地元の見る目を変えた47人。
2022.03.07
私たちは他人とのつながりと無縁ではいられません。しかし、ときにはつながりを持つことに臆病になることも。特に困難を抱える人とつながること、支援することにためらいを感じることもあるのではないでしょうか。「自分に何かできることはないだろうか」といった気持ちは湧くものの、「寄付は自己満足ではないのか?」「中途半端に関わるのは逆に迷惑では?」と結局は行動に移せないまま……。
そんな心のバリアを持たず、困難を抱えている人たちと積極的につながろうとする人がいます。北九州を中心に30年以上にわたって生活困窮者の支援を続けている牧師の奥田知志さんです。
奥田さんはNPO法人「抱樸(ほうぼく)」を運営し、これまでに3600人(2021年3月現在)以上のホームレスの自立を支援してきました。ほかにも子どもや障害者の支援など「ひとりにしない支援」を精力的に行っています。奥田さんを突き動かすものとは。
(文:南澤悠佳/イラスト:光家有作)
「一緒にいる」「つながっている」ことは立派な支援
炊き出しは抱樸の活動の原点でもあり、現在も続く基本的な活動です。しかし、「炊き出しに意味はあるのか?」と迷ったこともありました。
食に困っている人に食事を提供しているわけですから、もちろんまったく意味がないとは思いません。最初は「命を守る活動だ」とすら考えていました。でも、週1回、金曜日の夜にお弁当を配るだけで「命を守る」は言い過ぎですよね。本来は365日、1日3食必要なわけですから。私たちが解決できているのはその一部にしかすぎないわけです。
「それなら、なんのためにするのか?」。仲間たちとの議論の末に辿り着いたのは「炊き出しは友だちの家に手土産を持っていくようなもの」という考えでした。1食とはいえ、炊き出しは飢えに関する課題をわずかながらも解決しているのは事実です。でももっと大事なのは「あそこへ行けば、あの人たちがいる」と安心をもたらすこと。炊き出しという行為を通して、いざとなったら助けてと言える友だちのような「つながりをつくること」なんだと。
路上生活者と話すと「畳の上で死にたい」と言うんです。じゃあそうした人たちに住まいを提供したら満たされるのかというと、そうではない。なぜなら孤独の問題も抱えているから。彼らからは「自分の最後は誰が看取ってくれるのだろう」という言葉がこぼれ落ちます。つまり「誰が」の問題が残るんです。
このことが示唆しているのは、「支援活動は2つの問いに同時に応える仕組みを必要としている」ということです。1つは「何が必要か」の問い、もう1つは「誰が必要か」の問いです。前者は問題解決型支援で、「何が」の問題の解決がゴールです。後者の「誰が」の問いに答えるために、「一緒にいる」「つながる」ことが支えとなる伴走型支援を意識するようになりました。
助けたり、助けられたり。つながりが持つ相互性
今の日本では路上のみならず、社会全体で誰ともつながれていない「社会的孤立」が広がっています。
抱樸では30年前に「ハウスレス」と「ホームレス」の言葉を使い分けました。路上生活者にとって解決するべき喫緊の問題は経済的困窮です。その象徴的な状態が「家がないこと」なので、これを「ハウスレス」と表しました。一方、社会的なつながりのない「社会的孤立者」は「帰るところがない」「心配してくれる人がいない」ことから、心の拠り所という意味合いが強い言葉「ホーム」を用いて「ホームレス」としています。
社会的孤立に対応する伴走型支援は、問題を解決したかどうかの結果よりも、「つながっている」状態の維持を重視します。
ただし、つながりを持とうと働きかける人が「全部やらなくてはいけない」と抱え込まないことです。手を差し伸べられた人が「この人しかいない」となると双方の負担が大きくなってしまいます。「特定の一人」との関係が途切れたら、社会とのつながりが絶たれてしまう可能性だってある。でも、もし100人とつながっていれば、多少誰かが欠けてもなんとかなりやすい。そして複数のつながりがあると、あるときは助けられた人が別のときには助ける側に回るなど、相互性を生み出します。
もちろん、数が多ければいいという単純な話でもありません。人間関係を築こうとすれば関係性にグラデーションが生じます。最低2~3人は濃いつながりを持ち、そのほかは緩やかにつながるイメージ。これこそが、誰かとつながる上で本質的に大切なことだといえます。
人は“いいこと”をしていても悩むもの
現在、人がつながれる場所を生み出すため、生活困窮者だけでなく、子どもや若者、地域に暮らす人たちが共生する拠点施設をつくっているところです。場所は北九州市小倉北区にある、特定危険指定暴力団の旧本部事務所跡地。
