2021.11.11

瞑想家に聞く「瞑想のキホン」と「マインドフルネス」。

いま、安らぎの行為として「瞑想」が広がり始めています。ビジネスシーンでも「マインドフルネス」というワードを耳にすることが増え、瞑想アプリが登場したり、さまざまなメソッドが紹介されるようになりました。一方で、情報が多すぎて「どこからはじめたらいいの?」と迷ってしまう方も多いはず。そこで、今回は長年瞑想家としてご活躍されている河津祐貴さんにお話を伺うべく、東京・千駄ヶ谷にあるスタジオ「True Nature Meditation」を訪ねました。

(イラスト:大津萌乃)

0.言葉を正しく知る。

F.I.N.編集部

最近では「瞑想」「メディテーション」「マインドフルネス」と、様々な言葉を耳にしますが、その違いを教えてください。

河津祐貴さん(以下、河津さん)

混乱が起きていますよね。基本的に「瞑想」と「メディテーション」は同じ。日本語か英語かの違いです。

「マインドフルネス」は多くある瞑想のなかの一つです。今や「マインドフルネス」は世界で最も有名になった「瞑想」といえますが、昔からの瞑想法なんですよ。そのルーツは、約2,600年前から続く仏教体系の中にあり、タイやベトナムなど南アジアのお坊さんのトレーニングとして続いてきましたし、日本では「座禅」という形で、密教系の仏教にも受け継がれています。

F.I.N.編集部

瞑想を取り上げるコンテンツが増えていますが、そこで説かれる瞑想方法は統一されていなく、「何が正解なの?」と疑問も生まれています。

河津さん

諸説ありますが、世界中で瞑想と言えるものは900〜1,200あるとされています。「マインドフルネス」にもユニバーサルなトレーニングメソッドはなく、最大公約数的なやり方はあっても幅があるため、どれが正解というのもありません。

けれども「瞑想」には、“何の為にやるのか”、“どういう効果が得られるのか”といった、理由や目的があり、仕組みがあります。それは昔の人たちが体験から生み出してきた、心の動きについてのトレーニングであり研究結果なんです。“古の心理学”みたいなものですね。だから、ただフリースタイルに座って目を閉じているだけでは瞑想とは言えません。

1.「民俗と瞑想」多様性に気付く 。

F.I.N.編集部

“古の心理学”とありましたが、「瞑想」を広義に捉えると、世界中に様々な瞑想的行為がありそうです。どのようなものがありますか?

河津さん

例えばヨガ。ヒンドゥー教をベースとしていて、5,000年前や1,400年前からと、研究によって諸説ありますが、長い時間をかけて継承されてきたシステムです。また、キリスト教や神道、イスラム教では黙祷をしますよね。それも広義的に見れば瞑想的な行為と言えます。

さらにシャーマニズムもありますね。シャーマントレーニングは南米のシャーマンの血筋を引いている方々がペルーやアンデスの山から出てきて、瞑想や心の勉強をしていたり、薬草を使って治すような行為もする。そういう人たちがアメリカに渡って近代プログラム化をしています。

F.I.N.編集部

ヒンドゥー教をベースにしたヨガ。キリスト教・神道・イスラム教の黙祷。南米のシャーマニズム・・・・・・。瞑想は様々な宗教実践の中に見られるのですね。

河津さん

ざっくりとですが、瞑想は学術的には「有神論」と「無神論」に分けることができます。ヨガはヒンドゥー教がルーツなので有神論のアプローチ。神は絶対的な存在であり、対して欠落している人間をそちら側に上げてコネクトする考え方。その技法的なアプローチとして瞑想がある。

かたや無神論的な瞑想には神様が出てこない。仏教体系の瞑想は全てこちらです。僕らのようなチベット体系の仏教もそうです。超越的な存在や普遍の何かについては論じず、人間の存在だけを見ています。

F.I.N.編集部

仏教は「非有神論」なのですか?

河津さん

日本では神仏が混ざっているのでわかりにくいかもしれませんが、仏教には神様は出てきません。単なる心の仕組みを分解するだけです。だからキリスト教徒でも他教徒であっても関係ない。「マインドフルネス瞑想」が世界に広がったのは、そんな背景もあると思います。

2.「歴史と瞑想」マインドフルネスの起源を知る。

F.I.N.編集部

瞑想と呼ばれるものは、数千年前に起源があることを教えていただきました。仏教系の瞑想について詳しく教えてください。

河津さん

広く普及してきた「マインドフルネス」という瞑想も、仏教の瞑想に由来します。仏教の瞑想は、元を辿れば、ブッダが築いたのが始まりです。彼の死後、生前に残した言葉を編纂するのに、1,000~1,200年かかったとか。その後インドに研究機関ができて、仏教学者たちの研究によってお経や、お経の解説書のようなものが出来た。その間にも、中国や、南アジア、日本へと広まり、枝分かれしていきました。1980年代には、ベトナムのお坊さんであるティク・ナット・ハンが、“気づきの瞑想”についての本を出しました。「マインドフルネス」が世界的に有名になった理由のひとつですね。

