目利きたちの、目が離せないアカウント。
2023.04.11
わたしのつくり方
F.I.N.編集部が掲げる今回のテーマは、「わたしのつくり方」。家に居るときのわたし、仕事のときのわたしなど、人はいくつもの自分を持っています。昨今はSNSやメタバースの出現により、これまで以上にいろんな考え方や人格を持った自己を自由に表現したり、アバターをつくったりする機会が増えました。オンラインでもリアルでも「わたし」は「わたし」。けれど、本当の自分とは一体何なのでしょうか。F.I.N.編集部では各業界の目利きの方々に意見を伺い、今の時代を生きる「わたし」のあり方を探ります。
今回は、臨床心理士として医療の現場で活躍する山崎孝明さんに、この時代にどうやって自分をつくっていけばいいのかお聞きしました。
(文:宮原沙紀)
山崎孝明さん
臨床心理士、公認心理士。
1985年生まれ。2008年に上智大学文学部心理学科を卒業。19年に上智大学博士後期課程総合人間科学研究科心理学専攻修了。上智大学博士(心理学)を取得。20年、日本精神分析学会奨励賞、山村賞を受賞。現在は、東京・市ヶ谷のこども・思春期メンタルクリニックにて、心の問題相談に乗っている。著書に「精神分析の歩き方」(金剛出版)がある。
Q1. 昨今は、家や仕事での「わたし」に加えてSNSやメタバースの出現により、これまで以上に「わたし」を表現する環境が増えました。これらの環境の違いによって「わたし」をどのように変化させていますか?
環境の違いによって、
いくつもの自分を使い分けることは難しい。
Twitterで宣伝の目的で投稿するくらいで、僕自身はあまりSNSを使っていません。InstagramやFacebookのアカウントは持っているけれど、ほとんど開かない。僕が大学生の時は、ブログやmixiが流行っていましたが、その頃は、実名を使わず登録していても元々の友人とだけ繋がっているとか、オフ会でリアルな友達になったりとオフラインと地続きだったと思います。今のSNSは昔よりオープンになってきています。それを忘れて内輪のノリで発信していると、炎上してしまうことも。だからこそ実名を使わずに裏のアカウント、いわゆる「裏アカ」というかたちでリアルな自分とは切り離して発信する人も多くいますが、それでもやっぱりどこかに「自分だとわかってほしい」という思いがあるように感じます。そもそも発信するという行為は、自分の気持ちをわかって欲しいからすることです。多くの人がSNSでいろんなアカウントをつくって使い分けることをしようとしますが、結局境目が曖昧になってしまったりして、あまりうまくはいかないことが多いのではないでしょうか。僕はそれを可能だとは思えないので、SNSを使っていないんです。
Q2. オンライン上で新たな「わたし」をつくる場所ができたことによって、リアルの「わたし」に何か変化・作用は起こりましたか?
そもそも、「SNSで表現しているのは本当の『わたし』なのか?」と疑問に思う。
SNSで発信する際、最初は自分の思いを表現するためにやっていたとしても、いつの間にか「こう書いた方がいいねをもらえる」とか「より拡散してもらえる」と多くの人に評価されることを狙って発言するようになることがよくあります。結果的に自分の言いたいことを言っているのか、世の中が求めていることを言っているのかわからなくなってくる。他にも、SNSの「いいね」の数が可視化されるのは健康に悪いとも言われています。例えばInstagramが、若い女性のボディイメージに悪い影響を与えているという海外の研究もあり、「いいね」の数が表示されなくなりました。近年は自分の姿を加工して発信することも自由な分、その加工されたイメージに憧れる人が醜形恐怖症や、摂食障害といった問題を抱えてしまうこともあります。現在は若年層からSNSを使っていますが、確固とした自我がつくられる前にこのような環境にいると、自分の意見を持つことさえ難しくなってくると思います。そうすると、そもそも「本当のわたし」とは何か、という疑問が湧いてきますよね。
Q3. オンライン・リアルを問わずいくつもの「わたし」をつくることができる今の時代、自分らしくあるためにどんなことをすべきでしょうか?また、5年先の未来にどんな「わたし」でありたいか、そのためにやっておきたいことを教えてください。
インターネット上に正解はない。
自分で考えて行動することだけが自分をつくる。
果たして「自分らしさ」とはなんでしょうか。近年、「自分らしくいよう」というメッセージが多数発信されます。しかし自分らしく生きることと、社会的に望ましく生きることが合致することもあれば、しないこともある。多くの人が社会的な正しさや受け入れられやすいものを「自分らしさ」として表現しているのが現状ではないでしょうか。SNS上に存在する多くの「人格」は、むしろ個性がなくなっているようにも感じます。そして、これはネットの検索文化の問題ですが「この答えはこれ」と提示されてしまうことによって、やってもいないのに理解した気になってしまうことは大変な事態だと思っています。試行錯誤する文化がなくなってしまっていることが、自我形成の弊害になっている。自分をつくるためには、自分で考えて体験するしかありません。誰にでも共通する正解がネット上にあるわけではないのです。
ですので、5年先の未来について、SNSもインターネットも、メタバースも、この先どうなるか誰にもわかりません。人類は壮大な実験をしている状態だと思っています。少し先の未来さえ予測することが難しくなっている過渡期の現状を感じています。
Q4. いくつもの「わたし」を持つことで、心理的なメリット、デメリットはありますか?
人と繋がりやすくなった反面、
繋がりすぎることのリスクも。
SNSでいろんな人と繋がりやすくなりました。同じ趣味の友人や仲間を見つけやすくなり、例えば学校で友人が見つけられず孤立しがちだった子が、オンライン上で共通の趣味を通じて友達ができたという事例などはSNSのメリットだと思います。他にも、理想の自分をオンライン上に存在させることで心理的な安全を保つという使い方もあると思います。普段の自分はつらい思いをしているけれど、ここでだけは輝ける。そういった場所が一つでもあることは良いことです。しかし、それが自己肯定感につながるわけではありません。専門的な話になりますが、自己肯定感と自己効力感は違う概念。自己効力感は「自分はこんなことができるから評価される」というもので、自己肯定感は「何々ができようができなかろうが、自分はとにかくこれでいい」という根拠のない自信。SNSのようなプレゼンテーションの世界で他人から評価をされても、それはその人の発言内容や、写真など「何かをした結果」なので、自己肯定感が上がるわけではありません。
僕はやはり、「わたしをつくる」にはリアルな対人関係が必要な部分がある、と仕事を通じて感じています。いい面も悪い面も含めて「わたし」である、と感じられてはじめて「わたしがつくられる」ものだと思うからです。そのためには、ある一面だけでなく、いろんな面を同一の人に見せ、それでも受け入れられること、かつ相手の一面だけではなく多様な面を見て、それを受け入れることが必要です。そうして、「わたし」がつくられていくものと思いますね。
SNSもメタバースも程よく、バランスよく使うことが大切です。
【編集後記】
自分の考えたことをSNSに投稿していたはずなのに、いつの間にか「いいね」が欲しくなり、多くの人に評価されるための投稿をするようになる人がいることはSNSの怖い部分であるとともに興味深い事象であると感じました。
また、この取材を通して改めて「本当のわたしとは?」を考えてみました。考えれば考えるほど頭がごちゃごちゃしてくる感覚があり、未だに答えは出ていませんが「自分の芯が何かを知る」、「いい面も悪い面も含めて自分自身であると認識する」の2つは重要な気がしています。すぐに答えが出ないような気がするのでもう少し考えてみたいと思います。
(未来定番研究所 榎)
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