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街の一角が変わると、その場で行われる営みが変わり、人々の流れが変わり、街自体が変わっていきます。そんな変化の真ん中にある空間や建物を紐解いていくと、未来の街並みが見えてくるかもしれません。この連載では、街の未来を変えるようなポテンシャルを持った場所を訪ね、そのデザインや企画を担当した建築家やディベロッパーがどのような未来を思い描いているのかを探っていきます。
近年アートの街として盛り上がりを見せている大阪市の北加賀屋地区。ムーブメントを牽引する場の1つが、食堂やバー、ギャラリーホールなどのある文化複合施設〈千鳥文化〉です。築約60年の旧文化住宅を段階的に改修し、現在の姿に生まれ変わりました。手掛けたのは、北加賀屋に拠点を置く建築家ユニット〈dot architects〉。設計だけにとどまらず、コンセプト立案から施設運営にまで携わるという密接な関係性を築いています。その原動力は何なのか、メンバーの家成俊勝さんにお話を伺いました。
(文:片桐絵都/写真:増田好郎、成田舞/サムネイルイラスト:SHOKO TAKAHASHI)
第1期の工事が完了した〈千鳥文化〉。2017年11月撮影。
千鳥文化
用途:文化複合施設
所在地:大阪市住之江区北加賀屋5-2-28
施工年:2017年(第1期)/2019年(第2期)
延べ床面積:614.20㎡
設計:dot architects
アートで街のにぎわいを取り戻す
F.I.N.編集部
〈千鳥文化〉のプロジェクトはどのように始まったのでしょうか?
家成さん
かつて北加賀屋は造船業が盛んで、高度経済成長期には2万人を超える労働者でにぎわいました。〈千鳥文化〉の前身である〈千鳥文化住宅〉も、もともとは造船所で働く人々のための住居兼店舗として建てられた長屋でした。しかし、産業構造の変化によって造船業は衰退し、1988年には名村造船所が佐賀県へ移転したことで、街は一気に空洞化してしまいます。
1988年の〈千鳥文化住宅〉。1階が店舗、2階が住居。
家成さん
造船所から土地を返還された地主の〈千島土地〉は、2004年、街の再生のために眠っていた工場跡地を活用する「NAMURA ART MEETING ’04-’34」というプロジェクトを立ち上げます。さらに2009年には、空き物件にアーティストやクリエーターを誘致し、北加賀屋を芸術・文化の発信地にする「北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想」を掲げました。
そして2014年、〈千島土地〉が所有する〈千鳥文化住宅〉の最後の住人が退去したことから、この空き家の活用方法について〈dot architects〉(以下、〈dot〉)に相談を持ちかけられたというのが一連の経緯です。
F.I.N.編集部
〈千島土地〉が旗振り役となって、街にさまざまな変化が起こり始めたタイミングだったんですね。
家成さん
そうした働きかけのおかげで、街は少しずつにぎわいを取り戻していました。しかしイベントなどによる一過性の人の動きはあっても、日常的にふらりと訪れられるような場所はあまりなかったんです。そこで〈千鳥文化住宅〉を地域の交流拠点として活用できないかというのが〈千島土地〉の要望でした。
私たちも普段、北加賀屋を拠点にしていて、いまいちしっくりくるご飯屋さんがないなとか、もっと地域に開けた場所があったらいいのになとか、いくつか思うところはあったので、自然と「やりましょう」という話になりました。
北加賀屋だからこそ生まれたブリコラージュ建築
第1期の改修が終わった〈千鳥文化〉。
F.I.N.編集部
そこからどうプロジェクトを進めていったのでしょうか?
家成さん
〈千鳥文化住宅〉は1960年代に建てられ、地元の船大工たちがブリコラージュ(※)で増改築を繰り返して今に続いてきた建物です。まず設計に関しては、この建物を改修するのか、壊して新築を建てるのかを決める必要がありました。
※ブリコラージュ・・・ありあわせの材料や道具を寄せ集め、即興的に新しいものを作り出す技法や思考法。
家成さん
〈千島土地〉は最初どちらでもいいとおっしゃっていたのですが、実際に中を見てみると、非常に簡易な、ある種バラックのような構造でできていたんですね。物資が十分でないなか、廃材を使い回しながら工夫を凝らして建てたであろうことが伝わってきました。
文化財的価値としては箸にも棒にもかからないけど、この土地の歴史と庶民の営みがあったからこそ生まれた数奇な建築。この風合いを残した方が、北加賀屋らしいものができるんじゃないかと考えたんです。もう1つ、新築にすると建ぺい率の兼ね合いで建物の床面積が小さくなってしまうというデメリットもあったため、新築ではなく改修することにしました。
F.I.N.編集部
どこまで残して、どこまで手を加えるかというバランスは、どのように決めていきましたか?
