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食、住まい、交通……。私たちの文化や習慣、暮らしの定番は、外国の方から見たら面白く、未来につながるポイントが多くあるようです。この連載では、そんな人たちが見つけ出した「未来の種」にフォーカス。「Seeds of Japan’s future(日本の未来の種)」と題し、日本で働いたり、暮らしたりしている外国出身の目利きに話を伺い、私たちが見えていない・気づいていない日本の魅力を新たに発見していきます。
第4回は、中国・北京出身のお笑い芸人・いぜんさんがご登場。現在は東京大学の大学院生として核融合の研究を行いながら、テレビ番組やSNSなどで活躍しています。芸歴4年目、日本のお笑いの世界に挑戦することで見つけたものとは。
(文:船橋麻貴/写真:嶋崎征弘)
いぜんさん
1998年中国・北京生まれ。中国の超難関高校を卒業後、東京都立大学理学部に留学。吉本興業の養成所NSC東京校に27期生として入学し、2022年にデビュー。現在はピン芸人として活動しつつ、東京大学の大学院生として核融合の研究をしている。
未来の種①
誰でも挑戦できる、日本のお笑いの間口の広さ
日本のお笑いに出会ったのは高校時代。きっかけはアイドルグループの「嵐」でした。最初はただのファンでしたが、中国で放送されていた彼らのバラエティ番組を見るうちに、そこに出演している芸人さんたちの存在がどんどん気になるようになりました。とくに影響を受けたのは森三中さん。ふんどし姿で駆け回り、クールな松本潤さんまでもが大笑いしている。そんな場面は、中国では見たことがありませんでした。年齢も立場も超えて全員が全力で笑いをつくる。その世界と自由さに衝撃を受けたんです。
中国にも日本の漫才に似た伝統的な話芸「相声(そうせい)」がありますが、師匠に弟子入りしなければいけません。芸人の養成所も、「M-1グランプリ」や「R-1グランプリ」のような全国規模の賞レースもなく、誰でもお笑いの世界に挑戦できるわけではない。しかも、女性芸人もほとんどいないので、私が中国でお笑いをやるのはハードルがとても高いんです。
そんな環境から見ると、日本はまるで別世界でした。「M-1グランプリ」や「R-1グランプリ」のように、学生でも会社員でも主婦でも「やりたい」と思った人が誰でもエントリーできる舞台があります。この間口の広さこそが、日本のお笑いの魅力だと思いますし、私はそこに強く惹かれました。「もしかすると日本でなら、芸人になれるかもしれない」。そう思って高校卒業後、日本への留学を決めました。
未来の種②
失敗も孤独もネタに変える、日本ならではの環境
そう意気込んでいたんですが、来日してすぐ、大きな失敗をしてしまいました。吉本興業の芸人養成所の面接会場に行くつもりが、なぜか某人気ラーメン店の行列に並んでいたんです……。今なら笑い話ですが、当時は「終わった……」と本気で絶望しました。
大学生活でも、お笑い好きの留学生はほとんどいないし、けっこう孤独を感じてました。それでもやっぱりお笑いの道を諦めきれず、別の芸能事務所の養成所に入学しました。同期は15人ほど。週末だけの授業で、日本語もネタも必死で覚えました。授業後に同期が「今日はここが面白かったよ」とフィードバックをくれる。仲間たちに囲まれて過ごす時間は、私にとって日本語学校のようでもありました。
ただ、ネタづくりでは文化の壁に何度もぶつかりました。例えば中国では誰もが知っている「旧正月」や「中秋節」も、日本ではピンと来ない人が多い。フリや背景をどう説明するか。お客さんの笑いにつなげる作業は簡単ではありませんでした。
しかも最近、ショッキングな出来事が起きたんです。ずっと書きためていたネタ帳を家事代行サービスの方に誤って捨てられてしまって……。前半はネタ帳、後半は大学の勉強ノートとして使っていた、私が日本で頑張ってきた大切な証。あまりにも悲しくて芸人の先輩・千鳥の大悟さんに泣きながら話したら、「芸人なんだから笑いに変えるしかない」と言われ、ハッとしたんです。「しょうがない」「ここまで来たから大丈夫」と励ましてくれるかと思っていたので(笑)。でも、それこそプロの考え方ですし、「これもネタにしてやる」と前向きになれた。こうした経験からも日本のお笑いには、失敗や孤独を笑いに変え、挑戦を続けられる環境があると感じています。
