2025.11.20

老いは「達成するもの」。文化人類学者・田川玄さんに聞く、アフリカ社会の老人観。

誰もが避けられない「老いる」こと。生物のなかでも人間だけが「老い」と向き合うといいます。近年、「老い」にまつわる書籍を目にする機会や、年齢を問わず自身の「老い」について語る人が増えてきたように感じます。年齢を重ねることの意味づけや価値観が少しずつ変わりつつある一方で、「老い」とは何か、どう向き合うべきか、その輪郭をいまだ十分に掴めていないのも事実です。「老い」そのものを知ることは、これからの暮らしを前向きに捉え直すきっかけになるのでしょうか。今回の特集では、年齢を重ねることと向き合う目利きたちとともに、「老い」の価値と可能性を探ります。

 

日本では、「老い」に対してネガティブな印象を持つ人が少なくありません。一方で、アフリカでは「老い」は祝福されるものであり、年を重ねた人々は「いい感じ」に老いているのだとか。そう教えてくれたのは、アフリカにおける老いの位置づけを研究してきた文化人類学者・田川玄さん。今回は、田川さんが研究する「アフリカにおける老い」に着目し、高齢化が進む日本で「老いの未来」をどのように描けるのかを考えていきます。

 

(文:大芦実穂)

Profile

田川玄さん(たがわ・げん)

広島市立大学国際学部教授。文化人類学者。1994年以来、エチオピア南部のオロモ語系ボラナにおいて現地調査を実施。現在までの主な研究テーマは、年齢体系と儀礼、近代エチオピアにおける周縁民族の社会変化。共著に『アフリカの老人 老いの制度と力をめぐる民族誌』(九州大学出版会)がある。

アフリカ社会において老人は、「力」「知恵」「権威」の象徴

なぜ、日本では電車やバスなどで、お年寄りに席を譲るべきとされるのでしょうか?田川さんは、「今の日本では老人を弱者とみなしているのではないか」といいます。

 

「席を譲られることを素直に受け入れられない年長者がいることは、その老人観の現れ。つまり、席を譲るべきという規範には、弱者としての老人の保護という価値観があるのです」

 

しかし、アフリカ社会では真逆。田川さんの研究対象であるエチオピア南部で暮らすボラナと呼ばれる民族社会では、老人は敬われ、頼られる存在なのだそう。

 

「アフリカのバスで老人が席を譲られるとしたら、それはリスペクトからです。決して弱い存在だからではありません。この敬いとは自分より先に生まれ生きているという決して越えることのできない関係に基づくものです。だから年長者には席を譲るべきなのです」

 

アフリカの老人たちは、社会においてどのような役割を果たしているのでしょうか。田川さんによれば、老人は「知恵」「賢さ」「権威」の象徴。その証拠に、村で揉め事が起きた際には仲介をし、儀礼や祝い事の際には祝福を人々に授けます。このときの老人は日本語では「長老」という言葉のニュアンスに近くなります。

 

「家畜を盗まれたとか、喧嘩や不倫など、地域や親族でさまざまな揉め事があった時、調停のために必ず老人が呼ばれます。こうした会合は大きな木の下で開かれ、輪の中心に老人が座ります。年長の参加者は会話のキャッチボールをするように話し合い、話のなかにことわざを差し挟みます。当事者や若者たちはそれを黙って聞いていることが多く、彼らには発言の機会はあまりありません。こうした話し合いはとにかく長い。日本では会議は短ければ短いほど良いとされますが、ボラナ社会では合意が形成されるまで何日もかけて話し合いをします」

 

儀礼の際にも老人は不可欠な存在です。

 

「祝福を授けるという重要な役割は老人が担っています。この社会では幸せになるためには何にもまして祝福が大切とされており、その力を持っているのが老人なのです」

ボラナの全体集会における紛争調停の様子。木の下に座っているのが「法の父」といわれる最長老。(提供:田川玄)

