未来定番サロンレポート
2021.08.19
人と会える機会が減っている時代の中、インターネットを介したコミュニケーションの時間がますます増えてきました。直接触れ合えなくとも、心地良く居られるコミュニケーションとはどのようなものでしょう? 今回はニューメディアアーティストの佐々木遊太さんのもとを尋ね、安らぎのある未来のデジタルコミュニケーションについてお話を伺います。
間違いがちなデジタルコミュニケーション
F.I.N.編集部
インターネットは、コミュニケーションへの飢餓感や孤独感を加速させる「寂しさの再生産」をもたらしたと言われることがあります。何が原因になるのでしょうか。
佐々木さん
コミュニケーションへの期待を裏切られることでしょうか。誰かのレスポンスを期待してtwitterを更新したのに書き込みがない時、Clubhouseを開いても誰もいない時。また、多くのSNSは「いいね」を獲得していく設計になっています。その結果が得られないとなると寂しくなってしまう。目の前にご飯があるのに食べられない状況と同じで、ツールを開いたのにコミュニケーションが成立しないことはストレスに繋がるように思います。
F.I.N.編集部
期待するコミュニケーションとミスマッチが起きる時、飢餓感が強まるんですね。
佐々木さん
ミスマッチという点では「適正数」の視点もあります。例えば近頃、潮が引いたと言われているClubhouse。私がこのメディアに感じていたポテンシャルは著名人に群がる大部屋ではなく、小さな井戸端会議がたくさんある状況でした。一時のブームが去ってユーザー数が減り、10人くらいの部屋が点在しているように見える今、個人的には期待していたコミュニケーションがとりやすくなったように思います。
人間が維持できる関係には限りがあるという理論※がある一方で、facebookや instagramでは無限にフォロワーを増殖することが、機能としてはできますよね。ここで、コミュニケーションツールとしては乖離が生まれているのかもしれません。50人までとは言わないまでも、ツールごとユーザーの用途ごとに、気持ちよく居られる適正人数があるはずです。PRや情報収集のためではなく、自然体で心地いいコミュニケーションを目的にするならば、フォロワー数はパワーであるという価値観から開放されたら楽ですね。
※ダンパー理論:「人間が円滑に安定して維持できる関係は150人程度まで、友達は50人程度まで」という考え。イギリスの人類学者が提唱したもので、大脳新皮質の大きさと群れの大きさの相関関係から人間が安定した社会関係を築くことができる数を研究したもの。
F.I.N.編集部
フォロワー数は問題視されがちな承認欲求の話にも繋がりそうです。
佐々木さん
人からどう思われるか比較する風土はしんどいなと思っていて。例えば僕自身、「SNSのプロフィールに学歴や肩書を掲載した方が、あなたのアクセシビリティが高まる」という指摘を受けたとき、難しい状況だなと。なぜなら、「何を書いたか」より「誰が書いたか」にウェイトのある空間が、ピンとこないからです。ちなみに僕は、SNSで匿名でのんびりつぶやいているのが、安らぎになっています。
無名性から生まれる、安らぎのコミュニケーション
F.I.N.編集部
一部では悪いイメージが付き纏ってきたインターネットの「無名性」ですが、むしろ肩書きの明記にも危険性は潜んでいるんですね。匿名のコミュニケーションに、安らぎの可能性が含まれているのでしょうか?
佐々木さん
作品制作のなかで、その手応えを感じています。人間はコミュニケーションにおいて何らかの目的を持とうとするもので、社会的役割が開示されていると立場が気になり、本来の自分ではいられなくなることもあると思います。リアルな場でいうと、例えば大衆浴場の心地よさのように、肩書きも年齢も関係のない場では、外国人から子供にお年寄りまでが同じテレビを見て笑い、各々が自由に過ごしています。そんな場所で人は安らげるものですし、デジタルコミュニケーションでも、そんな世界観を大切にしたいです。
F.I.N.編集部
ユーザー自身が、SNSやコミュニケーションツールの使用目的を、認識していくことが大切だと感じます。
佐々木さん
もしオンラインのコミュニケーションに安らぎを求めるなら、人に褒められることを目的にしない方がいいかもしれません。「いいね」されるかされないか、100か0かの評価軸に、一喜一憂し依存していくと疲れてしまいます。極端な話、コンピューターネットワークや、そこを行き来するデジタル情報は、私たちの生活とともにある電気信号ですからね。それくらいの距離感でいるのも手かもしれません。
佐々木さんが生む「実世界とデジタルの交差点」
F.I.N.編集部
問題点をいくつかお伺いした一方で、佐々木さんは温かいコミュニケーションの場となる作品を数々作られていますね。どのような制作方法でこれらの問題を解決してきましたか?
佐々木さん
僕は、技術ありきでなく、自分の思い描く状況、つまり「人々が笑い、和んでいるさま」を求めて制作してきました。人と直に触れ合える機会が減っている時代のなかで、理想の場を創るための要素を考えていくと、デジタル空間と実空間が、自然とオーバーラップしてきました。温かい場所を作ろうとする始点があり、その結果として自身のメディア表現が生まれています。
F.I.N.編集部
佐々木さんの作品の「ゴリ貝」※も、ゴリラのポスターというハードの要素があり、遠隔操作で実空間に作用できますね。
佐々木さん
“笑いのある和やかな場”を作りたいという思いから、専用のウェブブラウザ上にあるONボタンを押すと、ゴリラの目が光り、ほら貝の音が鳴る仕組みを思いつきました。挙手の代わりに使用すると、なかなか盛り上がるものです。おもしろかったのは、授業が終わってからも、ほら貝の音を何度も鳴り響かせる生徒さんがいらっしゃったことで、僕自身が和まされました。
F.I.N.編集部
「openSE」※というツールも、ラジオ放送などで、実際に使用されていましたね?