F.I.N.編集部

河津さんが専門とするチベット仏教も、西洋に瞑想やマインドフルネスを広めたそうですね。

河津さん

僕たちが「True Nature Meditation」で教えている瞑想のベースは、アメリカに渡ったチベット仏教です。チベット仏教は8世紀から10世紀にかけてインドからチベットに輸入されたもの。そして1960年代に、チベット仏教の高僧であったチョギャム・トゥルンパ・リンポチェが、イギリスのオックスフォード大学に留学しました。彼がイギリス人に会った時に驚いたのは、みな落ち着きがなかったこと。社会全体に落ち着きがないと感じたのです。そして彼は、スコットランドに、西洋に初となるメディテーションセンター(※1)を作りました。その後、彼はアメリカに渡り、多くの弟子を育成しました。瞑想を教えるためのプログラムを作ったり、経典をチベット語から英語に翻訳もした。社会の中でどうやって心をみていくのか、その一つの技法として瞑想を浸透させようと模索したのです。「True Nature Meditation」のプログラム監修者でもあるデイビッド・ニックターンも彼から学んでいます。

※1967年、西洋初の瞑想センターとして「サムエ・リン瞑想センター」がスコットランドに開設された。

3. 「医療と瞑想」マインドフルネスとサイエンス。

F.I.N.編集部

そしてアメリカでは「マインドフルネス」が、1970年代より医療にも取り入れられていったそうですね。

河津さん

ジョン・カバット・ジン(※2)という分子生物学の博士であり、もともと座禅をやっていた医師が、心や身体に痛みを抱える人々に、「マインドフルネス」を応用出来ないかと取り組みはじめました。効果があったため、そこから本格的な研究をはじめると、現在ではさまざまな効果が認められ、心拍数が安定し自律神経が整い、血糖値も下がることがわかった。ストレスの軽減や、疼痛の低減などに用いられることもあります。

F.I.N.編集部

ストレスに効くのはなぜでしょう?

河津さん

不安を司る場所である扁桃体が、過剰に反応しなくなっていくのです。すると落ち着きが得られ、過剰に交感神経のスイッチを入れないことが研究でわかってきて、医療の目的の一つとして「マインドフルネス」が流行っていったんです。

F.I.N.編集部

アメリカでは、仏教系のメディテーションとしての「マインドフルネス」と、医療の目的として使われる「マインドフルネス」は別のものなんですね。

河津さん

アメリカの場合はマインドフルネスが2種類あると思っていただければ。トラディショナル仏教瞑想としての「マインドフルネス」は、心に効かせるものなので、心意的な目的が強いですね。この50年で発展してきた医学的な「マインドフルネス」は、身体に修正をかけるような効果を狙っています。

また、医療系の方々は、マインドフルネスを「メディテーション」とは呼ばないケースが多いですね。ここにも混乱する要因があると思います。

※2 ジョン・カバット・ジン マサチューセッツ大学医学校名誉教授。1979年、仏教の瞑想法から非宗教的なプログラムとして「マインドフルネス・ストレス低減法(MBSR)」を開発。マサチューセッツ大学のクリニックに導入した。

4. 「社会と瞑想」文化としての広がり。

F.I.N.編集部

アメリカでは「マインドフルネス」を研修に取り入れる企業が増えているそうですね。医学的な「マインドフルネス」が多いのでしょうか?

河津さん

2000年代になると、インテルやグーグル、ヤフーなどと、取り入れる企業が増えました。科学的に証明されているなら、と使われはじめましたが、アメリカには文化としてのメディテーションがあったので、経営層が習っている座禅や、チベット仏教体系のメディテーションを取り入れている企業も数多くあります。医学的なやり方が主流なわけではありません。

F.I.N.編集部

アーティストやクリエイターにも取り入れられているそうですね?

河津さん

私の先生のデイビッド(・ニックターン)も、実は作曲家でエミー賞を4回ほど受賞しているのですよ。ミュージシャンではジョニ・ミッチェルなんかが挙げられます。クリエイティブな作業は頭の中をフラットにしなければできない。だからクリエイターとメディテーターって親和性が高いんです。ニューヨークやロスには、日本でいえばヨガ教室のような感覚で、メディテーションセンターが多々ありますよ。

F.I.N.編集部

ところで日本では、どのように「瞑想」や「マインドフルネス」が広がっていったのでしょうか?

