第1回|
異常気象や価格変動の影響を、市場価格がダイレクトに受ける一次産業。これまで当たり前のように食べてきた野菜や米の供給が不安定になり、私たち消費者も、もう見て見ぬふりはできなくなりました。例えば農産物の価格はいくらが適正なのか。「有機」 とはどんなことをいうのか。国産の肉や魚が高価なのはなぜか? 何かを判断する前に、本当は知るべきことがあり、情報が飛び交う今の時代には、知ることこそ大事だと感じます。
5年先、10年先も食の未来が健やかであるために、私たちは今何をするべきなのか。この連載では、農業をはじめとした食の生産、供給の現場で働く人々に話を聞き、私たちに今できることを考えていきます。
第1回は、神奈川県横須賀市で野菜を作る〈SHO Farm〉。農薬、化学肥料を使わず年間100種近い野菜を作る彼らは、農業のかたわら、イベントやポッドキャスト、講演会などさまざまな企画や発信を行い、多くのファンを集めています。野菜を作るだけにとどまらず、活動を広げる理由とは?そこにはこれからの農業を考えるヒントがありました。
(文:瀬谷薫子/写真:吉田周平)
SHO Farm 仲野晶子さん(なかの・しょうこ)
神奈川県横須賀市にある農園。2014年にパートナーの仲野翔さんとともに新規就農し、野菜作りを始める。「千年続く農業」を哲学に掲げ、化学肥料、化学合成農薬を使わずに年間約100種の野菜や果物を育てる。
Instagram:@sho__farm
人が集まる農家、〈SHO Farm〉
仲野晶子さん、翔さん夫妻が〈SHO Farm〉を開いたのは2014年。晶子さんは学校教諭と会社員という異業種から新規就農し、翔さんの地元でもある横須賀で畑を始めました。
県内はもちろん、都内でもその名を広く知られている〈SHO Farm〉。理由は、彼らの幅広い活動にあります。平日には一般の方向けの農業ボランティア体験「援農」を実施。月に数回は畑に外部の作家やアーティストを招き、衣食住と農を繋ぐさまざまなイベントを主催。環境や社会問題をトピックにしたポッドキャスト「農民ラジオ」を配信したり、農業だけでなく政治やフェミニズムをテーマにした講演会に登壇したり。野菜を作りながら、畑のなかにこもらず、積極的に外への発信を続ける姿勢は、まるでひとつのメディアのよう。周囲をも巻き込むような強いエネルギーを持ち、たくさんのファンを集めています。
畑というより「庭」。訪ねたくなる農園
〈SHO Farm〉の畑は、頭に描くいわゆる「畑」とは少し違います。そこは土が掘り返された農地ではなく、野草がのびのびと生えた自然のままのような場所。野菜だけでなく花やハーブがゆるやかな仕切りで植えられていて、野鳥がさえずり、さまざまな虫が飛び交う農業用地というよりも「庭」のような心地いい空間がそこにありました。
「2014年に農家を始める前、海外の畑をいろいろと視察に行ったんです。そこで見た光景がなんだかとてもきれいで。野菜以外に花が植えられた区画があったり、日陰を作るためにぶどう棚が植えられていたりと、野菜を作るための場所というよりも、暮らすことを楽しむ場所であるように感じました。
対して日本の畑といえば、プレハブの大きな建物にトラクターが置かれ、コンテナが積んである。あくまで作業場然としていて。その違いが新鮮でした」
自分たちがどちらかを作るなら、前者のような場所にしたい。海外で見た農地のあり方が、今のモデルになったと晶子さんは言います。
「誰かが来たときに、畑っていいなと感じてもらえるような場所を作りたいと思いました。
もちろん、農業には大変なことが多々あります。でも入り口として、農的な暮らしって本来はとても美しいものなんだということを伝えていきたい。まずは人に来てもらえる農園をデザインすることが大事だと考えたんです」
そうして開かれた農園は、長い時をかけて少しずつ手入れを重ねながら今の状態になりました。
畑作業の合間、皆が集う長い食卓の頭上にはぶどう棚が広がり、隣にはまかないを作るかまど付きの台所が。畑の一角には大きな東屋があり、野菜のそばにはさまざまな果樹と、オーガニックフラワーが咲く花壇。
晶子さんの言う「農的な暮らし」 を感じる要素があちこちにあり、この眺めそのものが〈SHO Farm〉です。
心地いいだけでなく、ここには自然の循環があります。
平飼いのニワトリは畑を歩き、その糞が土の堆肥になっています。草花の間をミツバチが飛び交い受粉を促し、土から芽吹いた野草は、それ自体が野菜を育てる肥料の一部に。畑に併設されたバイオトイレを通じて、人の排泄物もまた豊かな土壌に繋がっていきます。
農薬や化学肥料を使わずに育まれてきた土地だからこそ、健やかな生態系が残り、今の景色がある。
農業の本来の目的とはどこにあるのか。〈SHO Farm〉においては、それが必ずしも「野菜を作る」だけではないことに気づかされます。
自分で作り、自分で売る。「自立型農業」のカタチ
〈SHO Farm〉の野菜は、街のスーパーや八百屋には並びません。
