若い作り手たちの、これまでとこれから。<全3回>
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2018.06.19
未来を仕掛ける日本全国の47人。
毎週、F.I.N.編集部が1都道府県ずつ巡って、未来は世の中の定番になるかもしれない“もの”や“こと”、そしてそれを仕掛ける“人”を見つけていきます。今回向かったのは、山梨県の南都留郡。〈rooms Ji-Ba〉ディレクター・バイヤーの石塚杏梨さんが教えてくれた、〈槙田商店〉の槇田洋一さんをご紹介します。
この連載企画にご登場いただく47名は、F.I.N.編集部が信頼する、各地にネットワークを持つ方々にご推薦いただき、選出しています。
機織り産地の未来を見据え、変化に果敢に挑戦する人。
富士山の麓・山梨県の郡内地域は、古くから機織りの産地として栄えてきました。中でも〈槙田商店〉は、江戸時代末期から約150年も続く老舗の機屋(はたや)です。ジャカード織りを得意とし、様々な生地を製造する一方、常務を務める槇田洋一さんをリーダーに、受注産業主流となり、一時は衰退しつつあった産業を蘇らせるべく、近年では自社製品の傘の製造販売に力を入れています。推薦してくれた石塚さんは、「ゆくゆくは産地を引っ張るリーダーのひとりになるのだろうと信じています。固定概念を覆すような挑戦をたくさんされていますし、古くからの慣わしをリスペクトしつつ、再構築に向けてスクラップする力強さを持ち合わせてらっしゃいます。強い心臓、ぶれない骨格、時代を読み取る感性が備わっているので、非常に強い商品をこれからも開発してくれると期待しています」と太鼓判を押します。早速槇田さんご本人にお話を聞いてみました。
F.I.N.編集部
槇田さん、よろしくお願いします。
槇田さん
よろしくお願いします。
F.I.N.編集部
〈槙田商店〉のある山梨県南都留郡は、どんなところですか?
槇田さん
すごく静かで、水も空気もおいしく、自然豊かな土地です。また、うちの町は山に囲まれていて、山の合間からポンっと見える富士山は、上品でとても美しいですよ。
F.I.N.編集部
さぞきれいなんでしょうね……。槇田さんは、生まれてからずっとこの土地にお住まいなんですか?
槇田さん
大学に入る時に一度地元を離れました。2社ほど他の企業を経て、30歳になる少し手前くらいに戻ってきて家業を継ぎ、今に至ります。
F.I.N.編集部
戻ってこられる前、家業に対しては何か問題意識を持たれていたんですか?
槇田さん
〈槙田商店〉に入るまでは、大まかに傘や洋服の生地を作っているということまでは分かっていたものの、正直、細かく何をやっているのかというところまでは知らなかったんです。戻ってきて、会社の現状や産地の現状を見て、驚くことがたくさんありました。
F.I.N.編集部
思ったよりも深刻な課題を抱えていたということですか?
槇田さん
そうですね。社内的なことを見ていると、ずっと下請けの仕事をしてきている中で、あるブランドとの取引の継続が難しいのではないか、という噂が立ったことがありました。そんな取引先に左右されるようなグラグラした状態のままで仕事をしていていいのかなという漠然とした不安はずっとありました。
F.I.N.編集部
なるほど。そんな中で、状況を変えようと決心した出来事はあったんですか?
槇田さん
リーマンショックがあり、服の生地の売り上げがストンと落ちたことです。傘の生地は世の中の情勢の影響を受けるのはちょっと遅く、だいたい1、2年後くらいなんですが、ファッションの方はリアルタイムに影響が出たんです。下請けの仕事の怖さを痛感し、自分たちの名前で商売ができるものを持ちたいという思いが湧いてきました。
F.I.N.編集部
そこで傘のオリジナル製品を作ることになったんですね。
槇田さん
はい。洋服を作ろうと思うと、パターンが必要になって、縫製が必要になって、サイズが必要になって……それにトレンドも見なければいけないし、ブランドも必要になってきますよね。ですが、社内で話し合って、生地作りから傘作りまで社内で一貫して行っている傘であれば始められるのでは、ということになり取り組みました。
F.I.N.編集部
オリジナル製品作りを進めていく中で、何か手応えを感じられたタイミングはあったんでしょうか?
槇田さん
正直、まだ探っている最中です……(苦笑)。ただ、東京インターナショナルギフトショーという展示会にオリジナル製品を出したことを契機に、商品のブラッシュアップと、見せ方の工夫をするようになりました。はじめは、下請けの時と同様、技術を駆使したものは作るけれど、そこに目新しさはなかったんです。そこで、いろんな方に指導をもらいながらちょっとずつものの作り方を変えました。また、ブースの作り方についても同じ。今までは、作ったものは何でも見せたかったのですが、プロの方の指導のもと、商品を絞って、見せるべきものをしっかり見せるという方法にしました。すると、かねてより取り扱ってもらいたいと思っていたスパイラルマーケットのバイヤーさんの目に留まり、お店に置いていただけることになったんです。以来、ものづくりをコンセプトにして、どこに売りたいかを明確にしつつ、見せ方をリンクさせると響くのだなと実感しました。
F.I.N.編集部
それは、やりがいを感じる瞬間ですね。石塚さんは、「織物業界は大変な時代が続いていますが、槇田さんはそれを逆手にとって新たな挑戦をし、逆境という波を乗りこなしているように感じます」とおっしゃっていました。”挑戦する”というのは、ご自身でも意識されていることなのでしょうか?
