外からの視点が、物事の流れを変える。最近そうした場面を見かけるようになりました。新しい視点が交わることで、人々の思考や関係がほぐれたり、新しい発想が生まれたり。F.I.N.では、5年先を見据えた時「第三者の存在」が1つの鍵になると考えます。組織やチームの外にある視点がもたらすものや、そうした声の取り入れ方について、目利きの実践を辿りながら探っていきます。
岐阜県にある複合文化施設〈みんなの森 ぎふメディアコスモス〉(通称:メディコス)で、2015年のオープンから2024年4月まで、図書館長や総合プロデューサーを務めた吉成信夫さん。年間来場者を15万人から130万人へと押し上げ、図書館を「街のリビング」に変えました。東京都生まれのコンサルタントが39歳で岩手に移住し、ミュージアムや学校の立ち上げを経て、岐阜という新たな土地に飛び込む。今も自らを「よそ者」と言い続ける吉成さんに、「よそ者の流儀」を伺いました。
(文:船橋麻貴)
吉成信夫さん(よしなり・のぶお)
東京都出身。東京のCIコンサルティング会社などを経て、1996年に岩手県に家族で移住。東山町(現在は一関市)の「石と賢治のミュージアム」の立ち上げに奔走した後、廃校を活用したサステナブルスクール「森と風のがっこう」を2001年に開校。県立児童館「いわて子どもの森」初代館長を務めた。その後、2015〜2020年に「岐阜市立図書館」館長、2020年5月〜2024年4月まで〈みんなの森 ぎふメディアコスモス〉総合プロデューサーを務めた。現在は、明石市本のまち推進アドバイザー、中部学院大学兼短期大学部客員教授のほか、〈無印良品 柳ケ瀬店〉の「本のひみつ基地」など、図書館や文化的空間づくりに各地で関わっている。
よそ者の流儀①
覚悟を持って、土地に根を下ろす
東京でコンサルタントとして、企業のCI(コーポレートアイデンティティー)の仕事をしていた吉成さんが、家族とともに岩手県へ移住したのは39歳の頃。その移住には、ある強い決意があったといいます。
「普通、東京のコンサルタントだったら地域に通うじゃないですか。そして東京に戻っていく。僕はそれをやめようと思ったんです。行きっぱなしの覚悟で行く。大変なことがあっても戻らないで、その場所で一緒に留まりながら考えていこうって。地域のことをやるからには、やり逃げは良くない。その土地に暮らす人たちの近くでものごとを見つめるのは、やっぱり信頼感に繋がりますから」
岩手移住の決め手はもう1つ、敬愛する宮沢賢治の存在がありました。
「宮沢賢治は結局、花巻から動いていないんです。いろいろなことがあったと思うんですけれど、今から100年以上前にその土地に留まり続けた。留まり続けるからこそ見えてくるものがあると思ったんです。そして何より、言ってることとやってることが変わらない人でした。もう馬鹿みたいに正直なんですよね。僕もそれでやっていこうと決めたんです」
生活や暮らしに近いところからその土地に入り込み、苦楽をともにする仲になる。その覚悟が、「地域に根差したよそ者」としての吉成さんの新たな始まりでした。
よそ者の流儀②
信念を貫き、「創造的な破壊」を行う
岩手に移住した吉成さんの最初の仕事は、東山町の「石と賢治のミュージアム」の立ち上げ。当初は、宮沢賢治が技師として勤めていた砕石工場を活用し、観光客向けのお休み処を作るという計画が動いていました。
しかし、その活用方法に疑問を抱いた吉成さんは、非常勤の立場でありながら、発注寸前まで進んでいた計画を止めることを決意します。誠意を持って当時の町長や三役に話したところ、計画は凍結。発注寸前の公共事業をひっくり返したことで、当然周囲からは凄まじい反発が起きます。ある日役場に行くと、自分の机がなくなっていたこともあったそうです。
