2024.12.18

見守る

伝説の保護司×雅量の将棋師匠。「見守ること」の共通点。

これまで人や街が担ってきた「見守る」。現在ではテクノロジーがその役割を担うことで、安心・安全な社会を実現しつつあります。私たちは誰かに見守られることで安心感を覚える一方で、それが過剰になると息苦しさを感じることも。そこで今回の特集では、「見守られると安心?」という問いをもとに、その距離感を考えながら「見守る」について探求します。

 

対談で登場していただくのは、現役の棋士であり、藤井聡太竜王・名人の師匠としても知られる杉本昌隆さん。そして、伝説の保護司と呼ばれ、多くの青年を更生に導いてきた中澤照子さん。ともに見守る立場として一流でありながら、対象は異なるおふたりの「見守る」とは?

 

(文:柳澤智子(柳に風)/写真:西あかり/サムネイルデザイン:よシまるシン)

Profile

杉本昌隆さん(すぎもと・まさたか)

1968年生まれ。愛知県名古屋市出身。本格派振り飛車党で、特に相振り飛車については棋界きっての研究家として知られる。将棋の戦術書の著作は20冊以上。著者初の文芸書「弟子、藤井聡太の学び方」では第30回将棋ペンクラブ大賞、文芸部門で大賞受賞。トーナメントプロであると同時に執筆活動、テレビ出演、講演等もこなす。杉本昌隆将棋研究室を主宰し後進の育成にも力を注ぐ。門下に藤井聡太竜王・名人、室田伊緒女流三段らがいる。

 

中澤照子さん(なかざわてるこ)

1941年生まれ。東京都文京区出身。ジャズ好きがきっかけで、20代で古賀政男音楽事務所に勤務。まだ10代だった歌手・小林幸子の初代マネージャーとなる。結婚を機に退職、その後は専業主婦に。1998年、知人から誘われ57歳で東京都江東区の保護司となる。以来20年にわたって、およそ120人を担当。2018年、77歳で退任後、「Cafe LaLaLa」(東京都江東区)をオープンする。2018年に藍綬褒章を授与。江東区こども・子育て会議委員も務めた。YouTube「華麗なる更生族」を配信中。

見守りには手間と時間がかかる

F.I.N.編集部

おふたりは環境や対象は異なりながら、共に「見守る」立場にいらっしゃると思います。「見守る」ことは、その環境や見守る対象によって異なるものなのか?あるいは共通点が多いのか?という疑問をうかがいたく、お集まりいただきました。

中澤さん

面白い対談だな、と思いました。私は不良少年少女を見守ってきている。一方で、杉本さんは将棋における天才少年少女を育ててきていらっしゃる。めったたにない視点でお話ができると、今日は楽しみにしてきたんですよ。

杉本さん

どうぞよろしくお願いいたします。

F.I.N.編集部

おふたりのお仕事と、「見守る」について伺います。保護司であった中澤さんにとって「見守る」とはどういうことでしょうか?

中澤さん

まず、保護司について説明させていただきますね。保護司は法務大臣から委託される非常勤の国家公務員なんです。お給料はなく、ボランティアなんですね。もともとは犯罪を犯した人や未成年の少年少女に対して決められた保護観察を行うのが役目です。刑務所や少年院から出てきた方と月に何回か面談をしたり、立ち直りがうまくいくような環境を整えるためにご家族の方とお話しに行ったりします。当時は月に3回と決められていた面談ですが、3回を超えて面談をすることも多くありました。

F.I.N.編集部

中澤さんご自身はどのような保護司だったんでしょうか。

中澤さん

私が保護司を始めたのが平成10年。暴走族が全盛期の時代です。街中をバイクがわんわん鳴らしながら走り回っていましたね。観察が必要な子には、必要であれば月に何度も会うようにしていましたし、電話がかかってきたら何をおいても必ず出るようにしていました。が、あまり強い指導みたいなことはしませんでしたね。いくらこちらが迎え入れようとしても、むこうは「大人も学校も親でさえ全員が敵だ」と思っていますからね。無理に気持ちのドアを開けるようなことや、最初から「あなたの力になるわよ」「なんでも相談してね」と一方的こちら側の気持ちを押し付けないようにしていました。

F.I.N.編集部

つい言ってしまいたくなる言葉です。

中澤さん

最初からそんなことを言ったら、むこうは心のシャッターを下ろすんです。たとえ時間がかかっても、一度「この人は大丈夫だな」と思ってくれたら、それでいいのね。気持ちのドアを少しでも開いたら、その瞬間にさっと風を送り込む。それで本当にドアが開くと、そのあとはやりやすくなりますね。自然体の関係に持っていくには、すごく手間暇がかかるんです。