槇田さん
”挑戦する”姿勢は、〈槙田商店〉の変わらないDNAでもあると思います。例えば、現社長は、機織りの機械を導入するという大きな挑戦をしました。こちらの産地の機屋さんには、企画屋の機屋さんと、実際に機織機を持っている機屋さんの2種類があるんです。〈槙田商店〉は創業以来ずっと前者で、企画を立て、織り方やデザインを考えたものを、織機を持っている機屋さんに依頼する。そして、織ってもらったものを集めて卸す、という商社的な機屋でした。僕たちの産地では、俗に言う”テーブル機屋”だったのです。ですが、うちの父は会社に織る機械を導入し、”織る”という機能を社内に持たせました。もともと機織機を持ち、織ることを生業とする”賃機屋”さんでは折れないような柄が折れる機械が入り、〈槙田商店〉として業務の幅もぐっと広がりました。
F.I.N.編集部
”挑戦する”精神は代々受け継がれてきたものなんですね。逆に、〈槙田商店〉が変えていかなければいけない部分はありますか?
槇田さん
最近はうちの会社にも若い人が入ってくれましたが、それまでは僕よりも随分年上の人がやっていました。すると、現状のお客さん相手の仕事が大事という考え方に凝り固まってしまっていたんです。ですが、時代が変化していく中で、僕らも売り先や売り方、商品そのものを考え直すことが必要になってきています。さらには、産地全体としての見せ方も大切。会社として考え方の変革には取り組まないと思います。
F.I.N.編集部
「地域」という視点は会社理念でも触れられていますね。山梨の機屋さんたちは、産地としての結びつきも強いんですか?
槇田さん
今、ようやく産地全体としての視点を持つ人が増え始めているんではないでしょうか。家族経営の機屋さんが多い産地なので、もともとはそれぞれが独立してやっている空気はありました。ですが最近、徐々に世代交代が進み、横のつながりができてきて、お互いがお互い、悲しいけれどそんなに儲かってないという大変な状況で、危機感を共有できるようになってきました。産地としての繋がりは今後強めていけると思います。
F.I.N.編集部
そうなんですね。若い視点といえば、〈槙田商店〉の傘の中には、東京造形大学デザイン学科テキスタイルデザインの学生さんとのコラボレーションによって生まれた製品もありますよね。
槇田さん
はい、もともとは富士吉田の仲間たちがやっていて、途中から取り組みに参加させてもらいました。参加する前から、コラボを続けていた仲間たちを見ていて、学生さんたちの視点によって、自分たちの固定概念を崩すって本当に大事だなと思っていたんです。自分自身も外から来ていて、やはり社内的な古い常識に対して、なんでそんなことをやるんだろう、と感じることもあったので、新しい挑戦をして、何か新しいものができたらいいんじゃないっていう期待を込めて取り組みましたね。こちらも学べることが多くて、面白い作品ができました。実際に、コラボレーションをした学生デザイナーの女の子は、そのまま〈槙田商店〉に就職してくれたんです。就職後、「菜〜sai〜野菜みたいな傘」という商品もできましたし、本当にラッキーでしたね(笑)。
F.I.N.編集部
〈槙田商店〉にとっても、学生さんにとっても、お互いに良い出会いだったんですね。最後に未来に向けて、〈槙田商店〉としての目標を教えてください。
槇田さん
少しずつ認知が進んでいるありがたい状況の中で、オリジナル製品の精度を高めて、幅を広げていくということも大切なんですが、さらに、実際に産地に来てくれる人たちへの働きかけも強めていきたいと思っています。それは自社のショップを整えるだけでなく、山梨だからできる体験を提供できたらなと。ただ工場に来て見学をするだけでなく、自分たちで触れてみたり、作ってみたり、感じてみたり。そうするとまた製品や産地に対する見方というのも変わるんじゃないかなと思っています。
F.I.N.編集部
今後の各地の伝統産業を考える上でも、”体験”がキーワードになるのでしょうか?
槇田さん
実際、燕三条や播州など、”体験できる”産地を作るという目線で取り組まれているところもあります。みんながそれをできるというわけではないけれど、各社が自発的な動きを続けつつ、産地として一つ核となる人が集約していければいいですよね。さらには、発信も大事。「自分たちはこういうことをやってるんだよ」とうまく発信できる産地が増えていけば、もう少し未来は明るいのではないでしょうか。実際、青山のスパイラルで展示をしていても、「山梨にこんなところがあるのね」とお声をいただくことも多いんです。それだけ知られていないということ。手間はかかるけれど、継続して発信していくことは大事だなと思います。
F.I.N.編集部
石塚さんの「槇田さんは、ゆくゆくは産地を引っ張るリーダーのひとりになるのだろうと信じている」というお言葉の通り、まさに槇田さんは地域の核となる存在ですね。山梨の機織り産業の未来が楽しみです。ありがとうございました。
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