2022.03.14

仲間はカスタマイズする時代へ。社会学者と考える「これからの仲間」のカタチ。

友人、親友、家族。人と人とのつながりを表す言葉は数あれど、とりわけ「仲間」は抽象度の高い概念です。人間は集団の中で暮らす社会的存在ですが、果たして仲間と呼べる存在を持つ人はどれほどいるでしょうか。これからを生きる私たちにとっての「仲間の意味」を考えるため、社会学者の伊奈正人さんに話を聞きました。

(文:末吉陽子 イラスト:おおの麻里)

Profile

伊奈 正人(いな・まさと)

東京女子大学 現代教養学部 国際社会学科教授。専門は文化社会学、青少年の心理、アメリカ社会学史など。

仲間を形づくるのは「問題を解決するための連帯」

F.I.N.編集部

「仲間」を辞書で引くと、「一緒に何かを行う間柄」「同じ仕事をする人。また、その集まり」と定義されています。伊奈先生は、仲間とはどのような存在だと考えていますか?

伊奈先生

ざっくり言いますと「ともに問題解決にあたるときの間柄」だと考えています。問題解決には「困難などに直面したときの対処」だけではなく、「何かを達成すること」という前向きな意味合いも含まれます。ネガティブorポジティブな事柄があり、連帯して対処・達成したときに、関わった人同士で抱く感覚こそ「仲間」だと言えると思います。

 

F.I.N.編集部

なるほど。「自分たちは仲間だ」と決めて仲間になるのではなく、問題解決のプロセスで生まれる連帯感が仲間という関係性をかたちづくるということでしょうか?

伊奈先生

そうですね。前提として「その問題を解決する対象として捉えている」という共通の価値観は必要になります。ですので、仲間はいろいろな時点で誕生する連帯感だとも言えますね。たとえば災害のとき。私は阪神大震災の直後、瓦礫だらけの街を訪ねたことがありました。惨状に、何をしていいか分からない様子で呆然と立ち尽くしていた人たちで溢れていました。そのときに髪をグリーンに染めた青年が目の前を通り過ぎたんです。どうやら皆のために水を一生懸命運んでいる様子。彼は紛れもなく、その場に居た人たちの仲間だったわけです。

F.I.N.編集部

普段の生活では関わり合いを持たないような人同士が、災害という共通の問題に直面したときに連帯が生まれたということですよね。

伊奈先生

はい。そこでもし「お前が来るところじゃない」と排斥する人がいたとします。内輪だけの関係にこだわり誰かを排除しようとする人は、現代の社会では仲間をつくりにくい人でしょうね。仲間をつくるには「いろいろな人とつながることにためらいがない」「連帯を持とうとする人を受け入れられる」のような基礎的な人間力は必要になると思います。

群れを嫌う「フリーランスの医師」の仲間力

F.I.N.編集部

現代の日本は、一人でも生きていける環境が整っています。それゆえ仲間を必要としない人もいますよね

伊奈先生

特に解決するべき問題がなく、本人がそれで良しとするなら仲間を必要としなくても良いと思います。必ずしも連帯することが最善とは限りませんから。ただ、本当に仲間のいない人生で、自己実現できるのかという点は考えたほうがいいかもしれません。

F.I.N.編集部

それはなぜでしょうか?

伊奈先生

人間社会に存在する問題の多くは、仲間によって解決することが必要になるからです。たとえばドラマ『ドクターX』で、米倉涼子扮する主人公の大門未知子は「群れを嫌う孤高の医師」として描かれていました。しかし仲間がいなくては手術ができませんよね。逆に手術の場面では、スキルの高さを武器にして医療チームを自在にカスタマイズして、連帯を生み出している。つまり彼女は状況に応じて人を配置したり操ったりできる人、つまり仲間づくりに長けている人だと言えます。

F.I.N.編集部

確かに大門未知子は、手術以外のことは「致しません」と宣言して仲間を拒絶しているように見えますが、手術では抜群の結束を生み出す中心人物ですね。

伊奈先生

世の中には、大門未知子のような仲間づくりの達人がいます。達人の介在によって人と人とが緩やかにつながり、問題解決にあたることができるわけです。ただし、すべての人が達人になろうとしなくてもいいと思います。いずれにしても、仲間の一員として相応しい振る舞いをするには、お手本が要りますよね。どのようにつながればいいのか、適切な距離感を見つけるには、ある程度の経験も必要です。「会社の人からいつも無理なお願いごとをされるけど断れない」という人は少しだけ勇気を出して、「いたしません」と言ってみると距離感が変わるかもしれません。おすすめはしませんが(笑)。

