誰もが避けられない「老いる」こと。生物のなかでも人間だけが「老い」と向き合うといいます。
近年、「老い」にまつわる書籍を目にする機会や、年齢を問わず自身の「老い」について語る人が増えてきたように感じます。年齢を重ねることの意味づけや価値観が少しずつ変わりつつある一方で、「老い」とは何か、どう向き合うべきか、その輪郭をいまだ十分に掴めていないのも事実です。
「老い」そのものを知ることは、これからの暮らしを前向きに捉え直すきっかけになるのでしょうか。今回の特集では、年齢を重ねることと向き合う目利きたちとともに、「老い」の価値と可能性を探ります。
高齢者の意識調査などを通じて理想的なシニアライフを探究しているNPO 法人〈老いの工学研究所〉。2万人に近い会員へのアンケート調査やインタビューなどのフィールドワークで、高齢者が今「どのような環境で」「どのような考え方を持って」「どのように生きているのか」を丁寧にすくいあげています。代表を務める川口雅裕さんに現代の高齢者の姿を通して見えることを伺いました。
(文:末吉陽子/イラスト:Okuta)
川口雅裕さん(かわぐち・まさひろ)
1964年生まれ。京都大学教育学部卒。リクルートグループでおもに人事関連キャリアを歩み、退社後、2010年より高齢社会に関する研究活動を開始。現在、高齢者研究を行うNPOの理事長を務め、高齢期の暮らしに関する講演のほか、さまざまなメディアで連載・寄稿を行っている。著書に『年寄りは集まって住め~幸福長寿の新・方程式』(幻冬舎)、『なが生きしたけりゃ 居場所が9割』(みらいパブリッシング)、『老い上手 僧侶と高齢期の研究者が語り合ったこと』(家田荘子さんとの共著、PHP出版) などがある。
生活スタイルや価値観は多様。
4つの視点で見る現代高齢者
F.I.N.編集部
日本における高齢者の暮らしは、この数十年でどのように変化してきたのでしょうか?
川口さん
一番大きいのは、親が子、孫と一緒に住む、いわゆる三世代世帯の激減です。1980年に高齢者が住む世帯の約50%を占めていた三世代世帯は、2024年の統計で6.3%に減少しました。今や約70%の高齢者が1人または夫婦だけで暮らしています。
私は、これがいろいろな事柄に繋がっていると見ています。まず、高齢者が元気になったことが1つ。20代から60代の現役世代の体力は横ばいですが、高齢者だけが明らかに体力をつけ、見た目も若々しくなりました。
数十年前は「高齢者=ヨボヨボ」のイメージがありましたが、今ではそうした人はほとんど見かけません。90代でも健康で日常生活を自立して送る方が珍しくなくなりました。それは、三世代で暮らさなくなったことで、すべてを自分でこなす必要があるからだと思います。
昔はビンのふたが開かない時に誰かが手を貸してくれたり、「これが食べたい」と言えば用意してくれたりする人がいました。ところが今は、買い物に行き、料理を作り、片づけ、風呂を沸かして掃除まで自分でやらなければいけません。
そうした日々の動作すべてが、自然と体も頭も使うことに繋がっています。家族構成の劇的な変化が、高齢者を「自分の力で生きる存在」に変えた。これが、今の高齢者が元気になった最大の理由だと思います。
F.I.N.編集部
元気な高齢者が増加するなかで、生活スタイルや価値観に共通する傾向はありますか?
