今、興味を持ったことを学ぶ場や手段が、以前よりも多様に広がっています。ただ知識を増やすのではなく、新しい視点と出会い、自分自身の世界が広がっていく。そんな体験に、本質的な豊かさを感じる人が増えているのではないでしょうか。知ったり学んだりする経験は、人や社会に何をもたらすのか。そして、これからの暮らしとどのように繋がっていくのか。さまざまな目利きたちとともに探っていきます。
今回お話を伺うのは、生き方編集者として活動する山中散歩さん。新刊『風の歌と、人の話を聴け』では、北海道・東川町の大人の学び舎〈School for Life Compath(以下、Compath)〉での8日間の体験が綴られています。山中さんが選んだコースのテーマは「表現と衝動」。表現と向き合い、学ぶことで日常にどんな変化が生まれたのか。〈Compath〉での体験を通して見えてきた、これからの学びのあり方を考えます。
(文:船橋麻貴/写真:畠田大詩)
〈School for Life Compath〉
デンマーク発祥の成人教育機関「フォルケホイスコーレ」をモデルにした大人の学び舎。北海道東川町で、さまざまな期間・形で、学びのプログラムを開催している。これまでに、10〜70代まで650名以上の卒業生を輩出している。
山中散歩さん(やまなか・さんぽ)
生き方編集者として、「ナラティブ」を軸にインタビュー・執筆・編集・音声配信・対話の場づくりなどに取り組む。著書『風の歌と、人の話を聴け』。『家族を語りほぐす(仮)』、今冬刊行に向けて執筆中。個人向けインタビューサービス「ナラティブ・セッション」も実施している。散歩が本業。
余白のなかで、思考が静かに発酵していく
山中さんが〈Compath〉に参加したきっかけは、ある仕事がうまくいかず、適応障害となった経験でした。それまで「周りに置いていかれる」「何かを成し遂げなければならない」という世間の価値基準や焦りに追われていた自分に気づき、これからどのように生きていこうか、見失いかけていたといいます。
そんななか、かねてから存在を知り、知人が運営に関わっていた〈Compath〉から誘いの声がかかります。タイミングよく開催されていたのが、「表現と衝動」をテーマにしたコースでした。
「これまで文章を書くなど表現活動をしてきましたが、これから自分は何をどう表現していけばいいのかがわからなくなっていたんです。言葉や文章ではないのかもしれない、という迷いもあるなかで、改めて自分にとっての『表現』や、内側から湧き出てくる『衝動』と向き合ってみたいという思いがありました」
プログラムの初日、参加者は「森のMEISHI」というワークで自己紹介。森に落ちている枝や葉などを自由に使い、今の自分を表現した
頭で行く理由を考えるよりも、東川町や〈Compath〉という場所に惹かれる直感が勝っていたという山中さん。訪れた現地で待っていたのは、ぎっしりと詰まった授業ではなく、たくさんの「余白」の時間でした。
「〈Compath〉での学びを僕なりに例えるなら、学校のような一方的な勉強とは異なる、『発酵』に近い感覚がありました。さまざまなジャンルの専門家が講師となった授業は、いってみれば『菌を振りかけられる』ようなもの。答えを与えられるのではなく、自分が変容するためのきっかけをもらうイメージです。そして、スケジュールの大半を占める空白の時間に、北海道の広大な田んぼのなかを1人で散歩したり、夜遅くまでメンバーたちと対話したりしながら、『あの体験は何だったんだろう』と、発酵のように思考をじっくりと巡らせていく。そういう余白があったからこそ、菌がじわじわと作用して、自分自身の思考や感情が変容していったのだと思います」
「表現と衝動」がテーマのコースでは、「衝動」に耳を傾けながら、さまざまな「表現」にトライするプログラムが用意されていた
肩書きを脱ぎ捨て、葛藤と向き合う
滞在中には演劇や写真など多様な授業が行われましたが、ときにはモヤモヤするような瞬間もあったそう。そのモヤモヤにこそ、自分にとって切実な、表現の源となる「衝動」のヒントがあるのではないかと、山中さんは考えました。
