F.I.N.的新語辞典
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2018.08.07
未来を仕掛ける日本全国の47人。
毎週、F.I.N.編集部が1都道府県ずつ巡って、未来は世の中の定番になるかもしれない“もの”や“こと”、そしてそれを仕掛ける“人”を見つけていきます。今回向かったのは、大阪府の大阪市。編集者の川村庸子さんが教えてくれた、詩人で、NPO法人こえとことばとこころの部屋代表理事の上田假奈代さんをご紹介します。
この連載企画にご登場いただく47名は、F.I.N.編集部が信頼する、各地にネットワークを持つ方々にご推薦いただき、選出しています。
多様な人たちの表現を受け止める場をつくり、表現の”循環”を仕掛ける人。
詩人として活動してきた上田さんが手がけるのは、アートを軸に、様々な人々に表現と出会いの場を提供するNPO法人・こえとことばとこころの部屋(=通称ココルーム)。現在は、労働者のための簡易宿泊所街・釜ヶ崎に拠点を構え、”ゲストハウスのフリ”をしながら、表現を軸にしたライブやワークショップなど、様々な活動を仕掛けています。推薦してくださった川村さんは、「共通の友人たちに薦められて4年ほど前に遊びに行き、お昼ごはんを一緒に食べました(ココルームでは毎日みんなで食卓を囲みます)。それからしばらく間が空いてしまって、ゲストハウスになってから再訪したのは先月。ココルームらしさはそのままで、とにかくいい庭でした。イチジクがおいしかった。ここで起きている悲喜交々と、多様な、本当に多様な人々との関わり合いは、豊かであるとしか言えません」と話します。上田さんにお話を聞いてみました。
F.I.N.編集部
上田さん、初めまして。
上田さん
こんにちは。
F.I.N.編集部
今日はいろいろとお話を聞かせてください。まずは、ココルームを立ち上げたきっかけを教えていただけますか?
上田さん
ココルームは、2003年に、大阪・新世界を拠点にスタートしました。当時、大阪市が現代芸術の拠点の形成を行おうと、「新世界アーツパーク事業」というのを立ち上げたんです。その中で、詩人として活動していた私にスペースを持たないかという声がかかりました。その事業は、家賃と水道、光熱費は行政が負担するけれど、あとは知りませんよ、という変わった仕組みなんです。契約の覚え書き1枚すらないという……、今ならありえないですよね(笑)。
F.I.N.編集部
それはアバウトですね……(笑)。そんなチャレンジングな事業に、なぜ挑戦しようと思われたんですか?
上田さん
当時、私は詩を仕事にしたいと思っていました。詩集を買う人も少ない今、詩を生業とするのは、日本では不可能に近いんです。多分これまでの詩人がやっていないようなことをやらないと無理なのでは……と思い、ならば、場所を持ち、その場所を運営することを詩人の仕事としてやってみるのはどうだろうと考えたんです。
F.I.N.編集部
なるほど。そのスペースはどんな場にしようと思ったんですか?
上田さん
大阪には、芸術分野で頑張っている若者がたくさんいるのですが、なかなか機会に恵まれず、歳を重ねるにつれ、どんどん状況は厳しくなっていく。そうした若者たちと一緒に「表現の仕事場を作る」ということを裏ミッションとし、表向きは「表現と社会の関わりを探る」ということを掲げながら、”喫茶店のフリをする”という作戦をとるわけなんです。
F.I.N.編集部
上田さんがお使いになる、「フリをする」という表現がすごく面白いですよね。
上田さん
私が大事にしていることなんです。アート好きは、アート好きとしか関わらないし、起業好きは起業好きと話をする。自分たちの居心地の良い場所に人は集まってしまいがちですよね。でも、フリをすることによって言葉や考えが違う人同士が出会って、拡張していくことができると思うんです。また、「何良い人ぶってんねん」と思われてしまうような理想主義者的な本質も、自分の立場を「フリにする」ことによって、追求可能になることもあるんじゃないでしょうか。開設当初は本気で喫茶店をやっている人に申し訳なくて、そんな風には言えなかったんですけど(苦笑)。
F.I.N.編集部
そうなんですね。ココルームでは、具体的にどんなことが行われているんですか?
上田さん
まず、ココルームでは、お客さんとスタッフが昼と夜、ご飯を一緒に食べます。見知らぬお客さんとテーブルを囲み、無言でいるわけにはいきませんから、「どちらからいらしたんですか?」「何してはるんですか?」「どんなことに関心がありますか?」と質問をする。しんどい思いをしているような人も、ただのおばちゃん相手にしゃべりやすいんでしょうね。ポロリポロリと悩みを話してくれることがあるんです。「へえ」と聞いているだけなんですが、そこから私たちは社会の空気やニーズを感じ取ってきました。
F.I.N.編集部
それは具体的にどんなことですか?
