無になりたい
2023.05.26
無になりたい
新年度のスタートによって環境が変わり、身体にも心にも疲れが出やすいこの季節。F.I.N.編集部が掲げるテーマは、ズバリ「無になりたい」。ストレスや疲れをやわらげるためにぼーっとしたくなったり、自分を見つめ直す内省の時間をつくりたくなったりと、現代を忙しなく生きる私たちの中には「無になる」ことを欲している人も多いのでは? そこで本企画では、時代の目利き7人に無になりたい時の思考や行動について聞きました。その回答から今の時代を生き抜くためのヒントを探ります。
(構成:船橋麻貴)
建築家・ 小田切駿さん
「無になりたい時ほど、とにかく手を動かします」
小田切駿さん
建築家、ガラージュInc.代表。1991年青森県生まれ。早稲田大学建築学科卒業、早稲田大学理工学術院建築学専攻修了。建築事務所〈SANAA〉を経て、2020年にフリーランスとして独立。同年アーキテクト・コレクティブ〈ガラージュ〉として活動開始し、翌年合同会社ガラージュを設立。
Twitter:@hayaoodag
様々な要素を複合的に考えて進める建築デザインの仕事。最適な解を探すため、一度立ち止まって考える必要があります。そうした「あえて距離をおく」「あえてコミュニケーションを取らない」という必要性が生まれる瞬間は、「無になりたい」という感覚に近いかもしれません。ただ、本当に「無になりたい」としたら、「何もしない」ことよりむしろ、「何かをするべき」だと思います。だから僕はそういう時、とにかく手を動かします。最近は魚を捌いて料理しています。魚を捌くことは、身体の動きが表に直結するという意味で図面を引くことに近いのですが、作業の過程で考慮する問題が建築に比べてよりピュアな気がします。特に刺身は、「魚本来のおいしさを損なわない」という引き算的な作業と、「口当たりの良い大きさや断面に加工する」という足し算的な作業が互いに作用し合い、創作の抽象的な問題として非常に面白い。そんなこともあって今度は、漁港でフィールドワークをしたいですね。いつもスーパーで買っている魚が入荷するルートを遡行し、周辺のランドスケープや集落の様子を確認する。普段の仕事とはまったく違うことをするよりも、それくらい緩く建築につながっていることをする方が気晴らしになるし、今後のヒントにも出会えるような気がします。
校閲者・牟田都子さん
「瞑想やヨガでスイッチをオフにします」
牟田都子さん
校閲者。1977年東京都生まれ。図書館員を経て出版社の校閲部に勤務。2018年よりフリーランスの校正者に。著書に『文にあたる』(亜紀書房)、共著に『あんぱん ジャムパン クリームパン 女三人モヤモヤ日記』(亜紀書房)、『本を贈る』(三輪舎)など。
Twitter:@s_mogura
プロフィール写真:Hikita Chisato
校閲の仕事は「絶対に見落としがあってはならない」という緊張の連続で、何時間もゲラに向き合っていると、1日の終わりには頭がオーバーヒートしてしまいます。仕事を終えてゲラを閉じても脳は興奮状態のまま。そんな時、自分のスイッチをオフにして、クールダウンしたくなります。心を無にして自分を見つめ直す内省の時間をつくるため、朝自宅で仕事を始める前と夕方に、5分〜20分ほど、瞑想を実践しています。週に1度、オンラインのヨガの教室にも通っていて最初に呼吸法を行うのですが、これもスイッチをオフにする時間になっています。そして『マイ遍路 札所住職が歩いた四国八十八ヶ所』(白川密成著・新潮新書)という本を読んで、今興味があるのがお遍路さん。長い距離をたんたんと歩き続けることは、ある意味で心を無にして、その奥にある自分と向き合うことではないかと。いつか時間をつくって挑戦してみたいです。
デザイナー・藤田佳子さん
「情報を遮断できる瞑想装置で、無を創出しています」
