか。本当にそこにあるわけではないんだけれど、最初モヤモヤっとしたただの霧みたいな感情が、感情の世界となって目の前にわっと立ち上がる感じがあって。それが言葉や詩歌に携わる上で、一番の魅力です。視覚的なものだったり、風や温度だったり、熱がこもる感じだったり。単純な言葉にして終わってしまうようなことも、ひとつの世界となって広がっていくのがおもしろいんです。

言葉を紡ぐことは、

責任と愛のせめぎ合い。

F.I.N編集部

伊藤さんが作品を書く時に、大切にしていることはどんなことですか?

伊藤さん

初歩的なことかもしれないけど、最終的にこねくり回した感が出ないようにしたいと思っていて。すごくいろいろなことを考えて作るんですけど、「すごい頑張ったんだな、この人」って感じられるのは嫌なんです。「ぽろっと出ちゃった」みたいな言葉、地面にコロンって何かが落ちて、それがなんなのか分からないけどそれが真実、みたいなものになれればいいなと。自分が未熟だと、どうしても言葉に“人の匂い”が出てしまう。それが本質的な“匂い”ならいいですが、余計なノイズとして入ってしまうのは、作品として精度が低いと思うので。だからなるべく、そういったものは取り除くようにしています。

F.I.N編集部

伊藤さんにとって、言葉を紡ぐことは、どういう行為でしょうか。

伊藤さん

言葉にするって、感情やイメージみたいなものを言葉に“変換する”ことだと思うんです。それには責任が伴うというか、何に対する責任かというと難しいんですが。例えば、音楽ライターが自分の好きな音楽やアーティストについて言葉にするってすごいことだなと思います。言葉は、尽くしても尽くしても足りないですから。好きな音楽の素晴らしさを言葉で表現しきることは不可能だと思います。でも言葉は強いから、それを言葉に変換すること、さらに世の中に発信することで、印象を左右してしまうこともある。責任が重くのしかかると思います。でもその責任を踏まえた上で、書きたい、伝えたいという愛があるから書く。言葉を紡ぐことは、責任と愛のせめぎ合いだなと思います。

F.I.N編集部

責任を感じながら、それでも言葉にしたいというのはどういう衝動でしょう?

伊藤さん

しないと辛いということなのかな。愛が強すぎるとか。私の場合は、喋るのがすごく下手だからでしょうか。喋るのがすごく上手で飲み会とかでガンガン話せるタイプだったら書いていないかもれません(笑)。でも、ネチネチと自分の中に溜まっていく感情を書くことで、世の中とちゃんと繋がっていられるという感覚がある。だから、書くんでしょうね。

欲しい言葉を探しに、

意識の中へ潜っていく。

F.I.N編集部

日々、感じたことや思い付いた言葉をストックしているのですか?

伊藤さん

最初はしていましたが、結局使えないんですよね。溜めておいても、ゴミ箱みたいな感じで、いざ書く時になると使いたい素材がそこに落ちていなくて。だから、考えながら自分から拾いに行くようにしました。自分で言葉をストックしておくのではなく、「よし、考えるか」という状況になってから、海女さんみたいに自分の意識の中に潜って行って、探す方が自分には合っている気がします。

F.I.N編集部

自分の中に入り込んで言葉を生み出す作業は、とても体力を使いそうですね。

伊藤さん

すごく疲れます。悩みすぎて嫌な夢を見ることも。でも、そこまでしないと書けないんです。だから、人と一緒に居すぎたり、飲み会が続いたりすると、書けなくなります。シンプルに切り替えが下手なだけで、文豪ぶっているわけではないですよ(笑)。ただ、人と会って話すテンションでいると言葉が出て来なくなってしまうので、自宅で1人、気持ちは下がり目でいる方が書きやすい。自分との対話ですね。でも逆にそれをやりすぎると、外で話せなくなるので、バランスがなかなか難しいです。

F.I.N編集部

短歌を書く時の、アイディアやインスピレーションはどんなものから受けていますか?

伊藤さん

基本的に短歌は、人のことか自分のことばかり。対象がぐちゃぐちゃになっていたりするんですけど、たぶん人間以外をテーマにしたものはないと思います。「人」から影響を受けやすいし、題材にしやすいのかもしれません。でも、誰でも良いわけではなくて、嫌いな人については書かないです。だから人を見て、この人はこうだとかあの人はああだとかという視点はなくて、この人好きだなーとか、あの人今日はこんな感じだったなとか、この人はこういう時に見るといつもより大きく見えるなとか。例えば、愚痴を言う時に梅干しサワーの梅干しをすごい潰し方をしながら話す友人がいるんです。梅干しにうっぷんをぶつけるように、滅多刺しにしている姿が、映画みたいに映像で自分の中に残っていて。人とその行為と空気とかが合わさった時に、いっきにアイディアが生まれます。

記憶に触れる、

そんな短歌を目指したい。

F.I.N編集部

おもしろいですね。読者からの感想などを聞く機会はありますか?

