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2019.01.15

未来を仕掛ける日本全国の47人

35人目 長崎県波佐見町 マルヒロ ブランディングマネージャー・馬場匡平さん

毎週、F.I.N.編集部が1都道府県ずつ順番に、未来は世の中の定番になるかもしれない“もの”や“こと”、そしてそれを仕掛ける“人”をご紹介します。今回取り上げるのは、長崎県の波佐見町。デザイナー・アートディレクターの小田雄太さんが教えてくれた、波佐見焼の商品開発、ブランディングに携わるマルヒロ代表取締役社長の馬場匡平さんをご紹介します。

 

この連載企画にご登場いただく47名は、F.I.N.編集部が信頼する、各地にネットワークを持つ方々にご推薦いただき、選出しています。

 

 

斬新なアイディアで、波佐見焼の新しい歴史を切り拓く人。

長崎県の中央に位置する波佐見町。馬場さんがブランディングマネージャー兼取締役を務めるマルヒロは、この土地で400年以上作り続けられてきた焼き物・波佐見焼の産地メーカーとして、多くのオリジナル商品を手がけています。馬場さんが家業に入ったのは、2008年のこと。以来、代表的な〈HASAMI〉シリーズをはじめとし、〈BARBAR〉や〈ものはら〉など、多くの人気ブランドを作り上げ、波佐見焼の名前を世に知らしめてきました。推薦してくださった小田さんは、「建築デザイナーの関祐介さんのご紹介で知り合いました。馬場さんのブランディング手腕はウェブサイトを見ていただければ一目瞭然ですが、ストリートカルチャーを陶器に取り込んだり、アーティストとのコラボだけではなく波佐見町のフェスや公園建設を企画していたり、とても視野の広い人です」と太鼓判。馬場さんにお話を伺ってみます。

F.I.N.編集部:

こんにちは。本日はどうぞよろしくお願いします。

 

馬場さん:

よろしくお願いします。

 

F.I.N.編集部:

まずは、波佐見町について教えて下さい。どんな土地ですか?

馬場さん:

波佐見町は長崎県で唯一海に面していない町です。隣には焼き物で有名な佐賀県の有田町がありますが、波佐見町も400年以上窯業を主産業としてきました。現在も町の3割近くもの人が窯業関係の仕事に従事しています。

F.I.N.編集部:

なるほど、この波佐見町で作られる焼き物が”波佐見焼”というわけですね。

馬場さん:

はい。波佐見町の焼き物作りは1598年に始まりました。もともとは隣の有田町で陶山が見つかり、日本国内での磁器生産がスタート。1年も経たない間に波佐見でも磁器が作れることが分かり、以来美術品のような高価なものではなく、日本で初めて磁器食器を安価な日常雑器として大衆に提供する産地として、その歴史がスタートしました。かつては波佐見と大阪の淀川とを行き来する連絡線の横で商売していた「くらわんか舟」で使用されていた、“使い捨て”の食器としても使われていたと聞いています。明治、大正、昭和になると、デパートや卸問屋に卸すという形で商売を続けていて、そこからの世の中のニーズが高い、いわば”売れるもの”を時代の変化に合わせて、作り続けてきたんです。だから、見た目に波佐見焼らしい特徴というのはあまりない。実は波佐見焼という名前を名乗るようになったのも、20年ほど前からなんですよ。

F.I.N.編集部:

それまでは名前も出していないアノニマスな焼き物だったんですね。

馬場さん:

いえ、それまで波佐見の焼き物は、「有田焼」という名前で出していました。というのも、明治になって鉄道が走り始め、焼き物の運搬にも鉄道が利用されるようになりました。波佐見には電車が通っておらず、隣町の有田駅から全国に出荷されていたから、まとめて有田焼という一つの名前になったとも言われています。デパートの食器売り場にある日常のごはん茶碗や湯のみなどは、実際には波佐見焼の方が多かったと思いますが、名前は有田焼として売られていたんです。波佐見町としても「有田焼」と謳った方が売れると思っていましたし。しかし2000年代初頭、様々なところで、産地偽装が問題となりましたよね。そこを契機に、波佐見焼きという名前を出して売り出していくようになりました。そこから売り上げが激減し、産業全体としては厳しい状況となりました。

F.I.N.編集部:

波佐見焼としての歴史は、まだ歩み始めたばかりとも言えるんですね。馬場さんご自身は家業の窯業に携わられるようになるまで、焼き物に対してどのような印象を持たれていましたか?

