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街の一角が変わると、その場で行われる営みが変わり、人々の流れが変わり、街自体が変わっていきます。そんな変化の真ん中にある空間や建物を紐解いていくと、未来の街並みが見えてくるかもしれません。この連載では、街の未来を変えるようなポテンシャルを持った場所を訪ね、そのデザインや企画を担当した建築家やディベロッパーがどのような未来を思い描いているのかを探っていきます。
1989年に竣工し、リニューアルのうえ2025年に全館オープンした〈横浜美術館〉。巨匠・丹下健三氏が手がけた重厚な建築はそのままに、〈乾久美子建築設計事務所〉と〈菊地敦己事務所〉のオリジナル什器やサイン計画などの空間構築とによってやわらかな場へとアップデートされました。その過程を乾久美子さんに伺いながら、公共建築の可能性を読み解いていきます。
(文:片桐絵都/サムネイルイラスト:SHOKO TAKAHASHI)
横浜美術館
用途:美術館
所在地:神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1
大規模改修竣工年:2024年
大規模改修工事 設計・監理:TANGE建築都市設計
オリジナル什器とサイン計画などによる空間構築:乾久美子建築設計事務所/菊地敦己事務所
カンバセーションが湧き起こる美術館へ
F.I.N.編集部
今回のリニューアルは、設備の改修と空間デザインの2段階で実施されたそうですね。どのような経緯があったのでしょうか?
乾さん
〈横浜美術館〉は丹下健三さんの後期の作品で、竣工から30年以上が経ち、空調機器の更新やエレベーターの新設などが必要になりました。なかでも大規模だったのが、メインスペースであるグランドギャラリーの天井にある可動ルーバーです。故障により長年使用できない状態になっていたため、改修工事を行うことになりました。こうした設備更新などは、丹下さんの息子さんが会長を務める〈TANGE建築都市設計〉が担当されました。
F.I.N.編集部
建物そのものにはほとんど手を加えていないそうですね。そこからどのように空間デザインへと展開していきましたか?
乾さん
これまで美術館には敷居の高いイメージがありましたが、国際博物館会議で博物館の新しい定義(※)が採択されるなど、近年では開かれた場として見直されてきています。そうした動きを踏まえ、館長と全スタッフが、改修後の施設はどういう空間になるべきかを協議し、「誰もが気軽に立ち寄り、思い思いに過ごせる場所」という方向性に決まりました。
そうした方向性と「建築そのものには手を加えず、現代のニーズに沿った空間に変える」という条件のもとでプロポーザルが行われ、私たちが空間構築を担当させていただくことになりました。
※2022年に改訂された博物館法では、「博物館は、有形及び無形の遺産を研究、収集、保存、解釈、展示する、社会のための非営利の常設機関である。博物館は一般に公開され、誰もが利用でき、包摂的であって、多様性と持続可能性を育む。倫理的かつ専門性をもってコミュニケーションを図り、コミュニティの参加とともに博物館は活動し、教育、愉しみ、省察と知識共有のための様々な経験を提供する」と定義されている。(文化庁WEBサイトより)
空間がリニューアルする前のグランドギャラリー。〈TANGE建築都市設計〉の設計・監理による大規模改修工事によって、天井の可動ルーバーが復活し、天窓から自然光が柔らかく差し込むようになった。(撮影:笠木靖之)
F.I.N.編集部
プロポーザルではどんな提案をされたのでしょうか?
乾さん
テーマは「カンバセーションが湧き起こる美術館」。従来の美術館には静かに鑑賞しなければいけないという空気がありました。もちろん今でも騒ぐと注意されることはありますが、これからの時代、もっと会話を楽しめる場にするべきだろうと。そこで、彫刻展示のための空間だったグランドギャラリーを、「じゆうエリア」という人々がくつろげるラウンジにつくり直す提案をしました。
もう1つ、重要なのがサイン計画です。美術館は貼り紙の多い場所。それだけ伝えたいことがたくさんあるということです。しかし設計側としては、ノイズになりそうな貼り紙は極力減らしたい。そこで、今回は貼り紙も含めてカンバセーションと捉え、空間の雰囲気を損なわない看板をあらかじめ設置することで、伝えたいことがきちんと掲示できる仕組みを考えました。
空間リニューアル後の〈横浜美術館〉。グランドギャラリーを中心とする、無料で訪れることのできる開放的な空間を「じゆうエリア」とした。(©morinakayasuaki)
館内には大中小3つのサイズの可動看板が設置されている。(©morinakayasuaki)
館外にも看板を設置。(©morinakayasuaki)
色で多様性を表現し、什器でくつろぎを生む
F.I.N.編集部
具体的にどのような形に落とし込んでいったのでしょうか?