上田さん
例えば、ニートっていう言葉。世の中的に流行るのが2004年なのですが、私は2003年の段階で、そのニートの状況を感じ取っていました。喫茶店に訪れる若者たちが、仕事に就けないとか、人間関係がすごく苦手だということを語るんです。また、発達障害もそう。今でこそ浸透した言葉ですが、当時は世の中の理解もありませんでした。そういう若者たちと出会い、素人ながら、いち早く接していたんです。
F.I.N.編集部
まさにココルームを通して、これからの世の中がまとっていく空気を感じ取られていたんですね。でも、なぜ、現代芸術の拠点だったこの場所に、多様な人が集まってきていたんでしょう?
上田さん
それは、「アートとニートは紙一重」だから(笑)。生きづらさを抱えている若者は、自己表現にすごく敏感。下手だからこそ関心があるんです。私自身がそうですから。ココルームでは、喫茶店でご飯を食べることのほかにも、演劇やダンス、トークイベントなど、様々なワークショップを実施していて、そこにニートや発達障害の子も参加してくれる。そんなことを何年もやっていると、彼らの表情が変わって、元気になってくれたりするんですね。彼らが、この場所が安心できる場所だと思ってくれた時に、私たちに言葉をかけてくれる。自分が認められて、安心できる場所があってはじめて、人はやっと表現ができるんですね。表現をすることにこだわってきましたが、それではなく、表現を受け止める側の問題だったと気づきます。そして、これまで苦労してきた人が心の奥底から差し出してくれる表現は、本当に素晴らしい。私を心から励ましてくれるんですよ。
表現というのは、循環していくということ。帰ってくるんです。こんなに素晴らしいものをアーティストだけに独占されるのはもったいないと思います。
F.I.N.編集部
なるほど。一方で、釜ヶ崎に興味を持ったのはどんなきっかけだったんですか?
上田さん
ココルームを始めた2003年頃からすでに気になる場所でした。というのも、釜ヶ崎と呼ばれる地区は、新世界のココルームから、本当に約20mしか離れていなかったんです。新世界にもホームレスの人は多く流れて来ていたのですが、びっくりするくらいこの界隈では、ホームレスのことはタブー。「あんなところ怖いから行っちゃいけません」とみんな言うんです(苦笑)。
F.I.N.編集部
近くて遠い場所だったんですね。
上田さん
当時、釜ヶ崎も、ホームレスが増えたことによって、変わり目を迎えていて、いろんな活動が起こっていました。地区から20m離れているビルの4階ということで、ちょうど良かったんでしょうね。ココルームの喫茶店を、釜ヶ崎で活動する人たちが打ち合わせなどでよく使ってくれるようになったんです。彼らから釜ヶ崎のことをたくさん教えてもらいました。また、私は2004年に、釜ヶ崎で朗読ライブを行いました。その時、釜ヶ崎の人の生き方を詩にして、読み上げたんです。すると、終わった後、そこにいた労働者のおじさんが、その詩をスポーツ新聞に書き写して、私に見せてくれたんですよ。今までそんな反応をされたことがなかったので、すごく驚いたことを覚えています。この町のことをみんな怖い、危ない、というけど、人々は生きることに切実です。本来の芸術=生きる技術という意味では、原石みたいな場所なんじゃないのかなと。よく、「ホームレスの人に表現の機会を与えていて素晴らしいですね」なんて言われるんですけど、それは全く逆。私の方こそ教わっていて、気づかせてもらっているんです。
F.I.N.編集部
釜ヶ崎と表現の掛け合わせに、光るものを感じたんですね。それで、釜ヶ崎に移転することになったんですか?
上田さん
新世界アーツパーク事業は、10年の約束と聞いていたんですけど、結局頓挫し5年で追い出されるんです。その時の挫折は大きかったですね。別に媚びる必要も、分かりやすいことをする必要はないのだけど、世の中と接続点を作ろうとしてこなかったことの表れだなと自省しました。そして、隣町の釜ヶ崎にはアートのNPOは一つもなく、何かやれることはあるかもしれないと感じ、「表現と社会の接続点を作ろう」という実験精神を胸に、ココルームを移転することにしました。2008年のことです。
F.I.N.編集部
釜ヶ崎ではどんな活動をされてきたんですか?
上田さん
15人も入ればいっぱいになってしまう小さな喫茶店で、舞台にありません。奥に4畳半の小上がりを作って、そこにちゃぶ台を置いてご飯を食べたり、時にはそこでライブ、ワークショップをしたり。ささやかな表現と出会いの場を作り続けることにしました。でもその後、町にいろんな変化がありました。商店街は中国人にどんどん買われていって、私たちのお店にどんどんお客さんが来なくなって……。さらに、高齢化が進み、おじさんたちがうちまで歩いてきてくれなくなってきたんです。そこで、こちらから町へ出て行こうと、釜ヶ崎芸術大学という取り組みを始めました。
F.I.N.編集部
釜ヶ崎芸術大学とは、どんな取り組みなんですか?
