2021.05.21

仏教の教えから考える、未来を生きるために必要な「選択の基準」とは。

約2500年もの歴史を持つ仏教。その考え方は日本の文化や日本語にも大きな影響を与えており、仏教徒ではなくても自然と触れている機会が多い、実は身近な存在です。今回は、歴史ある仏教から未来の思考のスタンダードを考えてみます。「温故知新」という言葉があるように、未来を考えるうえで、古来受け継がれている思想を探ってみるとそのなかにヒントがあるかもしれません。そこで大阪府池田市にある浄土真宗本願寺派・如来寺の僧侶であり、大学で長らく教鞭を執る釈徹宗さんに未来思考の「物を選ぶ基準」について、仏教の視点から考えを聞かせていただきました。
写真:Kazumi Mori (STUDIO JiJi)

現代人の購買意欲の変化とは。

相愛大学で人文学部の教授も務める僧侶の釈さんは、30年以上にわたり若者たちと接してきました。年々変化する大学生のスタイルや思考から、現代人が求めるものが変わってきたことを感じているそうです。

「私は、ちょうどバブル景気時代が始まる直前に大学教員になりました。当時の学生は流行に敏感で、学生には分不相応な高級バッグや、高級車を持つことがステータスでした。ですが現在は、昔のような学生はほとんどいません」。

 

高度経済成長期だった日本では、多くの人が高価なものを身に着けることを求めました。大企業に勤め、人より多くのお金を稼ぎ、家を買うといった人生のプランが社会的な正解とされる風潮もあり、その生き方を目指す人もたくさんいました。しかし今の日本では、その価値観に沿って生きていくことを重要視しない人が増えてきたようです。

 

「社会も人間と同じように年を重ねていきます。日本社会は、ハイパーアクティブだった青年期を終えて成熟期に入ってきました。青年期のように“人よりも一歩でも上へ”、という上昇志向が古くなってきたんです。周りから押し付けられる欲望に振り回されていたら疲れてしまう。多くの人がそれに気づいて、日々の消費や購買、ものを選ぶ基準なども変化してきたのでしょう」。

 

大学生の変化からみてもわかるように、一人ひとりのマインドの変化が顕著です。今後ますます個人の考え方や社会の潮流が変わっていくと予想されますが、仏教の思想から考えると、5年先の未来の「選択の基準」はどのようなものになっていくのでしょうか。釈さんは、3つの仏教用語を教えてくれました。

欲張らず、

持っているもので満足する「少欲知足」

「現代の多くの若者が持っているであろう購買意欲は、仏教用語の『少欲知足』で表すことができます。これは成熟期の社会に生きる我々に必要な考え方だと思います。実践の方法として、何かを購入する時に、それは本当に自分が欲しいものなのかを今一度自分に問うてみるんです。『みんなが持っているから欲しい』とか『これを持っていると、周りの人に褒められたり羨ましがられたりする』など、実は他人の目線を自分の欲望と勘違いしていることがよくあります。それは他者の欲望に生きていることになり、その考え方をしている限り自分が人生の主人公になることはありえない。周囲に煽られて選択をするのではなく、自分の本心に向き合ってみることが大切です。やましたひでこさんが提唱し、大ブームになった『断捨離』もこの仏教の考え方と近いですね。自分が本当に欲しいものだけを選択し、満足することの大切さを訴えているのがこの言葉です」。

他人の利を追求することが、

結果的に自分の利になる「自利利他」

「最近では、エシカル消費という言葉もよく耳にするようになってきました。できるだけ環境に良い商品を選ぶ、良い取り組みをしている企業のものを買う、値段は少し高くなっても社会に貢献できるものを買うなど、直接的な自分の利益だけを追求するのではない買い物の仕方です。仏教では『自利利他』という言葉を用いることで、自分自身が大きくなればなるほど苦しみも大きくなると説いています。自分が大きくなるとは、『こうでなければならない』という枠組みや自我や自意識のこと。自分で設定した枠組みが強固であればあるほど、思い通りにならない状況ができやすくなってしまいます。自分の利益ばかり追求すれば、結局最後には自分が損をすることになる。自分を小さくするとは、社会や他者について考えることと同義です。他者と手をとって暮らしていくことが、自分の苦しみを小さくすることにつながる。エシカル消費はまさに、『自利利他』の実践といえます」。