F.I.N.編集部

そこに行くまでに大変な時間がかかるんですね。その一方で杉本さんは、また違った見守り方をされているのではないでしょうか。将棋の世界における、師匠・弟子の関係性を教えてください。

杉本さん

少年少女がプロの棋士になるためには、日本将棋連盟の棋士の養成機関である「奨励会」に入らなければいけません。師匠がいないことには、その試験すら受けられないんですね。そして、基本的にはこちらから声をかけるということはほとんどなく、お願いをされて師匠になるんです。というのも実は、師匠というのは仕事ではないんですよ。弟子を取ってない棋士のほうが多いんです。おそらく、弟子をとっている方は棋士全体の3分の1ぐらいではないでしょうか。

F.I.N.編集部

保護司と同じでボランティアといいますか、仕事ではないんですね。

杉本さん

そうですね。私は割と弟子をとっているほうで、一番多いときで16人いました。

多くなればなるほど一人ひとりにかける時間が減ってしまうので、最近は新しい弟子はとっていないんですけども。弟子が無事にプロになれたら、師匠としての育成の役目は終了なんです。もう師匠と同じプロになるわけですから。でも、現実的には、プロになれない子のほうが多い。奨励会に入れた段階で、地元ではみんな天才少年少女といわれている子ばかりですけど、その中でプロになれる子というのは2割くらい。プロになれない方が圧倒的に多いわけです。ただ、そんな元弟子から「希望の大学に入りました」とか「就職しました」みたいな連絡をもらうことがあります。そういう付き合いができるのは、うれしいなと思います。

F.I.N.編集部

弟子がプロになったら師匠としての育成のお役目は終わりなんですね。それまでは、どのように指導されるのでしょうか。

杉本さん

決まりはなくて、マニュアルもないんですね。人によって違うとは思いますが、将棋の技術を教えること、将棋界のしきたりを教えることでしょうか。将棋は2人で戦ってどちらかが必ず負ける競技。失敗しない人はいないし、みんな多くのストレスを経験して段位を上げていく。失敗するのは当たり前で恐れることではない。最終的にはプロの棋士になるための人としての生き方を教えることかと思います。奨励会に入ってプロになるまで、平均8年以上はかかるんですね。私も10年かかりました。ですので、かなり長い目で見守る必要がありますね。

見守りには「喜び」という大きなお返しがある

F.I.N.編集部

おふたりとも、労力をかけて長い目で見守ることをされてきたのですね。そのなかで喜びはあるのでしょうか?

杉本さん

弟子たちが棋士として立派に成長してくれるとうれしいですね。藤井聡太竜王・名人に関しても、まさにそうですね。初めて見たのは、小学校1年生の時で。そのときから類まれな才能を持っているなと感じました。弟子にしたのは小学4年生のときです。私の弟子でなくてもプロになるだろうなと思いましたが、願わくば、自分のもとでその才能が開花していくところを見たいなと思いましたね。自分も棋士なので、やはり将棋を通じて若い人が成長していく様を見られるというのはうれしいんです。

中澤さん

成長が見えると、「やった!」っていう感じですよね。暗がりでたむろっている子たちに「遅くなったから、もうそろそろ帰んなよ」と、重荷にならない程度に声をかけたりして。そうしたことを積み重ねていくと、本人たちも「俺のことを気にかけてくれているな」とうれしそうな顔をしてくれますね。私もうれしくなります。暴走族が全盛期だったときなんて、1人や2人だけを良くしようなんて無理なんですよ。そういうグループに入りたくて入っちゃっているわけだからね。だから、もうこうなったら、「グループ全員で半歩でも良くなろうぜ!」みたいな感じで全員を受け持ったんですよね。向こうも気合が入っていたから、こっちも気合を入れて。忙しかったー!だけど、良くなり始めたら、そのグループの子たちが雪かきから清掃活動までしてくれるようになったんですよ。それはもううれしかったですね。

見守り力は、どう培われる?

F.I.N.編集部

おふたりの見守る力はどのようにして培われたのでしょうか?

