未来を仕掛ける日本全国の47人。
2024.11.15
見守る
これまで人や街が担ってきた「見守る」。現在ではテクノロジーがその役割を担うことで、安心・安全な社会を実現しつつあります。私たちは誰かに見守られることで安心感を覚える一方で、それが過剰になると息苦しさを感じることも。そこで今回の特集では、「見守られると安心?」という問いをもとに、その距離感を考えながら「見守る」について探求します。
山口県の〈宇部市ときわ動物園〉には、60年以上に渡って動物を見守ってきた伝説の飼育員がいます。それが、定年退職後も現場で働く白須道徳さん。長年動物たちに愛を注ぎ、8年前の動物園のリニューアルでは構想づくりにも尽力。動物が本来生息する環境を動物園内に再現する展示方法「生息環境展示」を取り入れました。そんな白須さんが感じる動物との適切な距離感、そして飼育員として、人として動物を見守る意義を伺います。
(文:船橋麻貴/サムネイルデザイン:よシまるシン)
白須道徳さん(しらす・みちのり)
〈宇部市ときわ動物園〉飼育員。1947年生まれ。1962年から財団法人常盤遊園協会に飼育係として勤務。動物課長を経て、動植物管理監。2013年に同協会の公益財団法人宇部市常盤動物協会への組織改編に合わせ、現在は同協会の動植物管理監に。
人間の環境下で生きる動物を目の当たりに
山口県宇部市の〈ときわ公園〉内にある、サルを中心とした40種類、約220匹の動物たちが暮らす〈宇部市ときわ動物園〉。77歳となった今でも現場に立ち続けているのが、伝説の飼育員と呼ばれる白須道徳さん。定時制高校に通いながら〈宇部市ときわ動物園〉の前身の〈宮大路動物園〉で働き始めたのが1962年。今から60年以上も前のことでした。
「飼育員になって最初に担当したのは、病気療養中のサルたちでした。当時の宇部市はばいじん汚染が問題となっていて、肺結核にかかっていたサルがたくさんいたんです。サルに薬を飲ませたるため、バナナの中に薬を隠しても気づいてなかなか食べてくれない。そんなことの連続でしたが、ある時2頭のサルが亡くなってしまったんです。人間が汚した環境によって最初に被害を受けるのは動物なんだと、現実を突きつけられたような気がしました」
飼育員になって早々に動物の死と直面した白須さんでしたが、〈宮大路動物園〉は市街地から郊外の〈ときわ公園〉内に移ったことで、動物が暮らす環境が改善。カンガルーやヤマアラシ、ペリカン、白鳥などの飼育も担当するようになります。動物たちの行動を観察したり、言葉をかけたりする日々を送るなか、動物の気持ちが理解できるようになったのは、飼育員になってから30〜40年経った頃だそう。
「今でもわからないことはたくさんあります。だけど、声をかけたらうれしそうにしてくれたり、投薬することを察知して逃げられたりと、動物たちの表情や行動から彼らの気持ちがなんとなくわかるようになりました。なかでもペリカンはかわいくて。多い時は園内に35羽のペリカンがいましたが、1羽ずつすべての個体を認識できていました」
飼育員として、育ての親として
インドのカルカッタから導入したモモイロペリカンやチリーフラミンゴの人工孵化にも携わった白須さん。特に思い出深いのは、1985年に誕生したモモイロペリカンの「カッタくん」との日々。育ての親である白須さんの後を追いかけて歩いたりする人懐っこい性格で、園内でもたちまち人気者になったそう。そして、成長すると園を飛び出して市内の団地や海岸などに飛んでいき、800mほど離れた幼稚園に通うように。
「当時、カッタくんはちょうど恋をしたかった時期。だから、幼稚園の鏡に映った自分の姿に恋をしてしまって、毎日幼稚園に通うようになったんです。先生が弾くピアノに合わせて踊ったり、園児たちと仲良く通園したりと、『本当にペリカン?』と思うような行動ばかりで。カッタくんは人間になりたかったのかもしれませんね」
市内のあちこちに出かけ、愛嬌を振りまいていたカッタくんは、やがて巣作りのために釘や針金などの危険なものまで集めるように。住民はもちろん、カッタくん自身がケガをすることを防ぐため、白須さんは飼育員として、育ての親として、辛い行動を取らなければなりませんでした。
