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2024.09.27
ゆるす
少しでも誤った発言や対応をしたものなら、ただちに糾弾され一発退場となりかねない昨今。過去の発言を掘り起こして非難する様子も見られ、年々「ゆるさない社会」が加速しているように思います。一方で、自分や他人を許すことの重要性を見直し、寛容さを大切にする動きも広がりを見せています。あらゆる場面で寛容さが増すと、私たちの生活はどのように変わるのでしょうか。F.I.N.では、この「ゆるす社会」を実践している人々を取材し、彼らの視点から未来の社会の在り方を探っていきます。
副業や在宅ワークが定番となり、退職者の再雇用を取り入れる企業が増えるなど、働き方が多様化する現代。組織のあり方にも新しい価値観が求められてきています。そこで今回は組織開発の専門家である勅使川原真衣さんに、今の日本の組織の課題や、組織のなかで「寛容になるべきこと」と「そうでないこと」について伺いました。
(文:花沢亜衣/イラスト:daisketch/サムネイルデザイン:小林千秋)
勅使川原真衣(てしがわら・まい)
1982年横浜生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。〈ボストン コンサルティング グループ〉、〈ヘイ グループ〉など外資コンサルティングファーム勤務を経て独立。2017年に度独立。二児の母。2020年から乳がん闘病中。著書に『
「能力」の生きづらさをほぐす(どく社)、『働くということ』(集英社)、『職場で傷つく』(大和書房)がある。
良し悪しをつけずにそのままを認める
F.I.N.編集部
日本の企業文化でこれまで規範とされてきた働き方や制度が大きく変化しつつある現状を、勅使川さんはどう捉えていますか?
勅使川原真衣さん(以下、勅使川原さん)
正直なところまだまださまよっているような状況だと感じています。なので、変わりつつある企業も多少あるという前提でお話ししますね。
そもそも、さまざまな状況で働く人がいるのだから、制度や働き方を一元的に定めるということに無理があると思っています。家族に介護が必要になるかもしれないし、自分が災害や事故に見舞われるかもしれない。私自身も4年前にがんが発覚し、現在闘病をしています。社員一人ひとりの状況も、組織の中の人も時代も変わるのだから、社内制度もあっけらかんと変えるぐらいの方が社会を変えていけるんじゃないかと私は思っています。
F.I.N.編集部
組織における「寛容さ」や「ゆるす」は必要だと思いますか?
勅使川原さん
私としては、「寛容・ゆるす」という言葉でなくてもいい気がしています。「ゆるす・ゆるさない」を語り始めると、「ゆるしてあげる・あげない」といった立場の違いや権力勾配を匂わせる感じがするし、「ゆるせる・ゆるせない」というと、余裕や資質、人格を求めるようなマッチョな能力主義が感じられます。つまり、どことなく特権のある視点で語っているようにも聞こえて。「ゆるす」ではなく、「認める」というシンプルな言葉を使ったほうがしっくりします。その上で、「認める」ということは必要だと考えています。
F.I.N.編集部
たしかに、「認める」と置き換えることができそうです。では、組織において「認める」ことがなぜ必要と思うのかを教えてください。
勅使川原さん
そうですね。「認める」というのは、良し悪しをつけずにその状態をよく見てあげることだと思うんです。すべてに共感する必要はなくて、それもあるよね、そうだよねとそのまま見ること。存在そのものを承認するといいますか。でも、それがなかなかできない。その背景には、どこかに答えがあるという一元的な正しさを強いてきた「能力主義」が根付いているからだと思うんです。
個々の能力が足りないのではなく、「組み合わせ」の問題である
F.I.N.編集部
勅使川原さんは著書などで能力主義について書かれていますが、「能力主義」とはどんなものなのでしょうか?
勅使川原さん
私たちは学校や会社で常に「選ばれる」ことを強いられています。その選抜の基準となっているのが「何ができるのか」という能力です。学歴や技術だけでなく、資質、人格、意欲などありとあらゆる点が能力として評価され、選抜の基準となっており、各所で「選ばれるためにがんばりましょう」という言葉が謳われています。
長い間、社会で培われていた能力主義は根強いものですが、同時にさまざまなところでほころびができていると感じ、能力主義に対して問題提起する著書を上梓しました。
F.I.N.編集部
脱・能力主義では、組織の課題はどのように解決するのですか?
勅使川原さん
例えば、「仕事ができないとされる人」がいたとき、多くの場合、その人の能力の問題にしがちです。しかし、仕事のやりづらさというのは、本人の能力の問題だけとはいえず、誰と何をどのようにやるか?という環境設定の側にも問題があることがほとんどです。逆に「仕事ができる人」は、自分が発揮できる機能と、組織からの要請が合致している状態なんですよね。その人の持っている機能のうち、評価されやすいものと、わかってもらいにくいものがある、ということもあると思います。
仕事柄、経営者やマネージャーの方々から組織作りについての悩みを聞くことが多いですが、たとえばの話、「優秀な人がいない」とよく相談されます。そういうときに、そのまま「じゃあどうやって探しましょうか!」と問題設定に乗っからずに、「組織として今足りている機能は何で、足りていない機能は何でしたっけ?」と問題設定を切り替えていくことが組織開発の嚆矢です。安易に他者に良し悪しをつけることなく、ただただ足りない機能を補い合い、組み合わせるような組織開発が、他者を認めることであり、「寛容・ゆるす」姿に近いのではないでしょうか。
F.I.N.編集部
私たちはどうして能力主義から脱却できないのでしょうか?
