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街の一角が変わると、その場で行われる営みが変わり、人々の流れが変わり、街自体が変わっていきます。そんな変化の真ん中にある空間や建物を紐解いていくと、未来の街並みが見えてくるかもしれません。この連載では、街の未来を変えるようなポテンシャルを持った場所を訪ね、そのデザインや企画を担当した建築家やディベロッパーがどのような未来を思い描いているのかを探っていきます。
ユニークなアーチを描く洗い出しのコンクリートと、建物全体を覆う多種多様な緑。東京都練馬区・石神井公園の池を望む〈鶴岡邸〉は、施主の鶴岡氏が住む家として建てられました。現在は設計を手掛けた武田清明さんが1階に事務所を構え、自然豊かな公園と住宅街の境界をゆるやかにする役割を担っています。全面ガラス張りの室内にはオレンジ色の陽光が差し込み、時にはカフェと勘違いしたご婦人が迷い込んでくることも。そんなほほえましい日常の生まれる建築が、都市の未来にもたらすものとは?建築家の武田清明さんにお話を伺いました。
(文:片桐絵都、写真:Masaki Hamada、サムネイルイラスト:SHOKO TAKAHASHI)
鶴岡邸
用途:住宅
所在地:東京都練馬区石神井町3-10-12
施工年:2021年
述べ床面積:234.82㎡
設計:武田清明設計事務所
施主の要望は「鳥が集まる家にしたい」
F.I.N.編集部
〈鶴岡邸〉は住宅として建てられたそうですが、施主からはどのような依頼があったのでしょうか?
武田さん
「鳥が集まる家にしたい」というのが鶴岡さんの要望でした。そのために「屋上に実のなる木を植えたい」と。当時、鶴岡さんは〈鶴岡邸〉の後ろにある集合住宅に住んでいて、そのベランダには、鶴岡さんから餌をもらうためにハトやスズメが集まっていたんです。あんなにバラバラの種類の鳥が肩を並べている光景を初めて見て、これは本物だと(笑)。絶対に〈鶴岡邸〉のコンセプトにしなければいけないと思いました。
ちなみに庭に大きな灯篭を置いているのですが、あれももともと鶴岡さんがお持ちだったもの。移動するのに「クレーン車が必要かも」と考えるくらいの重い代物でした。やっとこさ今の場所に設置して、何に使うのか聞いたら、「中にお米を入れておくと鳥が食べるんだ」って(笑)。ほかにも「そこは猫の通り道だから登りやすいようにしてほしい」など、ほとんどが生き物のための要望でしたね。
キッチンからの眺め。完成から4年経過し、現在は庭や屋上に100種類以上の植物が育つ。
〈鶴岡邸〉は石神井公園の目の前に位置し、屋上からは公園の自然を一望できる。
F.I.N.編集部
コンセプトを形にするうえで難しかった点は何ですか?
武田さん
芝生を植えるだけの屋上緑化はよくありますが、鶴岡さんの望むような大きな樹木を屋上に植えるとなると、土の深さが60cmくらい必要です。すると問題になるのが荷重です。また雨がたくさん降った時にダメージが一極集中しないよう、水を分散して排出するシステムも必要です。そこで天井をフラットにするのではなく、ヴォールトという半円状のアーチ構造を連続させることにしました。山に降った雨は谷へと流れていきますよね。同じように、1階と2階の天井と柱に土を入れ、ヴォールトに沿って雨水が屋上から下に流れるようにして、土の柱を通って地下に循環していく仕組みをつくりました。
F.I.N.編集部
さらっとおっしゃっていますが、かなり画期的なアイデアですよね。
武田さん
はい、相当大変でした(笑)。通常、屋根は外に雨を追い出すように勾配をつけますが、この構造は逆で、雨をため込むようになっています。雨水の量はもちろん、樹木の成長によっても荷重が変わるので、変わりゆくものを見越して計算しなければいけません。ひたすら構造計算を重ねて、何度も設計をやり直しました。工事中に変えた部分もあるくらいです。
人の手が加わることで、豊かな多様性が生まれる
F.I.N.編集部
武田さんは〈鶴岡邸〉に事務所を構えていらっしゃいますが、ここで過ごすなかでの気づきはありましたか?