「怖いまち」のイメージを払拭するため、「希望のまちプロジェクト」と銘打ち、「孤立している人がいないまち」「ひとりも取り残されないまち」を目指しています。土地の購入に1億3,000万円の借金をしましたが、折しもコロナの感染拡大期。コロナ関連死をくい止めるべく、支援付き住宅を提供するため「コロナ緊急 家や仕事を失う人をひとりにしない支援」のクラウドファンディングを行いました。
「1億3,000万円以上の借金をしているのに、人に配るための1億円のクラウドファンディングを始めるなんて!!」と驚かれもしましたが(苦笑)。ありがたいことにクラウドファンディングには1万人以上が参加してくれ、1億1,500万円が集まりました。
「人のためにしていることは、自分のためなんじゃないか」に対する明確な答えは多分ないんですよね。友人からは「奥田さんは多くの人のために行動しているから、元気なのかもね」と言われたことがあります。人のために何かをすることは、必ずしも犠牲的じゃない。自分自身を元気にすることもある。ある意味、利他と利己はセットなんじゃないかなと。
30年以上支援活動をしていて思うのは、人間ってね、何を選んでもすっきりしないんです。たとえそれが“いいこと”だとしても。困っている人たちに寄付をしたとしましょう。それでも悩むんです。「自分は口座のお金を動かしただけで、何もしてないよな……?」って。
でも、一度行動をすれば「寄付をしたから、支援活動をしている奥田さんに一度会いに行ってみるか」と、次の行動が生まれやすい。何かを始めれば物事が始まるし、始めなければ始まらない。「まずは一度、やってみなはれ」ですよ。
「抱樸」の言葉に込めた、目指すべき社会の姿
ホームレス支援から始まり、街づくりへ。名が体を表すように、活動のありかたの変化と「抱樸」の名前には通じるところがあります。
もともとは「北九州越冬実行委員会」として始まり、2000年にNPO法人となり、名称を「NPO法人 北九州ホームレス支援機構」と変えました。そのとき、私は「1 日も早い解散を目指します」と宣言しました。それは「ひとりの路上死も出さない」「ひとりでも多く、一日でも早く、路上からの脱出を」 「ホームレスを生まない社会を創造する」と、問題解決を目指し、問題がなくなれば、私たちはいらなくなると考えていたから。
でも残念ながら、この社会が我々を必要としない日は来ない。それは経済格差も貧困も単なる景気の問題ではなくて社会構造の問題だから。それに気づき、活動は自立支援に留まらず「出会いから看取りまで」「人生そのものに伴走する」ことを目的として、2014年に「NPO法人 抱樸」と名前を変えました。
抱樸とは老子の言葉で、山から切り出された荒木(樸)をそのまま抱きとめるという意味です。樸は加工されていないので、とげとげしかったり、ささくれていたりもします。それを抱くことは、痛みをともないます。でも、人間ですから時には傷つけ合い痛むこともあるでしょう。しかし、私たちが目指しているのは誰も取り残されない社会、誰もがありのままの状態で受け入れられる社会です。だからこそ、伴走型支援でつながりを持ち続けることが大事になってくると思うのです。
奥田知志
1963年生まれ。NPO法人抱樸理事長、東八幡キリスト教会牧師。 関西学院神学部修士課程、西南学院大学神学部専攻科をそれぞれ卒業。九州大学大学院博士課程後期単位取得。1990年、東八幡キリスト教会牧師として赴任。同時に、学生時代から始めた「ホームレス支援」に北九州でも参加。事務局長等を経て、北九州ホームレス支援機構(現 抱樸)の理事長に就任。これまでに3750人(2022年3月現在)以上のホームレスの人々の自立を支援。
【編集後記】
「まずは一度、やってみなはれ」。
取材を終えてから、奥田さんのこの言葉が忘れられません。
自分に何か出来ないだろうか? 中途半端な気持ちで関わってよいのだろうか?
こんな心の葛藤を持っている方が、ほとんどだと思います。私もそのうちの1人です。
頭で悩まず、まずは行動してみる事が大事なんだと。より多くの人が経済的困窮、社会的孤立しないように祈るだけでなく、ささいなことでも行動していきます。
(未来定番研究所 小林)
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F.I.N.的新語辞典
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