老人は「なる」ものではなく、能動的に「達成する」もの

なぜ「年を重ねた」だけで、そんなにも周りから敬われるようになるのでしょうか。それには、アフリカ社会において重要とされる「儀礼」が深く関わっていました。

 

「老いとは、自然と『なる』ものではなく、社会的に『達成する』ものと考えられているからです。成人する、結婚する、子供をつくるなど、さまざまな人生儀礼を通過し、ようやく最終段階である『老人』に達するのです。この『老人』という地位は普通名詞の老人とは異なる、ボラナの年齢制度の特別な地位です。『老人』になるための儀礼『老人式』は8年に1度行われ、儀礼の参加者が特定の場所に儀礼集落を作り、1カ月以上かけて行います」

 

そもそもボラナ社会では年齢を1年ずつ数えることに意味がなく、8年間隔で時代が区分されているそうです。

 

「すべてのボラナの人々は、この時代区分に従って形成される世代集団のいずれかに所属します。老人になる儀礼もその集団で行われ、儀礼参加者の最年長者は80歳から88歳くらいの世代になりますが、70歳代や60歳代の人々も含まれ、『老人』という地位を迎える年齢には個人差がありますが、すべての人がその地位に達するべきとされています」

老人式の参加者による会議の様子。(提供:田川玄)

「つまり、最終段階の『老人』になれたら人生の上がりなんです。さらにいえば、『老人式』が行われた後に、孫の世代の名付け儀礼が可能になります。名前を持つということは正式に社会の一員になることを意味しますから、『老人』によって社会が再生産されることになります」

 

もしも『老人』に到達せず人生を終えてしまった場合は、どうなるのでしょうか。

 

「もちろん、『老人』になる前に亡くなってしまう人もいて、それは次の世代への負債になると考えられています。だからもし自分の父親が儀礼を行わずに死んでしまったら、まずは父親のための儀礼をして、その後に自分の儀礼をすることになります。なお、女性はこうした儀礼には妻や母、あるいは娘という役割で参加します」

 

こうした『老人』の役割が社会で機能し続けるのには、社会構造そのものが関係していると田川さん。

 

「1つ目は『語ること』が大切な社会だからです。アフリカは無文字社会ともいわれますが、文字ではなく口頭で経験や歴史を語っていくんですね。年を重ねた老人は、経験や知恵を語り、それを伝えていくことができる力を身につけています。例えば、結婚式や子供の名付け儀礼などのお祭りでは、老人が昔話を語り、それを周りの人が聞くという光景が見られます。具体的な登場人物や場面がある話で、聞く側にとっても世界が広がるわけです。

 

2つ目の理由は祖先から現在の人々までに至る系譜的な関係が重視されるからです。日本だとせいぜい数世代前くらいまでしか知らない人がほとんどだと思いますが、私がお世話になっていたボラナの家族では、15世代くらいまで先祖の名前をさかのぼることができていました。いわゆる姓はなく個人の名前の連なりがそのまま系譜になります。その系譜的な関係は、上位世代の老人がいるからこそ、すべての下位世代が存在することを示していますから、必然的に老人は権威づけられる存在となります」

『老人式』の様子。右から3番目の緑色の服の子供を抱く大人が、『老人式』で『老人』になる男性。独特の髪形で参加し、儀礼のクライマックスに髪を剃り落とすのだそう。(提供:田川玄)

年を重ねることに抗わず、いい感じに枯れていく

では、アフリカの老人たちはどのように自分の立場を捉えているのでしょうか。

 

「『先に生きてきた』ということで、当然自分は敬われるべきだと考えています。ただ、そのことで傲慢になったりはしません。どちらかというと『いい感じに枯れている』というような雰囲気があります。つまり、価値のない若さをうらやむことなく、今あることを受け止めて、のほほんと暮らしているような感じ。気の向くままに近くの村の友達のところへ行っておしゃべりして帰ってくる、そんな毎日です。新しく『これがやりたい』もあまりない。立派に老人になったわけですから、それで十分なのです」