自分たちの作った野菜は、すべて自分たちの手で売る。畑の横に作られた直売所での販売と、地元の一般客や飲食店に向けた野菜の宅配が、主な販路です。
流通の観点でいえば、スーパーや八百屋に野菜を卸せた方が本当は楽です。けれどそれをしない理由は、彼らの作る野菜に手間と時間というコストがかけられているから。
〈SHO Farm〉の農法は、農薬や化学肥料を使わない、いわゆる「有機農業」と呼ばれるもの。
農薬を使わずに野菜を育てる難しさの1つは、虫害のリスクが増すことです。
例えばたくさんの虫がついた時。農薬を使った駆除ができない有機農業では、ただ地道に虫や傷んだ葉を取り除いていくことしか方法がありません。広大な畑で、1つひとつが手作業。そうして作られた野菜には多大な人件費がかかっている分、必然的に原価が上がり、一般的な市場の卸販売価格には見合わなくなります。
「知人が農薬を使わずに自家採種したこだわりのナスを育てています。苦労して育てたナスが余ってしまって、捨てるくらいならと市場に卸したことがあるそうです。段ボールに詰められたぴかぴかのナスは、たとえどんなに手間がかかっていても、市場ではすべて同じ『ナス』なんですよね。
重さ単位で自動的に値付けがされて、最終的にはひと箱1,000円で引き取られたとか。さすがに悲しかったと話していました」
気候の変化や資材の値上げによって、ただでさえ薄利多売になりがちな農業。手間のかかる有機農業を選択する作り手は、自分たちで販路を作り、真っ当な価格で売っていかなければ、農業を続けること自体が難しくなってきてしまうのです。
価格を決めず、お客さんの「言い値」で売る仕組み
そんな〈SHO Farm〉の主な販路の1つが、一般客向けの宅配野菜ボックス。
なかでも一部のお客さんを対象に導入されているのが「Pay it Forward」という制度。これは、野菜ボックスの価格を売り手ではなく買い手側が決められるという「言い値」の仕組みです。
「数年前から試験的にこの取り組みを始めました。通常2,000円の野菜ボックスを、個人の経済事情に合わせて自由な値段で買えるようにしています。
2,000円という金額に感じる重さって、各家庭で違うと思うんですね。毎月やっとの思いで払う人もいれば、チップ程度だと思う人もいます。買い手にとって野菜が一律2,000円というのは、金額的には平等でも、公平ではないと思うんです。
食べるということは生きることに直結するから、人権ですよね。それが金銭的事情で左右されるようであってはならないと思っています」
今では定期宅配の会員の約2割がこの仕組みに参加し、個人の決めた額で野菜を購入しています。月により変動はあるものの、極端にマイナスやプラスになることもなく、収支が均衡を保てているのが興味深いところ。
なぜこの仕組みが成立するのか。それは「自分たちのお客さん」だからだろうと晶子さんは言います。
消費者よりも、「仲間」を増やす
「もしもこの仕組みをスーパーマーケットでやったらうまくいかないだろうと思います。ただ私たちはこれを、定期のセットを申し込んでいただいている会員の皆さんに向けて行っています。
継続的に買い続けるという約束をしてくれた方たちは、少なくとも自分たちに共感してくれていて。この活動に興味を持ってくださる方が多いんです」
2,000円のセットを3,000円で買うという人は多くはないかもしれません。でも、少しの応援を込めて2,100円で買う協力者なら、現れるかもしれない。毎月の収支結果を『SHO Farm通信』というお客さん向けの刊行物に記載するなど、定期的に発信し続けることで、興味を喚起させ、協力を仰いでいます。
1人の大きな力より、皆が少しずつ力を出し合う。〈SHO Farm〉が目指すのは、そんな農業のカタチです。
「一度仕組みを作ったら、外に向けて発信し続けることも大事だと考えています。
Pay it Forwardも、定期的に参加者の意見交流会を開いて、今後どんな形で続けていけばいいか、議論を重ねながらアップデートしています」
農家とお客さんという間柄ではなく、皆が対等に議論を交わす参加型の農業を行うこと。
消費者との意見交流会を頻繁に行う〈SHO Farm〉は、それを通じて、お客さんだった人々を、より深い間柄へと引き上げていっているようにも見えます。
晶子さんの言葉を借りれば、それは「政治性のある農園を作ること」。
自立型農業を続けていく上では、野菜というモノに共感する消費者だけではなく、〈SHO Farm〉というヒトそのものに共感する「仲間」を作ることがとても重要だと話します。
畑に吹く風の心地よさは、感じてみなければわからない
消費者より「仲間」を増やすこと。消費者の視点で言い換えれば、ただ野菜を買う以上に農業との接点を増やしていくことが、これからの時代には求められているのかもしれません。
そのためには何ができるのか。まずはシンプルに、畑へ行ってみることだと晶子さんは言います。
「農家を訪ねると、行かなければ知り得ない物語が必ずあります。雨でトマトが割れちゃったとか、きゅうりが豊作だとか。そういうことを知るだけでも、やはり野菜の受け取り方は変わりますよね。
