2024.12.04

見守る

地域と学校がボーダレスに繋がる。〈安平町立早来学園〉から学ぶ理想の見守り方。

これまで人や街が担ってきた「見守る」。現在ではテクノロジーがその役割を担うことで、安心・安全な社会を実現しつつあります。私たちは誰かに見守られることで安心感を覚える一方で、それが過剰になると息苦しさを感じることも。そこで今回の特集では、「見守られると安心?」という問いをもとに、その距離感を考えながら「見守る」について探求します。

 

2023年、北海道の安平町に開校した〈安平町立早来学園(あびらちょうりつはやきたがくえん)〉は、小・中学生がともに学ぶ義務教育学校。地域住民にも施設を開放することで、町ぐるみで子供たちを見守る環境が生まれています。構想の中心人物である安平町教育長の井内聖さんに、最新の学びの場における見守り方について伺いました。

 

(文:片桐絵都/写真:佐々木育弥/サムネイルデザイン:よシまるシン)

Profile

井内聖さん(いうち・せい)

北海道安平町教育委員会教育長。公立中学校教員から幼児教育へ転身。幼稚園、保育園、子供園の園長などを経て、2023年4月から総務省の地域プロジェクトマネージャーの制度を活用し、〈リズム学園〉との兼業で安平町教育委員会に勤務。〈安平町立早来学園〉開校にあたっては震災直後の住民議論から関わり、基本構想、基本設計に携わる。官民連携、公私連携の視点から0歳から15歳までの一貫した教育とまちづくりを進めている。北海道文教大学客員教授。2024年5月より安平町教育長に就任。

子供たちの未来を見据えた学校づくり

F.I.N.編集部

井内さんは〈安平町立早来学園〉の構想段階から携わっていらっしゃいますが、そもそもなぜ開校することになったのでしょうか?

井内さん

2018年の北海道胆振東部地震で安平町は深刻な被害を受け、山の上にあった中学校の校舎が使えなくなりました。そこで近隣の小・中学校と公民館の図書室を統合し、復興のシンボルとしてつくられたのが〈安平町立早来学園〉です。

F.I.N.編集部

学校づくりにおいては地域の方々の声を広く取り入れたそうですが、その理由は何だったのでしょうか?

井内さん

今の技術で建設した校舎の耐用年数は約50年、長寿命化すれば約80年といわれています。つまり〈安平町立早来学園〉は安平町の未来に繋がる施設であり、これから先の子供を見守る場所であるということ。だからこそ、地域住民と一緒につくる必要があると考えました。

F.I.N.編集部

大人だけでなく子供の意見も反映したそうですが、どんな部分に取り入れられているのでしょうか?

井内さん

実際に採用したのは「教室にソファーを置いてほしい」などの意見です。これはソファーがどうという問題ではなく、その言葉の奥には「学校でものんびりしたい」という思いが隠されているんですよね。子供は自分が生きてきた数年分の語彙で意思を表現しなければなりません。僕たちはそれを表面的に理解するのではなく、本質を汲み取って翻訳してあげる必要があると思います。

F.I.N.編集部

子供の自由な視点が、大人の固定観念を覆すきっかけにもなりそうですね。

井内さん

そうなんです。どうしても僕たちはみんな、自分が経験してきた「学校」をつくろうとしてしまうんですね。そうすると、せっかく新しい学校をつくっても、昭和の時代と変わらないものができあがってしまう。でも〈安平町立早来学園〉で学ぶのは、人生100年時代を生き抜く子供です。気候変動や地政学的リスクを考えれば、このままの世の中が続く保証なんてどこにもない。これからの学校づくりは、数十年先の未来を見据えて進めなければ意味がないと思います。

「見守る=見つめる」ではない

F.I.N.編集部

長年、教育現場に身を置く立場として、井内さんは「見守る」ということをどのように捉えていらっしゃいますか?

