地元の見る目を変えた47人。
2023.11.01
わかりあう
「多様性」「ダイバーシティ」「共生」という言葉が一般的となり、「わかりあおう」という動きが加速している昨今。社会としても過渡期がずっと続いているからこそ、そういった言葉だけに流されず、「真の多様性」についてしっかりと考えていきたいもの。そこで今回ご登場いただくのは、タンザニアでフィールドワークを続ける文化人類学者の小川さやかさん。世界の多様性を知る小川さんのお話から、「真の多様性」に近づくヒントを探ります。
(文:船橋麻貴/イラスト:Tomoe)
小川さやかさん
文化人類学者。立命館大学先端総合学術教授。
1978年愛知県生まれ。大学院生だった2001年からタンザニアでフィールドワークを始める。国立民族学博物館機関研究員、同助教、立命館大学准教授などを経て現職。『都市を生きぬくための狡知』(世界思想社)で第33回サントリー学芸賞、『チョンキンマンションのボスは知っている』(春秋社)で第8回河合隼雄学芸賞、第51回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。ほかの著書に『「その日暮らし」の人類学』(光文社新書)などがある。
X(旧Twitter):@machingirl2011
そもそも私たちは「わかりあえる」のか
F.I.N.編集部
小川さんは文化人類学者として、アフリカのタンザニアでフィールドワークを続けてこられました。多様な文化や価値観に触れるなかで、「わかりあう」ことの難しさに直面することはありましたか?
小川さん
それはもう、アフリカ社会ではそんなことばかりです(笑)。とくに田舎の方に行くと、女性は年上の男性に跪いて挨拶しないといけなかったりと、日本の価値観では理解し難いことがたくさんあります。正直、嫌だなと思いますが、それをぶつけてしまってはフィールドワークになりません。だから現地では自分たちの正しさや合理性などを一旦飲み込んで、サバイブしながら生きていく感じですね。
F.I.N.編集部
世界に目を向ければ、日本の「当たり前」が通用しないことが多そうですね。
小川さん
日本と海外では感情や語彙が異なることも多いですよね。ドイツの歴史家、ヤン・プランパーの『感情史の始まり』でも書かれていますが、戦士が戦争に行く前にぶるぶると震えていると、私たちは「死に至る可能性があるから、恐怖を感じている」と思いますよね。ところが別の社会では、臆病にさせるような何かが彼に取り憑いていると捉え、除霊や儀式で臆病を取り除くわけです。このように根本的な考え方が異なることから、原理的に他者をわかるというのは、非常に難しいことだということがよくわかります。
F.I.N.編集部
たしかに、異なる文化や環境で暮らしていると、わかりあうことの難しさをより実感しそうですね。
小川さん
とはいえ、同じ日本人であればわかりあえるかといったら、そうではないと思います。アフリカ研究をされている文化人類学者・松田素二先生が、著書『抵抗する都市 ナイロビ移民の世界から』の中で、「0%と100%の嘘」という話を書かれているのですが、私たちは同じ日本人だというだけで相手の考えや感情を100%わかった気になってしまうことがあり、反対に違う国や民族の人に属しているだけで、相手を理解・共感する可能性を0%に閉じてしまうことだってある、と。たしかに、私たちは海外で困った時に日本人と出会うと、この人なら「わかってくれるに違いない」なんて思ってしまいますよね。実際にはそんなわけないのに、こうした魔法にかかってしまうのは、人種や男女、健常者と障がい者といった人間を特定のカテゴリーで仕分ける区分(人間分節)が社会に存在するから。女性である前に一人の人間として「個」があるにも関わらず、「同じ女性なら当然わかりあえるよね?」と、同じ区分の人に共感すら求めてしまう。
松田先生はこれを「類化のマジック」と言っているのですが、その人間分節の中でも弱い側にいる人がその魔法にかかりやすいともおっしゃっています。社会の中で「〇〇は××だ」とラベリングをするのは、いつも強い側の人たち。けれども、抑圧や怒りを抱く弱い側の人たちはその痛みに共感するため、連帯することで逆に恣意的に作られた区分を強化してしまう、と。私たちは明確にはラベリングできないはずなのに、「リア充/非リア充」とか「モテ/非モテ」といった新しい区分がどんどん作られ、それを疑問に思わなくなるメカニズムがあるのです。それが強化されていき、同じ属性の人は100%理解できるような気になり、それ以外の他者とは全くわかりあえないと思い込んでしまう。そもそも人と人は100%わかりあえるわけないのに、今の社会にはそういう罠が潜んでいるのです。
F.I.N.編集部
昨今では、私たちは他者と100%わかりあえないと理解しながらも、わかろうとする風潮があるように感じます。それはなぜだと思いますか?
