街の一角が変わると、その場で行われる営みが変わり、人々の流れが変わり、街自体が変わっていきます。そんな変化の真ん中にある空間や建物を紐解いていくと、未来の街並みが見えてくるかもしれません。この連載では、街の未来を変えるようなポテンシャルを持った場所を訪ね、そのデザインや企画を担当した建築家やディベロッパーがどのような未来を思い描いているのかを探っていきます。
大規模な再整備プロジェクトが進む神戸市の三宮地区。その先駆けとして2021年に行われたのが、阪急神戸三宮駅前にある〈サンキタ広場〉のリニューアルです。市民がこよなく愛する広場は、どのように一新されたのでしょうか?設計を手掛けた建築家の津川恵理さんにお話を伺い、公共空間が抱える課題と光について考えます。
(文:片桐絵都、サムネイルイラスト:SHOKO TAKAHASHI)
©︎ 生田将人
サンキタ広場
用途:駅前広場
所在地:兵庫県神戸市中央区加納町4丁目2地先
施工年:2021年
施工面積:555㎡
設計監修:ALTEMY
人の身体とともに成立する建築をつくりたい
F.I.N.編集部
〈サンキタ広場〉は、津川さんが独立するきっかけとなった建築だそうですね。
津川さん
はい。文化庁の新進芸術家海外研修員としてニューヨークで働いていた時に、たまたま地元の〈サンキタ広場(旧:さんきたアモーレ広場)〉のデザインコンペがあることを知り、これまでの経験の集大成として応募してみました。そこでありがたいことに最優秀賞をいただきまして、帰国して〈ALTEMY〉を立ち上げました。
F.I.N.編集部
〈サンキタ広場〉のコンセプトを決めるうえで、参考にした事例や素材などはありますか?
津川さん
〈ISSEY MIYAKE〉の「MADAME-T」というストールにインスピレーションを得ました。大判の布に1本のスリットが入ったもので、身体のどのパーツを通すかで巻き方が無限に広がります。衣服単体ではなく、人が身体に纏うことによって成立するプロダクトなんです。この「身体と衣服の関係を探求する」というコンセプトこそ、〈ISSEY MIYAKE〉が長く愛される理由なのだと考えます。
〈ISSEY MIYAKE〉の「MADAME-T」を着た学生時代の津川さん。(提供:津川恵理)
津川さん
建築にも同じことがいえると私は考えていて、単体で成立する建築は、時代が流れて使う人や状況が変われば、いずれ飽きられ、廃れていく可能性があります。今後求められるのは「人の身体とともに成立する建築」ではないか。究極の公共性を持つ広場であれば、その空間原理をピュアに表現できると考えました。
F.I.N.編集部
「人の身体とともに成立する」という空間原理は、具体的にどんな部分に表れていますか?
津川さん
以前の広場には円形の丘が並んでいて、長年「パイ山」の愛称で親しまれてきました。ただ、その丘は無許可の路上ライブや違法駐輪を阻止するために置かれたもの。どちらかというとネガティブな意味合いだったんです。そこで市民にとって愛着のある円形のデザインは踏襲しつつ、「自由に使っていい場所なんだよ」というポジティブなメッセージに転換するため、楕円のオブジェクトを景観に溶け込むよう配置することにしました。
整備前の〈さんきたアモーレ広場〉。
整備後の〈サンキタ広場〉。(©️ 生田将人)
津川さん
大きなポイントとしては、さまざまな高さのオブジェクトを散布させた点。通常、大量生産される椅子や机には標準寸法がありますが、あらゆる人が集まる公共空間にその規格は当てはまりません。そこで複数の円盤をもたれ合わせ、異なる高さと幅のオブジェクトを連続的に配置しました。子供が机として使う場所は高校生のベンチになり、お年寄りが肘をつく場所でオフィスワーカーが仕事をするという風に、場の意味が訪れた人によって生みだされる余地を残しています。
F.I.N.編集部
まさに〈ISSEY MIYAKE〉のストールの概念を建築で表現したということですね。そのほかのポイントも教えてください。
津川さん
オブジェクトにはさまざまな方向から座ることができ、全員が違う向きや高さで同じ空間に存在できます。すると、他者といる心地良さを感じながらも周囲のことがあまり気にならないという効果が生まれます。その様子を見て、身体論の研究者である伊藤亜沙教授が「ここはマジョリティーが解体されていますね」という言葉を与えてくださいました。マジョリティーが解体されるということは、全員がマイノリティーになるということ。何かを排除する状況が生まれにくくなるため、例えば、女子高生とホームレスが肩の当たる距離感で座っているようなこともあります。
©️Nacasa & Partners
リアルな空間に身を置く意味とは何か
F.I.N.編集部
ご自身でも予想されていなかった意外な使われ方はありましたか?