米や野菜の問題を、SNSやネットで知ると大丈夫なのかと闇雲に不安になるものです。でも、それらを情報としてではなく体験として実感することが私は大事だと思っています。
例えば今、この畑に立っていて風を感じると思うんですが、この心地よさは、室内にいてエアコンから感じるそれとはまったく別のものです。そういう、畑に行かなければわからない心地よさは必ずあって。一度体験すると、それは情報以上に深く体に染み込んでいくはずです」
一昔前はまだ、消費者が気軽に足を運べる農家の数も少なかったですが、〈SHO Farm〉が実施する「援農」のように、最近では少しずつ畑を開放する農家が増えてきています。
都内では農家自体の数が限られますが、例えば〈SHO Farm〉のように、都心から電車で1時間ほどの都市近郊に範囲を広げれば、農家の選択肢はぐんと広がります。
〈SHO Farm〉としても、これから一層力を入れていきたいのは、自分たちのような自立型農家を育てること。これまでにも数々の研修生を畑に受け入れ、新規就農の後押しをしてきました。
「食料を巡る状況が、今はすごく厳しいので、農家は増えていかないといけません。だから私たちもやり方をどんどん公開しているし、講演会を各地で開いています。
自分たちがこれ以上大きくなろうとは考えていません。私たち自身も管理側ではなく、常にプレーヤーとして現場に立っていたい。その意味でも今の規模がちょうどいいと感じます。
だから、自分たちのような自立型の農園が、どんどん全国的に広がっていくことが望ましいなと思っています」
農薬や化学肥料を使わずに野菜を作る〈SHO Farm〉は、「有機農家」と呼ばれます。晶子さんは、自分たちが今持つ技術と資材を使って、最大限環境に負荷の少ない農業を模索しているという意味で「オーガニックな農家」であることに誇りを持っているといいます。ただ、一口に有機農法といっても、その中には色々な農法があり、決まった枠にはまっているわけではないと話します。
「農家のやり方は100人いれば100通りあって、同じ人はいないんです。だから私たちの方法がマジョリティーだとか、正解だとかはまったく思っていません。
有機栽培というやり方だけでなく慣行栽培、自然栽培、特別栽培……農業にはいろいろな農法があります。その言葉だけで理解すると、同じ農法の農家さんは皆同じやり方をしているかのように思われてしまうんですが、本当はそれぞれに考えが違って、個人的なストーリーがあるんです。
慣行栽培をしていても、本当は有機栽培に心惹かれている人だっていますし、有機栽培でも、売上至上主義、海外にどんどん売っていくぞという志向の人もいれば、自分たちの暮らしと環境を守るために、というシンプルな考えの人もいます。
どんな農法を取り入れているか、という表面的な情報で判断するのではなく、もっと農家の人柄や物語に目を向けてもらえたらと思っています」
〈SHO Farm〉の「仲間」たちは、それが有機野菜であるか否かではなく、「晶子さん、翔さんが作る野菜だから」それを手に取っているように見えます。それこそが真の意味で「生産者の顔が見える野菜を買う」ということ。
彼らがその関係を築いてきた経緯もまた、1つのやり方として、全国の農家や消費者へ広められていくべきなのかもしれません。
同時に自立型農家が増えていくことだけでなく、私たち自身も、何を選ぶべきかを自分の頭で考えられる「自立的消費者」であろうとすること。それが未来の農業を支えるために今、できることだと感じました。
【編集後記】
この連載の中心となるテーマは「農」です。物心ついた時から食べ物はスーパーや商店街で買うものであり、自分で育てたものを食べるといった経験がないまま大人になりました。循環型生活を知るにつれ、またSNSなどで一次産業の方の発言に触れ、なぜ毎日、野菜や肉や魚を食べられるのか?と考えもしなかったこと、そして野菜の極端な値上がりに愕然とした2025年の夏。これは本当に今からでも知っておかなければならない、と危機感を抱いたのがきっかけです。
〈SHO farm〉さんで感じたのは視界のすべてが心地よいことでした。作物は自由に生えて多様性があり、道具は自然に分解されるもので作る。一歩歩けばバッタがビヨンビヨン跳び、鶏たちが与えられた野菜をついばみ排泄物は肥料になる。特に驚いたのは水をやらなくても草積みで保水されている畑です。野菜が製品ではなく野菜らしく生えている姿はこれまで見聞きした農業とは違ったものでした。地産地消を基本として自立型農園がそれぞれの土地に根付いていけば「小規模は希望」になりそうです。
そして情報からだけでなく体感することが必要だと思います。松坂屋上野店の屋上にある菜園の土に種を蒔き、生ごみで作った堆肥をやって、元気な野菜を収穫し食べました。種から野菜ができるというシンプルでやればわかることに、これまで感じたことのない感動を覚えました。さて、日常で一消費者としてできることは?少しずつではありますが、知って、考えて、進んでいきます。
(未来定番研究所 内野)
第1回|