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  • なぜ時を超えて効くのか?漫画家・室木おすしさんの「たまに取り出せる褒め」の力。

2025.12.10

なぜ時を超えて効くのか?漫画家・室木おすしさんの「たまに取り出せる褒め」の力。

悪い点を指摘するのではなく、まずいいところを見つけて褒める。そんな場面が少しずつ増えてきました。自分自身を褒める動きが見られたり、成果や結果だけでなく「その人らしさ」が褒められたりと、「褒められる事柄」も、以前より広がってきているように思います。

 

では、褒め合うことが当たり前の社会に突入するために、私たちはどんな考え方を持つといいのでしょうか。何をどう褒めるかを見つめ直すことは、これからの価値観にもつながっていくはずです。F.I.N.編集部は、時代の目利きたちとともに「褒め合う社会になっていくには?」を考えていきます。

 

誰かに言われた一言が、ふとした瞬間に胸の奥をあたためてくれる。そんな『たまに取り出せる褒め』を描いているのが、漫画家・イラストレーターの室木おすしさんです。SNSで共感を集め、書籍化もされた同作には、誰かの何げない褒め言葉が人の生き方や価値観を変える瞬間が丁寧に記されています。なぜ小さな褒めは心に残るのか。どんな言葉が人の背中を押してくれるのか。褒めを描き続けてきた室木さんに、その着眼点と褒めることの背景にある価値観を伺います。

 

(文:船橋麻貴/イラスト:室木おすし)

Profile

室木おすしさん(むろき・おすし)

1979年生まれ、神奈川県出身。大学で建築を学んだ後、渋谷アートスクールに入学。2003年からフリーのイラストレーターに。雑誌・Webや広告、装幀などでイラストや漫画、GIFアニメ、コラム、ルポ漫画、ライティングを行う。2015年よりおもしろWebサイト「オモコロ」にてWebライターとしてもデビュー。著書に、『たまに取り出せる褒め』『貴重な棒を持つネコ』(ともにKADOKAWA)、『悲しみゴリラ川柳』(朝日新聞出版)、『君たちが子供であるのと同じく』(双葉社)などがある。

X:@susics2011

落ち込んだ時でなくていい。

心の片隅からふと取り出す褒めの記憶

F.I.N.編集部

「たまに取り出せる褒め」を漫画で描こうと思ったのは、どうしてですか?

室木さん

書籍の最初に「ピザポテトの話」があるんですが、あれは僕が実際に褒められた体験なんですよ。大人になった今でも、ピザポテトを見ると自然に思い出す。いつまで小さな褒め体験を覚えてるんだよ、って自分でも思います(笑)。でも、そんな自分がなんか人間っぽくていいなと思ったんです。それで、これを漫画にしたら面白いかもって。

室木さん自身の褒め体験を描いた「ピザポテトの話」は、Webサイト「オモコロ」に掲載された/©バーグハンバーグバーグ All Rights Reserved.

F.I.N.編集部

ピザポテトを見るたびに、ふっと思い出すのですね。

室木さん

そうなんです。落ち込んだ時に必ず思い出すみたいな劇的なものではないんですけど、「そういえば、あの時こんなこと言われたな」って、ちょっと心があたたかくなる。褒めって、そういうストック的な要素があるんですよね。

 

2本目も自分の体験をもとに描いたんですけど、自分のなかにある褒めのエピソードがあっという間に枯れちゃって(笑)。それで、他の人の褒めエピソードも聞いたら漫画にできるかなと思って、試しに募集してみたんです。そうしたら、たくさん応募が来て、しかもどれもめちゃくちゃ面白くて。「こんな褒めのカタチあるんだ!」と、読んでいて僕自身が刺激を受けました。その時に、「シリーズとして描いていけるな」と思ったんです。

F.I.N.編集部

この「小さな褒めの記憶」というテーマが、これほど多くの共感を集めたのはなぜだと思いますか?

室木さん

多分、皆1つか2つはなぜか記憶に残っている褒めがあるんですよね。大きな褒めは記憶に残りやすいけど、ピザポテトくらいの小さな褒めは忘れちゃう。でも、他人の体験談を読むと自分の小さな褒めの記憶が呼び起こされる。そのたわいもない褒めによって自分の人格が形成されていたことや、忘れてしまっていた感情があることを思い出したりして、他人のエピソードに自己投影しているんだと思います。

記憶に残る褒めに共通するのは、

意外性と努力の承認

F.I.N.編集部

『たまに取り出せる褒め』には読者からのエピソードが多数収録されています。たくさんの褒めを見てきたなかで、記憶に残る褒めに共通点はありますか?

室木さん

大きく2つあります。1つは「自分でも気づいてなかった一面を見つけてくれる褒め」。もう1つは、「ずっとやってきたことを認めてくれる褒め」ですね。

F.I.N.編集部

前者は意外性で、後者は努力の承認でしょうか。

室木さん

そうです。意外性の褒めは、例えば「その歩き方いいね」みたいな自分では全然意識してなかったところを褒められるもの。不意打ちだから、言われた側はめちゃくちゃ刺さるわけです。一方の努力を認めてくれる褒めは、ずっとやってきたことに対して急に「正解の判子」をもらったみたいな感じになるんです。「自分のこと、ちゃんと見てくれていたんだ」って。褒めって、内容だけじゃなく、文脈とタイミングがセットなんですよね。

F.I.N.編集部

たしかに、普段褒めない人に突然褒められると、すごい衝撃を受けます。

室木さん

あれは心を撃ち抜かれますね(笑)。「え、そんなふうに思っていたの……?」ってなりますし。だけど、もっと気軽に人を褒めていいと思うんですよね。恥ずかしがって黙っていると、自分も相手もいい気持ちになるチャンスを逃しちゃいますから。褒めって減るもんじゃないし、むしろ言えば言うほど自分にも返ってくる。褒めないほうが損しているんじゃないかって思います。

他人の褒めを受け取ることは、

自分を褒めることでもある

F.I.N.編集部

この漫画を描くようになってから、褒めへの見方は変わりましたか?