武田さん
自然との関わり方において、大事なのは視覚よりも実感だということがわかりました。この家のコンセプトと向き合った時、雨水の循環で植物の成長を助ける仕組みをつくったのですが、どうにも雨が降らない時期があって。さすがに水をあげないと枯れてしまうと思い、毎日決まった時間に水やりをし始めたら楽しくなっちゃって。「何とか生き延びてくれ……」と思いながら剪定して、次の日にみずみずしくなっていたら「俺のおかげだ!」って思う。今では子供のように愛着を感じていますね。
F.I.N.編集部
〈鶴岡邸〉のみならず、武田さんは「自然と共存する家」というものにこだわっていらっしゃいますよね。何かベースとなる体験や思想がおありなのでしょうか?
武田さん
学生時代に廃墟の研究をしたことが原点になっています。イタリアの山岳地帯である廃墟を見た時、かつてリビングだったであろう場所に小さな森ができていました。本来は地盤が固くてほとんど木の生えない場所なのに、壁や床の残骸があることによって周囲とは異なる生態系が生まれていたんです。人間のためにつくられた建築が時とともに自然に侵されて、植物のための建築に変わる。廃墟の美しさはきっとここにあるんだと思います。エネルギーを使って無理に自然を排除するのではなく、ちょっと気をゆるめて他生物の入り込む余地をつくってあげることが、自然体の建築のあり方なのではないかと。
F.I.N.編集部
人間と自然が交わるからこそ生まれる美しさがあるのですね。
武田さん
人間が入り込んでいない森の方が豊かで、生物が多様なイメージがありますが、実際はかえって定着してしまって、それ以上の動きがないそうです。むしろ人間が少し手を加えた方が多様性は生まれる。棚田なんかもそうですよね。人間が水を蓄えられるように地形をいじった結果、カエルやトンボが住めるようになり、日本の美しい原風景が形成された。そこに無駄は一切なくて、自分のためにやっていることが相手のためにもなっているという相互補完が成り立っています。こうした合理性は〈鶴岡邸〉の哲学にも通じるものがあると思います。
街路樹も路地裏園芸も、れっきとした自然
F.I.N.編集部
〈鶴岡邸〉ができたことで、周囲の環境に変化はありましたか?
武田さん
石神井公園は探鳥地としても知られる自然豊かな公園で、〈鶴岡邸〉はその公園と居住エリアのちょうど境目にあります。いい意味で中途半端な場所なので、普通だったら住宅街まで入ってこない鳥が飛んでくるようになりました。そしていろんな種を運んできて、敷地内に勝手に植物が生えていくんです。この偶発的な増殖が面白くて。「ちょっとここにフンしてよ」なんて鳥には通用しませんからね(笑)。また敷地内にはバナナやパッションフラワーなど公園にはない植物も生えていて、100種類以上がごちゃ混ぜに共存しています。その種をまた鳥が別のところに運べば、地域に新たな生態系が育まれるかもしれない。今後どうなっていくのか楽しみです。
〈鶴岡邸〉の屋上にて食事を楽しむ武田清明設計事務所のスタッフ。(撮影:武田さん)
F.I.N.編集部
自然と人工物の間をつなぐ〈鶴岡邸〉のような場所が増えると、都市はどう変わっていくでしょうか?
