2026.06.23

フード3Dプリンタが変える「おいしさ」の境界線。フードデザインリサーチャー・緒方胤浩さん。

「おいしさ」はさまざまな要素が重なり、複合的な感覚として私たちは判断しています。何をおいしいと捉えるかは人それぞれのため、主観的でありながらどこか曖昧な感覚だともいえます。目利きたちが思う「おいしい」とは何か、これから「おいしさ」はどうなっていくのか。F.I.N.では、食と向き合う目利きとともに、5年先のおいしいのその先の価値感を探っていきます。

 

テクノロジーの力で、食の可能性を広げる「フードテック」。なかでも注目されているのが、フード3Dプリンタです。3Dデータをもとに、ペースト状にした食材を1層ずつ積み上げ、立体的な食べ物を作る技術です。

 

フード3Dプリンタは、形や食感を設計することで、料理人の想像力を刺激したり、食べることが難しくなった人の食欲を支えたり、私たちがまだ出会っていない「おいしい」を生み出したりする可能性を秘めています。

 

フードテックは未来にどんな「おいしさ」をもたらすのか。フード3Dプリンタを活用した食体験を探究している緒方胤浩さんとともに、フードデザインの現在地を見つめ、これからの食の未来を想像します。

 

(文:末吉陽子)

Profile

緒方胤浩さん(おがた・かずひろ)

フードデザインリサーチャー、3Dフードデザイナー。京都工芸繊維大学大学院デザイン学専攻博士後期課程を修了後、日本IBMに勤務。その後、九州大学未来社会デザイン統括本部で助教。2025年より新渡戸文化短期大学フードデザイン学科で非常勤講師も務める。『FOOD DESIGN フードデザイン:未来の食を探るデザインリサーチ』(共著、BNN)。

https://kazuhiroogata.com/

クリエイティビティーを刺激するフード3Dプリンタの可能性

F.I.N.編集部

従来の調理器具と、フード3Dプリンタとでは道具としての役割にどのような違いがあるのでしょうか?

緒方さん

料理を作るための道具という観点からすると、フード3Dプリンタはこれまでのデジタル調理機器と同じようなツールだと思っています。

 

ただ、電子レンジは温める道具、炊飯器はご飯を炊く道具というように役割がはっきりしている一方、フード3Dプリンタはどちらかというと、味覚や食感をゼロから造形する調理器具といえるかもしれません。

 

デジタル機器を調理や食体験に融合させ、拡張、再定義しようとするアプローチは、「デジタルガストロノミー」と定義され、研究されています。

F.I.N.編集部

フード3Dプリンタによって、どのような新しい食体験が生まれていると感じていますか?

緒方さん

個人的に注目している2つの食体験を例に挙げたいと思います。1つはイタリアのパスタメーカー〈バリラ〉が支援するプロジェクトです。ソースの絡み方も、食べ方も、これまでのパスタとはまったく違う、ユニークなパスタをフード3Dプリンタで生み出しています。

 

この新しいパスタを目にしたシェフたちは、「これをどうやって料理するといいか」を考え始めるわけですが、料理人のクリエイティビティーを引き出している点が面白いなと感じます。

F.I.N.編集部

なるほど、「フード3Dプリンタ=自動調理器」ではなく、想像力を刺激する新しいツールとして機能しているのですね。

緒方さん

おっしゃる通りです。もう1つはスペインの〈NOVAmeat〉で、植物由来の素材を細かいノズルで精密に造形することで、肉の食感を再現しようとしています。

 

代替肉って何となく本物に寄せた食べ物という印象がありますよね。そうではなくて、「おいしいプロテインを食べる」という体験として成立させようとしているところがユニークなポイントです。この数年継続して新しいラインアップを出し続けているので、ある程度、消費者に受容されているんだろうと見ています。

F.I.N.編集部

新しいジャンルの食品として自立し始めているわけですね。ここまでの話を伺うと、フード3Dプリンタによる新しい食体験が広まっている段階に来ているように思えますが、いかがですか?