F.I.N.編集部

確かに、仲間との距離感をどう探ればいいのか、難しいですね。

伊奈先生

工夫はいろいろあるでしょう。テレビやYouTubeで垣間見ることができる仲間の関係性は、ある意味「仲間のテンプレート」のようなものです。こうした仲間のテンプレートを参考に、距離感を探るためのコミュニケーション術を学ぶといいかもしれません。

これからの仲間づくりに必要なカスタマイズスキル

F.I.N.編集部

仲間をつくるには、コミュニケーションの向上などの自助努力も必要ということですよね。特に大人になると、仲間をつくることに難しさを感じる人もいるはず。

伊奈先生

仲間が欲しいか欲しくないかの個人的な欲求とは別に、いまの日本社会は仲間を持ちにくい時代であることにも目を向けたほうがいいかもしれません。昭和の時代は、職場、家族、地域に所属さえすれば、すべての問題を解決できる仲間を持てました。たとえば恋愛ができなければ職場で紹介もされたし、定年後も同期と遊べば満足。特に職場はすべてを解決してくれるオールインワンの仲間を提供するプラットフォームでした。

 

しかし1980年代以降の経済の変容、さらにはグローバル化や情報化によって、日本的集団主義と絶賛された関係性が最適解ではなくなりました。雇用の多様化によって、自分で仲間を選び、コーディネートするカスタマイズスキルのようなものが必要になってきたわけです。オールインワンの仲間に息苦しさを感じていた人にとって、主体的に仲間を探しやすくなったことはポジティブな変化です。

F.I.N.編集部

選択肢があることは自由を感じる一方で、難しさもありますよね。

伊奈先生

その通りです。選択肢がたくさんあると、自分が求めている仲間を選びにくいこともあると思います。たとえばファミリー向けに新しく都市開発された新興住宅地での暮らしを選ぶというのは、これまでの地縁とは別のコミュニティ、いわゆる仲間を選択するわけですよね。子育てしやすい街を選ぶ背景には、おそらく自分と同じように子どもを持つ人たちの仲間を求めているという面もあるはず。子育てという明確な問題があり、それを仲間との連帯で解決したい場合は、難しい選択ではないと思います。

 

ところが、そうした問題が特にない人、かつ自分自身の生き方に明確な価値観を持たない人だと、仲間をコーディネートしにくい時代だと思います。そうした人にとっては、かつてのようなオールインワンの仲間が精神的なセーフティネットとしても機能していたわけですから。

F.I.N.編集部

なるほど。誰かの生きやすさは、誰かの生きにくさにつながっているということなのかもしれませんね。では、これから仲間のかたちは、どのように変わっていくと思われますか?

伊奈先生

仲間づくりの場としてメタバース空間も話題ですが、リアル空間に敵うのだろうかというと疑問です。コロナ禍のようなときに人と会えないことの代替手段としては機能するでしょう。しかし、リアルな仲間を求める欲求を持つ人はそこまで減らないのでは。あとは、仲間づくりのデータベースは整備されていくように思います。つまり自分に合う仲間を選択しやすいようなアシストツール、カスタマイズスキルを補強するツールのようなものですね。これからの仲間づくりは、感覚的な選択から、より合理的な選択になるのではないでしょうか。

【編集後記】

文化社会学の視点から、仲間を捉えると、仲間の本質やメカニズムをよく理解できます。

「あの人と仲間になりたいのになれない」とき、おそらく「なぜ?」が駆け巡り、「自分に問題があるのか?」など様々考えてしまいがちです。

理由は単純で、共通の問題がシェアできていないからと考えると気が楽になります。

あらゆることが便利になり、一人で出来る事が多くなりましたが、仲間がいないと解決できない問題もまだ多くあります。

仲間づくりの原点に立ち戻り、チームづくりに役立てたいです。

(未来定番研究所 窪)