伊藤さん

そうですね。あとインスタとかに投稿してくれたコメントを読ませていただくこともあります。意外だったのは、「めちゃくちゃ泣きました」と言ってくれる人が多くて驚きました。あまりにそういう人が多くて、嬉しいような不思議な気持ちです。

F.I.N編集部

泣いてしまう理由がわかるような気がします。伊藤さんの言葉で自分の感情や記憶が呼び起こされるような感覚があります。

伊藤さん

ありがとうございます。以前、マイム(*1)の人を取材して思ったことがあるんです。その方はイメージを形にすることについて、『各々の記憶にタッチする』と表現していました。マイムでは、水やビールを区別して表現することができないんです。「ビールを飲む」と表現したくても、「冷たいしゅわしゅわしたものを飲んでいる」ということくらいしか、お客さんには伝わらないんです。でも決め切らないからこそ、その冷たいしゅわしゅわしたものを飲んだ時の体験が、ある人はビールとして、ある人は炭酸水として、それぞれ違うものが思い浮かぶ。こちらの表現が記憶に触れて、相手の頭の中で世界がパーっと広がるんです。それってすごく豊かなことですよね。私が扱っているのは言葉なので少し違いますが、1つの言葉がその人の中にポンと入った時に、その人なりの咲き方をするというのはすごくおもしろいなと。取材を通じて、短歌で自分はそういうことを目指しているなと気づきました。

*1 言葉を使わず、身ぶりや表情だけで表現する演劇。

F.I.N編集部

今後の展望はありますか?

伊藤さん

展示をやってみたいなと思っています。作品を出版してから、本というメディアと自分の短歌の関係を考えるようになって。本って表紙で閉じられていて、自分で開いて読んでいくから、街中でパッと目に飛び込んでくるよりも、すごく深く入っていけるメディアだと思うんです。逆に、白い壁で囲まれた空間の中に言葉が置かれた時、言葉はどうやって入ってくるんだろう。置かれる場所で入り方が変わるだろうから、そのスピード感だったり強弱だったりというものを試してみたいんです。

F.I.N編集部

楽しみですね。5年先の言葉の未来についてはどう考えますか?また伊藤さんはどんな風に言葉と関わっていたいですか?

伊藤さん

海外の大統領がスピーチするのを観ていて、人の言葉というか、心のある言葉で話されているなと感じることが多くて。政治家や大統領は、常に失敗が許されない立場で、仮に少しでも失言をしてしまった時のリスクが大きすぎるために、どんどん閉じこもった言葉を選びがちになってしまうと思うんです。しかし、そんな“大きな声”にも、ちゃんと体温が宿っている世界ってすごくいいですよね。逆に日本では倫理観的なことがちゃんと育たずに、何がだめなのか考えずに、公式の声、公式アカウントなどの“大きな声”から体温が抜け落ちているなと感じます。テンプレートのような人格は体温ではないと思うので。5年で変わるかわからないけど、“大きな声”にも体温が宿る時代に変わっていてほしいという願望と、みんながその違いに気づき、少しずつ方向転換していくのではという期待があります。私自身は、あまり人生の予定を立てるタイプではないですが、5年先もきっと変わらず作品を作り続けているはずです。今はまだ社会に何かいいことができている訳ではなく、自分で書いて、自分で戦っているだけ。なので、もう少しステージアップして、自分の言葉で世の中をいい方向に向かわせられる、そんな風に働けているといいなと思っています。

Profile

伊藤紺さん

歌人・ライター・コピーライター。1993年生まれ。2019年に歌集『肌に流れる透明な気持ち』、2020年に短歌詩集『満ちる腕』を刊行。同年、ファッションブランド「ZUCCa」2020AWムックや、PARCOオンラインストアの2020春夏キャンペーンビジュアルの短歌を制作。森ビルオウンドメディア『HILLS LIFE DAIRY』の連載「感覚の遊び場」などでのライティングも。

編集後記

伊藤さんの、常にやさしさと温かさを纏わせながら表現豊かにお話ししてくださった様子が強く印象に残っています。言葉に責任と愛をもって向き合っていらっしゃるからこそなのだろうなあ、と感激しました。社会のなかで集団に所属していたり、何某かの肩書きを背負っていたりすると、いつのまにか「自分」としての言葉を忘れてしまいがちです。感情をもって生まれた一人間として、きちんと自身の思いや感情と向き合い、愛と責任を持ってそれらを他者へ伝えあうことができれば、よりお互いのことを理解しあって心地よく過ごせる社会が実現できる。今回の伊藤さんのお話から、とても豊かな未来社会を想像し、まずはわたし自身がそれを実践していきたいと思うことができました。

(未来定番研究所 中島)