勅使川原さん
繰り返しになりますが、正しい答えがどこかにあるはずだと信じ切っているからでしょうね。組織は1つ正しいことを決めてやるべきであるとか、決めたら一気通貫でやるべきであるとか。長い間、そういう意見こそが「正義」だと認められてきたので。
でも、一元的に方針を決めるということ自体が特権的だし、ゆらぐ人間に対しては傲慢なこと。能力主義がうまくいっていないがゆえに、今の状況があるのだから、まずは一元的な正しさ、能力主義を手放したほうが良いのではないでしょうか。
自分1人では仕事はできない。互いを認める組織作り
F.I.N.編集部
組織である以上、目指す目標や達成すべき事業があると思うのですが、他者を認めながら組織として機能させるために大切なことは何だと思いますか?
勅使川原さん
組織として目指そうとしている目標の可視化は必要だと思います。でも、その目標に到達するために、単一的な登り方、ルートまで強要することにはならないはず。いろんなルートがあって、いろんな登り方、いろんな休み方、いろんな膝の曲げ方をして、それぞれのやり方で山頂を目指せばいいわけで。そうやってそれぞれの力を発揮することができれば、組織としての総力も上げていけるんじゃないかと考えています。
F.I.N.編集部
そのためには何からはじめるのがいいでしょうか?
勅使川原さん
私は、感謝の気持ちからはじまる組織開発を提唱しています。仕事ができる・できない、良い・悪いではなくて、まずは「この組織に来てくれてありがとう」なんだと思うんです。誰しも完璧じゃないし、完璧な組織もないのですから。
そのためには意思疎通が必要です。半年に一度面談をしたり、目標管理シートで管理するよりも、毎日「調子はどう?やりにくいことはない?」と対話をすること。これまでさまざまな組織を見てきましたが、うまくいっている組織には共通しておしゃべりや何らかのふれあいがあるんです。お互いの存在を承認したうえで、全員に発言権があるような環境がつくれれば、隠れた才能が見つかるきっかけにもなる。
具体的には、やっぱり組織のトップ層からそのような環境をつくっていくしかないと思っています。能力主義が根付いている環境だと、上司からの評価を気にして働くことになり、周りがライバルに思え、メンバー内でも認め合うことは難しい。組織に必要なのはわかりやすい能力がある人だけではないという考えが組織のトップ層にあるかないかで、その組織内の「認め合う」姿勢は変わってくるとも思っています。
F.I.N.編集部
人と人との関わりの中で、他者を認められるようになるにはどんな姿勢、考え方を持つといいと思いますか?
勅使川原さん
自分1人でできることはわずかだと気づくことから始まると思います。車を例にすると、アクセルやハンドルのような機能は目立つけど、それだけでは車は動きませんよね。ブレーキがあって、方向指示器があって、それらを繋ぐさまざまな小さなパーツが必要。周りの人の力があって自分がこの部分をやっているんだというメタ認知が大事だと思うんです。能力主義とは、社会をわかりやすくまとめるための原理です。そこに囚われて、自分自身の選択の幅を狭める必要はないと思います。
周りを見るときも、「あの人は使えない」って思った瞬間に、「なんて言って自分も持ちつ持たれつやらせてもらってるよな」……と我に返ってみる。「あの人がいるから自分の機能が発揮できている……ありがとうだな」と思えてくるはずです。そして、やりづらそうな人を見つけたら、その能力の糾弾するのではなく、チームの組み合わせが悪いんじゃないか、どうしたらその人が輝けるのかを考えてる。そのほうが組織としてよっぽど健全なのではないかと私は考えています。
組織として達成したいことを1人が担うものでもないはずで。組織に必要な機能はいろいろあるのだから、それぞれができる機能を適所で発揮させればいいじゃないですか。そうやって1人の人間では担い切れない部分を寄せ集めた結果、何とか回っているのであれば十分素晴らしい組織だと思います。
F.I.N.編集部
勅使川原さんは、5年先の未来、どんな社会になっていたらいいと思いますか?
勅使川原さん
嘘ものじゃないダイバーシティー&インクルージョンが実現する未来を思い描いています。「個人をよく見てあげること」、「感謝から始める組織開発」を実行して、脱・能力主義が広まれば、包摂もあながち夢ではないと、考えています。逆に言うと、いくらウェルビーイングだとかダイバーシティー&インクルージョンといっても、能力主義のままでいる限りは「できる人」「できない人」に二分されるので、排除の構造はなくならないのではと危惧しています。
人口減少社会において、これ以上に人を選別し続けていて大丈夫なのかという問いでもあるんですよね。みんなでゆるし合い、助け合いながら生きていかないといけないのに、昭和の価値観で自分だけ生き抜こうとか、人を出し抜いてやろうといった競争の概念のままでは立ち行く気がしない。そういう意味でも、対話をしたり、感謝をしたりして、認め合うという行為、もっと言えば「生き合う」ということが大切になってくるんじゃないでしょうか。
【編集後記】
昔々、大好きで尊敬していた10歳ほど年上の先輩が異動される際に「もう私ダシがらなのに、まだ会社は使うのよ」とおっしゃって、それを聞いた若き日の私は「先輩は仕事が辛いのだな 気の毒だ」と単純に思ったのですが、今では逆だったのでは?と思うようになりました。
もう一仕事やってよ、と期待されていると思うと力がわくし、新しい場にワクワクされていたのかも。
家庭でも職場でも、きちんと挨拶をして、相手が名もなき家事や雑務をしてくれたら感謝して、自分もやれることはできるだけやって、ふだんから対話が生まれればとてもいい。素晴らしい組織とは?優秀な人とは?時代や環境がこれだけ変わったのだからしっかり自分の価値観を見つめて随時アップデートし続けねば、と痛感しました。
(未来定番研究所 内野)
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「働く」の解放