捨てられてしまったネタ帳。ネタがぎっしりと書かれている/写真:いぜんさん提供
未来の種③
文化の違いを掛け合わせた、新しい笑いのかたち
最初は「外国人キャラ」に頼らず、純粋にネタの力で勝負したいと思っていました。言葉も発音も完璧にして、日本人と同じ土俵で戦いたかったんです。だけど、芸人の先輩から「見た瞬間に伝わる設定は強い武器になる」と言われ、チャイナドレスや片言ツッコミを試してみました。その結果、お客さんの反応は想像以上。そこから少しずつ、自分の武器として育てていきました。
今では、舞台・テレビ・SNSでそれぞれ見せ方を変えています。テレビではキャラを強調し、賞レースではテンポや技術を重視。SNSでは、短くて強く印象に残る構成を意識しています。
日本人と中国人では笑いのツボが違います。母国の言語や文化をネタのなかに混ぜると、お客さんは意味を理解しようと集中し、笑う余裕がなくなることがあります。だから私は、中国で通じるネタを日本仕様にアレンジしたり、日本の漫才を中国風に変えてみたりして、両方の感覚を掛け合わせて新しいかたちの笑いをつくりたい。それで今は、文化の差を無理に埋めるのではなく、異なる文化を楽しめるようなネタづくりに挑戦しています。
中国では、緑色は「浮気」、赤色は「幸運」や「人気」などを表すそう。いぜんさんは、こうした文化の違いをネタに落とし込んでいる
未来の種④
「中国代表」ではなく、ひとりの芸人として
テレビやYouTubeの番組に出させてもらう機会が増えるにつれ、中国に関するニュースや出来事と結びつけられ、SNSで直接意見が送られてくることも増えました。なかには誹謗中傷もあります。そうした現実との向き合い方はこの先も考えていかないとと思いますが、私が望むのは「中国代表」ではなく、「ひとりの芸人」として見てもらうこと。
そのためは、もっと日本の文化や社会の構造を理解し、日常の感覚を自分の中に染み込ませる必要があります。だから大学院卒業後は、日本の企業で働くことにしたんです。社会人としての経験やあるあるをネタに落とし込めれば、もっともっと笑いを届けられるはず。
来年からは芸人と社会人の二足のわらじを履くことになりますが、目標はラジオの冠番組を持つこと。見た目や衣装に頼らず、言葉だけで笑いを届けたいんです。国境も言葉の壁も偏見もなく、ひとりの芸人として多様な人が互いの違いを笑い合えたらいいなと思ってます。
まだまだ芸歴4年目の若手ですが、日本のお笑いが持つ多様な魅力をもっと世界にも知ってほしい。漫才やコント、一発ギャグといった幅広いスタイル、コンビやトリオ、ピン芸人など形の自由さ、関東と関西で異なる笑いの文化。こうした多彩さは、世界でも珍しい財産です。あと、お笑いを全力で楽しみ、盛り上がれる国民性も魅力です。そんな土壌があるし、この先日本のお笑いは国境を越えて愛される存在になる。そう信じて私も芸人として頑張っていきたいです。
【編集後記】
いぜんさんが日本のお笑いの場で、表には出さずになんらかの苦労はされていると想像できるのですが、それ以上に、誰でも分け隔てなく実際に挑戦できることや、柔軟に分析をしながら環境をポジティブに、客観的に考えておられる姿がとても素敵だと感じました。日本はエンタメの発展が早く、漫才やコント、ピン芸、誰でも参加できる賞レースが環境としてあるのがいいというお話も、これまで観客として享受しているだけでしたが、お笑いにおいての多様性の視点として発見でした。日本で暮らしてみてお気に入りの場所を伺うと、青森や金沢とのこと。落ち着いた雰囲気がお好きだそうです。
(未来定番研究所 内野)
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Seeds of Japan’s future
第4回| 日本のお笑いは、国境を超えて世界で愛されていく。芸人のいぜんさん。
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