未来場スコープ
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2025.02.14
あの頃から、未来を見つめる。
あの頃を見つめ直すと、今、そして未来が見えてくる。1974年の創設以来、東京・渋谷でカルチャーの源流とその広がりを見つめてきた〈パルコ出版〉。F.I.N.編集部は、未来の目利きとして〈パルコ出版〉ゆかりの方々と一緒に、あの日と今を行き来しながら、5年先の未来を考えていきます。
1974年に創刊され、若者たちの心をつかんだ伝説の雑誌『ビックリハウス』。その発起人の1人であり、街の移り変わりを見つめながら、広告からアートに至るまで多岐にわたる表現活動を行ってきた榎本了壱さん。一方、ラッパーとしてのキャリアを築きつつ、コロナ禍にスタートしたPodcast番組『奇奇怪怪』や、メディアを横断した仕掛けで注目を集めているTaiTanさん。独自の視点で社会を見つめてきた2人は、それぞれの時代をどう読み解くのか。2人の対談から、あの頃と現在の共通点、そして文化やクリエイティブの本質が見えてきました。
(文:おぐらりゅうじ/写真:竹之内祐幸)
榎本了壱さん(えのもと・りょういち)
1947年、東京都生まれ。〈アタマトテ・インターナショナル〉代表。大正大学表現学部教授、学部長。1968年より寺山修司主宰の劇団「天井棧敷」にて宣伝美術を担当。1974年、雑誌『ビックリハウス』を萩原朔美と創刊。以降、メディア表現のディレクションやイベントなどのプランニング、デザイン、プロデュースを手掛ける。
TaiTanさん(たいたん)
1993年、神奈川県生まれ。ヒップホップグループ〈Dos Monos〉のラッパー。Podcast『奇奇怪怪』やTBSラジオ『脳盗』ではパーソナリティーも務めながら、クリエイティブディレクターとして、テレ東停波帯ジャック番組『蓋』、音を出さなければ全商品盗めるショップ『盗』、SHUREのスニーカー『IGNITE』などを手掛ける。
Instagram:https://www.instagram.com/tai_____tan/
「クリエイターという肩書きは、実はすごく重い」(榎本)
F.I.N.編集部
おふたりは初対面ということで、まずはお互いに自己紹介をお願いできますか。
TaiTanさん
〈Dos Monos〉という3人組でラッパーをしているTaiTanです。ほかにも『奇奇怪怪』というPodcast番組や、TBSラジオの『脳盗』という番組でパーソナリティーをしたり、いろんな企画や制作もやっています。
榎本さん
榎本です。いろいろやられているんですね。僕もデザインをしたり、絵を描いたり、文章を書いたり、展覧会のプロデュースをしたり、いろいろやっているから、TaiTanさんと同じです。
TaiTanさん
仕事の領域が多岐にわたると、どう名乗っていいのか問題というのがあって、僕はもう「ラッパーです」と言い切ることにしているのですが、榎本さんはどうされていますか?
榎本さん
あえて肩書きを名乗るなら、クリエイティブディレクターが一番便利かな。アートディレクターだと、全体というよりも、デザインを中心にビジュアル表現のほうに専門領域が限られちゃうから。
TaiTanさん
僕も場合によってはクリエイティブディレクターと名乗っています。そのほうが都合のいい仕事がやっぱりあるので。
榎本さん
日本においてクリエイティブディレクターという職業が最初に生まれたのは広告業界ですよね。アートディレクターやコピーライターといった専門職が集まったときに、全体のディレクションを担当する人。仕事って、具体的なものを考えたりつくったりするだけではなく、それらを束ねる役割も必要なんだよね。ただ、寺山修司という人は、演劇から詩から評論まで、とても広い領域で活動を続けた作家だけど、彼は「職業は寺山修司です」と言っていた。そんなこと、普通の人はなかなか言えないけど。
TaiTanさん
最近だと、いろんな名詞に「クリエイター」とつけることが一種のブームになっていて、造園業の人が造園クリエイターと言ったり、YouTuberが動画クリエイターと言ってみたりとか。誰しもが発信者や表現者になり得る現代は、1億総クリエイター時代なんだなって思います。
榎本さん
でも「クリエイター」という言葉は、実はすごく重いと僕は思いますよ。
TaiTanさん
創造者を名乗るってことですからね。
榎本さん
はい。キリスト教の「創造主」の世界にまで及ぶ言葉ですから。
「ビックリハウスで見せたかったのは読者の感性」(榎本)
TaiTanさん
榎本さんが創刊から関わった雑誌『ビックリハウス』では、初期から読者投稿を積極的に採用していましたよね。それはどういった意図だったのですか?