緒方さん

正直にいうとその段階にはまだ至っていないな、とも思っています。なぜなら、その食べ物をいつ、どこで、誰と食べたか、どう感じたかという一連の物語になって初めて「食体験」になるからです。

 

フード3Dプリンタで新しい食べ物を作れるようになっても、それが誰かの日常に息づいていくかどうかは、また別の話です。面白いものは生まれてきているけれど、まだ始まったばかりだと思っています。

フード3Dプリンターに期待されている6つのカテゴリーを示した表

「作る楽しさ」と「感じるおいしさ」を広げる技術

F.I.N.編集部

緒方さんがフード3Dプリンタでおいしさや驚きを設計する時に、大切にしていることはありますか?

緒方さん

食べる場面を想像しながらデザインすることは大切にしています。フードデザインには、実用的な機能、美的な機能、象徴的な機能の3つがあるといわれています。栄養や食べやすさという実用面、五感で楽しめるという美的な面、そして食文化や物語を伝えるという象徴的な面です。

 

例えば、私がフードデザインを担当した「日本の練り物」をアップデートするというプロジェクトでは、えびしんじょうのレシピを基に、フード3Dプリンタでカニの殻を使ったしんじょうを作りました。

 

これは、カニの殻を廃棄することへのもったいなさという気づきから始まったもので、捨てられていたものをおいしく食べることができないか、という問いから始まっています。

『FOOD DESIGN フードデザイン:未来の食を探るデザインリサーチ』(BNN)より

F.I.N.編集部

フード3Dプリンタ以外に、フードテクノロジーのなかで注目されている研究はありますか?

緒方さん

食と人間の関わり合い方をテクノロジーの視点から探索する「ヒューマンフードインタラクション」という分野があって、その研究が個人的にはとても気になっています。

 

最近増えているのが、複数の感覚をまたいで知覚を変える「クロスモーダル」の研究です。たとえば、パキッと割れるかフワッとした素材は甘みを感じやすい、ボロッと崩れるような素材は塩味を感じやすい、といったことが実験で示されています。

F.I.N.編集部

触感の違いによって、脳が感じる味そのものが変わってしまうということでしょうか。

緒方さん

そうなんです。これを応用すれば、砂糖を多く使わなくても、形や素材の設計で甘みを引き出せる可能性がある。つまり、同じお菓子でも少し健康的にできる可能性があります。

 

他にも、電気刺激を舌に与えることで辛味や清涼感を増す研究も進んでいます。その主な応用先は減塩食や介護・医療の場面です。塩分を制限された食事でも味をしっかり感じたいという現場の課題に応えることが、1つの目標となっているようです。

まだ日常ではない技術を、どう食卓に近づけるか

F.I.N.編集部

エンタメ的な新しさだけでなく、切実な医療・介護の現場のニーズと結びついているのが興味深いです。やはり「おいしく食べる」ことは生きる気力に直結しますよね。

緒方さん

フード3Dプリンタを開発するスペインのメーカー、〈Natural Machines〉も介護の現場での導入から始めました。スープ状の食事では食欲がわからなかった患者の方が、形のある食べ物になることで食べてくれて、家族が喜んだというフィードバックがあったそうです。食べられないと何もできない。そこを支えることが、テクノロジーが介入する入口になっています。

F.I.N.編集部

フード3Dプリンタの普及に向けて、緒方さんご自身が取り組んでいることはありますか?

緒方さん

今、研究として進めているのは、フード3Dプリンタのレシピ集やカタログのようなものを整備することです。例えば、ある素材を使った時に、どのような設定にすると、どんなものが作れるのか。そうした情報が一覧化されていると、「自分ならこう使えるかもしれない」と想像しやすくなると思っています。

 

一方で、利用者を増やし、いろいろな視点で使い方を想像してもらうという意味では、非常勤で担当している授業のなかでも、フード3Dプリンタを使えるようになることを1つの目的にしています。

 

新渡戸文化短期大学の「フードデザイン論」では、フードデザインやサービスデザイン、3Dフードプリンティングについて学びながら、学生たちが自分たちでデザインした食品を、フード3Dプリンタで作る実践に取り組んでいます。

 

理論だけでなく、食材の分量を調整したり、造形データを修正したりしながら試作を重ねることで、これからの食のつくり方を体験的に学ぶ授業です。

 

フード3Dプリンタは、まだ日常的な調理器具とはいえません。だからこそ、まずはいろいろな人が触ってみて、「こんな使い方ができるかもしれない」と考える機会を増やすことが大事だと思っています。

 

使う人が増えれば、事例も増えますし、技術の受け止められ方も変わっていく。その入口をつくることも、フードデザインの研究の一部だと考えています。

新渡戸文化短期大学フードデザイン学科食生活デザインコース「フードデザイン論」の授業風景

曖昧だから、おいしい。便利さを超えて、まだ知らない食を知る

F.I.N.編集部

これからの「おいしい」という感覚は、テクノロジーによってどう変わっていくのでしょうか。例えば、おいしさはデータ化され、共通言語になっていくのか、それとも、より多様化していくのか、どう見ていますか?

