F.I.N.的新語辞典
case1|
case2|
2024.10.11
未来場スコープ
街の一角が変わると、その場で行われる営みが変わり、人々の流れが変わり、街自体が変わっていきます。そんな変化の真ん中にある空間や建物を紐解いていくと、未来の街並みが見えてくるかもしれません。この連載では、街の未来を変えるようなポテンシャルを持った場所を訪ね、デザインや企画を担当した方がどのような未来を思い描いているのか探っていきます。
大阪市南西部に流れる木津川には、河川と都市を隔てる防潮堤があり、長い時を経て街を守ってきました。近年の河川沿いの遊歩道整備事業をきっかけに、防災と人の居場所を両立する公共空間〈トコトコダンダン〉が誕生。街や、そこで暮らす人々に大きな変化をもたらしました。今回は建築設計、ランドスケープを手掛けた建築家の岩瀬諒子さんにお話を伺いました。
(文:對馬杏衣/イラスト:SHOKO TAKAHASHI)
トコトコダンダン(大阪府・木津川遊歩空間)
用途:河川敷地内の遊歩道と広場空間
所在地:大阪府大阪市西区立売堀6丁目6
施工年:2017年
面積:4,300 m2
設計:岩瀬諒子設計事務所
豊かな公共空間を目指して
F.I.N.編集部
〈トコトコダンダン〉は岩瀬さんが独立後初めて手掛けた作品と伺いました。関わることになったきっかけを教えてください。
岩瀬さん
大阪府主催で公募型の土木インフラのデザインコンペが行われて、最優秀賞をいただいたことが始まりです。「水の都」大阪の再生プロジェクトの一環として「水の回廊」と呼ばれる一周13kmもある河川沿いの遊歩道整備事業が立ち上がりました。なかでも木津川は大阪市の西側を流れる河川で、街を水害から守るための高い堤防が連なっています。ここで遊歩道や広場の整備を行うにあたり、防災と人間の居場所を両立できる共空間デザインを求めて、デザインコンペが開かれたというのが背景です。
F.I.N.編集部
デザインコンペでは、具体的にどのようなことが求められていたのでしょうか?
岩瀬さん
水害が起きた際の「防災」としての側面を持ちつつも、新たな住民の憩いの場になることが求められていました。事前に行政と住民でワークショップを行なっていて、そこで集めた街に暮らす人たちの声も共有されたので、すごくいいヒントになりましたね。散歩したいとかリラックスしたいとか、緑があるといいとか。
F.I.N.編集部
岩瀬さんが初めて現地に行かれた時はどんな印象を持ちましたか?
岩瀬さん
水辺なので磯の香りがするとかそういうことをイメージしていましたが、実際訪れてみると、堤防があることで水と生活が切り離されている印象を受けました。水は物理的に近いけど、生活の中にはない。そのギャップをすごく感じました。あと、平日に行ってみたら水辺には全然人がいなかったのですが、歩いていると周辺マンションのバルコニーにたくさんの植物があるのを見つけて、「人の気配」を感じました。植物があるということは手入れしたり、水やりをしたりしている人がいるということ。ちゃんと居場所をつくれば、人が集まってくるポテンシャルを感じました。
〝上書き〟という、時代へのリスペクト
F.I.N.編集部
コンセプトを決めてくうえで、ポイントになったことはありましたか?
岩瀬さん
もともとコンペでは遊歩道と広場をつくってくださいという依頼が来たわけですが、工事中に古い堤防が見つかって、私がやっているのは「堤防のリノベーション」で、遊歩道や広場はあくまで用途なのだと気づきました。
F.I.N.編集部
古い堤防というのは、視察時には見つかっていなかったということでしょうか?