武田さん
身近な自然をポジティブに捉えられるようになると思います。都会は敷地が狭いので、面積いっぱいに建物を建てて、庭はその隙間につくるしかない。今キャンプが流行っているのも、きっとそうした都市に対する諦めがあるからですよね。日常生活に本物の自然がないから、週末にキャンプに行くんだという感覚。でも規則正しく並んだ街路樹だって、昔ながらの路地裏園芸だって、高速道路にある謎の緑地だって、自然には変わりないと思うんです。
都市の利点は実はそこにあって、狭い敷地の中に人間の暮らしと自然を凝縮させるからこそ、関わらざるを得ない距離をつくり出せる。4K映像でしか出会えないアマゾン奥地の自然は他人事だけど、人間の痕跡が感じられる近場の自然なら「私」と「あなた」という自分事の関係になれます。そんな場所が都市にどんどん増えていけば、建築が「環境のインフラストラクチャー」になり得るのではないかと僕は思っています。
F.I.N.編集部
環境について何かをしなければと思うと、つい人工的であることを否定しがちですが、そもそもその考え方が間違っているのかもしれませんね。
武田さん
人間が自分の住処をつくろうとすることは別に悪いことじゃない。他生物も当たり前にやっていることですし。ただそれが人間視点に偏ることが問題だと思うんです。昔は大きな自然の中にポツンと家を建てていたのが、建築の数がどんどん増えて、自然が削られて、今や人工物が生物の質量を上回ったという説もある。地球上で人間が手を加えていない場所ってもうないんだそうです。だったらいっそ地球を1つのランドスケープデザインと捉えて、人間が1本でも多く木を植えていった方がいいですよね。
必要なのは「いい建築」ではなく「いい環境」
F.I.N.編集部
今後、都市にはどのような場が必要だと思いますか?
武田さん
これからは新築の家が減って建物がどんどん余っていくので、既存の家をどう活かして未来の暮らしをつくるかを考えなければいけません。そのために大事なのは、建築の形やプランニングに固執しないこと。そして、外と中の境界をできるだけなくしていくことがキーワードになると思います。「いい建築」よりも「いい環境」を生み出すことが求められる時代になっていくのではないでしょうか。
F.I.N.編集部
武田さんは、無加工の石を使ったプロダクトの開発にも力を入れていらっしゃいますね。売り上げの一部は産地の保全に使われるとのことですが、そうした活動も「いい環境」への思いがあるからでしょうか?
武田清明建築設計事務所が企画・デザインをした「石のプロダクト」。
武田さん
そうですね。石を探しに自ら産地へ行くと、普段何気なく使う建材がどのようにして切り出されているのかがよくわかります。そこの感覚をしっかり持っておかないと、僕たち建築家は「センスよく環境破壊をしている人」になりかねない。常に人間以外の視点も取り入れながら、社会のさまざまな課題を建築で解いていけたらいいなと思っています。
武田 清明さん(たけだ・きよあき)
1982年神奈川県生まれ。2007年イーストロンドン大学大学院修了、2008年より〈隈研吾建築都市設計事務所〉に勤務。同事務所設計室長を経て2019年に〈武田清明建築設計事務所〉設立。2018年に「鹿島賞(SD REVIEW 2018)」、2020年に「グッドデザイン賞」、2022年「住宅建築賞受賞」、「日本建築学会作品選集新人賞」と、受賞歴多数。住宅や共同住宅、福祉施設などを幅広く手掛ける。
【編集後記】
植物と土に囲まれた〈鶴岡邸〉の取材は、普段生活している空間の内側と外側について改めて考える機会になりました。住居をはじめとした建物は人間を風雨などの脅威から守ってくれますが、そればかりを重視して内と外を完全に分けてしまうことが最適解とはなかなか思えません。むしろ、計算不可能な自然が生活空間の中に入ってくることで新しい安心感がもたらされることもあるはずです。
例えば部屋の真ん中に大きな木が生えていたり、木陰に食卓があったり……内と外がそれぞれ拡張し、ともに過ごせるような建築が定番となった未来はとても楽しそうです。
(未来定番研究所 渡邉)
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未来場スコープ
case4| 〈鶴岡邸〉建築は、環境のインフラになれるか。
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