井内さん

「見守る=見つめる」ではないということです。見守るという名のもとに注目され過ぎるのは、見守られる側からするとノーサンキューですよね。理想的なのは、見守る人の存在を感じなくても、見守られている安心感を得られること。〈安平町立早来学園〉ではそんな見守りが実現できていると思っています。

F.I.N.編集部

どのような点でそう思うのでしょうか?

井内さん

〈安平町立早来学園〉は〈チームラボ〉が空間デザインを手掛けており、「地域」と「学校」、「大人」と「子供」、「見る」と「見られる」といった対照的なものの境界をなくすことにこだわっています。一番象徴的なのは、共有スペースとして一般開放している図書館。本棚の高さやカーブの描き方、テーブルと椅子の配置にいたるまで、空間全体に自然と目が行き届くように設計されています。意識をせずとも、お互いを見守り合う環境が生まれるわけですね。

井内さん

また外から中に人が入って来た時にも、まず司書やコンシェルジュと目が合う設計になっています。セキュリティー面はデジタルでしっかりと管理していますが、このアナログな顔認証が意外と効くんです。「ここに悪い人はいない」という安心感が、居心地の良さに繋がります。

F.I.N.編集部

見守る人の存在を感じずに安心感を得られるという、先程のお話とも繋がりますね。

井内さん

見守るという行為は、上の年齢の者が下の者に対して行う印象がありますよね。でも〈安平町立早来学園〉の図書館は誰が来てもいい場所なので、子供だけにフォーカスしていないし、とりわけ見守られる対象にもならない。子供はただありのまま、そこにいていい存在なんです。誰に強制されるわけでも、許可されるわけでもなく、自然と図書館が子供の居場所になっている。「あなたの居場所はここですよ」なんて言われたら、僕だったらわざわざそんな場所には行きません(笑)。

F.I.N.編集部

子供たちはどんな風に図書館を利用しているのでしょうか?

井内さん

平日はもちろん、授業のない土日でも、お弁当を持って遊びに来たり、両親が仕事でいないからとりあえず図書館にいるというような子もいます。そして、そんな子供の姿を地域住民が見ているんですよね。見つめるのではなく、ただ視界に入っている状態。逆も然りで、図書館にいる地域住民の姿を、子供がただ見ている。これも1つの見守り方なんじゃないかなと僕は思っています。

学校が「まち」へと進化する

F.I.N.編集部

そのほかに、空間づくりでこだわった点はありますか?

井内さん

小中一貫の〈安平町立早来学園〉では中学生という名称はなく、中1なら7年生と呼ばれますが、「7年1組」のようなクラスごとの教室は存在しません。代わりに各教科の専用教室を設け、国語の時間は国語室、社会の時間は社会科室というように、時間割に応じて子供が移動します。

実験室には「試行と考察」、国語室には「言葉と想像」など、各教科を通して出会ってほしい世界をサブテーマに込めている。

F.I.N.編集部

それによってどのような効果が生まれるのでしょうか?

井内さん

まずマインドセットが変わります。教室で先生が来るのを待つ従来のスタイルではなく、自分からその教科の教室に行くことで、「今から国語を学ぶんだ」という意識が強くなるんです。

 

また教科ごとに座席の位置が変わるのもポイントです。席の固定化は人間関係の固定化に繋がります。今の世の中、ほとんどのものが選択できるのに、学校は選択できるものが少ない。大人であれば、嫌だったら住む場所やコミュニティを変えればいいけど、子供だとなかなか難しい。社会に出たら選択の連続です。専用教室を設けているのは、自分で選び取る経験を学校という場でできる限りさせてあげたいという意図もあります。

F.I.N.編集部

専用教室の一部は地域の方々にも開放しているそうですが、どのような仕組みになっているのでしょうか?

