街の一角が変わると、その場で行われる営みが変わり、人々の流れが変わり、街自体が変わっていきます。そんな変化の真ん中にある空間や建物を紐解いていくと、未来の街並みが見えてくるかもしれません。この連載では、街の未来を変えるようなポテンシャルを持った場所を訪ね、そのデザインや企画を担当した建築家やディベロッパーがどのような未来を思い描いているのかを探っていきます。
栃木県那須塩原市では、JR黒磯駅周辺地区の活性化を目的に新たな図書館の建設に着手。2020年、カフェやホールを併設した〈那須塩原市図書館 みるる〉が完成しました。設計を手掛けた建築家の伊藤麻理さんとともに、図書館の枠を超えた交流拠点が誕生するまでの軌跡をたどります。
(文:片桐絵都、サムネイルイラスト:SHOKO TAKAHASHI)
那須塩原市図書館 みるる
用途:図書館
所在地:栃木県那須塩原市本町1番1号
施工年:2020年
延べ床面積:4,968㎡
設計:UAo株式会社
「道」と「森」が図書館をひらく
F.I.N.編集部
伊藤さんは〈那須塩原市図書館 みるる〉(以下、〈みるる〉)のある那須塩原市のご出身ですが、どんな経緯で設計を手掛けることになったのでしょうか?
伊藤さん
たまたまコンペの募集を見つけたのがきっかけです。一次審査は匿名だったので、自治体の方も私の出身地を知って驚かれたのではないでしょうか。ただ、この街で生まれ育ち、地域の課題をよく理解していたことは強みになったと思います。
F.I.N.編集部
どのような課題があったのでしょうか?
伊藤さん
かつて、黒磯駅は那須御用邸の最寄駅として栄えていました。でも1982年に東北新幹線が開業して、1つ手前に那須塩原駅が設置されたんですね。すると乗降客が激減し、駅周辺はどんどん衰退していきました。再び賑わいを取り戻そうと、市はもともとあった〈黒磯図書館〉を移転・一新し、図書館を中心とした街の活性化を計画。これが今回のプロジェクトの出発点です。
F.I.N.編集部
どのようにコンセプトを固めていきましたか?
伊藤さん
いわゆる図書館って「静かに本を読む場所」じゃないですか。だから単純に図書館を建てただけでは、街は活性化しないですよね。人が集まり、多世代間のコミュニケーションが生まれる仕組みをどうつくるか。答えを探るなかで浮かびあがったキーワードが、図書館の中に「道」を通すことでした。
〈みるる〉のコンセプトスケッチ。黒磯駅から本棚のあいだを抜けるように、一本の道が通っている。(提供:UAo)
F.I.N.編集部
図書館の中の「道」とは、どういうことでしょうか?
伊藤さん
黒磯駅から市街地へと続く道が、図書館の1階を貫くように設計したんです。そうすれば用事のない人でも自然と中へ入っていきますし、さまざまな世代の人が行き交うようになります。日常動線としての道があって、そこにたまたま本が並んでいるだけ。そんな風に、誰もが気軽に入れるフラットな図書館を目指しました。
〈みるる〉1階中央部。本棚が中央から放射状に置かれている。
伊藤さん
そしてもう1つのキーワードが「森」。自分にとって居心地のいい図書館って何だろう?と考えた時に、森の中でゆっくり本が読めることだと思ったんです。ストレスのない森で居合わせた人たちは、きっと自然発生的に交流を育んでいくはず。でも本物の森を作れるほど広い敷地はなかったので、ならば建築で森を作ってしまおうと考えました。
F.I.N.編集部
どのように建築で森を表現したのでしょうか?
伊藤さん
まず、天井に高低差のある多面体のデザインを採用しました。これは大小さまざまな木立の樹冠の下端(リーフライン)を模していて、ルーバー(細長い板材を一定の間隔で平行に並べたもの)の隙間から木漏れ日のように多様な光が差し込みます。
また森の中を歩きながら本を選ぶ感覚を味わってもらうため、本棚をグリッド状ではなく放射状に配置しました。そうすることで死角がなくなり、空間全体に繋がりが生まれます。
〈みるる〉2階中央部。木立の下端を模した天井によって、天井高に変化が生まれ、大小さまざまな居場所ができている。
伊藤さん
さらに1階の道の脇には「森のポケット」という吹き抜け空間を点在させました。イメージは、木立の中でパッと空が抜けて、明るい光が降り注ぐ場所。用途を明確に定めていないので、ある時は談笑する場所、またある時は作品展示のスペースと、市民の自由な営みの場となっています。
1階脇の「森のポケット」は、親たちが集い、談笑する場にもなっているという。
箱を作るのではなく、いかに壊すか
F.I.N.編集部
1階と2階のすみ分けはどうなっていますか?
