2024.07.01

モヤモヤ

古舘理沙さんが考えるモヤモヤの向こう側。

最近のF.I.N.編集部が大切にしている、考えを熟成するための「モヤモヤ」する時間。「モヤモヤ」と一口に言っても、日常でふと感じる違和感だったり、課題が整理できていない状態だったり、自分や誰かのモヤモヤであったりと、その種類はさまざまです。ポジティブに捉える人もいれば、そうでない人もいるかもしれません。この特集では「モヤモヤって何?」という問いを出発点に、時代の目利きたちと5年先の未来を探っていきます。

 

今回ご登場いただくのは、講談師の神田伯山さんのマネジメントや、YouTubeチャンネルの制作・プロデュースなどを手がける古舘理沙さん。マネージャーとして、経営者として、そして妻として、日々の中で出会うモヤモヤとは? 最近、気になったモヤモヤをひも解きながら、モヤモヤとどう向き合っているのかをお聞きしました。

 

(文:花沢亜衣/イラスト:金井冬樹/デザイン:佐藤豊)

Profile

古舘理沙さん(ふるたち・りさ)

〈冬夏〉代表取締役社長。1981年兵庫県生まれ。国際基督教大学卒業。〈リクルート〉にて営業職を半年務め転職。雑誌『VOGUE』『GQ』日本版の編集者などを経て、落語に魅せられ2010年に「寄席演芸興行 いたちや」を創業。現在は講談師・神田伯山のマネジメントや、YouTubeチャンネル「神田伯山ティービィー」の制作・プロデュースなどを手がける。同チャンネルは2019年度のギャラクシー賞テレビ部門フロンティア賞を受賞。

Q:最近、何にモヤモヤしていますか?

A:「◯◯の妻」と称されることにモヤモヤしています。

私の場合、モヤモヤし続けていることって実はあまりないんですよね。モヤモヤとは、何か引っかかるものがあるけど原因が言語化できない状態。なので、言語化できればある程度は解消されると思います。私はモヤモヤしている状態に耐えられず、なぜモヤモヤするのか原因を言語化してしまうことが多いです。

そんなふうに都度モヤモヤを解消してきた私が、最近モヤモヤしていることは「◯◯の妻」です。夫が講談師の神田伯山としてメディアに出ているため、「神田伯山さんの奥さん」と言われることがよくあります。私には自分で築いてきた人生があるのに、結婚した人がたまたま有名になったというだけで、「有名人の妻」と称されてしまうことにモヤモヤします。

自分のことだけでなく「◯◯の妻」と言われている女性たちを見ても勝手にモヤモヤしています。例えば、元バスケットボール選手の大谷真美子さん。選手としてのキャリアがあり、その活躍も素晴らしいものだったのに、今は「大谷翔平の素敵な奥さん」という面だけを取り上げられています。反対に、「◯◯の夫」のように男性側が隠される事例ってあまり聞かないですよね。どうして女性たちの人生は隠されてしまうのか……と報道を見るたびにモヤモヤしています。

Q:どうしてモヤモヤが生まれるのでしょうか?

A:怒りや疑問を押し込めることでモヤモヤが生まれるのだと思います

日本史上初めて法曹の世界に飛び込んだ1人の女性の生涯を描いた朝ドラ『虎に翼』にハマっているのですが、家庭内を支える優秀なお母さんが「妻という無能力者」と扱われている様子や女性たちの抑圧された状況を見た主人公の寅子が、「はて?」と疑問を示すシーンがあります。この「はて?」という口癖は、彼女がモヤモヤしたときに出る言葉なのでしょう。私も寅子と一緒にモヤモヤしながら観ています。

以前、夫に「モヤモヤすることはある?」とたずねてみたことがあるんです。すると、うちの夫は「俺はそういうときは当人に直接怒るからモヤっとしない」と言っていました。立場のある男性が怒ると「それは大変だ」と周りの人が理解を示すのに、女性が怒りを表すと「ヒステリーだ」とか「生理前だ」とか言われてしまう。抑圧された状況にいる人が怒りや疑問を押し込めることでモヤモヤが生まれるのかもしれないなと気がついたんです。

Q:モヤモヤにどう向き合えばいいのでしょうか?

A:モヤモヤすることは、相手に直接伝えていいと思います。

『虎に翼』の寅子もそうだったように、モヤモヤの理由を考えたり、解決しようと行動したりすることは、面倒だし傷つくこともあります。モヤモヤには、自分の努力で変えられないようなものも多く、社会のシステムに歓迎されていなんじゃないかと思って悲しいし、絶望すら感じてしまう。

では、どうやってモヤモヤを解消するか。1つは、「わたしはモヤモヤしています」と相手に伝えることです。私は日常のモヤモヤを匿名で相談できるネット掲示板『発言小町』をよく見るのですが、そこで見かける悩みは「直接言えばいいじゃん」と思うものばかりです。多くの場合、『発言小町』やSNSで見ず知らずの人にはモヤモヤを吐き出せるのに、目の前にいる人には言えないんですよね。親しくなればなるほど、わかってくれるだろうと思ってしまい直接言わなくなってしまう。

だけど、直接伝えることで晴れるモヤモヤもあると思います。怒りは怒りとして相手に伝え、怒らせてしまった、傷つけてしまったと相手に知ってもらうことも大事なことです。

例えば、先日、自動車教習所に通っていたのですが、おじさん教官に「免許が取れたら、おうちの車で旦那さんに運転教えてもらってね」と言われたんです。モヤっとしたので、「夫は免許を持っていません」と言い返したら、「すみません」と謝られました。きっとおじさんのなかで、女の人は旦那さんに運転を教えてもらうものという偏見があったんでしょうね。それは伝えないと、ずっとわからないままですから。おじさんのなかで「そうじゃない人もいるんだ」と思えたらいいですよね。

昔なら私も溜め込んだり、笑ってやり過ごしていましたが、40歳を超えてからは、「おばちゃんだから言わせてもらうね」と伝えることができるようになりました。伝えてみたら意外とわかってくれることもあるし、その場では理解されなくても、もしかしたらどこか別の場所で「そういえば、あのとき言われたから気をつけよう」と思い出してくれるかもしれない。別の誰かがモヤモヤする機会が減ればいいなと思って伝えるようにしています。

Q:モヤモヤを相手に伝えるようにしている理由は何ですか?