井内さん

授業のない時間であれば、地域住民がWebサイトから予約して自由に利用することができます。子供にとっての「家庭科室」は地域住民にとっては「キッチン」だし、「美術室」は「アトリエ」で、「音楽室」は「スタジオ」です。ICT制御のスマートロックで扉の開閉を管理しているので、セキュリティー面も万全です。こうしたデジタルテクノロジーを取り入れることによって、教室という空間の可変性と共有性を高めることができます。

井内さん

ただこれって、サラッと言葉で聞くだけではいまひとつイメージしづらいと思います。自分で予約して教室を使ってみてはじめて、便利な体験だということがわかる。どんなに優れた技術があっても、リアルな身体を使わなければ本当の価値はわからないんですよね。そこに気づかせてくれるのも、この施設の存在価値だと言えるのではないでしょうか。

F.I.N.編集部

実際に地域の方々はどのように施設を使っていますか?

井内さん

高齢者向けの健康教室やクラシック音楽のプチ演奏会、お裁縫サークルの活動など、本当にさまざまです。警察官によるオレオレ詐欺防止の講習が開かれた時には、うどん屋を開業する地域おこし協力隊の方も来て、講習後の高齢者と警察官にうどんをふるまっていました。

 

そこで何が生まれるかというと、子供が学校生活を送るかたわらで、警察官、高齢者、地域おこし協力隊といった人々が同時に存在する環境ができあがるんですね。大人は普段とは違う場所で子供を身近に感じることができるし、子供も「オレオレ詐欺って本当にあるんだ」「うどん屋を始める人がいるんだ」と、地域社会のことを自分事として捉えられる。それぞれが新たな価値観に触れることで、学校という枠組みが、より広義の「まち」へと進化するんです。

大人も子供も一緒にいることが当たり前

F.I.N.編集部

〈安平町立早来学園〉の開校で移住者も増えているそうですね。復興のシンボルがまちの活性化に繋がる。すごく素敵なことだと思います。

井内さん

今の安平町には閉塞感がないんですよ。前はもう少し行き詰まりを感じていた気がするんですけど。大きな震災を経験したことによって、空き家対策や商店街の活性化など、10年先の課題だと思っていたことが目の前に迫ってきた。そうなるともう前を向くしかない。行き詰まりを感じる暇がないほどがむしゃらに進んだことが、今の安平町へと繋がったんだと思います。

F.I.N.編集部

同じような学校が他の地域にも増えると、社会全体の「見守る」の捉え方も変わっていくのでしょうか?

井内さん

そう言ってくださる方はたくさんいらっしゃるのですが、僕の正直な思いとしては「わかりません」なんです。〈安平町立早来学園〉にはモデルがありません。自分たちでゼロからビジョンを決めて、それを具現化する方法をひたすら議論してカタチにしていったので、今でもこれが正解かどうかはわからない。ただ、安平町にとっては最適解だったというだけです。それぞれの地域にとっての最適解がきっとあるはずなので、住民と手を取り合いながら熟考していくことが重要だと思います。

F.I.N.編集部

〈安平町立早来学園〉の環境は、子供たちの未来にどんな影響を与えていると感じますか?

井内さん

地域の大人への絶対的な信頼感と、他者を受け入れる素養が培われていると思います。大人が近くに来ると子供って逃げがちだけど、〈安平町立早来学園〉の子供はそういうことが一切ないんですよね。大人だからどうとか、子供だからどうということではなく、一緒にいることが当たり前。多世代共生とはまさにこういうことなんだろうなと思います。「見守る」を突き詰めた先には、「ともに過ごす」というシンプルな答えだけが残るのかもしれません。

【編集後記】

見守られることは安心でも、見守りすぎてしまうと誰かの好奇心や主体性を抑え込んでしまう可能性があるのが難しいと感じます。〈安平町早来学園〉には、見守られる側を制限するのではなく逆に選択肢を広げるような見守りが実現していて、それがとてもいいなと思いました。

垣根や境目のない空間があることで生まれる「常に見えている」状態や、そこから育まれる他者への信頼と「実は見守り合っている」ような関係性。今回は学校という場所について伺いましたが、こういった見守りのあり方はあらゆる場所やコミュニティにある可能性ともいえるのではないでしょうか。

(未来定番研究所 渡邉)