杉本さん

自分の師匠の教えが、大いに役立っていますね。私の師匠は、板谷進九段という東海地区を中心に活躍された方なんです。あまり細かいことをいう師匠ではなく、将棋の指導も具体的な指し方というよりは「若いんだから、どんどん食べてたくさん将棋を指せ」と。そうすれば勝手に強くなる、そんなふうに教えてくれる師匠でした。弟子がたくさんいて、私が入った時でも4人はいたと思います。常に私たち弟子を気にかけてくれていて、他の棋士の方から「板谷さんが君のことを期待しているって言ってたよ」と聞いてうれしかったですね。

中澤さん

そういうのって、人を通じて聞くとうれしいですよね。

杉本さん

直接言っていただけるのも、もちろんうれしいのですが、師匠が心を許している友人の棋士の方だったので、師匠の本心が聞けたようで余計にうれしかったですね。

 

私が30代で弟子をとったのは、板谷師匠が早くに亡くなったことも理由なんですよ。自分が19歳の時だったんですが、47歳で亡くなられました。板谷師匠はプロを目指す有望な子に積極的に声をかける珍しいタイプで、私も子供の頃に声をかけていただいて。板谷師匠がやり残されたであろうことを私が受け継いで、弟子をとり始めたんです。師匠としてうまくできているかまだ自信はないんですけど。人は、やってみるとなんとかなるもんですね。自分の将棋だけをしているのではなく、弟子をとることによって自分も成長していると感じます。実は話すのは得意ではなく、インタビューを受けたり、対談させていただいたりというのも「師匠」という立場になったから、努力していることではあります。

中澤さん

そんなふうにはまったく感じませんでしたよ!

「見守る力」というと、私はわりと人と接するのが苦にならない性格かもしれません。もともと、お屋敷街と下町の両方の環境がある街で商売をする父母のもと育っていて、両親も揉め事の仲裁に入ったり、相談に乗ったりする人でした。「善悪の区別をつけること」「人に優しくすること」「元気でいること」という3つはずっと言われていて、何か人に親切にしても見返りを求めることは違う、と教わってきたので私は今もそれを守っているのかもしれませんね。

見守りは、大勢でしたほうがいい。

いつか連鎖していくものだから

F.I.N.編集部

ここまでお話を伺って、おふたりの大きな包容力と人間力を感じました。とはいえ、体は1つで相手は複数の時もあるかと思います。このあたり、どのように見守りをされているのでしょうか。

杉本さん

師匠と弟子といえども、1対1ではない方がいいこともあると思うんです。なかには弟子が1人という師匠ももちろんいらっしゃいますが、兄弟子、弟弟子というコミュニティがあります。私は、すごく優秀な弟子にさらに手をかける必要はないと思っていまして。優秀な弟子って、なにもしなくても強くなるんですよね。あまり世話を焼きすぎると、それが負担になったり、順調に伸びるはずが指導によっては妨げてしまうことが稀にある。藤井竜王・名人が注目されることが多いですが、私にはたくさんの弟子がいて弟子同士のコミュニティがある。研究会といって同じ日に全員が集まったり、今はオンラインでもコミュニケーションがとれる。師匠である私も弟子も1対1で向き合うのではなく、まわりに人の輪があって、それが居心地のいい空間であることがもたらす結果は大きいですね。

中澤さん

私の場合、基本的に保護司と相手は1対1なんです。でも、コミュニティがある。たとえば、すごく悪い子だと聞いていたのに、会ってみるとなぜか行儀がいい。聞くと、「先輩から『中澤さんを泣かすなよ、裏切るなよ』と言われています」と言うんです。私が最初の何年間、苦労して苦労してつきあってきた子たちが先輩になって、後輩の子たちにブレーキのかけ方を教えてあげているのね。

F.I.N.編集部

コミュニティができていて、そこから新しい見守りが連鎖していくんですね。

中澤さん

連鎖していきますね。私が最初に保護観察をしていた若い子が、大人になって、保護司になってくれた。そうやって、人って育っていくんですよね。ときどき、私が営むカフェにも「保護司になりたい」と訪れてくる方がいます。最近、保護司が取りあげられた漫画や私のYouTubeを見て保護司に興味を持つ方がいらっしゃるようなんです。そんな甘いものではないですよ(笑)といいつつ、保護司のなり手が減っている今、あらためて大勢で見守る必要性は感じますね。

杉本さん

そうですね。見守る相手がどんなに変わったとしても、接し方、人との付き合いで大切なことは同じだと思います。

【編集後記】

おふたりのお話を聞きながら、人生の先輩に見守ってもらうことについて改めて考えていました。特に青年期は、小さな出来事にとんでもなく絶望してしまったり、自分を周囲と比べては迷ったり落ち込んだりする経験が少なからずあるものです。そんな時に自然と気にかけてくれる人や「それは恐れることではない」と教えてくれる人がいるというのはどれほど心強いだろうと思います。

また最後におふたりが話されていた「輪と連鎖」は、見守る人が短期的な結果や1対1にこだわらずに関係性を築いたからこそ生まれたものだと感じました。5年先、もっと先の未来を考えるうえで、長い年月をかけ大勢の人が関わり合えるおふたりのような見守り方を大切にしていきたいです。

(未来定番研究所 渡邉)