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2018.09.25

未来を仕掛ける日本全国の47人

26人目 広島県広島市 〈boulangerie deRien〉店主・田村陽至さん

毎週、F.I.N.編集部が1都道府県ずつ巡って、未来は世の中の定番になるかもしれない“もの”や“こと”、そしてそれを仕掛ける“人”を見つけていきます。今回向かったのは、広島県の広島市。オカズデザインの吉岡知子さんが教えてくれた、パン屋〈ブーランジェリー・ドリアン〉店主の田村陽至さんをご紹介します。

 

この連載企画にご登場いただく47名は、F.I.N.編集部が信頼する、各地にネットワークを持つ方々にご推薦いただき、選出しています。

古くて新しい作り方と働き方で、パン業界の”あたりまえ”を塗り替える人。

広島市で70年以上愛されるパン屋〈ブーランジェリー・ドリアン〉。店内に並ぶ、カンパーニュ、ブロンなどの4、5種類のシンプルなパンは、国産有機栽培の麦と自然発酵の種、昔ながらの薪の石窯で焼き上げられ、多くの人々を虜にしています。現在のスタイルになったのは、2014年のこと。三代目の田村さんは、ヨーロッパでの修行を経て、作り方、働き方、売り方をガラッと刷新したのだそう。推薦してくださった吉岡さんは、「ドリアンのパンを以前に友人からもらい、シンプルで滋味深い味わいが、強く印象に残りました。未来の可能性を感じるのは、朝から夜まで休みが無く、重労働であるパン屋のイメージを変えているところ。田村さんは早朝から働きますが、昼過ぎには仕事を休んでプライベートも大切にされています。会うといつも飄々とした穏やかなお人柄ながらブログの文章は熱く、同じ食に関わる人間としてたくさんのエネルギーをいただいています」と太鼓判。田村さんご本人にお話を伺ってみました。

F.I.N.編集部

田村さん、初めまして。

田村さん

こんにちは。

F.I.N.編集部

よろしくお願いします。パン屋さんはもともと家業だったそうですが、継がれる前は、パン屋で働くことにどんな印象をお持ちでしたか?

田村さん

パン屋は絶対にやりたくないと思っていました。大学を卒業して、半年だけは金沢のパン屋さんに修行に行ったのですが、実際にやってみて改めて、もういいかなと思って。それがまさかやることになるとは……(笑)。実際に継ぐことになる数週間前ですら想像していませんでした。

F.I.N.編集部

そうだったんですね。どうしてそこまでやりたくなかったんですか?

田村さん

例えば、蕎麦屋さんやお寿司屋さんだと、2代目、3代目と代が受け継がれるにつれ、より伝統と格式を感じるようになると思います。でも、パン屋にはあまりそれを感じないというか。もっと軽くて、ある意味ファッションのひとつのようにチャラチャラしているところが、あまり好きではなかった理由ですね。

F.I.N.編集部

パン屋を継ぎたくないが故、海外でお仕事をされていたこともあるそうですね(笑)。

田村さん

はい、逃亡の旅です(笑)。

カンパーニュ

F.I.N.編集部

パン屋を継ぐに至ったのは、どういう心境の変化があったんですか?

田村さん

パン屋が好きでなかったとはいえ、職人家業なので、ものづくりへの憧れがあったのだと思います。以前はモンゴルでガイド業をしていて、それは、お客さんと自然や遊牧民を繋げてあげる仕事でした。何人かに1人は、「あの人も良い仕事をしていたね」というくらいで、お客さんにとっての理想は、自分のことには気づかずに、遊牧民と仲良くなっているという形なので、できるだけ存在感を消すことを心がけていました。

ただ、自分の性格もあってか、もう少し自分を出していける仕事をしたいなとも思っていた中、たまたま大学の後輩のカメラマンと一緒に、沖縄で写真展をやる機会があったんです。自分は、モンゴルなどでお客さんが撮った写真を展示しただけなのですが、彼は、自分がアジアを旅して撮ってきた写真を展示していました。その写真展を訪れたお客さんの、彼の写真に見入る感じがすごく印象的で、それを見て、「自分の作ったもので、人が感動するっていいな」と思ってしまったんです。そして、その沖縄での写真展を終えて広島に帰ったその日に、両親から「店を辞めようと思っている」と言われました。

F.I.N.編集部

偶然のタイミングですね。

田村さん

そうなんです。経営的に厳しいという理由でした。その年は、“SARS”という鳥インフルエンザの影響で、モンゴルでの仕事も厳しかったこともあり、少し手伝ってみようかと思い、結果的に継ぐことになりました。一つでもそれらの要因が重なっていなかったら、やっていなかったと思います。

ブリオッシュ

F.I.N.編集部

どんな風にリニューアルを考えられたんですか?