A:誰かのモヤモヤのために戦うことで、社会を動かすことができると信じているからです。

モヤモヤや怒りを表明するのにも勇気が必要で、伝えることで傷つくこともありますが、「誰かのため」だと思うと伝えやすくなることがありますよね。実際、マイノリティー運動では、当事者が声を上げると否定されたり攻撃を受けたりとダメージが大きいため、当事者の声を代弁する役割の「アライ」が必要だと言われています。そのような意味でも、「誰かのため」に戦うことが必要なんです。そもそも、マイノリティー問題は、当事者だけでは状況を変えることができないシステムになっています。例えば、アメリカの公民権運動は、白人が作った法律によって黒人の人権が制限されているわけですから、黒人だけで社会を変えることはできませんよね。白人自身が問題意識を持って変えなくてはいけない。これは女性問題含め、どのマイノリテティー問題にも言えることです。それに、モヤモヤというのは個人的なものですが、同じようなモヤモヤを抱えている人がいて、その共感が社会全体を動かす力になることだってあると思うんです。それこそ「保育園落ちた日本死ね!!!」のつぶやきが共感を呼び、政治家や行政が動き保育園が増えました。誰かのモヤモヤが社会の制度改革やテクノロジーの進化に繋がる可能性だってあるわけです。

Q:モヤモヤと向き合うときに、心がけていることは何ですか?

A:解決してはいけないモヤモヤもあると自覚することです。

一方で解決してはいけないモヤモヤもあるのかもしれないと最近感じています。先日、「アウシュヴィッツ収容所」と壁ひとつ隔てた隣に暮らす所長家族を描いた『関心領域』という映画を観ました。

その映画に出てくる奥さんは、子どもたちに良い環境を与えたいとガーデニングをしたり、生活を整えたりしながら暮らしていて、夫に転勤の話が出たとき「ここは子供の教育にいいから残りたい」と言うんです。隣の収容所から銃声や悲鳴が聞こえて、毎日おぞましいことが起きている場所に暮らすことが子供の教育にいいわけがないのに。だけど、そこにあるのは「我が子にいい環境を与えてあげたい」という気持ちです。その気持ちを否定することはできません。

誰かの犠牲のうえで成り立つ幸せがいいのか、目をつぶらないと成立しない平和ってどうなのか、自分と家族が幸せならそれでいいのか……と考えだすとモヤモヤしますが、きっとこのモヤモヤは解決してはいけないものなのだろうなと思ったんです。今の自分の選択は正しいのか、誰のための選択なのかということは、考え続けなくてはいけないことなんだろうなと、ことあるごとに思い出しています。

世界のいろんなところで同時に戦争が起こっている世の中で、自分たちは平和に暮らしています。でもいつ戦争に巻き込まれるかわからないし、自分がいつどっち側になるのかだってわからないわけです。人はすぐに被害者側になりたがるけど、自分も加害者側になっている可能性だってある。だからこそ、答えがない場合もあることを自覚し、モヤモヤし続けることが大事なのではないかと思っています。

Q:古舘さんにとって、モヤモヤすることは良いことですか? 悪いことですか?

A:社会で生きる以上、必要なことだと思います。

私は、伯山と結婚をして「伯山の妻」という扱いをされることで、自分がモヤモヤしやすいポイントがわかってきました。それは会社員として働いている時に感じていたモヤモヤとは違うもので、自分の状況次第でモヤモヤするポイントは変化するのだろうと思います。

モヤモヤした理由や原因を知ることは、今の自分の状況を知ることにもなります。だから、モヤモヤすることって、悪いことばかりではないのかもしれないと思います。

自分がモヤモヤしていなくても周りの人がモヤモヤしていることはありますし、自分が誰かをモヤモヤさせているかもしれない。人間は社会の中で生きており、誰かに言われたことを受け止め、それを発信し、また別の人がそれを受け取ってアクションを起こす。この連続です。でも、その意識は希薄になりがち。SNSはその伝播する力がマイナスの力になることもあると思いますが、そこで知り得たことをきっかけに、誰かのアクションに繋がるかもしれないし、代わりに言ってもらったことですっきりすることもあるかもしれない。どこかで影響を与えあって生きていると考えると、モヤモヤすることも、モヤモヤを考え続けることも、モヤモヤを吐き出すことも、必要なことかもしれないと思えてきますよね。

【編集後記】

これまで「モヤモヤ」の感情についてはネガティブに捉えることが多かったのですが、取材を通じて、ただのネガティブな感情だから避けたい、答えを出してその感情から抜け出したいということではなく、なぜ自分がそれにモヤモヤしたのかということに向き合うことで、自分を知ったり他者との関係性を見つめ直したりする機会になるのだということに気付かせていただきました。
また古舘さんの「人はすぐに被害者側になりたがるけど、自分も加害者側になっている可能性だってある。」の一言にとても納得しました。いつだって自分がモヤモヤさせてしまう側になることだってあるのだということが頭の片隅にあれば、自分の感情や行動に対してより客観的に向き合うことができるようになるのだと感じました。

(未来定番研究所 榎)

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