津川さん
小さな子供や中高生だけでなく、大人の方々も予想以上に自由な使い方をしてくださっていますね。例えば、円盤にもたれかかって眠る女性や、細いベンチにぴったり身体を沿わせてくつろぐ男性、寝転んで空を仰ぐ2人組など駅前の屋外空間とは思えない豪快な姿をよく見かけます(笑)。
F.I.N.編集部
津川さんの「自由に使っていい場所なんだよ」というメッセージがしっかり伝わっているんですね。
津川さん
自由な過ごし方が連鎖する点も〈サンキタ広場〉の興味深いところです。寝転んでいる人が1人いたら、また違う寝転び方をする人がどんどん増えていくんですよ。これも伊藤教授が面白い言葉を与えてくださったのですが、そうした人たちを「先生」と呼んでいらっしゃいました(笑)。1人の先生が来ると、その先生を見てまた別の先生が現れる。この連鎖が〈サンキタ広場〉の寛容さを生み出しているのだと思います。
©️生田将人
F.I.N.編集部
津川さんはかつてパフォーマーを志し、身体表現を学ばれたそうですが、〈サンキタ広場〉の設計にはその経験も生きているのでしょうか?
津川さん
そうですね。私は身体すらも言語を持っていると思うんです。言葉は操れても、身体の言語には真意がにじみ出ます。不快な時に眉間に寄る皺はコントロールできませんよね。幼い頃から身体表現に惹かれてきたのは、そうした人の身体に宿る本質に興味があったからだと思います。
身体の持つささやかな表現が集まる公共空間は、自分と他者との差異を認識させるとともに、他者といることの心地良さを感じさせ、社会への帰属意識を高めます。〈サンキタ広場〉では、誰かが座っていたら少し離れて逆向きに座るなど、他者のいる状況に応じて自分を決定しますが、これって実は身体の会話なんですよね。人と人との繋がりまでもがデジタル空間でつくれるようになった今、リアルな空間で人と触れ合う価値は、身体を通して会話することにあるのではないでしょうか。
F.I.N.編集部
近年はIoT技術で住宅設備を操作するスマートホームなども登場しています。デジタル技術が加速することで、建築にどんな影響が出ると思いますか?
津川さん
技術を追求すればするほど、利便性は高まりますが、「生きる」本質から遠のいてしまう可能性を危惧しています。人が「心地良い」と感じる空気感をすべてデジタルで処理するのなら、建築は真っ白な立方体でいいことになる。建築家が生み出す価値を未来に残すためには、リアルな空間に身を置く意味をしっかりと見つめていかなければいけないと思います。
©️ Nacasa & Partners.jpg
日本の公共空間を市民の手に取り戻す
F.I.N.編集部
その他、〈サンキタ広場〉を設計するうえで気づいたことはありますか?
津川さん
法規の厳しさです。日本には、学生運動やデモが激化した時代に広場を法規上の道路に変えて取り締まりやすくしたという歴史があります。結果、法的に広場と呼べる場所はなくなってしまいました。〈サンキタ広場〉も名前こそ広場ですが、法規上は道路のため、何をするにも警察署の許可が必要です。公共空間での自由な過ごし方を暗に狭めているのは、こうした法規の厳しさが一因なのではないかと思います。
F.I.N.編集部
これまで広場だと思っていたものは、実は道路だったんですね。
津川さん
驚きますよね。私も〈サンキタ広場〉を手掛けるまでは知りませんでした。それからはもっぱら「日本の公共空間を市民の手に取り戻す」ことをテーマに活動しています。広場に限らず、今、都心部には意味のない場所がほとんどありません。「ここはカフェです」「ここは映画館です」という具合に、機能主義的・合理的な場所に満ちている。すると人は目的のために行動するので、予想外の面白いことが起こりにくいんです。その目的を剥奪できる唯一の場所が公共空間だと思います。
F.I.N.編集部
では今後も公共空間に関わる建築を手掛けていかれるのでしょうか?
津川さん
そのつもりです。直近のプロジェクトだと、渋谷のメインストリートである公園通りと周辺エリアのデザインを提案する「SHIBUYA PARK AVE. 2040 DESIGN COMPETITION」で最優秀賞をいただき、2040年の実現に向けて計画を進めているところです。日本の公共空間は道路が大半を占めているため、道路を豊かな場所にできれば、街の価値は劇的に変わるのではないかと思っています。
「SHIBUYA PARK AVE. 2040 DESIGN COMPETITION」で提案した渋谷公園通りのイメージ。(©︎ALTEMY/コンペの資料はこちらからご覧いただけます)
F.I.N.編集部
公園通りのプロジェクトはどういったデザインを想定されていますか?
