地元の見る目を変えた47人。
2023.09.29
勝ち負けの今
観客にとっては見どころであり、選手にとってはモチベーションでもあるスポーツの勝ち負け。その一方で、オリンピックのアーバンスポーツで自分たちのパフォーマンスに焦点を当てる姿勢に注目が集まるなど、スポーツにおける勝負観にも変化がおきています。
選手たちが変わったのか?観戦者がスポーツに求めるものが変わったのか?あるいは、スポーツそのものが変わったのか?スポーツ文化論を研究する後藤光将教授を訪ね、4つのターニングポイントからスポーツの勝負観の変化を紐解きました。
(文:花沢亜衣)
後藤光将さん(ごとう・みつまさ)
明治大学政治経済学部教授。スポーツ史、スポーツ人類学、オリンピック教育が専門。日本財団ボランティア教育・研修プログラム検討委員として、東京2020オリパラ大会のボランティア用テキストや研修プログラムの作成に携わる。著書に、『オリンピック・パラリンピックを学ぶ』(岩波ジュニア新書、2020年)など。
スポーツのはじまりは、地域の小さなイベントだった
元来スポーツは、地域に土着し、儀礼的な側面を孕んだものでした。現代もお祭りで見られる神輿担ぎ、相撲、流鏑馬などもその例です。勝敗ではなく、純粋な楽しさや宗教的・儀礼的な目的が重視されるという、あくまでもローカルなイベントだったため、現代スポーツのような拡がりは見られませんでした。
近代になり、資本主義化が進むと、教育が制度化されます。スポーツにある社会性やチームプレーというのは教育とすごく相性がいいんです。教育と結びついたことで、スポーツは一気に拡大。取りまとめる組織が生まれ、共通ルールがつくられていきます。時を同じくして、1896年には近代オリンピックが復興。さらにメディアの発達により、スポーツは観る楽しみという価値も手に入れることになったのです。
そこから100年以上の年月を経るなかで、スポーツの勝負観は大きく変化を遂げていきます。今回は、私が考えるターニングポイントを4つ紹介します。
ターニングポイント1
1890年代|金・銀・銅メダルの誕生とメディアによる認知拡大
現代のスポーツ大会では、1位とともに2位、3位が表彰されるのが一般的ですが、もともとはチャンピオン(優勝者)のみが表彰され、称えられるのが通例でした。近代オリンピックが復興した1896年大会では、1位が銀メダル、2位が銅メダル、第2回のパリ大会(1900年)で銀、銀、銅となり、金銀銅の今のスタイルになったのは第3回大会のこと。さらに、それが一般に認知されるようになるのは、戦後になってからでした。
アスリートにとっては、やはり優勝こそが重要な意味を持ちます。かつてはチャンピオンとその他の敗者という構図で、1位と2位の価値の差は大きなものでした。そこから、金銀銅のメダルシステムが導入され、メディアの発達によりそれが広く認知されたことで、メダルを穫れたか穫れなかったかの差、すなわち3位と4位の差が大きく開いて見えるようになります。メダル至上主義がはじまったターニングポイントだったと考えられます。
ターニングポイント2
1970〜80年代|スポーツのプロ化が加速
1970年代に入ると、オリンピックだけでなく、FIFA ワールドカップをはじめとしたメガスポーツイベントが成熟し、それを契機にさまざまな競技のプロ化が進みます。スポーツ市場が飛躍的に成長すると同時に、観るスポーツとしての価値も求められるように。その結果、勝敗がより顕在化していきます。
アウトかセーフかを選手自らがジャッジするようなシーンも多いテニスの試合では、相手の頑張りを称えて、実際はアウトでも見逃してあげるようなことがあります。スローイングポイント(*)という言葉で表現されることもありますが、アマチュア時代にはそういう余裕がさまざまなスポーツに見られました。しかし、プロ化が進んだことにより、勝敗のジャッジがシビアになりアマチュア全盛の頃のスポーツの勝負観とはかなり違うものに変わっていきました。
さらに、プロ選手としては、勝利は賞金にも直結するため、勝負や試合が仕事的な意味を持つようになっていったのです。
*スローイングポイント・・・スポーツ選手が自らポイントを放棄すること。一般的にスポーツでは勝つために全力を尽くすことが求められますが、時に道徳・マナーの側面からポイントを放棄することが賞賛されることもあります。
ターニングポイント3
1990年代:オリンピック、ワールドカップが世界中に浸透