家成さん
古い建物なので構造補強は不可欠です。そのため、補強が必要なところ以外はすべて残すというスタンスで進めていきました。間取りもほぼいじらず、外側からしか入れなかったスペースを中でつなげてワンルームのような動線にし、物理的に使える範囲を増やしただけです。
ただ先程もお話しした通り、この建物は増改築を繰り返しているので、設計図もなければ構造も謎。どこを補強すべきかすらわからない状況で、その点においてはなかなか苦心しました。
第1期の改修後にオープンした〈千鳥文化食堂〉。
F.I.N.編集部
問題をどのようにクリアしたのでしょうか?
家成さん
建物に使われている部材寸法を実測して、構造模型を作成しました。加えて柱や梁などの接合部分をすべて写真に撮ってナンバリングし、1つずつ補強すべき箇所を検討していきました。この調査だけで1年くらいかかりましたね。
F.I.N.編集部
そこまでして「残す」という選択を貫いたのですね。残せば残すほど、完成形をコントロールするのも難しくなると思います。不安はなかったのでしょうか?
家成さん
〈千鳥文化〉を手掛ける少し前、京都のアートホステル〈kumagusuku〉の改修に携わったんです。元アパートだった木造建築で、シャッターを開けて中に入っても「まだ外?」というくらいボロボロ。そこを無理やり構造補強して、趣を残しながら改修したらいい感じに仕上がったんですよ。その経験もあって、不安というよりは面白くできるんじゃないかという予感の方が大きかったです。
建築家が設計と同時に中身まで考える
F.I.N.編集部
場のコンセプトはどのように決めていきましたか?
家成さん
プロジェクトメンバーである〈dot〉、〈千島土地〉の芝川能一社長(現名誉会長)、クリエイティブユニット〈graf〉の服部滋樹代表の三者で、どんな場所が必要かを話し合いました。結果、食堂、バー、古材バンク、ギャラリーという構成に落ち着きました。
また施設の「顔」をつくるために、正面のファサードを壊してガラスを入れ、アトリウムを設けました。これは芝川社長のアイデアです。また服部代表が当初「温室を作りたい」とおっしゃっていたので、屋根もガラスの波板にして、光が降り注ぐ温室のような空間を意識しました。
家成さん
そんな風に、みんなの意見を取り入れながら設計と中身を同時に進めていったのですが、店の運営を誰がやるのかというところは宙に浮いていたんです。そこで、私たちと同じシェアスタジオにいる映像ディレクターの小西小多郎さんに全体の管理をお願いし、古材バンクとバーは〈dot〉で運営することになりました。 コロナ以降は運営から手を引きましたが、それまでは〈dot〉のメンバーが交替でバーテンダーをやっていましたね。
F.I.N.編集部
建築家が運営にまで携わるのは珍しいことですよね。
家成さん
やってくれる人が誰も見つからないので、「じゃあ、やっちゃうか」くらいの軽いノリでした(笑)。私は20代の頃にバーで働いていたことがあるんですけど、バーって本当にいろんな人が来るんですよ。どこぞの社長から、熱狂的な阪神ファン、裸に革のベストを着た漁師、音楽に異様に詳しい人、アパレル系のめちゃくちゃおしゃれな人まで。そういう人たちがフラットに交われる場所だからこそ、〈千鳥文化〉には絶対バーを作りたかったんです。
第1期の改修後にオープンした〈千鳥文化バー〉。
家成さん
あとはやっぱり、建物があるだけではみんな使い方がわからないと思います。昔、小豆島で〈Umaki camp〉という建物をセルフビルドした時にも「こう使うとこういう状況が生まれる」といった提案を実験的に行いましたが、建築家が中身まで考えることは重要です。そういった意味では、〈dot〉が運営まで手掛けることは理にかなっていました。
F.I.N.編集部
2017年にオープンした〈千鳥文化〉は、2019年に第二次工事が完了して現在の形となりました。構成はどのように変わりましたか?
家成さん
大屋根とホールを設置し、8部屋のテナントスペースも設けました。当初からある食堂やバーに加えて、理髪店などが新たに入居し、交流拠点としてさらに奥行きが出たと思います。2期の工事後も入居者から要望があれば棚を作ったりメンテナンスをしたりと、じわじわ変化し続けています。
2019年、第2期目に突入した〈千鳥文化〉。2階はアーティストが展示空間として使ったり、工房、アート教室、ネイルサロンなど多種多様な用途のテナントが入居。1階吹き抜け空間は「千鳥文化ホール」としてさまざまな展示会場に使われている。
家成さん
これってすごく大切で、一度場所をつくって固定してしまうと、それ以上面白くならないと思うんです。「やりながら考える」くらいの実験性を持ち合わせていることが重要なのかなと。実際、チケットのもぎりスペースとして設置していた場所が途中でサンドイッチ屋に変わったり、その後コーヒーの焙煎所になったりというようなフレキシブルな変化が起こっています。
F.I.N.編集部
場の役割が変わることをあらかじめ想定して設計しているということですね。
家成さん
長屋や町家などの昔の都市型住宅も同じですよね。ほぼ木と土という自然由来の材料でできているので循環させやすく、建物の寸法体系が地域で似通っているから使い回しが利く。人が入れ替わるのも前提なので、部屋の構成もミニマムで事足りる。暮らす環境として居心地がいいとはいえませんが、すごく身軽な建物です。こういった建物を残し、手を入れて新しい使い方を模索していくというのは、これからの建築のヒントになるような気がしています。
F.I.N.編集部
長屋のポテンシャルを現代に活かすためには、どんなディテールが必要だと思いますか?