「動物園に強制的に連れ帰って、幼稚園に飛んで行かないようにカッタくんの羽を抜いたんです。羽を切るという方法もありましたが、そうすると1年近く飛べなくなってしまう。カッタくんが幼稚園に通うのは、恋をする3〜4カ月の期間だけ。だからその期間だけ飛べないように、羽を抜くという方法を選びました。それ以降は私の姿を見ると逃げるようになってしまいました。それくらい痛い思いをさせてしまった。今でもこれが正しい選択だったかはわかりません」
白鳥たちを見送り、動物の幸せをより考えるように
動物と人、お互いが心地よく暮らしていくため必要なのは適切な距離感。そう考えて動物の飼育と向き合ってきた白須さんを2011年に大きな悲劇が襲います。園内の鳥から鳥インフルエンザウイルスが検出され、その感染を防ぐため323羽の白鳥たちの処分を迫られたのでした。白須さんは「生涯のなかで一番苦しい出来事」として、その時の様子を涙ながらに語ります。
「どうしてもやりたくなかった、逃げたかった。だけど私以外、白鳥を捕まえられる人はいなかったし、これ以上病気を園内に蔓延させるわけにはいきませんでした。処分が終わった翌日、雪が降っていてそれが白鳥たちの涙にしか思えず、涙を止められませんでした」
もう飼育員は続けられない。悲しみに暮れる白須さんをもう一度奮い立たせたのは、残された動物たちを幸せにしたいという思いでした。
「コンクリートの塀や檻の中で暮らす動物たちを見守ってきましたが、もっとのびのびと生きてほしいという思いが強くなりました。ちょうど動物園のリニューアルの話もあり、野生動物の生息地と環境を再現する『生息環境展示』を取り入れることで、それが叶えられるかもしれないと。新しい動物を迎え入れるのではなく、すでにいる動物たちが園内の自然環境下でありのまま生きていく。そういう姿を目指して、当時も今も環境づくりに力を入れています」
飼育員として悩ましい、動物と人の適切な距離感
こうして〈宇部市ときわ動物園〉は、2015年に「生息環境展示」を日本で初めて全園に導入。動物たちが生き生きと過ごす姿に出会えるように。自然豊かな園内には、活発に動き回っている動物がいれば、ぐっすりと眠っている動物の姿も。そんな動物たちを前にし、白須さんは動物と人の距離感についてこう語ります。
「昔の動物園は動物と人の距離が近いものでしたが、今では防疫の観点からも動物と接触すること自体が気軽にできません。当時は飼育員もお客さんも動物と触れ合うことができましたが、おそらく動物からしたら大きなストレスになっていたはず。だから私は、現在のような動物と人が容易に接触しない距離感こそが、本来のあるべき姿だと思っています」
飼育員という職業柄、動物と人との距離感にジレンマを抱えつつ、白須さんは素直な思いを明かしてくれます。
「動物は野生の中で暮らすのが一番幸せ。だから、私たちはこれ以上動物を飼育してはいけないのかもしれません。ただ、今飼育している動物がいる限り、その幸せの行方を諦めずに、ずっと考えていくべきだと思います。『生息環境展示』がその1つになればいいなと思うし、動物園に訪れる人の行動次第で動物を幸せにできるかもしれません。例えば動物園で動物の生態を学び、本来動物がどうあるべきかを想像してみる。そうやって動物の幸せを自分ごとのように考えて行動していけたら、地球の環境や気候についても考えが及び、少し先の未来を変えるきっかけになるかもしれません」
【編集後記】
これまでさまざまな動物園を訪れた経験はあるのですが、動物園の構想に携わった方とお話をするのは今回が初めてでした。普段どのような気持ちで動物たちと接しているのか、何に気を付けているのか。想像していた何倍も繊細な仕事であり、細心の注意を払っているのだと感じました。
また白須さんの経験は、動物たちとの適切な距離感を保ちつつ、彼らの幸せを見守ることの大切さを教えてくれました。テクノロジーが進化し、私たちの生活がより安心・安全になっていく一方で、動物たちとの関係においては、その進化が必ずしもポジティブな影響を与えているとは限りません。白須さんのお話を伺って以来、動物たちとの健全な距離感を考えることが、彼らの幸せに繋がるだけでなく、私たち自身の精神的な豊かさにも寄与していくのだということを感じるようになりました。
(未来定番研究所 榎)