馬場さん:

「家の裏から取ってくるもの」でしょうか(笑)。買うものではなかったですし、特に興味を持ったこともありませんでした。

F.I.N.編集部:

そうなんですね。ではマルヒロに関わられることになったのはどんなきっかけがあったんですか?

馬場さん:

父に帰ってこいと言われたからです。将来のことを考えていたわけでもなく、他にやることもなかったので、迷いもなく帰ってきました(笑)。当時22歳でしたね。

F.I.N.編集部:

最初に戻ってこられて、どんなお仕事から始められたんですか?

馬場さん:

まずは、スーツケースの中に焼き物をたくさん詰め、当初から付き合いのあったお客さんに営業に回りました。マルヒロで働く以前に携わっていたアパレルの仕事では、6掛けや7掛けで値段をつけるのが当たり前。でもここでは、4掛け程度が当たり前だったんですよ。うちから卸問屋さんに卸し、またそこからさらに卸すという仕組みなのでそのような設定になっているのですが、このままではどうやっても儲からないなと実感しました。また、商品開発についても、当然お客さんが求める企画を実現しなければならない。正月だから紅白の2色でとか、2月だから梅の柄でとか。あまりそういうのはやりたくないなと思いつつも、どうしたら良いのかわからない。考えあぐねていた時に、中川政七商店の中川さんの本を読んで非常に感銘を受けました。コンサルティング業も引き受けるという言及があったので、すぐに電話をしてお願いすることになりました。

 

F.I.N.編集部:

そこが転機となったんですね。

馬場さん:

まさか引き受けてもらえるとは思っていませんでしたが(笑)。そこから会社の予算の見直しや、自社のブランドの立ち上げが始まりました。正直なところ、「ブランドって何?」というところから始まりましたね。「エルメス」や「Supreme」みたいなものだけがブランドと思っていた僕からすると、自社の焼き物でブランドを作るというのはどういうことが最初は全く理解できなかったわけです。そこからはとにかく勉強。中川さんアドバイスのもと、最初は数字を見ながら、自社で、どれがどれだけ売れているのか、そして波佐見焼の中で僕たちはどういうポジションにあり、どんな強みがあるのか、これからどのように売っていきたいのかを把握し整理していきました。

F.I.N.編集部:

中川さんとのやりとりの中で、最初のブランド〈HASAMI〉のブロックマグカップのイメージを作り上げられて行ったんですか?

馬場さん:

そうですね。波佐見焼はもともと日常雑器作りで発展を遂げてきたもの。薄くて繊細で美しいものよりも、普段づかいでガシガシ使えるものにしたいという方向性が見えてきました。また当時僕は23歳。実際に営業に回ったり商品をプレゼンしたりするのは僕なので、年相応なものを作りたいということでマグカップを作ることになりました。

〈HASAMI〉シリーズのブロックマグ。「60年代のアメリカのレストランで使われていた大衆食器」をテーマにしたカラフルでポップ、機能的で丈夫なマグカップは好評を博した。

F.I.N.編集部:

プレゼンをする馬場さんご自身が魅力的に感じるものであることが大切だったんですね。

馬場さん:

一番は、販売する人間と商品がマッチしていることが大事だということ。これは僕が作りたいから作ったんだと胸を張って言えないと、最初の殻は破れないと考えたんです。

 

F.I.N.編集部:

馬場さんご自身がデザインから手がけられていますが、どんなところにこだわられたんですか?

馬場さん:

柄を施さず、色1本で勝負したところでしょうか。定番のTシャツみたいな食器ブランドになれればいいなという思いがあったんです。色んな人がデザインしたプリントがこれに載って、色んな人が使ってくれたらいいなと。また、ターゲットを自分の友人たちに設定しました。普段焼き物を買わないような、同世代の身近な仲間たちが買いたくなるようなものを作ることができれば一番いいねと思ったんです。

F.I.N.編集部:

出来上がったマグカップは、スタッキングできるところも特徴的ですよね。これはどのようなところから着想を得たんですか?