「組織だろうがコミュニティだろうが、僕は『創造的な破壊』をしなきゃ変わらないと思っています。どこまで壊して、新しい創造性を取り入れるか。その見立てはもう経験ですよね。だけど公共事業の場合、ただ批判しても止まらないんですよね。だから、行政にものが言えて協力もできる中立的なシンクタンクを町の人たちと立ち上げて、対案を絵巻物のように描いて提示しました。並べて比べた時に、どちらが良いかは一目瞭然でした」
宮沢賢治が勤めた砕石工場の歴史や文化を保全する「石と賢治のミュージアム」
この結果、新しい案への切り替えが決まり、砕石工場は当時の姿を残す形で保存され、現在の「石と賢治のミュージアム」へ。
その土地の人々を巻き込んで、誰もが誇りに思うような未来の選択肢を提示する。それが、吉成さんのいう「創造的な破壊」の作法です。
よそ者の流儀③
成果を急がず、誰かが前に出てきた瞬間を待つ
「石と賢治のミュージアム」の立ち上げに尽力した後、岩手で廃校を活用したサステナブルスクール「森と風のがっこう」を開校した吉成さん。しかし当初は、地元から「地域のために何やってくれるの?」「お金になるの?」という冷ややかな視線に晒されたこともあったそう。そこで始めたのが、月に1回、子どもたちと1日中遊び倒す「子どもオープンデー」。こうして種を蒔いていった結果、子どもを通じて出入りするようになった親たちが、併設のカフェに集うようになり、そこが地域の人たちのたまり場に。そんな地道な繋がりの積み重ねが、町の人たちとの信頼関係を築いていきました。
山里の集落にある廃校を再利用した「森と風のがっこう」
一般的なコンサルタントとは違い、長期的な視点で地域にじっくりと種を蒔き続ける。その独自のスタンスを、吉成さんはこう表現します。
「僕は、網を持っている人なんです。その網に何がかかってくるかは、来る人によって変わっていく。だから、成果をすぐに刈り取らないことが一番大事なんです。短い時間のなかで求められる成果をすぐに刈り取っちゃうのは、逆に可能性を摘み取ることになってしまう。だから基本姿勢としては、柔らかく声をかけ続けながら、じっと待つ。だけど、その人が自分ごととして、ふっと一歩前に出てきた瞬間を逃さない。その瞬間こそが、ものごとが大きく動き出すときだと思うので」
地域での実践を重ねるなかで吉成さんが出会ったのは、「地元学」という思想。外から来る人間がその土地で果たすべき役割について、吉成さんはこう語ります。
「地元学では、外から来る人を『風の人』、そこにずっと居続ける人を『土の人』と呼びます。風と土が混ざり合いながらその土地を深く掘り起こしていくと、昔の暮らしが持っていた豊かさや、自然エネルギーのルーツのようなお宝が見つかっていくんです。僕の場合は、外からきた『風の人』でありながら、その土地に留まって一緒に耕す『土の人』でもある。そんな両方の感覚を抱えながら、地域と向き合ってきたように思います」
よそ者の流儀④
土地の記憶を掘り起こし、シビックプライドを育てる
東京でビジネスパーソンとしてがむしゃらに働いていた頃、都会の真ん中で「スクランブル交差点を歩いている時のような寂しさ」を抱えていたという吉成さん。しかし、岩手に移住して深く土地に関わるなかで、その孤独感は消え去ったといいます。それは、地域に脈々と息づくような「地下水脈」の存在に気づいたから。
「人間がどこで繋がっているのか、掘れば掘るほど底が見えないような深さを感じるんです。今を生きる人だけでなく、かつてその土地を生きた人たちが培ってきた文化や言葉の集積を感じた時、不思議と寂しくないと思えたんです。土地の記憶をもう一度掘り起こしていくことは、そこで暮らす人にとっても、よそ者にとっても、本当に大切なことだと思っています」
その地下水脈を信じる哲学は、2015年にオープンした岐阜県の複合文化施設〈みんなの森 ぎふメディアコスモス〉の運営で大きな結実を見せます。全国公募での図書館長を経て総合プロデューサーに就任した吉成さんは、新しいハコモノとしての図書館を「本の蔵」とするのではなく、その土地の記憶や人々の営みが息づく「言葉の蔵」であると再定義しました。