河津さん

日本では“禅”という、トラディショナルな「マインドフルネス」の王道がありましたが、なかなか広がらなかった。10年前は「瞑想」というと、宗教団体のイメージが強かったり、「ヨガ」すらも流行っていなかったんです。それから「ヨガ」がブレイクスルーして認知されるようになり、2014年頃からは日本でも「マインドフルネス」を広めようと、スタンフォードの教授を招いたり、脳科学的なアプローチで紹介されはじめました。そんな経緯もあり、日本で最初に広がったのは「マインドフルネスストレス低減法(MBSR)」ベースのものでした。

2015年に瞑想のスタジオを開設していますが、当時は僕らのようなトラディショナルな理論体系を教える存在はほとんどいませんでした。日本とアメリカでは、マインドフルネスの背景や割合が違うんですよね。

5. これからの瞑想。

F.I.N.編集部

最後に、河津さんが手掛ける「マインドフルネス」のプログラムの一部を体験してみました。実際にやってみてわかるのは、瞑想は難しいということでした。眠くなったり辛くなったりしがちですね?

河津さん

一人で続けるのは、嫌になって挫折しがちかもしれませんね。洗濯物が気になったり、他のことをしたくなったり、落ち着きがなくなりませんか(笑)? 実はそこに心の問題があります。だから決めた場所で先生に見てもらうのはとても大事です。

F.I.N.編集部

しかも意外と疲れるものですね。

河津さん

瞑想は心を扱うものというイメージがありますが、心は体と別物ではない。相応させる訓練していくことで、心と体のピントがあって、初めて心が休まるんです。スポーツと一緒で、頭の理解だけで出来るようになるものではなく、感覚を自分に覚え込ませて初めて機能するものなんです。

F.I.N.編集部

確かに、コーチが必要そうです。

河津さん

基本的に、僕らの伝統的な教えでは「瞑想は一人でやらないほうがいい」といいます。自分の心を見る練習なので、ときには自我(エゴ)が嘘をついたり、自分を守るために、都合よく曲げて解釈してしまうことがある。自分に対して不安を持ったまま続けていると、思い込みを強化してしまったり、自己懐疑を起こしてしまうケースもあります。だから指導者に習うというのは、自分を理解するためにも大事なことだと思います。

F.I.N.編集部

今後、「瞑想」はどうなっていくのでしょうか?

河津さん

メディテーションの指導者やセンターも増えて、もっと身近になるんじゃないでしょうか。ただし「マインドフルネス」が、効率化や能力アップ、企業精神や戦闘力を上げるために使われる危惧も感じています。

「心の時代」とも言われ、モノではなくて心にどう向き合っていくかに人々が興味を持ち始めているなかで、瞑想にはヒントがあるはず。もともとマインドフルネスは、「心を休ませる」瞑想でもあり、心を落ち着かせ、本来の自然な自分のあり様に触れるためのものです。瞑想は何かの底上げをするものではありません。最近の言葉で言えば、レジリアンスやウェルビーイングの再確認という方向のものです。

僕らは、こうした伝統的に受け継がれてきた「瞑想」を教え続けることで、方向を見誤らず、正しく心を扱える瞑想実践者や指導者を増やせればと考えています。

Profile

河津祐貴(かわづ・すけたか)

True Nature Meditation 代表

アメリカにチベット仏教瞑想を最初に伝えたChogyam Trungpaが伝えた瞑想法、瞑想理論を実践する瞑想家。

Chogyam Trungpaのアメリカでの最初の弟子の一人であり、国際的なオンライン瞑想プラットフォームであるDharma moomを主催するDavid Nichternの元で、瞑想法、理論、指導法を15年以上に渡りトレーニンングを続けている。また年間200名の以上の瞑想指導者の育成に当たる。2018年よりはコーポレート(企業)プログラムのディレクターとして多くの企業プログラムを担当、講演会などでのゲストスピーカーとしても活動中。メディテーションについて分かり易く解説しているblog『まいにちメディテーション』(https://truenature.jp/blog/)も人気。

【編集後記】

インタビュー後、私達も瞑想を体験してみました。呼吸に意識を向け、頭の中に浮かんでは消える様々な情報を整理するような手法でした。体験後は、身も心もスッキリして、新しい情報を受け入れやすい状態に変化したような感覚でした。

日々の生活の中で、私たちは情報をいかに多く、吸収することばかり、考えがちですが。瞑想のように、まずは、情報を受け入れる側のコンディションを整える事が大切です。

 

それは、着実に知識を得る為に、情報の暴飲暴食から、一つ一つ丁寧に味わうような変化のように感じました。

 

(未来定番研究所 窪)