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2026.04.07

第2回| 百貨店は「買い物」をどう変えた?デザイン文化史研究者・神野由紀さん。

さまざまな専門知を持つ目利きとともに、別の視点で百貨店を捉えてみる「百貨店の百視点」。これまで見過ごされがちだった百貨店の姿を探求すれば、新たな側面が見えてくるかもしれません。

 

第2回のテーマは、「買い物文化と百貨店」。かつて百貨店はさまざまなメディアを通じて「理想の生活」や「いい趣味」を示し、人々に新たな文化を提案してきました。近代の消費文化を研究する関東学院大学人間共生学部教授の神野由紀さんに、百貨店が形づくってきた買い物文化の歩みや、未来の姿を伺います。

 

(文:船橋麻貴/イラスト:福澤遼)

Profile

神野由紀さん(じんの・ゆき)

関東学院大学人間共生学部教授。東京都生まれ。1994年筑波大学大学院芸術学研究科修了。博士(デザイン学)。専門は近代日本のデザイン史、文化史。主な著書に『趣味の誕生 百貨店がつくったテイスト』(勁草書房)、『子どもをめぐるデザインと近代 拡大する商品世界』(世界思想社)、『百貨店で〈趣味〉を買う 大衆消費文化の近代』(吉川弘文館)など。

消費を「趣味」や「教養」に変えた百貨店の戦略

19世紀の西洋において、中産階級の台頭とともに産声をあげた百貨店。その前身となったのは、19世紀初頭に登場したファッション用品を扱う大型用品店です。産業革命による大量生産が可能になったことで、それまで貴族の特権だった「装う楽しみ」や「飾る喜び」が、都市で働く一般市民の手にも届くように。この大きな社会の変化を受け、百貨店は、従来の商売のあり方を根本から変える画期的なスタイルを確立していきました。

 

「それまでの商店は、店主と客が対面で交渉するスタイルが主流で、少量生産ゆえに売り手が優位に立つ、非常に敷居の高い場所でした。しかし、百貨店は『店内に出入りするのは自由』という開放的なスタイルを打ち出したのです。これにより、人々は誰にも気兼ねすることもなく店内を歩き回り、陳列された商品を眺めて楽しめるようになりました。

さらに商品には値札がつけられました。値段が明示されたことで、それを見て買うかどうかを客が自由に判断できるようになった。この『自由に見て、選べる』という買い手主導の仕組みが、上昇志向を持つ中産階級の欲望を大きく刺激したのです」

 

日本でも、1890年代に入るとそれまでの伝統を継承しつつも独自の商法を培ってきた呉服店が百貨店へと転身。その際、経営者たちが何より重視したのは、西洋と同様に「買い物は娯楽である」という考え方でした。

 

「そもそも百貨店が登場する前の日本において、流行とは花柳界など限られた世界のもので、いわゆる堅気の武家の女性たち、後に百貨店の顧客になるような中間層の女性たちにとっては無縁だったのです。百貨店は、その流行という概念を、新しく台頭してきた都市の中間層に向けて『誰もが楽しめる文化』として提示しました。しかし当時は、欲望のままに華美な流行の着物を買い求めることは好ましくないとされる江戸時代からの道徳観が依然根強かった時代でもありました。そこで百貨店は、買い物を『趣味』や『教養』にも繋がる行為にしていく戦略をとります。『流行を追うことは、あなたの生活を文化的に高めること。ひいては、日本の文化レベルを向上させることである』と。そうした正当な理由を用意することで、流行という存在すら知らなかった人々が、罪悪感なく買い物を楽しめる土壌を耕していったのです」

 

そうした中間層の女性たちに向けて、百貨店は呉服の図案や意匠を通じて、文化的な意味づけを持つ商品を提案。元禄模様や光琳模様といった江戸文化をモチーフにした柄を帯に取り入れることで、身につける行為そのものが文化に触れる体験として提示されていきます。

 

その他にも百貨店は、掛け軸や置物といった室内装飾品を手に取りやすい価格帯で販売したり、頒布会やセット商品で届けたりと、文化的な生活を取り入れやすい形式で提案。こうした戦略が、中間層の人々の消費行動にも影響を与えました。

ショーウィンドウにPR。視覚が変えた買い物の定義

百貨店が消費文化をかたちづくった要因の1つに、視覚的な演出の導入があります。店内に足を踏み入れる前から人々の心を奪う「ショーウィンドウ」や、商品を美しく並べる「陳列」という概念は、百貨店によって日本に広まっていきました。

 

「それまでは蔵の中から商品を出してもらう形でしたが、百貨店は商品を店内に陳列し、美しく飾り立てました。これによって、人々は『買う目的がなくても、見ているだけで楽しい』という、新たな買い物の仕方を手に入れたのです」

 

こうして買い物は、必要なものを調達する行為から、憧れを体験する出来事へと変化。百貨店が文化を先導し、人々への影響力を持ち得たのは、強力なメディアの存在があったことも大きいと神野さん。

 

