F.I.N.を運営する〈未来定番研究所〉は、2017年3月の設立以来、「5年先の未来定番生活を提案する」をテーマに探求を続けてきました。移り変わる社会の中で、何が受け継がれ、どんな価値観が次の時代に根づいていくのか。その問いに向き合い続けてきたからこそ、今改めて「定番」の姿に光を当てます。
時代を越えて信頼され、繰り返し選ばれてきた定番。かつては「みんなの当たり前」として存在してきましたが、生活スタイルや価値観の多様化により、その佇まいは少しずつ変わり始めています。それでもなお、繰り返し選ばれ、長く使われ、日々の中で育まれていくものは、確かに存在します。定番は、どのように生まれ、どう変化し、どこへ向かうのか。F.I.N.では、定番の正体を探りながら、その存在意義を見つめ直します。
今回お話を伺ったのは、社会デザイン研究者の三浦展さん。消費社会や都市生活の観点から新しい時代を予測してきた三浦さんが考える「消費行動の定番」とはどのようなものなのでしょうか。「これまでの定番」「現代の定番」「未来の定番」それぞれの特徴を聞きました。
(文:大芦実穂/イラスト:大津萌乃)
三浦 展(みうら・あつし)
1958年生まれ。1982年、一橋大学社会学部卒業。〈株式会社パルコ〉に入社し、マーケティング情報誌『アクロス』編集室に勤務。1986年同誌編集長を経て、1990年〈三菱総合研究所〉入社。1999年、〈カルチャースタディーズ研究所〉設立。消費、家族、若者、階層、都市などの研究を踏まえ、新しい時代を予測し、社会デザインを提案している。著書に『第四の消費』(朝日新書)、『日本人はこれから何を買うのか?』(光文社新書)、『下流社会』(光文社新書)、『毎日同じ服を着るのがおしゃれな時代』(光文社新書)など多数。
定番中の定番「ビールと枝豆」も、定番ではなくなった
定番とは、少なくとも2、30年以上は変わらないモノやコトを指すでしょう。どんなに一世を風靡しても、3年で終わってしまうようなものは定番とはいえません。洗剤の「アタック」、漂白剤の「キッチンハイター」は典型的な定番ですね。「キッチンハイター」なんて、名前を聞くだけでボトルの色や形を思い浮かべることができるのではないでしょうか。
定番品は、お店で迷わず選ぶものです。「ビールと枝豆」もその1つ。これさえ頼んでおけば注文に悩むこともない。その特徴は、いわば「タイパ」です。
ところが現代では、生活様式が変化し、商品のバリエーションも広がったので、消費者の選択肢が増えました。クラフトビールなどビールはもちろんアルコール、ソフトドリンクの種類もきわめて多様になった。だからビールも枝豆も定番ではなくなったのです。
現代の定番は、ユニクロか、古着か?
現代の定番の象徴は、〈ユニクロ〉。出張先で急にジャケットやワイシャツや下着が必要になった時、〈ユニクロ〉に行けば「考えないで済む」からです。しかし、私は時間に余裕があるし、考えないことが嫌いだから、仕事に合わせて服装を考える。コーディネートを1時間以上考えることもある。ジャケットをデパートで5万も出して買うことはもうしないけど、皆と同じ〈ユニクロ〉も嫌。だから、古着で探すんです。〈バーニーズ〉にしかなかったイタリアのブランドが安く買えますしね。最近はリユース市場への関心が高まっていますし、リユースという選択肢自体が新しい定番になったといえます。
いわゆる定番がなくなるような価値観の変化は、クライシスをきっかけに起きます。例えば戦争に負けたとか、金融危機が起きたとか。最近のクライシスといえば、やはりコロナ禍でしょう。
日本は戦後、貧しかったために物質主義の道を歩みます。しかし1970年代半ばから物質よりも心の豊かさを重視する人が増え、それは1990年代のバブル崩壊後も続きました。しかし、2020年代、コロナ禍と物価高で、また物質主義・金銭主義の傾向が強くなってきたんですね。しかもそれは若い世代ほど顕著で、欲しい物がまだたくさんあるし、貯金も投資もしたい。少し前まで重視されていた「生きがいややりがい、精神的な充実」よりも、「生活の安定、物理的な安心」が再び前面に出てきたということです。そういう時にどういう新しい定番ができるのか。物質主義は強まるが、だからこそ、心の癒やしのための新しい定番がたくさん生まれるのでしょう。景気後退した中国では、「ちいかわ」などの癒やし系キャラが大人気ですから。
未来の定番は、穏やかな日常の風景
私が高校生の頃はとにかく暇で暇で仕方がなかった。だって、テレビを観るかラジオを聴くかステレオで音楽を聴くくらいしかやることがないわけですから。それ以外の時間は、ただぼーっとするしかない。今は少しでも時間があればスマホで動画を観ているでしょう。その反動なのか、ただぼーっとすることに豊かさを感じる人も増えてきていると感じます。山登りやキャンプ、サウナなんかが人気になってきたのもその流れですよね。これからの時代は、お湯にゆっくり浸かったり、夕日を見て癒されたり、もっと穏やかな日常が定番化していくんじゃないかなと思います。
2020年に立川にできた〈GREEN SPRINGS〉という商業施設に、今年の2月に遊びに行ったら、なんとビオトープにサギが遊びにきていたんです。その様子を小さい子供たちがじっと見ている。これこそ街につくるべき定番の風景ですよね。デベロッパーでありキーマンの〈株式会社立飛ホールディングス〉の村山正道氏は、「100年後の地域のため」を合言葉に開発を進めたそうです。〈GREEN SPRINGS〉のような場所ができたのは、人々が癒しを超えた平和な状態、それも個人的な平和ではなく、社会全体の平和を求める動きが出てきているからだと思います。コロナ禍が終わったと思ったらすぐに戦争が始まって、実は皆、心を痛めているんですよね。でも、散歩して行ける距離にビオトープがあって、誰でも出入り自由だったら、なんだか少し救われるじゃないですか。今はコロナ以前の揺り戻しで物質主義が先行していますが、もう少し先の未来にはこうした平和的な風景を見ることが定番化していくのではないでしょうか。
【編集後記】
ラクに選べるもの、安いもの、平和を感じられるものなど、定番はそれ自体に「定番たる要素」があるように見えます。しかし反対側から見てみれば、実は私たち人間の「こう生きたい」と求める気持ちがただ表れたものが定番だといえるかもしれません。例えばこれからビオトープが定番化したとして、それは私たちが平和な場所を求めているからだ、と考えてみると想像以上にしっくりくる気がしました。
私たちが自らの暮らしに対して率直に感じていること、社会の一員として切実に願っていることは何か?という問いに答えるように定番も変わっていくのだと思います。
(未来定番研究所 渡邉)