2025.07.21

「私なんか」を手放すために。脚本家・吉田恵里香さんに聞く「謙虚と遠慮」の捉え方。

「わきまえる」とは、物事の道理を理解していること。一方で、本来の意味とは異なる道理を強制するニュアンスで捉えられることもあり、「わきまえる」という概念自体を疑問視するような人も出てきました。普段のコミュニケーションにおいても「わきまえる」は悩ましいもので、謙虚でいようと思うばかりに身動きが取れなくなったり、積極的に動こうと思う姿勢が傲慢だと思われてしまうこともあります。「わきまえる」の解釈やバランスが難しい時代。だからこそ、F.I.N.編集部は改めて「わきまえるとはどういうことか」を今一度考えて、5年先の価値観を探っていきます。

 

今回お話を伺ったのは、ドラマ『恋せぬふたり』や『虎に翼』(NHK)などを手掛けた脚本家の吉田恵里香さん。現代の価値観に鋭く切り込み、「わきまえる」ことを求められる社会の圧力と向き合う作品を生み出してきました。「わきまえる」という言葉が使われる時、謙虚でいることや遠慮することが、いつの間にか自分の声を押し殺すことに繋がってしまうこともあります。謙虚と遠慮の境目はどこにあるのでしょうか。傲慢とされることを恐れずに声をあげるには、どうしたらいいのでしょうか。吉田さんのお話から、「わきまえる」という言葉の奥に潜むものを探ります。

 

(文:船橋麻貴/イラスト:高橋将貴)

Profile

吉田恵里香さん(よしだ・えりか)

1987年、神奈川県出身。日本大学高校・中学校から日大芸術学部に進む。テレビドラマ『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』(テレビ東京系)、『花のち晴れ〜花男 Next Season〜」(TBS系)、映画『ヒロイン失格』『センセイ君主』など、多くの作品で脚本を手掛ける。夜ドラ『恋せぬふたり』、連続テレビ小説『虎に翼』(NHK)では、ギャラクシー賞を受賞した。

X:@yorikoko

そこにいる人たちを物語から省かない

F.I.N.編集部

これまで吉田さんは、声をあげにくい問題や人々が抱える生きづらさを描いてこられました。なぜ、そういったことを描くのですか?

吉田さん

社会はどうしてもマジョリティー主体で作られてしまうところがあります。日本だけじゃなく、どこの国もそうだと思うんですけど、特にセクシャルマイノリティーの方や障害者の方とか、様々な立場の人が作品に登場することに「理由」を求められます。物語のなかに誰がいてもおかしくないはずなのに、省かれてしまうことが多い。そこに疑問と違和感があったんです。

F.I.N.編集部

そうした疑問や違和感は、脚本家になる前からあったのでしょうか?

吉田さん

ありましたね。私はいわゆるTSUTAYA世代で、レンタルビデオ全盛期の旧作10本1,000円みたいな時代に思春期を過ごしていて、海外ドラマをよく観ていました。『クローザー』や『ER緊急救命室』、『BONES -骨は語る-』、『CSI:科学捜査班』とか。海外ドラマって、いろいろな人種の人や障害を持った人たちが普通に登場するんですよね。こうした多様な世界に触れてきた経験が自分の価値観の土台になったんですけど、日本のドラマにはそういう人たちの描写が少ないんです。日本って島国だし、日本人ばかりなのでそうなるのは理解できるんですけど、実際日本にも多様な人がいるじゃないですか。だから、そこにいるはずの人たちを物語から省かないのは、私にとっては当たり前のことなんですよね。

F.I.N.編集部

日本に多様な背景を持つ人々を描いた作品が少ないのは、なぜだと思いますか?

吉田さん

多様な社会に、そこまで意識が向かないような世の中になっているからだと思います。そういう作品がないならないで誰も何も言わないし、逆に描けば描いたで多方面から批判がくるんです。作り手側としては、正直負荷がすごく大きい。配慮しなきゃいけないことも多いし、SNSでも賛否が出やすい。だからマジョリティー向けの作品を作る方がよっぽど楽なんです。

F.I.N.編集部

それでも、吉田さんがマイノリティーの方々を描くのはなぜですか?

吉田さん

無関心が一番怖いからです。私はエンターテインメントを作りたいと思っているんですが、時にはこれまでの価値観や社会のあり方を問うような作品が必要だと感じているんです。実際、無反応で終わるよりは、賛否があっても「こんなこと考えたことなかった」とか「気づかなかった」という声があった方が、私にとって作品を作る意味があると思っています。日本ではマジョリティーである自分たちの優位性に無自覚な人が多く、そうした無自覚な差別や偏見を問い続けていきたいんです。

F.I.N.編集部

社会のなかで見過ごされがちな存在を描くうえで、意識していることや大切にしていることはありますか?