小川さん
その理由の一つとしては、ネットやSNSでのコミュニケーションが急増したからではないでしょうか。私たちは対面でコミュニケーションを取る際、目の前にいる相手の言語以外の情報を読み取ろうとしますよね。目や手の動き、それから現状置かれている相手の環境や育ってきた背景なども鑑みて「自分と価値観や考え方の違う人もいるよね」と思うし、相手と仲が良くても「今日は会話が噛み合わない」と、なんとなく理解して生きています。一方、ネットやSNSでのコミュニケーションは断片的だし、一方的だったりもする。わかりあえない相手がいると、議論を繰り広げて無理にでもわかりあおうとする空気感が漂っていますよね。しかも、オフラインでのコミュニケーションと違って、話を流したり、目をつぶったりすることが少ない。本来、相手に合わせて調整しながら生きていくはずなのに、オンラインではそれがうまくできてない。だからコミュニケーションにバグが起き、無理にでもわかりあおうとする動きが加速しているのかもしれません。
タンザニア商人に学ぶ、多様な人間関係
F.I.N.編集部
では、なぜ私たちは多様性社会を目指すのでしょうか。そこに利点があるからですか?
小川さん
いろいろな人がいて、多様な社会があることを知っておくと、自分が見ている世界の捉え方を変えられると思います。私はアフリカ社会で暮らした時、一夫多妻制の捉え方に変化が起きたことがあります。現地では水を汲みに行くのにも往復1時間以上もかかるし、洗濯機がないから洗濯も手作業だし、あらゆる家事が重労働。朝から晩まで働かないと、終わらないんです。その点、妻が何人もいれば家事を分担できて、実は理に適っていたりする。妻同士で井戸端会議をしてなんだか楽しそうに暮らしていたりして。頭で仕組みを理解するだけでは知り得なかったことが、現地で実践的に見えてきたんです。
これは人間関係にも言えることで、「わかる」「わからない」を前提にすると、他者理解は全然できません。そもそも他者を100%わかるというのは、極めて暴力的なこと。だから、わかろうとするモードでいると、わかりあうハードルが上がってしまい、他者理解は進みません。わかりあえない前提のもとで、どうやったら相手といい関係を築けるか。一緒に生きていきながら、そうやって調整しながらやっていくとダイバーシティ社会が進むと思います。
F.I.N.編集部
それは日本でも応用できるものでしょうか?