「1890年代後半になると、百貨店はPR誌を発行し始めます。これは現代のファッション誌の先駆けであると同時に、高度な文芸誌としての側面も持っていました。特に百貨店初期の経営者である日比翁助氏は、三越のPR誌に非常に力を入れた人物です。三越をはじめとする百貨店のPR誌は、単なるカタログではありませんでした。文豪に小説や随筆を書いてもらったり、その物語の中にさりげなく商品を登場させたり。そういう知的な刺激を受けながら人々は、知らず知らずのうちに百貨店が提案する『良い趣味』の定義を受け入れていったのです」

 

日比氏はその他にも、学者や芸術家を招いて、これからの流行を議論させる「流行会」を組織。学者や芸術家など各界の識者を会員に擁して展開した文化活動を「学俗協同」と称して、百貨店の社会貢献を謳うだけでなく、消費に文化的な香りを添えることに成功しました。

百貨店が提案したのは、「まだ見ぬ理想の暮らし」

1920年代、百貨店の提案はさらに具体的になり、都市部に新しく誕生した「主婦」という層に向けて、理想の家庭像を丸ごとデザインするようになります。ここで大きな役割を果たしたのが、PR誌の誌面を華やかに彩ったモデルたちの存在でした。

 

「白木屋のPR誌などを見ると、百貨店が衣服だけでなく、料理、インテリア、そして家族の作法までをトータルで指南していたことがわかります。特に1925年頃、PR誌『三越』などで、当時『マネキン』と呼ばれた生身のモデルが登場したことは画期的でした。彼女たちは、洋風の応接間や庭園といった場面で、百貨店の商品を身にまとってポーズをとりました。それはただの商品紹介ではなく、当時の女性たちが憧れる物語のワンシーンを、映画のコマのように切り取って見せるものでした」

それまでの挿絵や文章、写真などによる商品説明とは違い、人物写真で示された図像は、人々に理想的な暮らしのイメージをストレートに提示しました。

 

「『この服を着て、こういう空間で過ごすことが幸せな上流の暮らしである』というイメージは、初期の精巧な活き人形を用いたショーウィンドウでも具体的に提示していましたが、生身の人物の登場によって、よりインパクトのあるものになったはずです。ものを売るだけではなく、ものがあるべき物語や背景も伝える。これは現代のライフスタイル提案にも通じる構造です。百貨店は、PR誌というメディアを通じて、人々がまだ見たことのない『理想の暮らし』を視覚的に作りあげ、それを手に入れるためのルートを提示しました」

流行を追う時代の終焉と、歴史が照らす未来

1970年代に『anan』や『non-no』といったファッション誌が登場し、現代のSNS時代に至るまで、流行の発信や買い物の構造は大きく変化しました。誰もが自分なりの正解を見つけられるようになった今、百貨店がかつてのように「流行をつくり、人々を牽引する」という役割を担うことは、極めて困難になっていると神野さんは指摘します。

 

「今はさまざまなアパレルブランドが乱立し、同時にSNSなど新たな流行を牽引するメディアがたくさんあります。そのため、百貨店が新しい流行を仕掛けて世の中をリードしていくというモデル自体が、非常に難しくなっています。消費者はすでに自分なりの情報を手にしていますし、どこへ行っても同じブランドが入っている『金太郎飴』のようなファッションビル化が進むなかで、百貨店もファッションビルと同じような店になり、あえて百貨店で買う魅力が薄れてしまった側面もあります」

 

百貨店が新しい買い物を提案していた時代とは大きく異なる現代だからこそ、百貨店が担うべきは、歴史に裏打ちされた「本物」や「文化」を提示し続けることにあると続けます。

 

「極論をいえば、もう百貨店は『買うこと』に特化しなくてもいいのではないかとさえ感じています。初期の百貨店は、動物園や屋上庭園、豪華絢爛な内装など、買う以前の段階で人々が行きたくなるような『特別な場所と体験』を提供していました。その原点にもう一度注目してもいいはずです」

 

さらに、百貨店が守り続けてきたレトロな空間や歴史そのものを「唯一無二のテーマパーク」として捉え直すべきだとも。

 

「例えば、日本橋三越本店のパイプオルガンのある吹き抜けの圧倒的な空間は、新しいピカピカの商業施設には真似できません。1990年代以降、日本でも古いものを良しとする価値観が定着してきました。百貨店の文化遺産ともいえる財産を、現代に合わせて作り変えてしまうのはもったいない。もともと百貨店は、テーマパークのようにワクワクする場所でした。そうしたかつての姿勢にこそ、若い世代や外国の方も、ほかにはない魅力を感じるのではないでしょうか」

【編集後記】

「買い物」とは商品を手に取ってお金を払うその瞬間のことなのではなく、ずらっと並べられた商品を眺めたり「自分が買うべきもの」を探したりというような、たくさんの時間のことでもあるのだということに改めて気づきました。100年前のように百貨店が流行や文化を先導することは難しい一方、いかに誠実で素敵な「買う理由」を発信するか、買い物の「楽しさ」をどう作るか、ということは現代でも変わらない課題だと感じます。

(未来定番研究所 渡邉)

百貨店の百視点

第2回| 百貨店は「買い物」をどう変えた?デザイン文化史研究者・神野由紀さん。