ただ、自分の内面や過去の傷と向き合うことは、決して容易なことではありませんでした。とくに、演劇の授業で「他者からの眼差し」を浴びた時に、不安や迷い、恐怖があったといいます。
「自分が演じているのを人から見られている時、猛烈に心が嫌がっているのを感じました。ひたすらその感情と向き合っていくうちに、自分は幼少期からずっと『他者の眼差し』を恐れて生きてきたんだ、そのさらに根っこには、『誰にも話を聞いてもらえなかった』という痛みがあるんだ、ということに行き着いたんです」
演劇の授業を通して、他者からの眼差しや自分の内面と向き合う
そんな葛藤や迷いのなかで、それでも自分と向き合い続けることができたのは、〈Compath〉のメンバーやスタッフとの温かな関係性があったからでした。
「それまでの僕は、『何か価値を発揮して、人から認められなければ』と思い込んでいました。でも〈Compath〉で出会った人たちは、条件なしにそのままの自分を受け入れてくれた。編集者という肩書きがなくたって、取り繕ったりカッコつけたりしなくたって、誰も僕を嫌ったり見捨てたりしないという安心感がありました。『何かを成さなくても、ここにいていいんだ』という周囲への信頼があったからこそ、そのままの自分を自分自身でも受け入れることができたのだと思います」
ともに料理を作り、食卓を囲む。肩書きや役割を脱ぎ捨てたメンバーたちとの共同生活も、〈Compath〉での大切な学びの1つ
即興劇が書き換えた「過去の物語」
8日間のなかで、山中さんにとって最大の転機となったというのが、参加者同士で行う即興劇「プレイバックシアター」。台本がないなかで、ある人が過去の記憶を差し出し、演劇の専門家である司会がその記憶からストーリーの大枠を設定し、他のメンバーたちが即興でその場面を演じていきます。山中さんが選んだテーマは、両親との関係性に揺れる幼少期の記憶でした。
「当時の僕は、本当はめちゃくちゃ辛かったはずなのに、感情を抑えつけていたため、泣くことすらできませんでした。でも、即興劇のなかで僕の役を演じてくれたメンバーが、僕の代わりにボロボロと涙を流していたんです。それを見た瞬間、『ああ、僕は本当に辛かったんだな』と客観的に気づかされ、胸が締め付けられました。自分の過去の痛みを、言葉ではなく身体で一緒に感じてくれた人がいる。ずっと『自分は孤独だ』というナラティブ(物語)を生きていたけれど、他者の存在によって過去の記憶が受け入れられ、『自分は1人じゃないんだ』という新しい物語に書き換わった瞬間でした」
自身の傷や未完成な部分を受け入れたことで、山中さんの「表現」に対するスタンスは根本から変化。かつては自分の存在証明のために、「文章で面白いことを言わなければ」「きれいに整えなければ読んでもらえない」と、どこかで言葉を誇張したりしてしまう傾向があったといいます。
「過剰に自分を飾ったり、奇をてらったりしなくても、内側から湧き出た素直な言葉はちゃんと人に届くんだという確信が持てるようになりました。それは『自分は届く言葉を持っている』という自己への信頼と、『他者はそれを受け取ってくれる』という他者への信頼、その両方が芽生えたからです。演劇の授業でも学んだのですが、大切なのは相手に『委ねる』こと。無理に誰かになろうとしなくても、自分をひらいて相手に委ねていけば、即興劇でも物語は自然と進んでいく。それまでは、コミュニケーションをとる時に『こう言ったらどう思われるだろう』『これをしたら相手は傷つくかもしれない』と、先回りして言動にストップをかけることが多かったのですが、『他者に委ねていいんだ』と思えるようになってから、表現することだけでなく、日常の生き方そのものがすごく楽になりました」
〈Compath〉に用意された豊かな「余白」の時間。スケジュールを詰め込まないからこそ、他のメンバーや自分自身と深く向き合うことができる
暮らしの風通しをよくする、別の学びがあってもいい
