いま「共創」や「共有」「共同」などのキーワードが注目されるように、何かと何かがつながること、共にあることから、新しい価値が生まれている気がします。人やモノ、ことの新たな組み合わせや、新しい手法によって生まれるつながりが、世の中に新しい化学反応を起こしているのではないでしょうか。今回F.I.N.では、「つなぐ」を手掛ける目利きに話を聞き、つなぐ対象や手法、つなぐことの先にある新たな価値や事象に目を向け、5年先の兆しを探っていきます。
工芸の技は、長い時間と修練を経て磨かれるもの。しかし市場の縮小や働き方の変化により、その継承はかつてないほど難しくなっているのが現実です。そんな現場に登場したのが、触覚をデータ化し再現する「ハプティクス技術」でした。本来「個人的な感覚」に頼ってきた職人の技術ですが、職人の手の動きや触覚を記録し、再現し伝達できるようにしていく技術によって未来の担い手へ技術が継承されていくことも可能になるかもしれません。2025年の大阪・関西万博でも発表されたこの取り組みが描く未来像を、プロジェクトメンバーにお聞きしました。
(文:宮原沙紀)
原岡知宏さん(はらおか・ともひろ)
〈日本工芸産地協会〉理事。大阪市で人形製造卸業を営む家庭に生まれる。2003年、〈株式会社中川政七商店〉に入社。2017年に「日本工芸産地協会」の設立に携わり、「工芸で日本の未来に豊かな文化を」をテーマに体験や旅を通じて工芸の魅力を発信。2018年より現職。
南澤孝太さん(みなみざわ・こうた)
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(KMD)教授。2005年、東京大学工学部計数工学科卒業。2010年、同大学院情報理工学系研究科博士課程修了。博士(情報理工学)。「KMD Embodied Media Project」を主宰し、体験を共有・創造・拡張する身体性メディアや触覚メディアの研究開発と社会実装を推進。科学技術振興機構ムーンショット型研究開発事業・目標1「Project Cybernetic being」のプロジェクトマネージャーを務める。
https://embodiedmedia.org
高江洲若菜さん(たかえす・わかな)
沖縄県那覇市の壺屋焼窯元〈有限会社育陶園〉代表取締役。短期大学卒業後、2003年に家業である〈育陶園〉に入社。新しいブランドの立ち上げやショップのオープンを手掛け、入社から10年で売り上げを2倍に伸ばした。2018年に同社の取締役に就任。2020年、父から代表を引き継ぎ代表取締役に就任。
工芸産地の現状と課題
F.I.N.編集部
現在、工芸の産地が直面している課題とはどんなことですか?
原岡さん
最大の課題は、経済的な自立です。ここ30年ほどで工芸品の消費は5分の1にまで縮小してしまいました。そのなかで、企業として事業を継続する人も、個人としてものづくりに携わる人も、どう生き残るかが大きな問題となっています。こうした状況は、次世代への継承という点でも大きな壁となって立ちはだかっています。
高江洲さん
私は職人ではありませんが、父や弟をはじめ、多くの職人が日々ものづくりに取り組む姿を身近に見ています。そのなかで痛感するのは、人材の確保よりも技術そのものを継承する難しさ。特にろくろの技術は習得に最低3年を要し、その間は商品となる器はなかなか作れません。さらに習得後も長い修練が必要で、必ずしも理想的な形を作れるとは限らないんです。働き方改革によって、一昔前のように時間を惜しまず作業できる環境もなくなり、世代ごとに技術の差が広がっているのが現状です。
〈育陶園〉では幅広い世代の職人が働いている。
触覚技術「ハプティクス」との出会い
F.I.N.編集部
南澤さん、ハプティクスという技術について教えてください。
南澤さん
ハプティクスとは、いわゆる触覚技術、触覚伝送技術と呼ばれるものです。人の手や指、皮膚や筋肉で感じる感覚をデジタルデータとして記録し、再生する技術です。映像ならカメラで撮影してモニターに映しますし、音ならマイクで録音してスピーカーで流しますよね。それと同じように触感を記録して再生することを目指しています。現在、VR(バーチャルリアリティー)の発展とともに、新しいコミュニケーションの手段として大きな注目を集めています。
F.I.N.編集部
この技術を工芸に応用しようと思ったのはなぜですか?