津川さん
通常、道路はその場に留まることが許されていませんが、車両を時間指定で通行止めにして、滞在可能な空間にしたいと考えています。具体的には、緩やかに傾斜した公園通りの両側にフラットな場を差し込み、シアターの語源である「テアトロン」という名の小さな空間を設けます。その間を階段やスロープで繋ぎ、人が留まって活動できる豊かな公共空間を生み出します。
コンセプトは「触れる都市のマチエール」。マチエールとは、絵画や彫刻の材質感や筆致を表す美術用語です。階段などデザイン自体の凸凹はもちろん、道路表面のザラザラした真砂土や段差を覆うみずみずしい植栽など、リアルでしか獲得できないマチエールを都市空間に埋め込むことで、人と都市との物理的な関わりを創出したいと考えています。
熱狂を見出し、物語を共有できる街へ
F.I.N.編集部
新たな公共空間をつくる際には、安全面などクリアしなければいけない課題も多いと思います。道路を滞在可能にする公園通りのプロジェクトは、特に難易度が高いのではないでしょうか?
津川さん
おっしゃる通りです。でも本来、他者とともにある社会とはそういうもので、危険と隣り合わせで生きるのが我々人間の常だと思うんです。ネガティブなものを排他しすぎて、寛容さと個性を失った結果が今の日本の姿。リスクヘッジに神経を尖らせるよりも、問題が起こった時にどう向き合うかを考えるネガティブ・ケイパビリティを培う方が、不確実性の高い今の世の中には必要だと感じています。
F.I.N.編集部
2040年にこのプロジェクトが実現したら、新たな空間でどんなことを行いたいですか?
津川さん
ファッションショーやアートイベント、フードトラックの出店など、民主的な表現活動が都市空間で活発になればいいなと思っています。同時に、空間の文化的な質を担保するためにキュレーターを起用したり、バーチャル広告を募って資金調達をするなど、持続可能な運営方法も模索していく必要があります。
最も重要なのは、人が集まることで生まれる熱狂や、物語を共有する素晴らしさを街に見出すこと。現代社会は人をお金に換算しがちですが、その思考だけに偏るとすべてが消費の対象になってしまいます。経済は大切ですが、それに偏りすぎると、本来人が生きる上での豊かさや文化を考えることができなくなります。私たち建築家には、資本主義に対するカウンターの役割もありますから。
〈サンキタ公園〉で開催されたイベントの様子。パフォーマンスやコンサート、マルシェなどさまざまな場面で生かされている。
津川 恵理さん(つがわ・えり)
神戸生まれ。京都工芸繊維大学を卒業し、早稲田大学創造理工学術院を修了。組織設計事務所を経て、2018年文化庁新進芸術家海外研修員としてニューヨークの〈Diller Scofidio+Renfro〉に勤務。2019年神戸市主催「さんきたアモーレ広場デザインコンペ」で最優秀賞受賞をきっかけに帰国し、〈ALTEMY〉を設立。主なプロジェクトに、「神戸市サンキタ広場」(2021)、「Incomplete Niwa Archives–終らない庭のアーカイヴ展示構成@YCAM」(2021)、「Spectra-Pass@ポーラ美術館」(2021)、「まちの保育園 南青山」(2024)、「庭と織物――The Shades of Shadows@HOSOO GALLERY」(2024)、「渋谷公園通りデザインコンペ2040最優秀賞受賞」(2024)など。国土交通省都市景観大賞特別賞、土木学会デザイン賞優秀賞、東京藝術大学エメラルド賞、日本空間デザイン賞、グッドデザイン賞など受賞。
【編集後記】
未来をつくる場について話すとき、「自由とはなにか」「開くとはなにか」ということを改めて考えなければいけないと感じます。〈サンキタ広場〉が実現した「マジョリティーの解体」は、そのための大きなヒントになるのではないでしょうか。
マジョリティーにならないということは、特権的な規定や目的が与えられないうえ、他者の存在に影響されながら自分のふるまいを決定し、おそらく時には自分の望みを諦めなければなりません。自分の身体を使ってその時々で感じ、考え、表現しなければいけません。そういった即興性を誰もが発揮するしかない状況は確かに「自由」であり、そうすることで私たちはあらゆる他者と関係性を結べる可能性に満ちているということに気づきました。
(未来定番研究所 渡邉)
未来場スコープ
case6| 〈サンキタ広場〉すべての人がマイノリティーになる公共空間。