乾さん
〈横浜美術館〉はバブル期を象徴するポストモダン建築です。御影石をふんだんに用いた荘厳な空間は、開館以来多くの来館者を魅了してきました。一方で、格式の高さゆえに少し身構えてしまう部分も。この印象をやわらげるため、ピンクやベージュなどの色を加えることにしました。
F.I.N.編集部
加える色の種類はどのように決めていきましたか?
乾さん
御影石をよく見ると、さまざまな色が埋め込まれていることがわかります。そこに着目し、この建築に使われている石から色を抽出して11色のオリジナルカラーを制作しています。それらを什器に割り当てることで、重厚な石の空間にマッチしながらもやさしい雰囲気が演出できるようにしました。
館内に使われている御影石から抽出した色。(提供:乾久美子建築設計事務所)
F.I.N.編集部
色を抽出するというアイデアは、どこから着想を得たのでしょうか?
乾さん
昔は色鉛筆に「肌色」という名前がありましたよね。これは私たち日本人の色をベースに名付けられたものですが、実際、肌の色は人種によってさまざまです。化粧品のファンデーションにも似た現象が起こっていて、日本の店頭だとバリエーションはさほど多くないのですが、欧米に行くと本当に多種多様な色が並んでいます。それがすごく面白いなと前々から思っていて。色のバリエーションに多様性が表れるファンデーションと、さまざまな色で構成されている御影石が、私の中でリンクしたんです。
F.I.N.編集部
色に加えて、什器の数が多いのも印象的です。
乾さん
プロポーザルの時から、什器はあればあるほどいいと考えていました。なぜなら、以前のグランドギャラリーは広々とした静かな空間で、滞在するためのとっかかりがなかったからです。人のいない空間に対して、気軽に使おうという気持ちは起こりにくいもの。多少雑多なくらいが、リラックスしたムードをつくりやすいんです。そうすると人が集まり、それを見た人がまた集まってくるという連鎖が生まれます。
F.I.N.編集部
什器のバリエーションはどのように決めたのでしょうか?
乾さん
まず、カンバセーションが湧き起こるためにはどんなアクティビティーが必要かを考えました。例えば、ラウンジとしてくつろいでもらうためには椅子やテーブル、クッションがいるだろうし、長く滞在してもらうためには本を貸し出せた方がいい。そうすると本棚も置かなければいけない。そんな風に、アクティビティーに紐づく什器を考えていきました。
リニューアルに際して〈乾久美子建築設計事務所〉が制作した什器一覧。(提供:乾久美子建築設計事務所)
美術館のコミュニケーションを、街にも派生させたい
F.I.N.編集部
そのほか、什器をデザインするうえでこだわったことはありますか?
乾さん
多様なアクティビティーを生み出すには、可変性が不可欠です。そこで什器は固定せず、床に置いただけの状態にしています。ただ、そうなるとぶつかって倒れるなどの事故が起こる可能性があるため、安全性の担保にはとくに気を配りました。
多くの学びを得たのが、障がい者や車椅子使用者、高齢者、親子など、多様な背景を持つ方々と行ったインクルーシブワークショップです。例えば、当初看板の脚の部分は別のデザインで設計していましたが、視覚障がいのある方から「白杖が当たって倒れる危険がある」とのご指摘をいただき、丸い板を付けたガニ股状の脚へと変更してぶつかりにくく、かつ、安定感のあるものへと変更しました。また、一般的なテーブルの高さは床から70cm程度ですが、電動車椅子の方は座位が高いことから、85cmのものも追加しました。さらに、「椅子から立ち上がるのがしんどい」という高齢者の声を受けて、手すりを備えた椅子も生まれました。
インクルーシブワークショップを経て開発された椅子。手を使って立ち上がることができるよう手すりをつけた。(© morinakayasuaki)
F.I.N.編集部
無事リニューアルを終え、2025年に全館オープンしましたが、美術館はどのように変わりましたか?
乾さん
グランドギャラリーにとどまる人が増え、空間の賑わいが増したと思います。また今回、ポルティコという半屋外スペースにもテーブルと椅子を配置したのですが、お弁当を食べる人の姿などが見られるようになってうれしいですね。今後は美術館前の広場にまではみ出して、街にもコミュニケーションが派生していけばいいなと思っています。来館者自身が好きな場所にテーブルと椅子を動かせるような仕組みをつくるのもいいかもしれません。
F.I.N.編集部
意外な使われ方などはありましたか?
