2025.11.14

ゴリラから学ぶ「老いの力」。霊長類学者の山極壽一さん。

誰もが避けられない「老いる」こと。生物のなかでも人間だけが「老い」と向き合うといいます。近年、「老い」にまつわる書籍を目にする機会や、年齢を問わず自身の「老い」について語る人が増えてきたように感じます。年齢を重ねることの意味づけや価値観が少しずつ変わりつつある一方で、「老い」とは何か、どう向き合うべきか、その輪郭をいまだ十分に掴めていないのも事実です。「老い」そのものを知ることは、これからの暮らしを前向きに捉え直すきっかけになるのでしょうか。今回の特集では、年齢を重ねることと向き合う目利きたちとともに、「老い」の価値と可能性を探ります。

 

今回お話を伺うのは、ゴリラ研究の第一人者で霊長類学者の山極壽一さん。人間にとって「老い」は終わりではなく、新しい役割の始まりだといいます。長年ゴリラの社会を見つめてきた山極さんに、「老い」が持つ本来の意味と人間社会の共同体のあり方を教わります。

 

(文:船橋麻貴)

Profile

山極壽一さん(やまぎわ・じゅいち)

霊長類学者、人類学者、総合地球環学研究所所長。

1952 年東京都生まれ。京都大学理学部卒業、同大学院理学研究科博士後期課程単位取得退学。理学博士。ルワンダ共和国カリソケ研究センター客員研究員、日本モンキーセンター研究員、京都大学霊長類研究所助手、京都大学大学院理学研究科助教授、同教授、同研究科長・理学部長を経て、2020 年まで第 26 代京都大学総長。屋久島で野生ニホンザル、アフリカ各地で野生ゴリラの社会生態学的研究に従事。 日本霊長類学会会長、国際霊長類学会会長、日本学術会議会長、総合科学技術・イノベーション会議議員を歴任。現在、総合地球環境学研究所 所長、2025 年国際博覧会(大阪・関西万博)シニアアドバイザーを務める。南方熊楠賞、アカデミア賞受賞。著書に『老いの思考法』(文藝春秋)、『争いばかりの人間たちへ』(毎日新聞出版)、『共感革命』(河出書房新社)など多数。

なぜ人間だけが「老い」と向き合うのか。

「おばあちゃん仮説」から読み解く進化の知恵

F.I.N.編集部

山極さんのご著書には「人間だけが老いと向き合う」と書かれています。これはどういう意味なのでしょうか?

山極さん

人間以外の動物は、繁殖能力を失ったら数年以内に死んでしまうんです。繁殖ができなくなるというのは、つまり寿命を終えるということ。ところが人間は繁殖能力を失っても、あるいは衰えても20年、30年と生き続ける。だからこそ、「老い」と向き合う時間があるわけです。

F.I.N.編集部

なぜ人間にだけ、そんな時間が与えられたのでしょうか?

山極さん

「おばあちゃん仮説」という考えがあります。人間は進化の過程で難産になりました。およそ700万年前、チンパンジーとの共通祖先から分かれて直立二足歩行を始めたことで、骨盤が変形し産道を広げられなくなった。そこに、脳の進化・発達によって頭が大きくなった赤ちゃんを通さなくてはならなくなったんです。

 

しかも熱帯雨林を出て、肉食獣の脅威にさらされるようになったことで、人間はたくさんの子供を産まなければ種を維持できなくなりました。だけど、人間の子供は他の生物と比べても成長が遅く、1人の母親が同時に複数の子供を育てるのは難しい。そこで登場したのが、おばあちゃんやおじいちゃんたちです。子育てを終えた年長者が子供を育てる役割を担い、次の世代を支えるようになったんです。つまり、人間は繁殖を終えても長く生きることで、共同体全体の生存率を高めてきた。それが「おばあちゃん仮説」と呼ばれる考え方です。

F.I.N.編集部

「老い」はただの衰えではなく、役割だったわけですね。

山極さん

そう。老いは終わりではなく、命を繋ぐための時間ともいえます。次の世代に知識や経験を手渡し、共同体の安定を守る。だから人間は、他の動物とは違って「老い」を社会のなかで意味づけてきたんです。年を重ねたあとは、他者のために力を注ぐ。それが人間だけに与えられた「老い」が持つ意味だと思います。

山極さんの著書『老いの思考法』(文藝春秋)には、老いに対する新しい思考法が書かれている

年長者がもたらすものは何か。

ゴリラの社会に学ぶ「老いの力」

F.I.N.編集部

山極さんが長年研究されてきたゴリラ社会では、高齢のゴリラはどんな存在なのですか?

山極さん

ゴリラの群れを見ていると、高齢のオスやメスが中心にいるんです。とくにシルバーバックと呼ばれる高齢のオスのまわりには、子供たちが集まってくる。高齢のオスは体力こそ衰えているけれど、群れから追い出されることはありません。なぜかというと、孫世代の子供たちと遊んだり、見守ったりする役割を果たすから。群れのなかで安心させる空気をつくる力があるんです。

ゴリラのオスは成熟すると、背中が白銀色のシルバーバックになる

F.I.N.編集部

高齢のゴリラには、群れを安定させる役割があるのですね。

山極さん

あと、年を重ねたゴリラは「調停者」として非常に優れています。子供たちがケンカをしたとき、シルバーバックが間に入って争いを収める。声を張りあげて止めに入ることもあります。その腹の底から響くような低くて太い声は、子供たちに安心感を与える。「雷おやじ」のように、教え諭すための「乾いた怒り」として吠えるのが重要なんです。

F.I.N.編集部

子供たちは低くて太い声を怖がらないのですか?