馬場さん:

それは単純に、一人の人にたくさん買ってもらいたかったからなんです。マグカップって意外と置き場所に困りますよね。実際にこのマグカップを作るにあたって、勉強のためにリサイクルショップで50個くらいマグカップを買った時も、しまう場所がなくて困った。だから重なるようにすれば良いのではと思いついたのがスタッキングの発端です。あとは、ブランドのキーワードのひとつに、「クスッと笑える」というのがあります。レゴブロックのように色を合わせて積み重ねていく”遊び心”を表現しました。

F.I.N.編集部:

面白いですね。新しい発想のこのブロックマグは世の中に大きなインパクトをもたらしました。その後も様々な〈BARBAR〉、〈ものはら〉など新しいブランドを精力的に立ち上げていますが、馬場さんの発想の源はどこにあるんですか?

〈BARBAR〉シリーズのいろは。江戸時代、波佐見町で作られていた庶民の磁器食器「くらわんか碗」を現代に合わせて再現したもの。素朴な風合いが人気を博している。

馬場さん:

実はここ何年かは、あまり雑誌などを見ないようにしています。今流行っているものを目にすれば、真似したくなってしまうものなんです。過剰に情報をインプットするのではなく、どこか旅先で何気なく見つけたものや、映画や漫画の中で自然と目に入ったものとかを参考に、ブラッシュアップして商品イメージに生かしています。

F.I.N.編集部:

映画や漫画など、焼き物とは全く異なるジャンルのものからインスピレーションを受けられているんですね。

馬場さん:

そうですね。民藝や手仕事の路線を追求するブランドやメーカーは、僕らではないエキスパートがたくさんいるので。例えば、先日はEVISENというスケボーブランドのグラフィックを見て感激し、それをきっかけに実際にコラボレーションをして新しい商品づくりを進めています。スケボーの板を焼き物で作り、彼らのグラフィックを載せたものを作ろうとしているんです。昔からある飾り皿という文化を今の世代の人たちに落とし込むには、普通のお皿の形ではなく、スケボーのデッキのほうが親しみやすいのではないかと考えました。

F.I.N.編集部:

出来上がりが今から楽しみです。馬場さんはこれから先の波佐見焼のことをどのようにお考えですか?

馬場さん:

「果たして必要か?」ということを最近よく考えるんです。ものが溢れ、リサイクルショップにたくさんの焼き物が並ぶ今の時代に、新しいものを今と同じスピード感と量で作り続ける必要があるかというと、きっとそうではないですよね。バランスを考えながらやらないといけないなという気持ちも芽生えてきています。

F.I.N.編集部:

なるほど、確かにこれからの時代に必要な視点かもしれませんね。一方で、小田さんのお話では公園を作る構想を進められているとのことでした。

馬場さん:

そうなんです。あくまでも町あっての僕ら。町自体が衰退している今、これからはもっと波佐見町に貢献していきたいと考えています。また、後継者の育成も大切。僕らの時代は、小学校、中学校時代に自らの町の産業に触れる機会がなかったので、小さい子供の頃から産業を見てもらえる環境を作ることができればと考えています。そこで、大きな公園を作る予定。町の外の人や小さい子供がただ遊びに来て焼き物に触れられる環境を作るだけでも、産業の未来は少しずつ変わってくるのかなと思っています。

マルヒロのお店の床には、無数の焼き物がびっしり敷き詰められている。

F.I.N.編集部:

そうなんですね。公園は具体的にはどのような場にしようと考えられているんですか?

馬場さん:

波佐見焼というのは分業なので、一つの焼き物を作るのに、いくつもの会社が関わっているんです。でもなかなかその全体像は見えにくいものなので、公園に遊びに来た人がその全工程を見れるような場所にしたいと思います。小田さんに僕を紹介してくれた関祐介さんという建築家がデザインするんですよ。予定通り進めば、2020年にできる予定。一人でも多くの子供が「焼き物屋さんってかっこいい!」と思ってくれたら嬉しいですね。

F.I.N.編集部:

完成が待ち遠しいですね。今後のご活躍も楽しみにしています。

マルヒロ直営店

佐賀県西松浦郡有田町戸矢乙775-7

営業時間:10時〜17時

定休日:毎週水曜、第3土曜・日曜

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