川口さん
高齢者の生活スタイルや価値観は、かなり多様なので共通点を見出すのは非常に難しいです。若い世代は考え方から健康状態まで、けっこう似ていますが、高齢者は体の状態、能力、経済状況、家族構成含めて、本当にバラバラなんです。よく考えてみると、65歳と90歳は同じ高齢者でくくられますが、親子ほどの差があります。
したがって、「高齢者の生活スタイルや価値観はこうだ」と共通点を探すのではなく、「どの角度から見れば、高齢者の実態が見えてくるのか」を考えてみたほうがよいです。そのときに持つべき視点は、4つあると思っています。
川口さん
まず、1つ目は「年を取れば誰にでも訪れること」です。老眼になったり、筋力が衰えたり、友人や配偶者を失ったり、これはどの時代でも全員に共通します。
2つ目は、「日本人として変わらない気質や行動原理」です。例えば、昔も今も私たちは空気を読み、そこにいる人たちの様子を見て判断します。「和をもって貴しとなす」という文化は、時代が変化しても、若者もお年寄りも変わりません。
3つ目は、「生きてきた時代」です。例えば90代は、戦後の貧しさを体験しています。家に米と味噌と醤油があるだけで幸せを感じた世代です。だから「もったいない」という感覚を強く持っているし、「贅沢は敵、あるいはみっともない」という価値観でおられる。一方で70代はバブル期の真っただなかを生きてきました。お金を自由に使えた世代で、物への感覚がまったく違います。若い頃にどんな時代を生きてきたかによって、老い方も変わります。
4つ目は、「世代を問わず、同じように影響を受けていることはなにか」という視点です。典型的なのはIT化ですね。もはや誰も避けて通ることはできません。地球温暖化のような環境問題も同じです。私たちは皆、この時代の変化のなかで同じように影響を受けています。「高齢者だから」ではなく、同じ時代を生きる1人の人間として、共通の課題として受け止め、対応していかなければならないことは何かという視点です。
満たすより、与える幸せへ。
老いて得る心の成熟
F.I.N.編集部
高齢者の皆さんは、介護や子育てを終えて、自分のために使える時間が増えている状態だと思います。どのような気持ちで社会と関わり合うケースが多いのでしょうか。
川口さん
自分のことはさておき、人の役に立ちたいという気持ちがすごく強いと思います。自己実現というのは、もう果たしたか、あるいは諦めたかのどちらかなんです。その次に出てくるのが「自己超越」という概念です。
「自分はもう十分わかったから、これからは若い人のために」「地域や次の世代のために」「子供や孫のために」といった思いに変わっていく。誰かの役に立ちたいという欲求はとても強いんです。そして、そういう欲求が満たされている方々は本当に幸せそうですよ。「ありがとう」といわれることが、何よりの喜びになっているんです。
川口さん
例えば、平均年齢80歳のバンドがあるんです。5人組で活動していて、老人介護施設をまわって慰問演奏をしている。もちろんギャラが出るわけでもなく、むしろ楽器を運ぶのにお金も手間もかかります。
でも、皆さん本当にうれしそうなんです。年に数回の演奏会を心から楽しみにしていて、「また呼ばれたよ」と笑顔で話してくださる。それがまさに「自己超越」に基づく幸福のカタチだと思います。
一方で、別のカタチで人生の充実を見出している方もいます。手芸、絵画、写真、書道、俳句などの創作に打ち込む人たちです。「もっと上手くなりたい」と努力を重ねる姿は、若い頃の自己実現とは少し違うけれど、もう一度、自分を育て直しているようにも見えます。自己実現を果たしたあとでも新しい道で再び挑戦する。そうした姿勢こそ、老いの豊かさを象徴しているのかもしれません。
F.I.N.編集部
年齢を重ねると、刺激的な物事ではなく、人への貢献や創作活動に惹かれるものなのですね。
川口さん
関心が自然と自分の内面に向かうようになるのかもしれません。若い頃のように「人に勝つ」「刺激を求める」というよりも、目の前の物をじっと見つめ、そこから何かを感じ取る時間が増える。散歩の途中で咲いている花に気づいて感動したり、風の音や陽の光に心を動かされたり、若い頃には見過ごしていたことに、深く気づくようになるんです。
努力ではどうにもならないことがあると悟ると、自然と手を合わせるようになり、感謝の気持ちが湧いてくるんですね。身近なものに感謝できるようになり、自然や他者に対して畏敬の念を抱くようになるのだと思います。
AI時代に可能性が広がる、高齢者の働き方
F.I.N.編集部
高齢者の仕事についても伺いたいと思います。いわゆる生活のために働く「ライスワーク」と、生きがいのための「ライフワーク」がありますが、高齢者がそれぞれを実践するうえで、どのような壁があるとお考えでしょうか。