田村さん

12月に両親からお店を辞めると言われ、そこからパンの種類を減らし、新たに薪釜を作ってリニューアルをしました。それが翌年の4月だったかな。最初はとにかく舐めていましたね。リニューアルをすれば、お客さんも来るだろうと思ったので、夏にはモンゴルに帰ろうと思っていました。

F.I.N.編集部

実際にオープンしてみていかがでしたか?

田村さん

オープンした月はお客さんの入りがものすごく多くて、「これはもう大丈夫だ」と思っていました。でも、そんなにお店が賑わっているにも関わらず、「お金が足りない」と言われたんです。パンはすべて売り切れているのに、従業員全員に給料を払えないというおかしな現象が起きていました。そこで改めてお金の面をしっかり確認してみると、確かに従業員を雇いすぎていました。オープン当初の盛況も一旦落ちつくと、さらに従業員に給料を支払うのが厳しくなり、手詰まりという状態に。そんな中、当然モンゴルに帰れるわけもなく、これはちょっと腰を据えてやらないとダメなのかなと思いましたね。

エポートル

F.I.N.編集部

なるほど。

田村さん

とはいえ、実際にオープンしてしまっていると、少しずつしか変えられないんですよね。菓子パンを減らし、食パンを減らし、バケットを減らし……と、少しずつパンの種類を減らし、スタッフも減らす、というところまでは取り組んだものの、やはり養うべきスタッフはそこそこいました。当時のスタッフは、長時間働いて、多くはない給料で頑張ってくれていたんですが、それに報いることができないんです。冬はパンがよく売れる季節なので、冬にみんなで頑張って、その利益で夏を乗り切る。そして、夏が終わった時にはプラスマイナスゼロになってしまっている、というのを何年か繰り返していました。世間的には人気店ということになっていて、利益も出ているのに、楽にならない、潤わないというのは、根本的に何かおかしいんじゃないかと感じていました。動きながらのマイナーチェンジではなく、1回リセットしないとダメかなと考えていた時に、ちょうどフランスのパン屋で働く日本人を探しているという話をもらい、ドリアンは一旦休業することになりました。

F.I.N.編集部

そこからヨーロッパをいろいろまわって修行をされるんですね。

田村さん

経営的なモヤモヤの中で行ったので、パンのレシピには興味がなく、ひたすら生活スタイルや働き方を盗もうと思っていました。ヨーロッパでは、どんなに忙しくてもご飯はゆっくり食べるし、すごい数のパンを焼くんだけど、上手に売って一つも捨てていなかったんですよね。一般の人たちの暮らしぶりを見ていても同じ。当時、ナントという町に滞在していたんですけど、町を歩いていたら、平日でもぶらぶらしている人がいっぱいいて、毎日が日本の祭日みたいな状態なんですよ。どうしてなんだろうなと思っていたところで、オーストリアのあるパン屋さんにたどり着き、「これだ」と思いました。

F.I.N.編集部

どんなお店だったんですか?

田村さん

1日、4、5時間しか働かないパン屋さんでした。4、5時間労働だと、「もうちょっとやりたいな」くらいで終わるので、楽しいんです。パン屋で働くことが面白いなと思ったのは、オーストリアのこのパン屋が初めてでした。帰りにどこかで食事をして帰ったりとか、美術館に寄ったりとか、毎日半分休みのような感じなので、街も賑わうわけですよね。それでいて材料は最高のものを使うということを貫いているので、パンは美味しい。みんな良いものを食べれているし、値段も安いし、店はすごく賑わっていて、もちろん儲かっている。みんなが良いんですよね。日本のパン屋さんは何も勝てていないなと痛感しました。

F.I.N.編集部

労働環境も良く、パンも美味しい……。まさに理想の形ですね。オーストリアのお店の仕組みを参考に、ドリアンのリニューアルも進められたんでしょうか?

田村さん

はい。大きな変化としては、パンの種類を減らし、材料を良くし、あとは冷蔵庫を使い始めました。

ブロン

F.I.N.編集部

冷蔵庫……! 使わないのが一般的なんですか?