特別な8日間を終えて日常に戻った今、山中さんは「学び」という言葉の定義そのものが、もっと自由にほぐれていってもいいのではないかと語ります。
「何か資格を取ったり、能力を積みあげたりすることが『学び』だと思われがちです。でも〈Compath〉での体験は、何かを足していくことではなく、自分のなかに染みついていた能力主義や、成果を出さねば価値がないという思い込みを、解きほぐしていく作業でした。僕が〈Compath〉で得たのは、成長というより『変容』や『発酵』に近い、自分が別の何かにしなやかに変わっていくような学びです。現代のルールや成長の基準のなかで生きづらさやままならなさを抱えている人にとって、既存のものさしで上を目指すことの先に幸せがあるとは限りません。だからこそ、自分を解きほぐし、変わっていくような『発酵的な学び』の価値がもっと広まっていけば、救われる人や生きやすくなる人が増えるのではないかな、と思っています」
そうした「学び」や「問いと向き合う場」を自分のなかに持っておくことは、日々の暮らしの風通しを良くすることへと繋がっていきます。それは、特別な場所に身を置くことだけでなく、日常のなかでも実践できるはずだと山中さんはいいます。
「僕らはつい、自分の行動は自分の意思によるものだと思いがちです。でも、街や場所そのものが、人のふるまいを自然と引き出すことがある。〈Compath〉での経験を経て、それを強く実感するようになりました。例えば東京という街が『いっぱい稼ぐこと』を促す街だとしたら、東川町や〈Compath〉は『自分の言葉で話す』『のびのび生きる』ことを促してくれる場所だった。だから、『いくら変わろうと思っても、変われない』と行き詰まったとき、意思でどうにかしようとするのではなく、自分が惹かれる場所に身を置いてみるというのは、実はすごく理にかなっていることなのかもしれません」
ただ、それは遠くへ行かなくても、日々の暮らしのなかで心の拠り所を持つことでも叶えられるとも。
「写真家の星野道夫さんの『旅をする木』という本の中に、印象的なエピソードがあります。アラスカで星野さんと一緒にクジラを見た友人の編集者が、東京に戻って忙しく働いている時に『自分がこうして慌ただしく働いている今、まさにこの瞬間にアラスカの海でクジラが跳ねているんだ』と思うと、世界の見え方や生き方がふっと変わると。自分が今生きているこの日常とは別に、どこかでまったく違う豊かな時間が流れていると想像するだけで、風通しがよくなり、肩の力が抜けることがあるんですよね。満員電車に揺られて疲れている時でも、『今、東川町の〈Compath〉では誰かが対話している時間が流れているんだな』と思える。自分とは異なる時間や場所、心の拠り所を個人として持っておくこと。そして社会のなかにも、多様な時間の選択肢が存在していること。それに気づくことができるような体験が、これからの時代の学びの選択肢の1つになるといいなと思います」
「表現と衝動」コースのメンバーたちとの1枚
【編集後記】
学校を基準にした概念がなんとなくあり、学ぶとはなんらかの目標があって、そこをめがけて上がっていく、といった伸長・成長することというイメージでしたが、山中さんのお話に何度も出てきた「発酵」や「変容」など、別のなにかとなる学びもあってよく、生きづらさを解きほぐす学びは人を楽にしてくれるように感じました。1つ何かをすると必ず答えを出さないとならないことはなく、難しかったり無理なら一呼吸おいて、別の方法を試せばいいしなんなら解なしでもいい。自分でやり方を考えながら学ぶことは、生きやすさにも繋がっていくという視点を見つけることができました。とても穏やかな空気感でのインタビュー後、雑談で山中さんがお話しされた「アフォーダンス(モノや場所、環境が人や動物に与える行為のヒントや可能性のこと)」がとても腑に落ちたといいますか自分のなかで言語化できていなかったパーツに名前があった!ことが密かに感動でした。
(未来定番研究所 内野)