川口さん
ライスワークとライフワークのどちらを実践するにしても、まず、大きな壁になるのは日本企業の処遇制度です。
日本企業の就業規則には「会社の命令による異動を拒めない」と書かれていて、そのトレードオフとして解雇しない約束となっています。つまり、社員は会社の人事権に従うことを前提に守られているわけです。
結果として評価されるのは、どんな異動にも対応できる「汎用性のある人材」です。逆に「この仕事がしたい」「ここまでしかやりたくない」という人は扱いづらい存在になります。
ということは、日本企業に勤める会社員は、ほとんどの場合、自分の得意を生かしたり、本当にやりたいことに挑戦したりする機会がないまま、30年から40年をやり過ごしているわけです。そうやって自分の専門性や好きを見つける機会を失ったまま、定年を迎える人が多いのが現実です。
ですから、「さあ自由に働いて」といわれても、何をすればいいのかわからず、戸惑ってしまいます。これは個人の問題ではなく、日本の制度的な問題だと思います。
ちなみに、ヨーロッパでは考え方がまったく違います。若い頃から職務給制度で、「あなたは何をしたいのか」「何ができるのか」と会社に問われます。自己主張しないと仕事が回ってこないわけです。だから、若いときから「自分の軸」を意識して働きます。そういう人たちは定年を迎えても、得意分野で仕事を続けられるんです。
では、どうするべきか。1つのアイデアとしては、65歳で定年だとしたら、60歳からの5年間を訓練期間とし、次のステージでどう社会と関わるかを準備する時間を設けることです。こうした工夫が、本当の意味での人生100年時代への適応に繋がるのだと思います。
F.I.N.編集部
今の高齢者は体力も知的能力も高く、もっと仕事ができそうに感じます。ただ、マッチングがうまくいっていない印象もあります。
川口さん
問題はマッチングそのものよりも、「高齢者像の設定間違い」だと思います。誰が定義しているのかわかりませんが、国や行政の想定する高齢者像が古いんです。
たしかに、記憶力や情報処理力など、いわゆる受験で必要な能力は衰えます。しかし、人を見て気持ちを察する力、相手が何を求めているかを感じ取るセンスは、年を重ねた人のほうがずっと優れていると思います。人と関わる仕事では、その力こそ武器になります。
最近、私もAIを使うようになって感じるんですが、これからは「情報処理能力の高さ」よりも「感じ取る力」「表現力」「洞察力」「知恵」が求められるようになります。AIに置き換えられないのは、まさに高齢者が持っている人間的な力です。そうした力が再評価されれば、高齢者の働く場はもっと広がるはずです。
私は、AIの時代こそ高齢者の出番が増えると期待しています。高齢者の能力をしっかり棚卸しする。どこが衰え、どこは衰えないのかを整理すれば、まだまだ生かせるスキルはたくさんあると考えています。
「老い」は重荷ではなく、社会の力になる
F.I.N.編集部
少子高齢化が進むなかで、「老い」を重荷だと感じる風潮もあります。私たちはこれから「老い」をどのように受け止めていけばいいでしょうか。
川口さん
まず、「老い」を重荷だと感じる風潮については、メディアの影響が大きいと思います。実際に老害と呼ばれるような人はいますし、貧困の問題もあります。でも、それは高齢者全体の一部です。メディアは刺激的な事例を探し出してきて、あたかもそれが高齢者全体の問題であるかのように描いてしまう。その報じ方には違和感がありますね。
たしかに、社会保障が高齢者に偏っている実態は否めません。しかし、それは制度設計の問題であって、高齢化や高齢者の存在を問題にするのは筋違いだと思います。
「老い」を受け止めるためにも、本当に必要なのは、冷静で客観的な議論です。そのために必要なのは、「老い=社会の資源」として捉え直す視点を持つことだと思います。まだまだ社会に貢献できる人たちがたくさんいますし、若い世代よりも優れている部分もある。どこにその強みがあるのかを丁寧に見つめ、制度や仕組みを組み立て直していくことが大切です。
「老い」を否定するのではなく、生かす方向に社会全体の意識を変えていく。その努力が、これからの日本には求められていると思います。
【編集後記】
川口さんのお話から、今の高齢者の方の実態や老いとの向き合い方の課題、これから向かっていけるかもしれない社会の在り方について、さまざまな視点を得ることができました。高齢者という言葉の印象に引っ張られて、今の高齢者の方が持っている可能性を見過ごしてしまうのは、本人にとってもその周囲にとっても、もったいないことだと思います。まずは私自身が既存のイメージにとらわれずに、高齢者の方一人ひとりができること、必要なことに目を向けられるようになりたいと思いました。
(未来定番研究所 高林)