吉田さん

一番気をつけているのは、当事者の心情や存在を作品の「スパイス」にしないこと。面白キャラとして描いたり、作品を彩るアクセントのように入れたり。ちょっとした「味付け」にするのではなく、あくまで当たり前に存在する人たちとして真摯に向き合いたいと思っています。

 

当事者の方を描くことは、ある意味「搾取」している部分があると思うので、その搾取が何かしらのプラスに繋がるようにしたい。当事者の方々に誤解を与えたり、傷つけたりしてしまうことは、できるだけ予見して取り除きたいという気持ちでやっています。

謙虚と遠慮、その先に潜むもの

F.I.N.編集部

今回の特集テーマは「わきまえるって、どういうこと?」です。吉田さんは「わきまえる」という言葉に、どんな印象をお持ちですか?

吉田さん

「わきまえる」という言葉自体、基本的に押し付ける側が使うものだと思うんです。普段、周囲に押し付けている人が、ちょっと自分が抑圧されそうになると「わきまえろ」と上から言う。すごく蔑視的な言葉だと感じます。だから、自分の意見を言うことが「謙虚じゃない」とか「わきまえていない」とされるのは、押し付ける側の傲慢だと思います。

F.I.N.編集部

「わきまえる」ことを強要されるがゆえ、意見を言いにくくなってしまうのですね。そうしたなかでも謙虚でいることも大事だと思いますが、遠慮しすぎると自分のやりたいことができなくなるような気もします……。そもそも、謙虚と遠慮ってどう違うのでしょうか?

吉田さん

遠慮と謙虚って、一見似ているように見えるけど全然違うものだと思ってます。一番大事なのは、それが本当に自分の意思でやっていることかどうか。「自分が謙虚でいたい」とか、「ここは一歩引いておこう」とか、自分で選んでやっているなら全然いいと思うんです。でも、他人に「謙虚でいなさい」「わきまえなさい」って言われてそうしているのなら、それはもう謙虚を押し付けられたがゆえの遠慮で、ただ従わせるための道具にされちゃっているんです。

 

私も謙虚でいることは大切だと思いますが、自分の意思をもとに制作チーム内ではしっかりと意見は言うようにしています。それは自分の作品に対して胸を張りたいし、いい作品にしたいから。謙虚と遠慮を混同して意見を言わないのは、違うことだと思っています。

F.I.N.編集部

謙虚でいることと、遠慮して意見を言わないことは切り離して考えた方がいいのですね。

吉田さん

そうです。意見を言うことが「謙虚じゃない」「わきまえていない」「傲慢だ」とされるのは、やっぱり違和感があるんですよね。ただ、例えば作品を評価していただいた場合に、「すべて自分の手柄だ」と思っていたらそれは傲慢です。作品はチームの皆で作るものなので、評価していただいたとしても私だけの力ではないし、チームの皆のおかげ。自分だけが優秀だとは思ったことがないですし、そういう意味での謙虚さは大切にしていきたいです。

F.I.N.編集部

「意見を言わなきゃよかった」と後悔することはないですか?

吉田さん

基本的には思わないですね。逆に、言わなかったことの方が記憶に残っていて、ずっと「あの時、ちゃんと言えばよかったな」と後悔します。新人の頃の仕事でも「もっと戦えばよかった」と思うことはありますけど、その時は新人で若かったから言えなかった。だから仕方ないとも思っています。結局、自分が納得してやった選択だったとは思うけど、それでもやっぱり覚えているんですよね。

F.I.N.編集部

言いたいことを言えずに後悔してしまうのって、やっぱり「謙虚でいなさい」とか「わきまえなさい」という空気があるからなのかもしれませんね。

吉田さん

そうですよね。周りから「わきまえろ」という空気を出されると、本当に意見が言いにくくなりますよね。特に「母親なんだから」とか「女性なんだから」と言われることは多い。そういう言葉って、すごく大きな引き出しにまとめられていて、都合よく引っ張り出される感じがするんですよね。「都合がいい」「操りやすい」「搾取しやすい」みたいに思われてるというか。本来、自分の役割はもっと一人ひとりが自由に選ぶべきことのはずなのに、社会が「こうあるべき」って決めつけて、それが「正しいこと」「美しいこと」と言われてしまうことで、人を縛る道具みたいになってしまう。それがすごく嫌なんです。

 

だから私は、作品の中でも、謙虚や遠慮、それから自己犠牲をあまりポジティブに描かないようにしています。

F.I.N.編集部

吉田さんがこれまで手掛けられた作品の中で、「女性だからこうあるべき」といった社会の圧力や、「わきまえる」ことへの疑問を描いたシーンや登場人物はありますか?