家成さん
太陽の光と風を取り込んで、地域に開くこと。中で何をやっているのかが感じ取れるよう、街と建物がつながっていることが重要です。「分断しない建築」というものが、今後1つのキーワードになるのではないかと思います。
〈千鳥文化〉で開催されたイベントの様子。「柳原史佳 ヴァイオリンコンサート in 千鳥文化食堂」2024年4月28日(日)
「乗合バス」のようなパートナーシップ
F.I.N.編集部
〈千鳥文化〉ができたことで、地域にどんな変化が生まれていると思いますか?
家成さん
関係する人の数は確実に増えていると思います。仲間と呼べるような絆から、軽く挨拶を交わすライトな間柄まで。私たちも普段スタジオにこもって仕事をしていると、なかなか街の人と接点が持てないんですよ。でも〈千鳥文化〉に来れば地域内外の人に出会える。街の中にさまざまな関係性が生まれるというのはいいことだと思います。
ちなみに〈dot〉がバーの運営を離れてからは、常連だったマユミさんという方がバーテンダーとして店に立ってくださっています。そういうゆるいつながりが増えていくのも〈千鳥文化〉の面白さだと思います。
2024年には7周年を記念して公開ラジオトークを開催。左から、三浦麻衣さん(adanda)、堀美知さん(千島土地)、芝川能一さん(千島土地)、家成俊勝さん(dot architects)、小西小多郎さん(adanda)。
F.I.N.編集部
〈千鳥文化〉の設計・運営を経て、これから先、どういった新しい場が街にあればいいと思いますか?
家成さん
都市ではお金でサービスやものを買うことが中心になりがちですが、もっと自分たちで「つくる」という活動が重要になってくると思います。
私の先輩で宮本健司さんという方がいらっしゃって、神戸市の北区で有機栽培のぶどう畑を運営しているんです。宮本さんが声をかけると、ぶどうの収穫を手伝うために地域外から70人くらいが集まるのだそうです。農業を通じた新しいコミュニティの形ですよね。農村部に住んでいなくとも、街と行き来することで農業やワインづくりに関わる仕組みはつくれるんだと感じました。
今、〈dot〉がその畑の近くの古い堆肥舎や牛舎を改修して、農作業場やワインの醸造所にするというプロジェクトを進めています。この取り組みを通して、いろんな角度から能動的にものづくりに関われる暮らし方や働き方を模索したいと考えています。
F.I.N.編集部
そうした新しい暮らし方は、建築の力で実現できると思いますか?
家成さん
雨風をしのげる物理的な空間という意味では大切ですが、残念ながら建築だけですべてを変えることはできないと思います。やっぱりそこには農業や北加賀屋といったフィールドが必要で、建築はあくまで要素の1つ。結局は、さまざまな要素がくんずほぐれつしながら、問題も不安定さも内包しつつ、どうにかこうにかやっていくしかないんじゃないでしょうか。
私にとっての理想的なパートナーシップは「乗合バス」。どこで乗ってもどこで降りても自由なんだけど、バスに乗っている間はみんなでその空間を共有している。このくらいのゆるいバランスでコミュニティを形成するのがちょうどいいと思っています。
家成 俊勝さん(いえなり・としかつ)
1974年、兵庫県生まれ。関西大学法学部法律学科卒。大阪工業技術専門学校夜間部卒。専門学校在学中より設計活動を開始し、2004年、赤代武志とともに〈dot architects〉を設立。大阪・北加賀屋を拠点に、建築設計だけに留まらず、現場施工、アートプロジェクト、さまざまな企画にも関わる。京都芸術大学空間演出デザイン学科教授。
【編集後記】
本連載の第3回で「将来的に建築の使われ方が変わることを視野に入れる」というお話がありました。〈千鳥文化〉には、その「変化」がとても自由なリズムで起こっているのが印象的です。建築というと「長い間、同じようにそこにある」のだと思ってしまいますが、身軽に人が出入りし、時に手が入れられ、じわじわ変化するということも、人が交流する場所としての自然な姿であるように感じました。
変化が「じわじわ」であることは、時間を分断しないということでもあると思います。かつての何かを残すこと、今ある何かが残ることによるその場所の複雑さとユニークさ、そしてそこから生まれる未来の面白さを私たちはもっと想像していいのかもしれません。
(未来定番研究所 渡邉)
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case8| 〈千鳥文化〉ささやかな営みを残し、つなぎ、増殖させていく。
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