 

アフリカには老人ホームのような老人が集団で過ごす施設はほとんどなく、家族と一緒に暮らしているそうです。ただし、介護が必要になるほど長生きする人は珍しく、もしそうなった場合も家族が世話をするのが一般的だと田川さん。

 

「アフリカでは、家族の面倒は当然みるものだと考えています。ただし、家族といっても日本のような核家族世帯ではありません。また、家族に限らず誰かに面倒をみてもらうことを『迷惑をかけている』とは考えません。そもそも『迷惑をかける』という概念があるのかさえ疑問です。なぜなら、他者に頼って生きることは当然であり、むしろ互いに助け合わなければ生きていけない社会に暮らしているからです。ですから、何かを人にしてもらっても、都市部はともかくとして村では『ありがとう』や『すみません』という言葉も耳にしません」

おじいさんのお世話をする孫。(提供:田川玄)

アフリカから見える、日本の老いの未来

自立した個人という考え方を前提とせず「他者に頼ること」を当然とするアフリカ社会。そうした考えが息づく背景は、2つの側面から説明できるといいます。

 

「1つ目は、世界の捉え方。先ほどと同様、祖先からの系譜的な関係を大事にするからです。大きな木を思い浮かべてもらうといいかもしれません。大きな幹から枝分かれして今の自分がいる。大きな流れの一部であって、その先に繋げていかなければならないという意識を持っています。そのため、人と人が深く関わり合っていくことが普通なのです。

 

2つ目は、実際に助け合わないと生きていけないからです。冠婚葬祭を執り行うことはもちろん、家畜を放牧したり畑を耕すのにも親族や地域の人たちとの助け合いが必要になりますから、長く生きていると枝葉が広がるように人間関係は広がります。ですから、とにかく広い人間関係が大切だと考えられており、いわゆる『コネ』も大事な要素です。日本ではあまりいいイメージがありませんが、ボラナ社会では人の紹介がものをいいます」

おばあさんと孫たち。アフリカの社会において女性の老人は、儀礼的に男性とは異なる立場で特別な役割を持っているという。(提供:田川玄)

日本では老齢になることへの恐れや、周囲からの圧力もあります。前向きに年を重ねるには、どんな社会的アプローチが必要なのでしょうか。

 

「まずは、老いを経験している人の話を聞くことです。民俗学者で老人ホームの介護職員の六車由実さんの著書『驚きの介護民俗学』に、一般的に認知症の人はコミュニケーションが取れない存在と見なされているが、実はそうではないと書かれていました。尋ねれば老人は自分が生きてきた歴史を語ることができる。年を重ねれば重ねるほど、人はさまざまな経験をするわけですから、当人にとってそれを語ることは喜びであるし、聞き手にとっては自分が経験していない未知の世界を知ることができる。そこには豊かな世界があるはずです。

 

もう1つは、自分の未来を想像することです。老人は今の自分たちの未来の姿でもあります。『老い』を、できないことが増えていく『喪失』としてのみ捉えるのではなく、むしろ『老い』という高みに立った時にどんな世界が見えてくるのだろうという前向きな見方をしてみると良いのではないでしょうか。自分の未来ですから、ポジティブに考えたほうが自分のためにもなります。そういう視点を持ちながら老人と交流すれば、老いをもっと身近な存在に感じられるのではないかと思います」

【編集後記】

エチオピアのボラナ社会において、老人は「語る存在」であるというお話が特に印象的でした。どんな人にも長い人生の中で経験してきた歴史や物語があり、年齢を重ねることはその人にしか語りえないものが増え続けること、と捉え直せたからです。

アフリカと日本のように、社会構造や文化的背景の違いによって老いの捉え方や老いた人の役割がさまざまであることは確かでしょう。しかし先に生きてきた存在の「語り」に宿るものや、それを聞くことの価値はどんな文化圏でも同じように尊いものなのではないかと思います。

(未来定番研究所 渡邉)