田村さん

パン作りには、生地をこねて、その日に焼くパターンと、こねたものを冷蔵庫に入れておいて翌日に焼くパターンとがあります。その日に焼く方が美味しいんですが、それは、マニアの人にしかわからないような少しの味の違いであって、しかもその日に焼くというのはすごく大変な作業になるんです。冷蔵庫に入れて翌日に焼くことで、スタッフを1、2人減らせる。その分値段にも反映されてくるとなると、お客さんにとってはその方が良いのではと考えました。ヨーロッパに行く前の自分だったら、ストイックに、「いやいや、ちょっとでも美味しい方法を取らなきゃ」と考えていたと思うんですが、そこを妥協できるようになったのは大きな変化です。

F.I.N.編集部

そうなんですね。今では、”捨てないパン屋”と称され、廃棄を出さないお店としても有名ですが、販売の方法も帰国後のタイミングで変えられたんですか?

田村さん

今は、パンが売れ残ると移動販売の野菜屋さんや、レストランにお願いして販売をしています。そのためには、日持ちするものにするため、具をあまり入れないようにしました。また、お店の営業日を、週5日から週3日に変更しました。大きなカンパーニュを食べる人は、絶対数が少ないので、広島くらいの町だと、お店を毎日開けていっぱい焼いても、毎日完売するほど売れないと思うんですよね。あとは地方発送での定期購入を始めたりして、廃棄は出なくなりました。

F.I.N.編集部

工夫されているのですね。ご自身の労働時間もぐっと減ったかと思いますが、働き方を変えて、どんな良い変化がありましたか?

田村さん

心に余裕ができるので、夫婦仲が良くなりました。あとは、やっぱり長時間働いていると、少しずつ体や心に支障を来してくるんですが、自覚症状がないんですよ。休業前を振り返ると、あの頃ちょっとおかしかったんだなというのが分かってきたりして、今は本来の自分を取り戻せたように思います。

F.I.N.編集部

自分らしくいられるペースで働くというのは、一番大事なことかもしれませんね。よく田村さんは、パン屋作りの根底にある考え方として、「新しいものは、いつか必ず古くなる。古いものは、いつまでも古くならない」という言葉を使っておられますが、どんな意味が込められているんですか?

田村さん

音楽でも文学でも、古典的なものは今でも受け継がれているけれど、瞬間的に流行ったような音楽は、今は古ぼけて感じることがありますよね。とんがって、新しさを追求していくと、その時期を過ぎると急激に古くなっちゃうと思うんです。パン作りは、ヨーロッパの人が何千年の前から取り組んでいるもので、日本人が今更オリジナリティを発揮する場所はほぼない。自ら編み出すよりは、古いものをどんどん遡る方が、かえって良いのではないかと思っています。そういう部分で、ヨーロッパで培われてきた古典的な作り方、働き方に則ることが、長期的な目線で見ると良いと考えています。

F.I.N.編集部

なるほど、よく分かりました。パン屋さんの未来について、何お考えがあれば教えてください。

田村さん

いろんな人と関わっていると、自分たちと同じような動きを感じます。例えば、今26、27歳くらいの世代。ゆとり世代のど真ん中だと思うんですけど、変に型にはまったところがなく、すごく面白い世代になりそうだなと思っています。一昔前だったら、パン屋になりたければ、どこかの人気店で何年も修行するのが当たり前でしたが、彼らはちょっときになるお店を見学、研修して、あとは勝手に、ワーキングホリデーなどでヨーロッパを回って、向こうでいろいろパン屋さんを見て、帰ってきてすぐ起業してしまう。自分たち以上の世代は、日本の小麦ではパンは作れないということを習っている世代ですが、彼らはそもそも最初から海外の粉を使うことが眼中にない。別に向こうのパンと一緒にならなくてもいいじゃんみたいな。逆に、その肩の力が抜けた感じが、ヨーロッパっぽさを出していて、かっこいい。そういう意味では、先代たちが一生懸命本場の味を日本に提供しようと頑張っていたところから次の段階に行きつつあるのかな。うまく消化して嚙み砕き、日本独自、だけどヨーロッパっぽいのパン文化が生まれつつあると思います。

F.I.N.編集部

未来は明るそうですね。

田村さん

そうですね。若い世代は頼もしいと思います。

F.I.N.編集部

ありがとうございました。

boulangerie deRien(ブーランジェリー・ドリアン)

八丁堀店

広島県広島市中区八丁堀12-9 広島SYビル1階奥

TEL:082-224-6191

営業日:木曜、金曜、土曜

営業時間:12:00〜18:00

 

堀越セルフサービス店

広島県広島市南区堀越2-8-22

営業日:金曜、土曜

営業時間:8:00〜11:00

 

http://derien.jp/

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