伊藤さん
1階はカフェやホール、セレクト本を設置して市民の憩いの場にし、2階に図書館機能を集約させています。1階と2階が分断されないよう、階段の幅を広く取って行き来しやすくしました。空間全体としてはひらけていますが、2階には集中してこもれる場所も用意しています。オープンとクローズを散りばめることで、過ごしたい場所を自由に選び取れるようにしました。
1階は司書が選んだ蔵書スペースに加え、カフェやギャラリーなど、多目的に使える空間になっている。
2階は1階よりも外の音を遮り、集中して学習できる独立型のサイレントラーニングスペースなど、学習環境も整っている。
F.I.N.編集部
設計を進める中で、市民の声を聞くワークショップも行ったと伺いました。とくに印象的だった意見は何ですか?
伊藤さん
高校生たちの「居場所がほしい」という声です。普段どうしているのか聞いてみると、集まれる場所がないから、コンビニの前にたむろしているとのことでした。そこで〈みるる〉を新たなたまり場にしてもらおうと、2階に上がる動線上に段床スペースを設けました。ここでは床に座っても、寝転んでも構いません。あえて利用者の通り道に設けたのは、多世代の自然なコミュニケーションを促すと同時に、見守りの機能も果たすためです。
1階と2階を繋ぐ段床スペース。市民やスタッフによるイベントが開催されることもある。
F.I.N.編集部
一般的な市立図書館のイメージとは大きく異なりますね。
伊藤さん
人の行動を規定しない一番の方法は、フラットな状態をつくることです。部屋として区切り、グルーピングしてしまうと、世代を越えた交流は生まれません。今回は図書館という箱を作るのではなく、その箱をいかに壊すかが大きなテーマでした。
F.I.N.編集部
「箱を壊す」というテーマは、具体的にどんなところに表れていますか?
伊藤さん
例えば、ガラス張りの建物を採用した点。外から中の様子が見えた方が入りやすくなるからです。でも多くの図書館は窓の少ない作りになっています。なぜかというと、本が日焼けするから。だったら、紫外線が遮断できれば全面ガラスでもいいわけです。そこでUVカット加工を施したガラスと特殊なレースカーテンを使い、光を取り入れながら蔵書も守れるようにしました。
F.I.N.編集部
街の活性化を目指すプロジェクトとはいえ、行政主導の公共施設です。前例のないことを行うのは難しかったのではないでしょうか?
伊藤さん
そこはもう、ひたすら対話です。疑問に思ったことは、納得がいくまで絶対に折れない。「ダメ」と言われたら「じゃあここまでならどうですか?」とこじ開けていく。対話という名の闘いですね(笑)。誰かがそれをやらないと、古い体質って変わらないんですよ。1人の保守的な意見で100人が規制されるなんて、本当にくだらないと思います。大切なのは「図書館=ガラスNG」という既成概念にとらわれるのではなく、「日焼けを防ぐ」という目的を明確にすること。この街に必要なものは何なのかを、対話を重ねながら紐解いていきました。
「少々にぎやかな図書館」にするために
F.I.N.編集部
そのほか、従来の図書館と違う点はどんなところですか?
伊藤さん
私はコンペの時に「少々にぎやかな図書館を作ります」と宣言しました。その言葉通り、館内は会話OKです。友達と喋りながら勉強した方がはかどる場合もありますから。そして飲食もOK。中のカフェで買ってもいいし、持ち込みもできます。行政からは「コーヒーをこぼして本が汚れる」と言われましたが、別に汚れてもいいと思いませんか?シミがあっても読めるし、ある意味、その本の歴史です。このページが面白かったのかな?なんて、前の借り手に思いを馳せるのも楽しいものです。だから〈みるる〉には、公共施設にありがちな「〇〇禁止」の貼り紙も一切ありません。
F.I.N.編集部
特に交渉が難しかったことは何ですか?
伊藤さん
本の無断持ち出しを防ぐBDS(セキュリティゲート)の撤廃です。BDSは多くの図書館に設置されていますが、〈みるる〉には置かないでほしいと行政に求めました。だって、ない方が入りやすいじゃないですか。これが一番難航しましたね。でも私も譲れなかった。「街の人を信じましょうよ」と最後まで言い続けて、何とか開館までこぎつけて。そうしたらなんと旧図書館の時よりも損失額が減ったんですよ。ある地元の方は「ここに来て読むのが楽しいから、盗もうなんて気にならない」とおっしゃっていました。
黒磯駅から見た〈みるる〉。館内がそのまま街へと抜ける動線になっている。
F.I.N.編集部
オープンだからこそ、逆に持ち出しづらいのでしょうか?