1990年代になるとオリンピック、FIFA ワールドカップの規模が増大。国際オリンピック委員会、国際サッカー連盟には、国連よりもはるかに多くの国が加盟するほどに。今や国際的な政治経済に大きな意味を持つイベントとして位置付けられるようになり、試合の勝敗が国家間の関係に影響を与えるようにもなっていきます。
1990年のイタリアワールドカップで、ベスト8で敗退したユーゴスラビア。この時、もし優勝していたら、1987年ワールドユース選手権(現在のU20ワールドカップ)優勝時のように再び団結でき、解体はなかったかもしれないという意見もあります。スポーツの勝ち負けが、国家の団結、そして国の未来を左右してしまうほどの意味合いを持つようになったということです。
スポーツの勝敗というのは、本来紙一重。試合の勝敗によって国の何かが決定的に変わるわけではありません。しかしながら、勝敗の結果によりまわり人の認識や気持ちが大きく変わるというのが、現代のスポーツの特徴と言えるでしょう。
ターニングポイント4
2000年代|オリパラ同時開催
勝利至上主義が行き着くところまで行った結果、ドーピングや八百長などの問題が噴出します。その反動から誰もが一緒に楽しめるスポーツ本来の姿に回帰していく流れもおきています。その一つの契機が、2000年にシドニーで開催された第11回パラリンピック競技大会で、国際オリンピック委員会と国際パラリンピック委員会が「オリンピック開催国は終了後にパラリンピックを開催する」などの基本事項に合意したことでした。以後、2004年のアテネ大会からオリンピックとパラリンピックの同時開催が制度化されました。
それまでバラバラに開催されていたオリンピックとパラリンピックが同時開催となったことで、障がい者スポーツ(パラスポーツ)の認知・理解が大きく広がりました。その結果、知的障がいのある人のスポーツの祭典「スペシャルオリンピックス」のように、順位だけでなく、それぞれの頑張りを称え合って全員を表彰するスポーツへの注目も高まっていきました。
また、東京2020オリンピック大会では、アーバンスポーツの選手たちが、自分のプレーに向き合い、お互いを称え合う姿が感動を呼びました。どちらも、それぞれが全力を出し合い、高め合い、楽しむというスポーツ本来の姿に近いものです。スポーツは勝負ではありますが、戦争ではありません。戦えば戦うほど仲良くなっていくものなんです。そうした本来のスポーツの価値が見直されてきているよい側面だと思います。
未来のターニングポイント
スポーツが課題解決の一助となる未来
現代スポーツでは、記録技術や分析技術がより高度になってきています。アスリートはこれまで同様、高いレベルでの勝負が求められるでしょう。一方で、アマチュアリズムの崩壊、勝利至上主義の良くない側面が顕在化したことで、今後はより高いレベルでの人間性や高潔性(インテグリティ)も求められていきます。スポーツインテグリティを高いレベルで保つことができれば、全てのアスリートが勝利のために全力を尽くすその過程に最大の価値が見出せます。そこにスポーツ本来の楽しみがあるのだと思います。
同時に現代のスポーツ界では、障がい者スポーツ、生涯スポーツ、ゆるスポーツなど、勝負以外のところに大きな価値を見出す分野も成長してきています。今年初めて世界大会が開催される「スポGOMI」など、環境問題に好影響を与えるスポーツもあります。今後は、スポーツに取り組むことによって、社会の課題が解決されるようなものも増えていくと思います。そうなるとスポーツの勝負観は、さらに多様に拡がっていくのではないでしょうか。
【編集後記】
東京オリンピックのスケートボード競技中に、選手たちがお互いのチャレンジを称えあう姿を画面越しに見て、とても感動したのを覚えています。まさに後藤先生が仰った、スポーツは「戦えば戦うほど仲良くなっていく」ことを表しているシーンであったと思います。また、ライバル同士だと思っていた選手たちが、国もメダルも関係なく、お互いをリスペクトし合う姿から、自分自身が今までスポーツを勝ち負けの側面だけでしか見ていなかったことに気づかされた瞬間でもありました。
「アスリートが勝利のために全力を尽くすその過程」こそがスポーツ最大の価値であり、その本質に気づくことは、アスリートやスポーツに携わる人だけでなく、見る側にもスポーツ本来の楽しさが広まっていくきっかけになるのかもしれません。これからのスポーツに対する価値観や社会的位置づけの変化が楽しみになるようなお話でした。
(未来定番研究所 岡田)
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