榎本
僕らは読者のことを知りたかったんです。文章にしても絵にしても、読者が投稿してくるものは、クオリティー的にはプロに及ばないとしても、そこには反応があり、メッセージがある。ですから、投稿ページで見せたかったのは、読者の感性なんです。文章や絵がいいから載せたというより、コミュニケーションを誌面で展開したという感じかな。
F.I.N.編集部
人気企画「ノンセクション人気投票」も読者とのコミュニケーションですね。
榎本さん
あの頃、『明星』や『平凡』なんていう雑誌では歌手や芸能人の人気投票というのが定番の企画としてあって、それを『ビックリハウス』では、誰でもいいから好きな人に投票してくださいという企画にした。そうしたら、早稲田大学の近くにあるレコード店のお姉さんが1位になったんです。これも、読者に早稲田の学生が多かったという反応の表れでしょうね。
TaiTanさん
完全に今のネット的な価値観に通じるものがありますね。
榎本さん
テレビの中の芸能人よりも、身近にいる人のほうが好きっていうほうが素直じゃないですか。僕らは気取って「バリューニヒリズム」なんて呼んでいたけど、あらゆる価値や意味を疑っていこうという考え方です。
TaiTanさん
パルコ文化の中でも『ビックリハウス』はかなり異質ですよね。
榎本さん
当時のパルコといえば、正面には由緒ある〈カフェ・ド・ラペ〉があり、隣には〈イヴ・サンローラン〉の「リヴ・ゴーシュ」、中には〈イッセイミヤケ〉のショップなんかも入っていて、そこに石岡瑛子さんたちが中心となってハイエンドな広告やビジュアルをどんどん出していた。そこへきて『ビックリハウス』は完全に裏パルコです。今の奥渋なんてもんじゃない。でも、パルコの創業者である増田通二さんは僕らにこう言ったんです。「ビックリハウスの読者は今のパルコのお客さんにはならない。でも、10年後、その読者たちはみんなパルコに来るよ」って。結果、10年を待たず、5年でお客さんになりました。
TaiTanさん
まさに先見の明ですね。
榎本さん
TaiTanさんには、そういった恩人というか面倒を見てくれた人はいますか?
TaiTanさん
もちろんお世話になった方はたくさんいますけど、榎本さんたちの時代と決定的に違うのは、規模の大きさはあれど、企業のスポンサードがなくてもメディアを持つことができる、誰でも発信まですべて自前でできてしまうんですよね。
榎本さん
なるほどね。それは別世界だ。僕たちの時代はいろんな分野に先生がいて、チャンスを与えてもらうことが最初のきっかけだった。でも今はきっかけを自分でつくれるんだもんね。
「今の時代はサブカルチャーが存在しえない」(TaiTan)
TaiTanさん
別世界ということでは、メインカルチャーというものがなくなったことも大きな違いかなと思います。今は真ん中にドンと大きな潮流があるのではなく、それぞれが好き勝手に文化を愛でていて、小さなジャンルがたくさん混在している感じ。だから、サブカルチャーというものが存在しえない。
榎本さん
僕もサブカルチャーは今の時代に存在しないと思いますね。少数のハイカルチャーは存在するけれど、あとはTaiTanさんの言うように、固定化していない小さなカルチャーが集合体として点在しているような感じですよね。
TaiTanさん
サブカルチャーという言葉の意味や使われ方も、70年代や80年代とは変わっていて、今はポケモンとか、海外から見た日本のアニメや漫画を指す言葉としてのサブカルチャーの方が一般的だと思います。と同時に、たとえばファッションの世界だと、それまでは交わらなかったハイカルチャーとストリートカルチャーも混ざってしまって、〈ルイ・ヴィトン〉と〈シュプリーム〉が普通にコラボするようになっている。
榎本さん
それはビジネスの話ですよね。エンターテインメントビジネスということを考えた時に、エンターテインメントとアートの境目はどこにあるのか。たとえば演劇でいうと、劇団〈野田地図〉はアートなのか、エンターテインメントなのか。じゃあ〈劇団四季〉は? つまり、かつては作家の意識はもちろん、劇場もアートとエンターテインメントは区別されていたように思うけど、いまや同じ劇場でアートもエンターテインメントも上演されている。受け手の方にしても、TaiTanさんの世代だと、もうどっちも区別なく受容しているでしょう?