図書館を中心に、市民活動交流センターや多文化交流プラザ、展示ギャラリーなどからなる〈みんなの森 ぎふメディアコスモス〉。写真は、クリスマスイベントの時の様子
本の中にある言葉だけでなく、今を生きる市民の生の言葉が行き交う場所にしたい。そんな思いから、ラジオ番組「小さな司書のラジオ局」、地域の歴史を深く掘り下げる講座「おとなの夜学」といった市民を当事者に変える試みを次々と仕掛けます。吉成さんは9年間、職員たちとも徹底的に言葉を交わし、対話を重ね続けました。
「意識改革といって無理に変えるのではなく、気がついたら皆が変わっている世界が一番いい。ここでは2年目くらいから、中高生たちが『図書館に行こう』ではなく『メディコス行こう』と縮めて呼び始めたんです。いつの間にかみんなが巻き込まれ、それが街のプライド(シビックプライド)になっていった。公共の建物という枠を超えて、皆の自由な居場所になっていたんです」
よそ者の流儀⑤
過去を見つめて、未来を輝かせる
吉成さんは、メディコスの年間来場者を15万人から130万人へと伸ばし、街の風景をがらっと変えた後、9年目の2024年4月にプロデューサーを退任。「終わり」を逆算し、最後の1年は次世代へバトンを繋げるために捧げました。それもまた、土壌を豊かにして去っていく、よそ者としての流儀なのかもしれません。
「僕の影響も含めて、バトンが続いていくのは5年くらいだなと割り切っています。その後は次の時代の人たちが考えればいいと思うんです。ただ、僕は岐阜を去らなかった。僕がここで生きている、見ているよっていう気配は、5年くらいは通じるかなと思っています(笑)」
現在、〈無印良品 柳ケ瀬店〉内の「本のひみつ基地」に拠点を置く吉成さん。岐阜放送社長の山本耕さん、岐阜地理学会理事の安元彦心さんとともに「柳ケ瀬文化的地層研究会」を立ち上げ、3人の発起人としてこの場所を生み出しました。
「本のひみつ基地」は、2024年9月に誕生した〈無印良品 柳ケ瀬店〉の一角にある、誰でも自由に本を読めるスペース
そこに置かれた1冊のノートには、映画の感想を綴る人から、リストラされて行き場を失った人まで、あらゆる地域の人々の言葉が千差万別に書き込まれ、2年足らずで7冊目に差し掛かろうとしています。緩やかで強固なサードプレイスを作りあげている吉成さんは、さらに先の未来を見つめてこう話します。
「『過去を凝視しなければ未来は見えてこない。未来を描かなければ過去は輝きを増さない』。出典はわからないのですが、僕がずっと大切にしている言葉です。その土地がどんな暮らしを積み重ねてきたかを知る。そのうえで、これからの未来を描く。そうすることで、過去が生き生きと輝き始め、地域の人たちがその言葉を自分ごととして受け取れるようになると思うんです。
岐阜に来てから13年。ずっとよそ者のままですが、それでいいし、それがいいと思っています。長く住めば土の人になるわけじゃないけれど、同じ土の上に一緒に立って、外からの風を吹かせ続けることはできる。これからの組織や地域に必要なのは、そこに眠る地下水脈を一緒に掘り起こしていけるような、そんなしなやかな第三者の存在なのではないでしょうか」
【編集後記】
「ぎふメディアコスモス」や「本のひみつ基地」を訪れて驚いたのは、地域の人たちの存在がすごく感じられる、ということでした。交流掲示板や感想ノート、地元の方によるまち歩きマップやトークイベントなど、そこに暮らす人の言葉を本当にたくさん見かけたのです。そのあとで吉成さんのお話を伺い、「その土地を一緒に耕す“土の人”」という言葉が、自分が現地で感動したことと重なるような感覚になりました。
地域や組織に外からの新しい視点を、と考えると第一に「風の人」がイメージされますが、風だけでは時として一方向的・一時的な考えが生まれかねません。同じ場所に留まり、掘ったり耕したりすることからも新しさは立ちあがるという考え方が、今からもっと注目され、大切にされるべきだと感じます。
(未来定番研究所 渡邉)