2021.08.04

後篇|〈ホトリニテ〉に見る、寓話の世界を旅するかのような安らぎのツーリズム。

山梨県山梨市にある乙女湖の湖畔に佇む〈ホトリニテ〉。F.I.N.編集部では、人里離れたこの宿にこれからのツーリズムの兆しがあるのではと考え、前編では宿泊プランに組み込まれているネイチャーガイドに密着しました。

後編では、宿主・高村直喜さんへ、〈ホトリニテ〉が考える安らぎの正体について伺います。

ガイドも、宿も、すべて自分でやる。

F.I.N.編集部

今回ご案内いただいた場所以外にも、ネイチャーガイドのプランはいくつもあるかと思うのですが、普段はどのように提案されているのですか?

高村さん

その時期だったり、その日の天気だったり、お客さまの体調だったりとかを考慮して、一番ベストだと思う場所を提案させていただいてます。どうしましょうか?という感じで20項目から選んでいただいてます。

F.I.N.編集部

その20項目はどのように考えられたのですか?

高村さん

考えたというか、たまたま見つかったというのが近いです。1日1組限定とした時に、じゃあどんなコンテンツを提供する宿にしようかと考え、近辺の自然を案内してみようと。コロナ禍になったばかりの頃、時間ができたのでいろいろと探したんですね。例えば、地元の人に、「どこか富士山の見えるいい場所ってないですか?」と教えてもらったら、とんでもない場所だったんです。僕は山中湖でいろんな富士山を見たり、山に登ったりしてきたんですけど、圧倒的にそこがナンバーワンでした。

高村さん

それをきっかけに、いろんなところに車で行って自分で歩いてみました。「ここだったら1時間以内で帰って来れるし、お客さんも満足できるし安全だな」とか。あと、なんとなくグーグルマップで当たりをつけておき、近くに行ったらドローンを飛ばして見てみることもしました。この近辺が、素晴らしい自然や史跡が密集しているエリアであることが分かって、僕の中では物凄いものを手に入れたなって感覚です。

F.I.N.編集部

今回はその一部をご案内いただいたわけですね。できればあと何箇所か行ってみたい、もう少し時間があったら……と思いました。宿の準備もあるかと思うので高村さんだけでは難しいかと思うのですが、他にガイドを雇うなどは考えられていませんか?

高村さん

この場所に〈ホトリニテ〉をつくる前、僕ら夫婦は山中湖で同名の宿を営んでいました。一日10組くらいのお客さんがいらっしゃっていて、それを2人のみで対応していました。その時に、スタッフは絶対に雇わないって決めていたんですね。お客さんが喜んでくださったことを自分たちで味わいたい、全部の責任は自分たちで負いたいと思っていたんです。

高村さん

ですので、ネイチャーガイドも私ひとりでやりたいんです。〈ホトリニテ〉は、オープンから1年半位経ちましたが、やっと自分が思う形の10分の5くらいまで来たかなというところです。

初めは時間を決めないで、お客さんの時間の許す限りいろんなところにご案内していました。僕もおしゃべりなので、しゃしゃり出てしまったところもあったんですね(笑)。ですが、チェックアウトする時に疲れていそうなお客さんもいまして。ちゃんと休めて、自然も満喫していただける形を提供しなければと思い、今に至ります。

心地よい「おとぎ話」を紡ぐ。

F.I.N.編集部

高村さんが考える「安らぎ」について伺ってもいいですか? 我々、これからの「安らぎ」について考えてみたいなと思って〈ホトリニテ〉にやってきたのですが。

高村さん

お客さんが喜んでくれると非常に嬉しいのですが、安らぎをご提供できているかと言われると、僕は正直よくわからないんですよね。温泉宿だったらわかりやすいと思うんです。温泉に入り、おいしいものを食べ、ゆっくり休む……とかであれば、安らげる形だと思うんですけど。うちは宿としてそこに重きを置いていないんですよ。

F.I.N.編集部

インテリアや造りなど、宿の細部にとても凝ってらっしゃる印象を受けるので、意外です。

高村さん

この宿は妻と二人でやっているので、あくまで僕の意見として聞いてください。

自分は山中湖で宿をやる前はずっとDJをやっていて、美術館でパフォーマンスもやっていました。影響を受けた人が2人いるんです。1人はピナ・バウシュというコンテンポラリー・ダンサー。ダンスと演劇、それぞれ別だったものを融合した「タンツテアター」というジャンルを作った人なんです。それに重ねていうと、宿に泊まることとツアーは全く別ですよね? これらを別な次元のものにできたらいいなと思っているんです。

F.I.N.編集部

なるほど。実は、妙に不思議な感じがしていました。昼間、苔むした別世界を案内してくれていた人が、「お布団、敷いておきますね」とか、いつの間にか宿の主人になっていて。シームレスにつながっているというか、あまりない宿泊体験だなと。

高村さん

僕は「助走期間」と「体験期間」と「余韻」、この3つを大事にしているんです。まず助走期間は、メールのやりとりから、なんとなく僕が考えていることや宿の周りのことを分かっていただくフェーズ。体験期間はその言葉の通り、来てくださっていろんなことを体験する時間。そして余韻ですが、ネイチャーガイドで訪れた際に、希望があればドローンで撮影をするんですよ。家に帰った後に、自分が過ごした時間を客観的に見れるという形として。森の舞台の中に入っていき、お客さんが主人公になって帰るみたいな流れです。