伊藤
それもあるでしょうね。実は〈みるる〉にはごみ箱も置いていないんですよ。捨てる場所がなければ、利用者自身がごみを持ち帰ると考えたからです。これも最初は行政の同意を得られなかったのですが、開館から5年経った今もきれいな状態を保てています。むしろ地元の方々が自発的に外の広場の草むしりまでやってくださいますよ。それだけ自分たちの施設だという意識が強いんだと思います。
規制に縛られすぎると、世の中も建築もつまらなくなる
F.I.N.編集部
今回、建築というハードだけでなく、ソフト面にも深く切り込んだ理由は何ですか?
伊藤さん
市民にとっては図書館が建つのがゴールではなく、建ってからがスタートだからです。今、建築は100年もつ時代。100年間この図書館を維持するとなると、行政の力だけではなかなか難しい。街の人が率先して関わりたくなる仕組みまでつくるのが、私たち建築家の仕事だと感じています。
そうした思いもあって、開館当初から市民参加型のイベントを積極的に実施してきました。ブックディレクターの幅允孝さんが選定した本の一節を、スチレンボード製の文字で表現する「言葉の彫刻」も、市民の手で作られたものです。また公共施設で個展などを開く場合、一部のスペースしか借りられないことが多いですが、〈みるる〉では館内のどこを使ってもOKです。本棚のモジュールも大きめのサイズに設定しているので、本以外の作品も展示しやすく、幅広い表現ができます。
1年に1回変わる「言葉の彫刻」。通常の床面積あたりの蔵書数を大幅に減らしたことで、その他の用途に使えるスペースや余白を広く確保できたという。
F.I.N.編集部
想定外の使われ方はありましたか?
伊藤さん
強く印象に残っているのは、フラワークリエイターの篠崎恵美さんの展示です。1階の天井のルーバーから生花を吊るして、ドライになっていく過程を可視化し、最後に来館者にプレゼントするというインスタレーションでした。こんな使い方もできるのかと驚きましたね。
F.I.N.編集部
展示を行うのはプロの方が多いのでしょうか?
伊藤さん
いえ、大半は一般の地元の方々です。人気すぎて2年先まで予約がいっぱいだそうですよ。結局、建築はきっかけでしかないんです。最初に用意しすぎてしまうと新しいことが起こらないから、ほんの少し手前で止めるバランスが重要で。〈みるる〉はそのさじ加減がうまくいった事例だと思います。
室内だけでなく、図書館前の駅前広場も、市民の憩いやイベントの場として活用されている。
F.I.N.編集部
これから先、街にはどんな場が必要だと思いますか?
伊藤さん
自由な場所。最近、規制が多すぎませんか?何かあるとすぐクレームが来て、禁止の貼り紙が貼られて、世の中がどんどんつまらなくなる。建築も同じです。〈みるる〉を設計する際にも、図書館法や条例によるさまざまな制約がありました。でも、図書館法が制定されたのは1950年。電子書籍が主流の時代に、戦後のルールが当てはまるわけがないですよね。
自由が利かないと同じような「箱の建築」しか生まれなくなる。未来を変えるためには、常識とされているものを見直すことが重要です。今回のプロジェクトのように1つずつ諦めずに紐解いていけば、本当に大切なものが残る。そう信じて、これからも既成概念と闘っていきたいと思います。
伊藤 麻理さん(いとう・まり)
1974年、栃木県那須塩原市生まれ。1999年、東洋大学大学院工学科建築学専攻修士課程修了。1999~2000年スタジオ建築計画。2001年にオランダに渡り、〈Atelier Kempe Thill architects and planners〉のスタッフとして約3年、設計士として活躍。帰国後の2006年、アトリエインク設立。2013年、UAoを設立。
【編集後記】
図書館は、地域住民が世代を問わずに通える場所。にぎやかな図書館である〈みるる〉なら、近くで暮らす人の存在をいっそう強く感じられるはずです。自分と異なる世代の住民がさまざまにくつろぎ、何かにいそしむ姿を目にできることは、地域の人々にとって大きな希望になるのではないかと思います。
今回の取材では〈みるる〉がいかに新しい図書館であるかを思い知りましたが、この「新しい図書館」の様式がたくさんの地域に広がる未来が望ましいのかは分かりません。それだと「新しい固定観念」が生まれたにすぎないかもしれないからです。図書館としての新しさだけに注目するのではなく、その背景にある「既成概念をほどく」「必要なものを明確にする」「人が関わりたくなる仕組みをつくる」といった考え方がそれぞれの地域で取り入れられ、それぞれの街に根差した「新しい図書館」が考え出される未来を楽しみにしていたいです。
(未来定番研究所 渡邉)
未来場スコープ
case7| 〈那須塩原市図書館 みるる〉対話でほどく、既成概念の結び目。