上田さん
街のいろんな施設を借りて、講座を出前するという取り組みです。外から関心を持って釜ヶ崎に来てくださった方が、釜ヶ崎の空気に出会い、釜ヶ崎の人の学ぶ姿に学び、交流することになるし、釜ヶ崎で暮らしている人にとっても、挨拶する人が増えるとか、知り合いやお友達ができたり、刺激を受けたり。 “大学のふり”をして、今年で6年目になりますね。
F.I.N.編集部
ココルームの活動を続ける中で、印象に残っているエピソードはありますか?
上田さん
2008年の移転後すぐ、毎日何度もやって来るトラブルメーカーのおじさんがいました。注文もせず、とにかく人を見つけてはつまんだり、叩いたりするんです。スタッフからは出入り禁止にしてほしいと言われていました。ただ、私はそうはしたくなく、暴力行為がひどくなると、私が外に連れだし、話を聞くんですけど、もう何言ってるかわかんない(笑)。時には30分、40分聞くこともありました。「今日はお互いしんどいから、明日来てね」というやりとりをずっと繰り返してたんです。そんなことが1年半くらい続いた頃、「手紙を書く会」というワークショップをやっている時にたまたま入ってきて、初めて「参加する」と言いました。でも、紙とペンを目の前にすると、手が動かない。その人は、字が書けなかったんです。「かなよさん、字ってどうやって書くの?」って聞いてくれ、養護施設の園長先生宛の手紙を書き上げました。ただ厄介な人だと思っていたけれど、その人の人生にどれほど苦労が多かったか、言葉もありません。字を聞いてくれたっていうことが嬉しかったですね。彼が、字を書けないことがここでバレても、誰も笑ったり、馬鹿にしたりすることはないんだということを、彼自身が信じてくれたんだなと思いました。
F.I.N.編集部
1年半という長い年月をかけて、見極めていたんですね。
上田さん
試されていたんですね。それから彼はすごく変わって、いろんな絵を描いてくれるようになりました。絵や字もとっても可愛いんですよ。そして、ありがとう、とか、ごめんなさいを言うようになって。やっぱりここでも、表現を受け取る側がどんな場作りをしているかが問われているんだ、と痛感しましたね。今は、自分の意見を表現しづらい世の中になってきたからこそ、この気づきはとても大事だと思います。
F.I.N.編集部
本当にそうですね。今はゲストハウスとして営業をされていますね。
上田さん
はい、2015年にゲストハウスに業態を追加することを決断しました。おじさんたちはどんどん亡くなる中、喫茶店は経営不振になる一方だし、釜ヶ崎芸術大学の釜ヶ崎のおじさんの参加はどんどん減っていく。平日の午後の開催にもかかわらず外部からの参加が増えていました。さらに、外国人観光客が増えて、街はピカピカなホテル街に変わりそうだという予感もありました。そうすると、忌み嫌われてきた釜ヶ崎の記憶がなかったことにされてしまうんじゃないかと思ったんです。誰でもいつかは死んじゃうし、時代は変わるけれど。釜ヶ崎で一人一人生きている人がいて、その人の生きていた証を誰かが受け取っていって欲しいなと思います。生きる力をくれる人たちですから。私もその一人ですが、もっといろんな人に受け取ってもらいたい。そう、それで、宿であれば、旅人が来てくれますよね、そして釜ヶ崎の人たちと出会える接続点が自然とある宿を作ろうと考えました。
F.I.N.編集部
推薦してくれた川村さんは、庭が素敵だったとおっしゃっていました。
上田さん
ありがとうございます。1階に大きな庭を持つことができたんです。そこは、釜ヶ崎のおじさんや旅人が一緒にくつろいだり、おしゃべりしたり、こどもの人たちが遊んだりする場になっています。
F.I.N.編集部
最後に、上田さんが考える理想の世の中について教えていただけますか?
上田さん
芸術というのは、問い続けることだと思っています。今正しいと思ってやっていることを、本当にそうだろうかと一つ一つ問いながら進んでいける世の中になったらいいですね。今は、みんな体がカチカチでお茶碗にお茶が満タンに入っているような状態だと思います。そうやって身構えちゃうと、考えも凝り固まっちゃうような気がします。弾力性を持つことってだいじですよね。体をひらいていくような心持ちで日々生活していくことで、もうちょっと息がしやすく、楽に生きれるようになるんじゃないかなと思います。
私は世間のことをよく知っているわけではないんですけど、こうして一つの場所に根ざしながら、活動していると、世界のあちこちで起こっている紛争、人々の営みの大変さ・素晴らしさに思い馳せることが少しずつ増えている気がしています。彼の地でもきっと、一歩一歩頑張っている人もいるだろうなと思うし、私もここで頑張ろうと思う。みんなそれぞれの持ち場で体をひらき、表現し合ってみることで、生きるということがくっきりするんじゃないかなと思います。
F.I.N.編集部
お互いがお互いの表現を受け止め合える柔軟な世の中になったら良いですね。ありがとうございました。
特定非営利法人 こえとことばとこころの部屋(ココルーム)
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