室木さん

変わりましたね。「褒めってなんなんだ?」って考えるようになりました。最近思うのは、他人からの褒めを受け入れるって、自分自身を褒めることと同じなんじゃないかってことです。

F.I.N.編集部

それはどういうことでしょうか?

室木さん

褒められた言葉をたまに取り出す行為。あれ、自分を肯定しているんですよね。「自分、けっこういいじゃん」って。僕自身、ピザポテトを見るたびにあの褒めが蘇って、ちょっとうれしくなる。それって自分のセンスを認め、自分を褒めていることと同じなんじゃないかと思うんです。

F.I.N.編集部

褒めは素直に受け取ったほうが、生きやすくなりますか?

室木さん

絶対そのほうが得です。「こんなの褒められるほどでも……」と謙遜して否定すると、せっかく未来の自分の心の栄養になるものを捨てちゃうことになる。だから、素直に受け取ったほうがいいと思います。

 

でも、褒めに万能性を求めすぎない方がいいんですよね。褒めって善とか正義とかとイコールじゃない。極端にいえば、めちゃくちゃ技術の高いヒットマンがいたとしても、「その技術すごいね」って褒められちゃうわけですから(笑)。価値のつけ方は、それくらい自由なんです。褒めは万能薬じゃないし、万能にしようとすると変な方向にいっちゃう。あくまで自分と相手をちょっとうれしい気持ちにさせるための、軽やかなツールくらいがちょうどいいと思います。

まずは「変なところ」を見る?

褒めの種は相手の個性にある

F.I.N.編集部

では、褒める側になった時、どんな視点が必要ですか?

室木さん

褒めは尊敬なんですよね。相手のことを認めているというか、「私の世界にあなたはいます」というメッセージなんです。だから、相手のことをいいなと思ったら、何も考えずに褒めればいい。相手の意表をついたり、意外なタイミングを狙おうとすると、それこそ下心みたいなのが出てきてしまいます。だから、まずは恥ずかしがらずに褒めるのが1番です。

F.I.N.編集部

室木さん自身は、相手のどんなところを見ていますか?

室木さん

僕は「変わっている部分」を面白いと思って見ています。自分と違うところにこそ、その人らしさがあるので。「そんなことする人は、なかなかいないぞ」って褒めたくなるんですよね(笑)。

F.I.N.編集部

最近褒めたくなった人はいますか?

室木さん

「オモコロ」の編集長・原宿さんは、やっぱり変なんですよね。いい意味で(笑)。この間も、僕の仕事先の編集者さんと3人でファミレスで打ち合わせしたんですよ。原宿さんと編集者さんはほぼ初対面みたいな感じで、普通はちょっと気を使うじゃないですか。「とりあえずドリンクバーだけにしておこうかな」みたいな空気もあるわけで。それなのに原宿さん、いきなり料理をめちゃくちゃ頼み始めて。その時、「いやいや、初対面の人がいる場でそんな頼む!?」と思ったんですけど、同時に「すげぇな、この人」という尊敬みたいな気持ちもあって。変なんですけど、その「変」が本人の魅力として完成しているんですよね。僕はそういう、人の変さをすごく褒めたい派なんです。だって、自分にはないものを持っているわけですから。

SNS時代だからこそ必要な、

小さな褒めの広がり

F.I.N.編集部

褒め合う社会に近づくために、どんな意識が必要でしょうか?

室木さん

まず、自分を認めてあげることですね。SNSでいろいろなキラキラした人や生活を見られるようになって、それと比較して自分を低く見積もってしまう人が増えた。そんな社会になったからこそ、小さな褒めを素直に受け取れるかどうかで生きやすさは変わると思います。

F.I.N.編集部

自分のネガティブな部分も、誰かが褒めてくれれば価値が反転することもありますよね。

室木さん

そうそう。ここ数年、多様性が謳われていますが、僕はいいことだと思うんですよね。だって、多様性を認めることは自分自身も認めることになるじゃないですか。だから、華やかな生活をしてなくても、自分がいて社会が成り立っているということに自信を持ったほうがいい。そんな自分を認めて、褒めてあげればいいんじゃないでしょうか。

F.I.N.編集部

この先、褒めはどうなっていってほしいですか?

室木さん

「褒め合う社会をつくろう!」みたいなスローガンが掲げられたら、僕はすぐ逃げると思います(笑)。他人は自分の意思じゃ変えられないので、それぞれが自分のいい褒めをしたらそれでいいんじゃないでしょうか。だから、無駄にへこまないでほしいですね。せっかく家族や友達と過ごすなら楽しくあってほしい。そのために、たまに小さな褒めを取り出しながら自己肯定感を高めていけたらいいですね。

【編集後記】

室木さんのお話を伺い、自身の褒められた経験を振り返ると、思いもよらなかったことや自分なりに続けてきたことについての褒めを鮮明に思い出しました。さりげない言葉でも、染み入るようなうれしさや衝撃を感じる一言は時を経ても記憶に残っているようです。私は褒めをなかなか素直に受けとめられないことが多いのですが、「たまに取り出せる」くらいの距離感で、いただいた褒めと向き合いたいと思います。
また、人のことをもっと率直に褒めてみたいと思いました。素敵だなと感じたら、少し恥ずかしくても、勇気を持って伝えたいと思います。

(未来定番研究所 高林)