藤田佳子さん
デザイナー、アートディレクター。1984年広島県生まれ。2011年東京藝術大学大学院美術研究科修士課程デザイン専攻修了。同年サン・アド入社。’19年JAGDA賞、’20-21年ADC賞受賞。2023年には、金沢のホテル〈香林居〉のブランディングなどが評価され、JAGDA新人賞を受賞。
Instagram:https://www.instagram.com/kako_fujita/
忙しい時ほど、頭を働かせるのは難しく思考停止になりがち。だからそんな時は、一旦無になることが大事だと思います。ブランディングをお手伝いした金沢のホテル〈香林居〉には、外界の情報を遮断し深い瞑想状態に入ることができる装置「アイソレーションタンク」があります。中には死海の5倍の塩水が入っており、音も光もなく、そこに浮かぶと無重力状態に近い感覚になります。まるで広い宇宙の中に浮かぶゴミ、あるいは母親のお腹の中の赤ちゃんになったような気分になり、起きているのか寝ているのか意識と無意識の間のような曖昧な感覚を味わえます。それから1年前にメンテナンス中で入れなかった、神勝寺 禅と庭のミュージアムにあるアートパビリオン〈洸庭〉にリベンジしたいと思っています。もちろん、周辺の庭やお堂を散策するだけでも安らぎますが、〈洸庭〉は波に反射する光を見つめ続けることで、瞑想状態を体験できるそう。秋には四季桜が咲くらしく、そんな美しい違和感も一緒に味わってみたいです。
映像デザイナー・井口皓太さん
「仕事の合間に、釣りのリールを回しています」
井口皓太さん
映像デザイナー、クリエイティブディレクター。1984年生まれ、NYと東京を拠点に活動。2008年武蔵野美術大学基礎デザイン学科在学中に株式会社TYMOTEを設立。2013年にクリエイティブアソシエーションCEKAIを設立。2020年にはオリンピック・パラリンピック大会史上初となる「東京2020 動くスポーツピクトグラム」の制作を担当。
「無になりたい」というよりも本能的、防衛的に、無意識に「間」の時間を小まめにつくっている気がします。この仕事が終わったら、どこかへ旅行にでも行こうといった大きなリフレッシュを考えることもありますが、現実は集中と集中の合間に無になる時間があると思っています。だから隙間の時間に自分の好きなものに触れることが、僕にとっての「無」になる時間。仕事の合間や興奮した時などに気づくと触れているのが、机の上に転がっている釣りのリール。無骨でクラシカルな形状をしていてプロダクトとして美しいのに、メカニカルな技術がふんだんに練り込まれていて、押すところや回すところがたくさんあり、いじっているだけでいろいろな音が鳴り、心地よく、それでいて楽しい。この瞬間は仕事から離れ、無になっている気がします。それから、身体半分を海に浸かった状態で釣りをする「ウェーディング」もまた体験したいですね。昨年沖縄で体験したのですが、自分と近い目線の水面にルアーを投げて、それを自分の手元に手繰り寄せてくるだけで何物にも変え難い幸福感があって、それはまさに「無」に近い感覚でした。現在ニューヨーク在住でなかなか実現が難しいのですが、仕事の合間にサクッと海に浸かれちゃうような、そんな仕事場もあったら良いよなぁと、新しい自分の居場所を思い描いています。
料理家・今井真実さん
「料理に集中すると、一切のことを忘れられます」
今井真実さん
料理家。兵庫県神戸市生まれ。「作った人が嬉しくなる料理を」という考えを基に、雑誌をはじめ、WEB、広告など、多岐にわたるレシピ作成を担当。noteに綴るレシピやTwitterでの発信が幅広い層から注目を集めている。
Twitter:@imaimamigohan