乾さん
可動式も壁付けも含め、屋内外にたくさんの看板を設置したのですが、もっと欲しいという声をいただいたのはうれしい驚きでした。カンバセーションがしっかり湧き起こっているんだなと感じましたね。プロポーザルの段階では、事前予約なしで自由に参加できるドロップインワークショップも実施できたらと考えていたんです。当初は運営側の人員が足りず、実現が難しいという声もありましたが、美術館さんが日々模索してくださり、最近では「じゆうエリア」のまるまるラウンジで無料のイベントが開催されるなど、空間の活用の幅も広がってきています。
ポルティコ(半屋外スペース)にも館内と同じデザインの什器を設置している。(©morinakayasuaki)
他人といられる安心感こそ、実空間の意義
F.I.N.編集部
乾さんは、現代の都市における「コモンズ(共有材)」の可能性について研究されていますが、その知見は今回の空間づくりにも反映されていますか?
乾さん
そうですね。コモンズとはパブリックとプライベートの間にあるものを指し、豊かなコミュニケーションを誘発します。〈横浜美術館〉は公共の建築なので、パブリックそのものですよね。とはいえ、リラックスした雰囲気をつくって集客を図るには、なるべくプライベートに寄せていかなければいけない。そこで、来館者が空間づくりに参加していると感じられる要素を組み込むことで、正式なコモンズではないものの、「コモンズっぽさ」のようなものが生み出せればいいと考えました。
F.I.N.編集部
どういった要素があれば、空間づくりに参加していると思えるのでしょうか?
乾さん
「人がいる」ということが、風景として成立していることが重要だと思います。周りを見渡すと、たくさんの知らない人が佇み、本を読み、語らっている。その様子が1つの心地良い風景になっていれば、自分も同じ風景を形成する一員だと思えるのではないかと。今回、多様な居場所をつくることにこだわったのは、そのためでもあります。
乾さんが見つけたコモンズっぽい場所。ブラジル・サンパウロにあるパウロ・メンデス・ダ・ローシャ設計による文化施設。(提供:乾久美子)
F.I.N.編集部
「コモンズっぽさ」は、これからの公共建築のカギとなりそうですね。
乾さん
今の社会は、中間的な集団をつくるのがなかなか難しいと思うんです。もちろんソーシャルメディアでもつくれないことはないと思いますが、儚い関係性だったりして、長くは続かないことが多い。やっぱりそこには実空間が必要だと思います。
人と人が一緒にいていいと感じられる場があることで、中間的な結びつきが生まれていく。フードコートが楽しい、カフェだと仕事が捗るなど、他人といる方が安心できるという不思議な感覚は、どれだけテクノロジーが進化しても変わらないはずです。それこそが実空間の良さであり、言い換えれば、もはやそこにしか意義を見出せない時代になったのかもしれません。
中間的な集団にはいろんなグレードがあって、非常に緊密な結びつきから、ごく弱い結びつきまでさまざまです。強い結びつきが多いほど社会は安定しますが、それをいきなりつくるのは難しい。そのため、まずは弱い結びつきの数を増やして、育てていくことが大切です。その入口になるのが「人のいる風景」なのではないかなと思います。
乾 久美子さん(いぬい・くみこ)
1969年、大阪府生まれ。2000年に〈乾久美子建築設計事務所〉設立。2016年より横浜国立大学都市イノベーション学府・建築都市スクール(Y-GSA) 教授。代表作に、「延岡駅周辺整備プロジェクト 延岡市駅前複合施設 エンクロス」、「宮島口旅客ターミナル」、「京都市立芸術大学・京都市立美術工芸高等学校」(共同設計)など。
【編集後記】
30年以上使われた建築物の設備更新というタイミング、そして「博物館」の新しい定義が生まれたタイミング。その2つを経た現在の横浜美術館は、空間の機能、意味、価値が時代に合わせて見つめ直されたことを体感できる大事な場所になっていると感じます。
今回乾さんは、博物館に必要とされる「多様性」「コミュニケーション」を「空間づくりに参加している実感」「中間的な結びつき」を生む空間設計で体現されました。こうした場所になっていくことが、その他さまざまな建築空間にも今求められているのではないでしょうか。
(未来定番研究所 渡邉)
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未来場スコープ
case10| 〈横浜美術館〉人が参加したくなる場には何がある?
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