佐々木さん
「openSE」は、配信者に対して、聞き手が自由にレスポンスを発信できる装置。スタンプや打ち込んだ文字が、ユーモアのある音声として流れることで、配信者の実空間に介入することができるツールです。制作のきっかけはClubhouseのコミュニケーションでのとある疑問からでした。スピーカーとリスナーが極端に分かれる0か100かのコミュニケーションではなく、30~40くらいの「ぬるま湯」的なコミュニケーションのある世界観を目指しています。対面の場にある相槌や表情、間合いのような曖昧なコミュニケーションを、デジタル空間に導入したものです。
F.I.N.編集部
「ゴリ貝」も「openSE」も、実世界とデジタルが交差した面白いアイデアですね。さらに最新作の「Alive」※は、誰もがアクセスできるインターネット空間だとか。
佐々木さん
「Alive」は『自分が生きていて、あなたも生きていて、それでOK』という世界観です。これまで触れてきた「無名性とぬるま湯」「実世界への介入」を実感していただけるオープンな場所になっています。
改めて「無名性とぬるま湯」についてお話しすると、「Alive」には、話者と聞き手という0か100かのコミュニケーションはありません。さらにTwitterのような文字や画像という選択肢もありません。「Alive」では全員がマウスカーソルとなり、追いかけあい、逃げあい、整列したり…と互いに呼応しあうコミュニケーションが生まれます。属性は剥ぎ取られ、代わりにマウスカーソルの運動からその人の個性や性質が見えてくる。そんな最小単位の対話では、ささやかな幸福感が得られるように思います。ピタリとカーソルが重なりあった時には、握手のようなじんわりとした温かさがあって感動してしまうんです。かと思えば、出会ってすぐに近付かれると逃げたくなってしまう。すなわち、デジタル化された身体にも、コンフォートゾーンがあるようなのです。
F.I.N.編集部
誰もが属性を判断し合わない「無名性」のもとで行われる、プリミティブな非言語のコミュニケーションなんですね。
佐々木さん
さらに、コンピューターネットワークを介して実空間を共有する面白さもあります。PC上の操作が、僕のアトリエの実空間に投影されていますが、そこには手触りを錯覚させるような効果もあるらしいのです。マウスカーソルで雑巾の部分をなぞると布の感触がしたり、ホワイトボードの上ではツルツルに感じたり……。身体上の触覚は妨げられていますが、脳が勝手に過去の記憶を参照して感触を再現するのかもしれません。この、想像力に依存した五感の刺激には、デジタルの表現に新たな面白みをもたらす手応えを感じています。
F.I.N.編集部
未来のデジタルコミュニケーションではますます五感の介入度が高くなり、安らぎに繋がっていくのでしょうか?
佐々木さん
必ずしもそうとは言えません。やはり「どんな状況を生み出したいか」を思い描く始点が大切だと考えています。コロナ禍が訪れて、リアルをバーチャルに置き換える試みは様々に促されてきましたが、リアルにはかなわない側面もあると思っています。その意味で、五感の介入は安らぎのコミュニケーションを支える要素にはなりえますが、直結するわけではない。僕自身、リアルを模倣するためのデジタル情報ではなく、デジタル情報ならではの面白みや幸福感を探していきたいとと考えています。
安らぎのコミュニケーションと、遊び心
F.I.N.編集部
コミュニケーションの場になる作品を振り返り、共通項は何でしょうか?
佐々木さん
作り手として、どうしてもテクノロジーに「ユーモア」という表現を乗せてしまうところがあります。人間は辛いことや悲しいことがあっても、笑うとどうでもよくなってしまうように感じています。「ゴリ貝」なんかは部屋に1人でいるZoom越しの学生さんがふふっと笑う姿を想像して作ったものですし、僕自身、ふざけないと気が済まないところがあります。そのように、テクノロジーと表現が相まって初めて、安らぎや笑い、恐怖など人の心が動くものが生まれるのではないでしょうか。だからこそデジタル情報を用いた表現には可能性があり、インターネットやSNSでのコミュニケーションは、もっと心地よく、楽しくなっていくと思います。
F.I.N.編集部
「笑いに勝る良薬なし」という言葉もありますが、脳科学の視点からも“笑い”は幸福感に繋がりますね。私たちがよく使う「絵文字」も、佐々木さんのいう『テクノロジーに「ユーモア」という表現を乗せる』ことの一つかもしれません。
今日は、心地いいデジタルコミュニケーションのための、ユーザーとしての心構えと、未来への期待を感じさせていただきました。ありがとうございました。
佐々木遊太
ニューメディアアーティスト。日本科学未来館展示スタッフ、東京藝術大学COI拠点プロジェクト特任研究員、東京大学空間情報科学研究センター小林博樹研究室学術支援職員を経て、現在は東京大学大学院新領域創成科学研究科非常勤講師を務めると同時に、ささき製作所にて自主制作を行っている。作品「鈴木よしはる」でWIRED CREATIVE HACK AWARD 2016グランプリを受賞。「即席紙芝居」「ズームイン顔」で、第15・19回文化庁メディア芸術祭エンターテイメント部門審査委員会推薦作品選出。
【編集後記】
テクノロジーありきではなく、自身が求める「人々が笑い、和んでいるさま」を生み出すために、必要なテクノロジーを使うだけと仰る佐々木さん。その狙い通り、佐々木さんのツールに触れ、笑みが溢れる和やかな雰囲気での取材となりました。
リアルでのコミュニケーションの機会が減り、デジタルにシフトするなかで、それに疲弊する人も増えています。佐々木さんの遊び心を持った取組はそのような人たちにも魅力あるものになるのではないでしょうか。
(未来定番研究所 織田)
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