忙しすぎると、自然と心が「無」になります。私の場合、それはネガティブな「無」ではなくて、情熱的な「無」。レシピづくりは間違えられないものなので、他のことを考える暇もなく、数値や時間を測ったりとひたすら無心で目の前の料理と向き合います。こうした時間はアドレナリンが出ていて楽しいのですが、意識的に解放する時間をつくり出さないといくらでも仕事をしてしまいます。だから頭がヒートアップする前に、ジムに行って体を動かしたり、大好きなお風呂でリフレッシュしたりもしますが、仕事じゃなくても日々料理は作るので結果的に料理で解消されることも。とくにおすすめは、煮込み料理。牛スネ肉や豆を静かな火加減で煮込み、湯気に顔を寄せると心がほぐれます。あとは、キャンプでひたすら塊肉を焼くのもおすすめ。お肉の状態のみに集中するから、一切のことを忘れられますよ。料理に没頭することで気持ちを切り替えられますが、今はやっぱり自然の中に身を置いて癒されたいですね。海が見えるお宿でお風呂と読書を繰り返しながら、2日ほど何もせずに過ごしたいです。山でも温泉でも川沿いでもいい。とにかく自然に囲まれてぼーっとしたいです。
僧侶・ネルケ無方さん
「そもそも人は、生まれた時から無です」
ネルケ無方さん
禅僧。1968年ドイツ生まれ。16才で坐禅と出合い、禅僧になる夢を抱く。1990年に留学生として来日、はじめて安泰寺に上山。1993年に出家得度し、師匠の下で8年間に及ぶ修行生活に入る。大阪城公園での「ホームレス雲水生活」を経て、2002年から2020年まで安泰寺の住職に。国内外の雲水の指導の傍ら執筆活動を行っている。
Twitter:@MuhoNoelke
禅では最初から無であった自分の存在を発見します。私たちは誰でも、物心がついたあたりから自分と世界を分けています。そもそも一つだった自分が二つに分かれてしまい、社会生活をする中で「友達には負けたくない」「異性にモテたい」「いい会社に入って出世したい」という風に、一種のゲームがスタートします。しかし、このゲームの無意味さに気づいた時、多くの人は一服したいと思うのではないでしょうか。私自身は無になりたいと思うことはありませんが、もし「無になりたい」と思うのであれば、このゲームがスタートする前の地点、そもそも無であった自分に戻ればいいのです。そのためにどうしたらいいのか。姿勢を正して坐る「坐禅」をすると、最初から無であった自分を見つけられます。とくに昨今主流となっているYouTubeやSNSはゲーム化しやすく、すぐ飲み込まれやすいので、自分の存在が最初から無であったことを忘れないように気をつけたいですね。
美術家・小田原のどかさん
「無になりたいと思ったことがありません」
小田原のどかさん
彫刻家、評論家、出版社代表。芸術学博士(筑波大学)。1985年宮城県仙台市生まれ。多摩美術大学彫刻学科を卒業したのち、東京藝術大学大学院先端芸術表現専攻を修了。主な著書に『近代を彫刻/超克する』(講談社)がある。
これまで一度も「無になりたい」と思ったことがありませんが、「無」そのものには強い関心があります。そもそも「無」とはこの世に実在せず、言葉や概念としてのみ存在するもの。ゆえに「無になる」ことは実現不可能ですが、その矛盾を実感するために人は「無になりたい」と思うのかもしれません。その矛盾をめぐって驚かされたのは、NTTインターコミュニケーション・センターの無響室です。音の反響を限りなく無化するためにつくられたこの空間は、人間の知覚と「無」について、示唆に富んだ経験ができる場所の一つです。さらに情報環境と「無」の関係においても、「無」をめぐる矛盾を体験できるのが、インターネット環境やデジタルデバイスと距離を取ることではないでしょうか。そのためには物理的にスマートフォンを持ち込めない空間、例えばサウナやフリーダイビングがおすすめだと友人から聞いて、いつか挑戦してみたいと思っています