小川さん
日本で暮らしていると、どうしても同じ価値観を持つ人と関係を築きがちですし、同じ価値観を持っていないと別のコミュニティに入れない気すらしてしまいます。そうしてますます自分と違う世界と関わらずに生きてしまう。だけど実際、自分と異なる価値観を持つようなコミュニティにいくつか属していれば、いつかの自分を救ってくれることにもなるかもしれません。
というのも、私が研究しているタンザニアの商人たちは、ダイバーシティが大事だとは言いませんが、多様な人間関係を築いているんです。なぜかというと、多様な人間が周りにいた方が自分にとってメリットになると実感しているし、その人たちとわかりあえなくても付き合っていける術を持っているからです。私たちからしたら異なる価値観を持つ相手と交渉することはコストになるけれど、不確実性の高い社会で暮らすタンザニア商人たちは、複数の仕事を掛け持ちし生計が多様化しているので、その人脈がいつか自分の商売に役立つと考えているんです。
そうしたタンザニア商人の考えは、日本で暮らす私たちの人間関係にも転換できるはず。だって、今所属しているコミュニティが息苦しく感じたり、人間関係がこじれたりと、上手くやっていけなくなる日が来ないとは限らないじゃないですか。そんな時、タンザニアの商人のように人間関係をある程度多様化していれば、そこが逃げ場になり得るかもしれませんから。
F.I.N.編集部
逃げ場となるような新たな居場所があることで、心の余裕ができるのですね。
小川さん
今の人間関係が上手くいかなくなったら、別の場所でサバイブすればいいと思えば楽じゃないですか。そういう意味で、多様性は縮減しない方がいいですよね。世界が全く同じになってしまったら面白くないし、どこにも逃げられなくなってしまいますから。いろいろな考え方や多様な社会があれば、どこかで私を受け入れてくれるはずだし、上手くやっていける場所があるに違いない。そうやって希望を少し持って生きていけるといいですよね。単なるロマンチックな思想ですけど(笑)。
スリープ状態の人間関係を立ち上げて生きていく
F.I.N.編集部
複数のコミュニティに所属するのは良いことだと思う反面、自分と異なる価値観を持つ人と関わっていくことに、少しハードルを感じてしまいます。
小川さん
上手くやろうとしなくていいんですよ。だって、他者のことは100%理解できないので、上手く人と付き合えないのがデフォルトですから。私たちはマジメすぎるゆえ、わかりあおうと努力しすぎてしまうんですよね。だけど、先ほどから言っているように、それでは相互理解は深まりません。お互いに寛容さを持ち合わせて、実感を伴いながらゆっくりと理解していく。のんびり作戦でいきましょう。
F.I.N.編集部
世界の多様性を知る小川さんでも、他者と上手くやれないと感じることはありますか?
小川さん
もちろん。私は大学院の教員なので社会人経験豊富な学生も多く、なかには自分が積み上げてきた考えが揺るがない人もたくさんいます。そういう頑なな考えに対して、真っ向から否定したりしてもうまくいきません。まずはその頑固さを解きほぐす方法を探してみる。自分が柔軟になれば、相手も柔軟になっていく気がします。
F.I.N.編集部
なるほど。最後に5年先の未来では、多様性社会はどうなっていると思いますか?
小川さん
私たちは人間関係をメンテナンスしながら生きないといけないと思いがち。ですが、スリープ状態にしておいて、急に立ち上げることもできるんですよね。普段、私は大学内で同僚の先生と仲良しですけど、高校や大学時代の友人たちと久しぶりに会えば、肩肘張って頑張っている大学教員としてではない自分にすぐ戻れるわけです。やり取りの頻度からすると、大学の同僚の先生の方がよほど親しいけど、普段はスリープ状態にしている学生時代の友達との人間関係もたしかに存在するんですよね。自分が岐路で迷った時や落ち込んでどうしようもない時、その都度、上手にスリープ状態の人間関係を立ち上げられる。そんな寛容さを持つ社会になっていたらいいですね。
【編集後記】
「話せばわかる」というのはよく耳にするフレーズですが、そりゃわからないことだってあるよなあ、と小川さんのお話しを伺いながら考えていました。他者とのコミュニケーションを諦めるわけではありませんが、自分自身、他者のことをわかろうと前のめりに思いすぎていたり、わからなければいけないと思い込んでいたりしたのではないかという気がします。わからなくても「まあいいか」と一緒にいることや、コミュニティ間の自由な往来を許容する社会は、人間関係などの悩みから解放され、居心地のよい暮らしを送れるのではないかと思いました。
(未来定番研究所 中島)
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