穏やかな態度と

人を愛しむ言葉「和顔愛語」

「近年はネットショッピングが盛んです。とても便利な買い物の方法ですが、人と人が直接コミュニケーションをとって買い物をするリアルな売り場がなくなるわけではないと思います。コロナ禍を経てよくわかったように、我々人間は他人との接触がないと生きていけません。人間とは、他人と交流してもストレスが溜まるし、他人との関わりを断絶することもできない。そういう厄介な生き物なんです。だからこそ時代が変わってもネットショッピング、リアルな買い物の場所、両方必要とされるでしょう。そしてこれからのリアルな売り場は、ただ買い物ができる場所であればいいわけではなく、そのほかの価値も求められてきます。そのため、文化の発信地のような場所に進化していくのではないでしょうか。お客さまのニーズを満たすために売り場を完璧に整えてお迎えするというよりも、売る方も買う方も一緒になってつくりあげていく参加型の場所が求められていると思います。人々が交流する場所では、笑顔と優しい言葉使いを意識する『和顔愛語』が必要ですよね。円滑にコミュニケーションを取れるように務めることで、その場所がより活性化します」。

フェア&シェアの精神を説く仏教。

昔の価値観からの脱却の理由は、人々の意識のアップデートだけではなく地球の環境の変化にも要因があります。昔のような消費行動をしていては、地球の環境汚染は進み、次世代に多くの課題を残してしまう。このような状況を食い止めるため、2015 年9月の国連サミットで採択された持続可能な開発目標(SDGs)を掲げ世界全体で取り組みを始めています。仏教の教えはこのSDGsにも沿っているものだと釈さんは言います。

「仏教が説いているのは、いかに公正な社会にし、いかに分かち合うかという『フェア&シェア』の重要性です。これからの社会は、提供する側だけではなく購入する側の消費者にも責任があります。今までの価値観では、支払った金額と同じだけのサービスを受けて当然というのが消費者体質でした。自分の払うコストをいかに下げることができるかが、賢い消費者という考え方が主流でした。しかしその考え方は廃れていくのではないでしょうか」。

 

これ以上の成長を望むことが難しくなり、それが常態化する社会では、公正さとシェアすることがより大事にされていきます。驚くべきことに何千年も昔からその姿勢を目指していたのが仏教だったのです。

 

「昔想像した未来では、世の中はどんどん便利になり、スピーディーになり、手間がかからなくなり、それが幸せに直結していると思われてきました。しかしその未来が訪れた現在、文明は進んで便利にはなったけれども、人々は追われるように生活をしていて、決して幸せとは言い切れない。では便利になった世の中で、どう幸せに生きていくのかを考えるフェーズに入ってきています。阿弥陀経にこんな一説があります。『青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光』。青いものは青く光り、黄色いものは黄色く光る。それが素晴らしい世界だという教え。生きていると、本来は青いのにも関わらず赤く光るよう努力したり、他人を白く染めようとしたり、自分ではないものになろうとすることがあります。自分は自分のままで輝けることが理想の社会。多様性を重んじようと叫ばれる昨今の風潮を古来唱えてきたのが仏教です」。

仏教は人類の知恵の結晶だと語る釈さん。その教えは、社会の変化を目の当たりにしている私たちに、これからの未来をより楽しく生きていくヒントをたくさん授けてくれるものでした。

Profile

釈徹宗さん

 

浄土真宗本願寺派・如来寺の住職。宗教学者。相愛大学副学長、人文学部教授。NPO法人の代表も務め、認知症患者のためのグループホームの運営もしている。著書に『お経で読む仏教』(NHK出版)、『歎異抄 救いの言葉』(文藝春秋)など多数。

(写真:竹中稔彦)

<編集後記>

日常生活で、大小様々なことを、私たちは、瞬時に選び決断をしています。

自分で選んでいるつもりでも、盲目的に自分以外の誰かの基準で選択していることも多いです。ルールだから、便利だから、みんな持っているからなど。振り返るとなぜ選んだのかもわからないこともあります。

その中で、今回の3つの言葉は、慌ただしい毎日の中で、一呼吸ついて、自分を見つめ、着実な選択に導いてくれそうです。選ぶ側、選んでもらう側も一つの基準になるかもしれません。

(未来定番研究所 窪)