緒方さん

成分分析という意味では、テクノロジーによって手間やコストがかからなくなり、食べ物を解析しやすくなっています。

 

ただ、それによって曖昧さをすべてなくせばいいかというと、そうではないと思います。誰が、どんな思いで育てたのかという曖昧さがあるから、おいしく食べられる場面もあります。

 

一方で、安全性や衛生面では、分析によって透明性を担保したほうがいいこともあります。テクノロジーの介入のしどころには、1つの正解があるわけではありません。曖昧さを残したほうがいい場面もあれば、クリアにしたほうがいい場面もある。その使い分けが大切だと思います。

ノズルから栗のペーストを射出して、モンブランが作られていく様子

F.I.N.編集部

未来において、フードデザインはどのように変わっていると思いますか?

緒方さん

フードデザインの切り口が、どんどん増えていくと思います。テクノロジーが登場することもそうですし、情報を得やすくなることで、海外の料理を参考にして作ってみる機会も増えるはずです。

 

「これがおいしい」といわれているものを受け取るだけではなく、自分でおいしいをつくる機会が増える。これまで気づいていなかったおいしさに気づくチャンスも増えるのではないかと思います。

 

現代の私たちは、冷凍食品や便利な調理家電など、効率化の流れに囲まれて生活しています。もちろん、それによって食卓は豊かになりました。一方で、誰もが完璧な食感や栄養を手に入れられるようになったとして、ただそれを受け取るだけで本当に満足できるのかという問いもあります。

 

フード3Dプリンタのような新しいツールが登場することの価値は、これまで料理をあまりしてこなかった人が、自分で作ってみる楽しさに気づく入口になることだと思っています。テクノロジーが技術的な部分を補い、再現性を担保してくれるからこそ、人は調理の楽しさを感じやすくなります。

F.I.N.編集部

消費者として受け取るだけでなく、作る側へ回るということですね。

緒方さん

そうです。食は最も身近で、日々挑戦できるモノづくりです。自分で何かを作ってみるようになると、「この食材はどこから来ているのだろう」と自分のこととして考えるようになります。そこから、より良い食材を探し求めることにも繋がっていくと思います。

 

私たちは、見えている範囲のなかで食べるものを選びがちです。でも、それは実は小さな選択肢でしかありません。海外に行けば、まだ知らない料理がたくさんあります。例えば最近流行っているインド料理のビリヤニ1つとっても、辛いだけではなく、クリーミーでマイルドなものもある。まだ気づいていないおいしいものは、たくさんあります。

 

テクノロジーが進化することの価値は、ただ食卓を便利にすることではありません。これまでとは違う食への見方を増やし、自律的に食を選び、楽しむための自由の幅を広げることにあります。

 

与えられる食事を消費するだけではなく、自分だけのおいしいを選び、つくり出していくこと。食は、暮らしのなかで選択する回数がとても多いものです。だからこそ、自分で選ぶ自由があることが面白い。そうした自由を自分で選び取っていくことが、これからの食の豊かさに繋がるのではないでしょうか。

【編集後記】

今回の取材では、緒方さんがお話してくださった「曖昧さ」の大切さが、とても心に残っています。

フードテックという言葉からは、栄養成分の数値化や調理の効率化など、食をより正確に、合理的にしていく技術を想像しがちです。もちろんそれも重要な側面なのかもしれませんが、今回のお話を通じて感じたのは、未来の食を考えるうえで大切なのは、便利さや合理性だけではないということです。

すべてを数値に置き換えることができてもそれが絶対解だとは限らない点も、食の面白さや奥深さなのだと感じました。

(未来定番研究所 榎)

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