F.I.N.編集部

ひとつのストーリーでつながっているんですね。演劇のように。

高村さん

影響を受けたもう1人はジョン・ケージという、「時間」をテーマにした曲を作るミュージシャンです。

F.I.N.編集部

ピアノの前にただ座って「無音」を音楽とした『4分33秒』が有名ですね。

高村さん

彼が作った、今までで一番最長の曲を知ってますか? なんと、639年なんですよ。『オルガン2/ASLSP』という曲です。廃墟になった教会にオルガンがあって、それが鐘と連動していて、以降は「何年の何時にこの音を鳴らしてくれ」と委ねる形。2001年からスタートして、最初に音が鳴ったのは17ヶ月後でした。そういう、「先の時間を想像する」ようなものを〈ホトリニテ〉では提供したいなと思っているんです。

ネイチャーガイドは20項目ありますが、実質、宿泊者は2つほどしか体験できません。でも、それ以外にまだまだあるじゃないですか。「次はあの岩場を見てみたいな」とか、想像力を持ち帰ってもらいたいなと思っています。

F.I.N.編集部

高村さんが所々で教えてくれる、他のガイド先の話、いちいち琴線をくすぐってきました(笑)。

高村さん

ホテルや宿を表す古い言葉に、「旅寓」というものがあるんです。寓話の「寓」の字が入ってるのですが、〈ホトリニテ〉もそうありたいなと。ここに来て、寓話の世界に入って「あれは何だったんだろうね」と思うぐらいの想像力を持って帰ってもらいたいと思ってるんです。

F.I.N.編集部

すごく腑に落ちます。さっき部屋で今日撮った写真を見ていたんですけれど、「こんな場所に本当にいたんだっけ?」と奇妙な感覚に襲われたんです。〈ホトリニテ〉の提供する安らぎって、おとぎ話の世界に踏み入れたような、そんな感覚のことなのかもしれないですね。

高村さん

そう言っていただけると嬉しいですね。先ほど「意外だ」とおっしゃっていた、宿に重きを置いていない話に戻ると、宿って、僕たち夫婦や建築家、しつらえを手がけてくれた作家などによる、「人」が作ったものじゃないですか。極端なことを言うと、他の動植物も含め「人」が一番優位であるという価値なんて、ほとんど意味がないと思っているんですよ。

宿は、今日見ていただいたような自然と出会うための「入り口」であればいい。だって、この宿は1億もあれば買えますが、樹齢千年の大木や苔とかが過ごしてきた時間や過程は1億出しても買えませんよね。その景色になるまで膨大な時間をかけて存在しているので。ですので、宿の機能うんぬんよりかは、「人間」だけの価値基準だけで測れない自然を感じてくださって、ゆっくり寝れる場所をご提供する、ぐらいでいいかなと思っています。

この世界に旅寓を作るには。

F.I.N.編集部

〈ホトリニテ〉のような場所は、他にも作ることはできると思いますか?

高村さん

例えば、海の近くに宿があって、近所の港町や洞窟を案内するとかはたぶんできると思うのですが、私たちの宿のように、ここが入り口になっていろんな場所に行けるというのは、なかなか難しい気がしますね。大手の宿とかでも、カヌーをやるとか、狩猟をやるとか、アクティビティは用意していますが、ちょっと突き抜けたものは見かけないですよね。〈ホトリニテ〉が優れているということではありません。周りの自然がすごいのと、山の途中にあっていろんな所に行ける立地に恵まれていたということです。私たちは狙ってそれをやったのではなく、宿を開いてみたらそれがあったという感覚です。

F.I.N.編集部

そうなんですね。山梨だけじゃなく、例えば東京でも実現が可能なのだろうかと思ったのですが。

高村さん

どのチャンネルに意識を合わせるか、じゃないでしょうか。例えば、今思いついたんですけど、ホームレスの方の寝ぐらに泊まらせてもらうのって、非日常的じゃないですか? 「あそこの公園にいる、あのホームレスの方のビニールシートの中に行きますか?」って言われた時、ちょっと行ってみたいかもってなりません? 僕だけかな(笑)。決して見世物的な感覚ではなくて、あの方たちの中には、深い話をする人たちもたくさんいると思うんですよね、仙人のように。実際に暮らしている場に行って、そんな方の話を聞いてみたいです。

だから、我々のような場所は、もしかしたらどこでも成り立つのかもしれません。

F.I.N.編集部

そういう、「突き抜けた」ツーリズムのアイデアを考えるのが高村さんなんですね。本日はありがとうございました。

宿を「入り口」と捉える高村さんの〈ホトリニテ〉は、いわゆる「癒し旅」を体現する宿とはまったく別の方向を向いていました。ハイスペックなことを誇示するのではなく、お客さまの想像力を働かせることに注力をする。すこし先の未来では、寓話的世界に浸かって安らぎを得られる旅寓が増えているかもしれません。

ホトリニテ

〒404-0007 山梨県山梨市牧丘町北原4139-1

http://hotorinite.com/

【編集後記】

寓話の森のネイチャー体験の後、切なげな鹿鳴が響く、深い山間の湖のホトリにて、焚き火を囲みながらお話をお伺いしました。高村さんが大切にされている「助走期間」と「体験期間」と「余韻」。訪れる前から想像をふくらませる時間は楽しいが、詰め込み過ぎると印象は薄れる。訪れた人達に、ただひたすらに喜んでもらおうとする高村ご夫妻の心遣いが、時間、空間、体験、おもてなしに溢れ、物語を語るように見事にコーディネイトされていました。極上のクラシック曲の中にたたずんでいるようです。

翌朝、何もする事がない時間、置いてあった「4分33秒の砂時計」を何度もひっくり返しながら、「余韻」というのはこういう事かと、必ず再訪したいという気持ちをお土産に宿を後にしました。

(未来定番研究所 出井)