岩瀬さん
そうなんです。エントランスエリアを工事している時に、大きな構造物が掘り起こされたので撤去をお願いしたら、地面に埋まっている部分が深すぎるから無理だと言われてしまい。その物体が何なのか調査すると古い堤防だとわかったんです。
ちなみに、私は3回断られるまでお願いし続けることにしています。1回目は直感で断られて、2回目は本当にダメですと。そして、3回言ってくる人はなかなかいないし、相当熱意が伝わった上で断られるということなので諦めます(笑)。今回も3回お願いして断られたので、撤去は断念してそれが一体何なのか調査を進めました。
実は、昔は古い堤防までが自然河川で水が入ってきていたようです。それが埋め立てられたのが戦後間もなくで、その後も震災があり、さらにかさ上げするために太くして……という堤防の歴史がわかりました。同時に、この古い堤防があったおかげで、今の時代を迎えられたんだと感動しました。
岩瀬さん
この発見がきっかけで考え方が大きく変わりました。1回建てた堤防を壊すと水が入ってきてしまうので、土木の世界では壊さずに基本は上書きしてつくっていきます。かたや建築はスクラップ・アンド・ビルト(廃棄し、新しい設備に置き換える)の世界なので、土木のように丁寧に上書きしていく手法を知った時にはすごく新鮮で、面白いなと。 それ以降はこのプロジェクトを「堤防のリノベーション」と呼んでいます。
F.I.N.編集部
その変化は、具体的なデザインの考え方にも影響しましたか?
岩瀬さん
かなり影響しました。どう設計していくのか言語化して、本質的なことが見えてくると、やるべきことがクリアになって進めやすくなりました。私も堤防を壊すのではなく上書きしてリスペクトを伝えたいという気持ちが大きくなったので、堤防のつくられた年をサインとして刻んで、すべて新しく仕上げる予定だった既存の堤防も、第三者でもトレース(設計士やデザイナーが作成した図面を正確に清書する)しやすいように残すことにしました。
何もないことが生み出す豊かさ
F.I.N.編集部
公共空間という場所柄、子供から大人まで、誰もが使いやすいデザインである工夫が必要だったのではないかと思いました。岩瀬さんの考え方や、こだわった点について教えてください。
岩瀬さん
意外かもしれませんが、もてなし過ぎないということを意識しました。使いこなすという視点で考えた時に、設計側で場を規定しすぎない方が、利用者側の想像力次第で、より自由に使える場になるのではないかと考えたからです。
例えば、遊歩道が軽やかに見えるように床(スラブ)の厚みを薄くおさえたデザインにしたものの、雨が降ったりすると水が川側に流れてコンクリートの垂直面が汚れていくので、どう水仕舞い(雨水が入らないよう防水加工を施すこと)するか悩んでいたんです。建築の場合は、屋根に軒(のき)をつくって水の流れをコントロールしていきますが、果たして床を綺麗に見せるためにはどうすればいいのかと。でも、途中からその考え方自体が窮屈すぎるし、もっとラフに考えていい!と思って汚れそのものを受け入れる方針にしたんです。
また、木材もほとんど使いませんでした。木があると温かみがあって好まれるけれど、部分的に木の素材がある場合はそこに座れと言われている感じもするなと思ったんです。どこにでも自由に座れる空間にしたかったので、段差だけをつくってそれぞれ寸法を決めたくらいです。この段差は腰かけるだけじゃなくて、テーブルにもなります。
F.I.N.編集部
寝転んでいる人もいれば、ご飯を食べたり、宿題をしている子供たちがいたり……みなさん自由ですね。まさに、相手に使い方を委ねるというデザインですね。
岩瀬さん
完成後も、何もないということの価値をすごく感じました。何もないから、みんなピクニック道具を用意してくるんですよ。ある意味、その方が豊かだなと思いました。おしゃれなカフェがあるのももちろんいいんですけど、そうすると時には資本に揺らいでしまうというか。お店がなくなったら人が来ない場所になるといったように、属人的になってしまうのは嫌なので。
人と人が混ざり合う、堤防の新たなカタチ
F.I.N.編集部
〈トコトコダンダン〉完成後は、多くの住民が訪れる憩いの場になっているようですが、みなさんどんな使い方をされているんでしょう?
岩瀬さん
現役で大阪を守っている堤防を背もたれにしたり、椅子代わりにしたり、ゆっくり過ごしてくれている方が多いですね。放課後に楽器を練習している小学生、自撮りしている若い女の子、演歌を聞きながら釣りをしているおじさん……。老若男女が同じ場を共有して面白いですね。
公共空間を考えるうえで、こうやって誰でも過ごせる場所であるということが大事だと思うんです。商業の場合は、マーケティングの観点でターゲットを絞っていけば絞っていくほど年齢や性別で分化してしまうじゃないですか。それが公共空間の場合、属性が違う人と人が混ざり合うことができるという可能性を感じられます。
F.I.N.編集部
岩瀬さんも想像していなかったような、意外な使われ方はありましたか?