吉田さん

『虎に翼』の中で、女性弁護士として活躍する寅子が妊娠を打ち明けた時、信頼する恩師の穂高先生から「結婚した以上、子を産み、よき母になるのが務めだ」と言われるシーンがあります。

 

普段は寅子を応援してくれる穂高先生が、女性だからと家庭に入るべきだと諭すことに対して、後進の女性たちのためにも仕事を続ける覚悟を示す寅子は「私は、今、『私の話』をしているんです!」と強く言い返すんです。

吉田さん

あのセリフには、女性に謙虚や遠慮を強い、「わきまえなければならない」という空気が社会にはびこるなかで、自分の声を奪われないための強い意思を込めました。

 

穂高先生というキャラクターで描きたかったのは、普段は紳士的で優しい人のなかにも、無自覚な差別や偏見が潜んでいるということです。何気ない一言が人を傷つけることもある。そうした加害性や、無自覚な差別や偏見を描きたかったというのもあります。

「私なんか」を手放すために

F.I.N.編集部

謙虚なのか、遠慮なのか、「私なんか」という言葉をつい使ってしまう人も少なくないと思います。

吉田さん

「私なんか」と口に出すのは、ある意味「自分は踏みつけていい人間です」という合図になっちゃうと思うんです。私も自己肯定感が低い方ですし、「私なんか」と思う瞬間もあります。だけど、それを言葉に出すと「こいつは適当に扱っていい人間だ」と思う人が必ず一定数いるんですよね。だから、私は絶対に言わないようにしています。

F.I.N.編集部

「私なんか」を言わないようになったきっかけはありますか?

吉田さん

実際に、踏みつけられてきた人たちを見てきたというのはありますね。真面目で優しい人ほど「謙虚でいよう」と思って、つい「私なんか」と言っちゃうんですよね。でもその謙虚さは伝わらないことが多いんです。もちろん「謙虚で素敵だな」と思ってくれる人もいるけど、力を持っている人ほど「よし、教えてやろう」と出しゃばってきたり、悪意全開で人を見下してきたりする。だから、その合図を与えない。むしろ、「私めんどくさいですよ」ってオーラを出す方がいい気がします。

F.I.N.編集部

めんどくさいオーラは、どうやって出すのですか?

吉田さん

自分が傷つくような、しょうもない冗談を言われた時に、絶対に笑わないことです。「あはは」と軽く流してしまうと「この人は冗談を許す人」って思われてしまう。「今の面白くないですよ」というと「冗談なのに」って言われるし、変に言い返すと角が立つじゃないですか。だから、その場の空気が凍っても笑わない。真顔でぐっと堪えた後、学校の先生みたいに「じゃあ話を本題に戻しますね」と切り替えるんです。

F.I.N.編集部

嫌なことを言われても笑ってごまかさなかったり、意見を伝えるための声をあげたりするのは、やっぱり勇気がいることのような気がします。どうしたらできるようになりますか?

吉田さん

私はすごくシミュレーションします。言いたいことを言った時に、相手が最悪のリアクションをしてきたら自分はどうするかっていうのを考えるんです。この前も、タクシーで運転手さんに嫌な対応をされて、最初は我慢しようかと思ったんですけど、後ろに他のタクシーがいるのを見て「あなたが不快なので降ります」と言って降りました。あの時は、その日の残り8時間を気分よく過ごすために降りた方がいいと思って、そうすることを選びました。

 

だけど、声をあげられる人はあげればいいですし、無理にあげなくてもいいと思います。笑わないとか、黙っているとか、そういうことでも十分です。一番大事なのは、相手やその場の空気に流されないこと。流されてしまうと、自分は本当は傷ついている側なのに、他者からは「加害者」に見えることもある。だから、声をあげなくてもいいけれど、「流されない」ことが必要だと思っています。

F.I.N.編集部

「私なんか」と悩んでいる人に、どんな言葉を送りたいですか?

吉田さん

「私なんか」と思えている時点で、もう十分素晴らしいことだと思います。だから、そう思える謙虚な自分をどうか誇ってほしいです。

 

本来、変わらなきゃいけないのは、無自覚・無意識に「わきまえる」ことを強いる人たち。そういう人たちを一気に変えるのは簡単じゃない。だからこそ、「私なんか」という言葉で、自分自身を押し込めてほしくないんです。自分の意思を示したり、声をあげたりすることは、決してわがままでも傲慢でもありません。むしろ、そうすることが世の中を変えるきっかけになると信じています。

【編集後記】

今回のテーマがなければ、「わきまえる」という言葉についてしっかりと考えることはなかったかもしれません。これまでの暮らしの中で無意識に自分を押し込めてしまっていたのかも、と改めて気づかされました。

声をあげるのは怖いし、私自身、まだまだ前に出る自信はありません。ですが、吉田さんのお話から、「私なんか」と思うのはともかく、それを口にするのは避けたほうがいいと強く感じました。すぐに実践できるかはわかりませんが、このことは頭の片隅に置いておきたいと思います。

(未来定番研究所 榎)