山極さん

むしろ気持ちがいいんだと思います。ゴリラは負けず嫌いなので、子供たちはケンカが起こると自分たちでどうにもならない。それを太い声で凍りつかせることで、ケンカを止めることができる。だから子供たちも不満や敵意を感じることがないんです。

F.I.N.編集部

こうしたゴリラの共同体から、私たち人間が学べることは何でしょうか?

山極さん

ケンカや揉めごとは勝敗をつけるためでなく、和解をするためにあるということです。サルは勝ち負けをつけて効率的に収めようとしますが、時間をかけてでも和解を重視するのがゴリラ社会の共存の仕方です。だから私たち人間が当事者同士で和解ができない場合に、高齢者が介入し、仲裁する。高齢者は経験も知識も豊富なので、両方のメンツを保って引き分けられ、勝敗をつけずに収められるのが得意なはずです。

 

こうした高齢者が関係をやわらかく保つ力は、家族のなかでも発揮されています。例えば、祖父母と孫の関係。親は子供にとって「拮抗する世代」であり、叱られたり、対立したりすることもあります。しかし、祖父母と孫の関係は、「ジョーキング・リレーションシップ(冗談関係)」と呼ばれ、安心して接することができます。性的な話題を含む冗談も交わすほど距離が近く、世代を超えた信頼がある。祖父母は親子関係の緊張を緩和する「緩衝材」であり、親以外の信頼できる相談相手。笑いと対話を媒介に共同体をやわらかく保つ力を持っているんです。

分かち合いを失った社会で

「老い」が担う、もう1つの役割

F.I.N.編集部

ゴリラ社会のような「老いの力」が、現代では見えにくくなっている気がします。

山極さん

今の社会は、「自己実現」「自己責任」「競争」が当たり前になりすぎました。その結果、子育てに対しても「投資」や「自分の作品」という視点が入り込み、他者のために時間を使うことができなくなってしまったんです。

 

もともと人間はもっと他者に寛容で、血縁関係がなくても関われる生き物でした。ゴリラの社会もそうですが、年長者が若い世代に対して自然に関われるはず。それができなくなった今、私が大切だと思うのは「分かち合い」です。それは知識やお金のことだけじゃなく、時間や感情、関心を分け合うこと。これができれば、孤立する人が減り、社会に助け合いが戻ってくると思います。

F.I.N.編集部

そういった社会にするために、私たちはどうすべきでしょうか?

山極さん

競争社会から抜け出すための仕掛けが必要です。たとえば全国に広がる「子供食堂」は、利益ではなく分かち合いから生まれた活動です。子供だけでなく、親世代も高齢者も集まり、一緒に食卓を囲む。そこに世代を超えた会話が生まれる。このギフトエコノミー(贈与の経済)の場こそ、競争社会の出口です。

F.I.N.編集部

この先、「老い」は社会のなかでどんな役割を果たせるでしょうか?

山極さん

経済価値では測れない分かち合いの象徴として、私は「お祭り」がヒントになると思っています。お祭りは経済活動ではなく、人の繋がりで成り立つ文化。服や飾り、役割の1つひとつが受け継がれ、世代を超えて共有されていく。その中心には、必ず年長者がいる。高齢者は文化の軸を保つ存在なんです。だから、お祭りや年中行事のように、世代を越えて人が集う仕組みをもう一度つくる。そこに高齢者の知恵を生かせば、社会はもっとやわらかくなります。

 

かつての日本には、縁側という「老いの居場所」がありました。家の内でも外でもない空間で、高齢者は地域と自然の変化を眺めながら語り合い、新しい気づきを生んでいた。変化のなかに安定を見出す。それこそが「老い」の本質であり、人間社会がもう一度学ぶべき知恵だと思います。

コンゴ民主共和国のカフジで、ゴリラの研究を行っていたときの山極さん

【編集後記】

ゴリラの年長者の存在と周りとの関わりを伺い、老いと衰えをない混ぜにして捉えていたかもしれない……と感じました。人の繋がりの文化としての祭りについてお話しされましたが、谷中事務所がある街はご近所づきあいが日常的で、地域の行事にもいろいろと参加しています。祭りともなるとそれはもうすごい盛りあがりで、子供は子供らしくはしゃぎ、参加している誰もが楽しそうにしているのを見ると、祭りには非日常の楽しみや、日常のガス抜きなどいろんな効能があるのを実感します。そして年長者が尊敬されている場面もよく目にします。今一度日本の生活文化を大切にすることは、それぞれの老いの不安をそっと軽くしていくかもしれません。ゴリラの年長者への揺るぎない敬意で接する姿、山極さんの「老いは終わりではなく、命を繋ぐための時間」という言葉は、年を重ねてきた人はもちろん、いろんな人に伝えて、老いとは?について話してみたいです。

(未来定番研究所 内野)