岩瀬さん
大体のことは意外でしたね(笑)。印象に残っているのは、川から水が入って一部床が浸るデザインになっている浸水護岸エリアがあって、その段差の周りをずっと行ったり来たりしている老夫婦がいたんです。心配になって、どうしたんですか?と声をかけたら、 近所の病院でリハビリしている方のようで、「今日は病院が休みだからここの段差をリハビリ代わりに利用している」と話してくれたんです。その時、本当の意味でのバリアフリーってなんだろう?という疑問が浮かびました。とくに、公共空間はクレームが入るたびにできないことがどんどん増えていくサイクルに陥りがちだと思いますが、もう少し寛容に、このご夫婦のように環境の1つとして捉えてくれたらいいですよね。頭の中でこうあるべきだと思っていることも、常に何のためにあるのかを問い続けなければと思った出来事でした。
未来を見据えた設計のこれから
F.I.N.編集部
「堤防のリノベーション」を経て生まれ変わった〈トコトコダンダン〉ですが、今後はどんな場になってほしいと思いますか?
岩瀬さん
土木は50年、100年生きるスパンなので、いい時もあれば悪い時もあると思うんです。あんまり一時的なものに一喜一憂せずに、この場所が自分の居場所だと思ってくれる人が増えて、その人たちがゆるやかに関わってくれる状況が続けばいいのかなと思っています。
F.I.N.編集部
最後に、岩瀬さんが「未来の場づくり」について考えていることを教えてください。
岩瀬さん
既存のルールを見直すことで、あらゆる未来の可能性が広がるということですかね。建築、土木、まちに関する法律も規制緩和がどんどん起こっています。例えば、最近は社会実験的に道路を活用して、ベンチやテーブルを置くムーブメントがあるじゃないですか。すごく素敵だなと思うんですけど、これまでの日本の法律だと道路はそもそも交通を流すものだから、人間が余暇を楽しむ場所じゃないということで、実施するのが難しかったんです。
ルールって問い直すと、別になんでもないことだったりします。時代によって変化が必要ですし、まだまだ伸びしろだらけ。〈トコトコダンダン〉もその変化の一例に過ぎないと思います。1ついい取り組みがあると、広がっていきます。未来のあるべき姿を考えながら、1つひとつ解きほぐしていきたいですね。
岩瀬諒子さん(いわせ・りょうこ)
京都大学工学部卒。同大学工学研究科修了。〈EM2N Architects〉 (スイス、チューリッヒ) 、〈隈研吾建築都市設計事務所〉の勤務を経て、〈岩瀬諒子設計事務所〉を設立。建築空間からパブリックスペースまで、領域にとらわれない設計活動を行う。
【編集後記】
「土木」と「建築」は一見、異なる領域のように思えます。土地を水害から守る堤防や人々の行き交う道は街になくてはならないものですが、場所としての可能性を改めて考える機会はなかなかありません。同様に、使う人がある程度想定された場所や建物であれば、公共性(=あらゆる人が利用すること)は前提になりにくいでしょう。しかし〈トコトコダンダン〉には、両者の考え方や強みが自然と共存しているように思いました。すべての人に開かれていて、その「使いみち」を誰もが好き好きに考えられる……そんな創造性に満ちた公共空間は、岩瀬さんが土木と建築それぞれの視点で場所に向き合ったからこそ実現できたのではないかと感じました。当たり前にあるルールを考え直し、様々な領域の知見を横断しながら未来を考えることができれば、その場所に起こる変化はより豊かなものになるのではないでしょうか。
(未来定番研究所 渡邉)
case1|
case2|
F.I.N.的新語辞典
未来の住まい定番を発見!5年先のインテリアカタログ。<全3回>
F.I.N.的新語辞典
未来を仕掛ける日本全国の47人。
隈研吾が見据える、未来の建築のあり方。<全2回>
未来場スコープ
case2| 〈トコトコダンダン〉街を守る堤防が憩いの場になるまで。
F.I.N.的新語辞典
未来の住まい定番を発見!5年先のインテリアカタログ。<全3回>
F.I.N.的新語辞典
未来を仕掛ける日本全国の47人。
隈研吾が見据える、未来の建築のあり方。<全2回>