TaiTanさん
そうですね。今日本でも人気のある〈NewJeans〉という韓国の女性グループがいるのですが、彼女たちの楽曲やMVを見ていると、参照元がハイカルチャーもサブカルチャーも、時代性すらもごちゃ混ぜで、どの系譜に位置づけていいのかわからない。まさに総合文化とでもいえるような仕上がりなんです。
榎本さん
よくわかります。カテゴリーにこだわっていると、今の時代に響く新しいものはつくれないでしょうね。そのうえで、どんなクリエーションをするにせよ、発信する側が面白がっていないと、いいものはつくれない。それはどの時代においても。懐疑的になった瞬間に、発信力はガクンと落ちます。
「ネットの世界ではすべての人がアマチュア」(TaiTan)
F.I.N.編集部
現代のカルチャーシーンが、ハイもサブもない、ストリートもカウンターもすべてが混在するのだとしたら、その状況は文化にとって良いことなのでしょうか?
榎本さん
そういうことは考えても仕方がない。そうなっちゃった、として受け入れるしかないですね。後年『ビックリハウス』がサブカル雑誌と言われているのも、そういう意味では仕方がないこと。だって今、本屋さんのサブカルコーナーを見ると、タレントのエッセイ集がずらーっと並んでいるでしょう。あの棚に「サブカル」と名前がついていることの切なさはありますよ。タレントのエッセイ集が悪いということでは決してないけれど、もっと異質なもの、共感なんか求めていないものが、もう少しあってほしいなと思いますね。圧倒的なポピュリズムに屈するのではなく。
TaiTanさん
榎本さんのような一流の教養やセンスをお持ちの方が、読者投稿をはじめとした、アマチュアリズムを面白がることができたのは、なぜなんですか?
榎本さん
それは僕自身、あらゆることの専門家ではない、という意識があるからかもしれない。絵描きとも言えないし、文筆家でもないし。デザインやアートディレクターは本業だけれど、それ一本だけで何十年と続けている人とは違う。そんな自意識がアマチュア表現への共感に繋がっているような気がするな。
TaiTanさん
僕はアマチュアの表現というだけではそれほど関心はもてないのですが、商業性や経済性のないところから生まれてくるムーブメントにはすごく関心があるんですよね。
榎本さん
片桐ユズルという詩人が「専門家は保守的だ」という詩を書いているんです。その言葉がとても好きでね。僕は保守的な専門家ではなく、永遠のアマチュアでいたいと思った。権威や賞なんかとは無縁でも、好きなことをやり続けたい。少し前ね、僕が書いた掌編小説を横尾忠則さんに読んでもらったら、「これは素人の書いたものだね。でも、そこがいいんだよ」って。横尾さんが言うんだから、僕は素人でいいんです。
今のインターネットで活動している人たちには、ネットのプロフェッショナルという存在はいるの?
TaiTanさん
いないでしょうね。YouTuberの事務所に所属していることがプロの証しでもないし、稼いでいる金額でプロとアマチュアを分けるものでもないですし。ネットの世界ではすべての人がアマチュアなのかもしれません。
榎本さん
いまやオールドメディアといわれている、新聞・テレビ・ラジオ・雑誌という媒体への広告出稿をコントロールすることで巨万の富を得ていた広告代理店という存在が、そんなニューメディアの登場についていけなくてタジタジじゃないですか。
TaiTanさん
広告出演のギャラが高額なのは、社会に対する信用の対価だからだと思うのですが、トップYouTuberの稼ぐ金額はその比じゃないですからね。彼らは社会からの信用を必要とせず、ファンやオーディエンスからの信用だけでいい。
榎本さん
広告代理店はこれまでの慣習でまだギリギリ今もどうにか仕事が続いているけれど、もしTaiTanさんの言う素人であるところのインフルエンサーの発する言葉の方が、テレビCMよりも影響力があるのだとしたら、もうCMにお金をかけることは誤った選択になるよね。これはアドバタイジングという巨大産業にとって、あまりに大きな転換点だよ。そして、そういう変化というのは、広告表現を見ているだけでもわかる。CMやポスターを見ても、明らかに迷っているもんね。クリエイター・ファーストから、スポンサー・ファーストになっている。
F.I.N.編集部
先ほど榎本さんがおっしゃった「懐疑的になった瞬間に、発信力はガクンと落ちる」という話にも繋がりますね。
榎本さん
本当にその通りだね。今の広告表現は、広告が元気だった頃の表現とは大違いだもん。
「あらゆるクリエイティブの根は反社会的である」(榎本)
TaiTanさん
パルコは渋谷の街そのものを大きく変えた存在でもありますが、近年の街の再開発については、どう見ていらっしゃいますか?
榎本さん
1973年に開業したパルコの尽力によって渋谷が若者の街になったわけだけど、その前の時代、若者の街といえば新宿でした。1960年代にはフーテンと呼ばれる日本のヒッピーたちが新宿にたむろしていて、ものすごいエネルギーを放っていた。そのヒッピー・カルチャーの人たちと学生が、1969年に新宿駅の西口地下広場に集まって、ベトナム戦争に反対する「フォークゲリラ」という反戦運動をやったの。それを地域や警察が排除したんだよね。そのタイミングでパルコができて、次は渋谷が若者たちの集まる街になり、80年代の竹の子族から90年代のガングロギャルまで、渋谷が若者文化の中心になった。ところが、この2〜3年、渋谷がハロウィーンを規制したりと、若者文化の受け入れ方が変わってきたでしょう。
TaiTanさん
街がもう受け止めきれない感じですよね。
榎本さん
いつの時代も、若者たちの大きなエネルギーというのは、反社会的なムーブメントにまで発展していくものなんです。日本に限らず、アメリカだって、今まさに学生たちが大学で激しい反戦運動をしているでしょう。そういった反社会性を、地域がどこまで許容できるか。僕の個人的な意見としては、ある程度は受け入れたほうがいいと思う。街に体力がなくなって疲弊していくほど、保守的になっていく。極端なことを言うと僕は、あらゆるクリエイティブの根は反社会的である、とさえ思っているから。平岡正明は『あらゆる犯罪は革命的である』という本を書いているけどね。
「クリエイターには、クリエイティビティーを受け止める存在が必要」(TaiTan)
TaiTanさん
クリエイティブと聞くと、世の中的にはクリエイターばかりに注目が集まりがちですけど、実はその裏で、パルコにおける増田通二さんのような、クリエイティビティーをちゃんと受け止める存在が絶対に必要なんですよね。そういう存在が道をつくってくれるからこそ、その道に表現を走らせることができる。というのも、今業界で働いている人の多くが、カルチャーっぽさみたいなものに追従しているだけなのがすごく不満で。リスクをとる振りだけして実際は誰もとらないとかもそうだし、自分が思春期に影響を受けた人にオファーして満足、とかもそう。結局そういう人たちは、新しい表現なんかには興味がなくて、自己満足と再生産をしたいだけなのかなって。
榎本さん
テレビが出てきたことによって、メディア全体がポピュリズムやエンターテインメントの方を向くようになっていったのは確かだろうね。メディアは「面白さ」を追求すればいいんでしょ、という姿勢。たとえば、菊池寛が『文藝春秋』をつくった時も、大宅壮一が雑誌を創刊した時も、根底にあったのは信念や思想ですよ。世界を掴んでやる、とでもいうような。決してポピュリズムやエンターテインメントのためじゃない。
TaiTanさん
今の時代、そういった野心を持って刺激を求めてギラギラしているのは、どっちかというとビジネスセクターの人たちなんですよね。それに対して、カルチャー業界の人たちが「あいつら胡散臭い」とか言っている間に、民意はどんどんそっちに傾いている。
榎本さん
大学で教えていて実感するのは、表現学部という場所でさえ、何かを表現したい欲求や衝動よりも前に、まずは安定したい、生活できるだけの小さな幸せが欲しい、という考えの学生が増えている気がするんです。僕なんかは、20歳でそんな考えなのかって驚くんだけど、大学に入る前、小さい頃から両親にそういう人生を歩むよう叩き込まれているんだろうか。
TaiTanさん
余裕がなくなっているのは確かだと思いますね。それでも、表現やクリエイティブに関心のある若者は必ず出てきますから。ネットをうまく使って、一気に海外までいける可能性も十分にある。
榎本さん
そうね、新しい表現は僕も見たい。期待しています。
【編集後記】
今回の対談は、時代を超えて文化やクリエイティブの本質を探求する貴重な機会となりました。特に、近年よく耳にする「クリエイター」という存在や、「1億総クリエイター時代の到来」という話を通じて、現代のメディア環境が大きく変化していることを実感しました。おふたりの対談を通じて、クリエイティビティーの根底にある反骨精神の重要性や、時代を超えて受け継がれる表現の力について改めて考える機会となりました。個々のクリエイターが自らの意思を追求し、新たな価値を創造することで、文化はどのように広がり、新たな可能性が生まれてくるのか。これからも関心を持って見ていきたいと思います。
(未来定番研究所 榎)
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