南澤さん
触覚技術が普及し始めたのはここ10年ほど。ゲーム機のコントローラーや、iPhoneの画面やMacBookのタッチパッドなど、アクチュエータが振動するだけでクリック感やテクスチャー感を再現する仕組みは、実はすでに私たちの身近な機器に取り入れられているんです。触覚を体験できる機器が増えている今だからこそ重要になるのは、どんな触覚を残し、伝えるのかということ。娯楽にとどまらず、社会的な価値を持つ触覚とは何かと考えた時、職人が長年培ってきた技や感覚を残していきたいと思いました。そんな想いから、工芸との共同プロジェクトが始まったんです。
F.I.N.編集部
原岡さんは最初、この技術を取り入れるという提案を聞いてどう感じましたか?
原岡さん
〈日本工芸産地協会〉では、工芸産地の自立に向けた解決策の1つとして「産業観光」を推進してきました。産地を訪れてもらい、その魅力に触れ、工芸品を手に取って使ってもらう。そのきっかけをどう作るかを考え、文字や映像、写真などさまざまな手法で工芸の魅力を伝えてきました。しかし、触覚そのものをデジタルで伝えることができるとは想像もしていませんでした。南澤先生の研究室で実際に体験した時、何が起こるかはまだ分からなかったものの、「これを産地に紹介すれば、挑戦したいという職人が出てくるかもしれない」という直感がありました。
F.I.N.編集部
最新のテクノロジーを取り入れることに抵抗感を持つ職人さんも多かったのではないですか?
原岡さん
もちろん、テクノロジーというだけで毛嫌いするタイプの人もいます。でもそれは今までやってきたことをしっかり守っていくという決意の裏返しだとも思うので、否定はできません。反対にそこに閉じこもっていては将来がないと危機感を持って常に新しいことにチャレンジしようというタイプの人もいます。人によって考え方は全然違います。
そんななか、最初に手を挙げてくれたのは、大阪のカーペットメーカー〈堀田カーペット〉の社長でした。一緒に研究を進めていくと、僕たちも感覚でしかわからなかった工芸の魅力が、どんどん科学的に可視化され、論理的に理解できるようになっていきました。10種類のカーペットを用意して、踏み心地を試す実験では、熟練の職人が「これは柔らかくてふんわりしている」など、長年の経験からくる言葉で感覚を表現し、それを数値データと照らし合わせていきました。その様子を見ていて、「こういう感覚はこう表現すれば伝わるのか」と職人自身も気づきを得ていたようでした。こうした積み重ねを続けていけば、これまで曖昧だった感覚が言葉として共有できるようになり、伝え方も大きく変わっていくと実感しました。
大阪・関西万博「JAPAN CRAFT EXPO 日本工芸産地博覧会」でも本プロジェクトが紹介された。
F.I.N.編集部
そして今回、新たな実験に参加してくださったのが沖縄の〈育陶園〉さんなんですね。
原岡さん
はい。〈堀田カーペット〉さんの成果をもとに、さらに次の挑戦をしてみたいと声をかけたのが長年付き合いのある〈育陶園〉さんでした。高江洲さんから「チャレンジしてみます」という返事をいただき、工芸とハプティクスをつなぐ新たな試みが動き出しました。
高江洲さん
職人が自分の感覚を若い世代に継承するのは、本当に難しいことです。どうすればその溝を埋められるのかをずっと探していました。ハプティクスがそのきっかけになるかもしれないと強い興味と期待が湧き、挑戦することを決めました。
南澤さん
僕も当初は、職人の方にとって最新のテクノロジーは抵抗感が強いのではないかと想像していたんです。しかし実際には、多くの職人さんが意外なほどポジティブな反応を示してくれました。職人さんが「AIの時代は避けられないので、今から挑戦しておけば一歩先を行けるのではないか」と言ってくださって、僕らもとてもうれしかったんです。伝統を守るだけでなく、デザインや技術を積極的に取り入れ、次世代につなげようとする意識。その姿勢が、工芸とテクノロジーの協働を後押ししてくれています。
F.I.N.編集部
実際に共同研究を行うなかで難しいと感じた部分はどこですか?
南澤さん
これまでのハプティクス研究は、布や服の手触りを記録してECサイトで体験できるようにするといった、既に完成したものを対象にすることが多かったんです。しかし職人による制作過程では、当然、ものに触れることで形が変わっていきます。その変化する対象を相手にしながら、どのように手の動きや触覚情報を対応させるかが、これまでの研究と大きく違っている部分でした。
現在のハプティクス技術では、まだまだ指先や手のひらの複雑な使い方を完全に再現することは難しいんです。現状のセンサーで記録できるのは限られた点に過ぎず、まるでモザイク越しに見ているような不完全さが残ります。とはいえ、これまで研究室のなかで大がかりな装置が必要だった技術を工房の現場に持ち込み、実際に陶芸をしながら記録できるまでに進化したのは大きな前進です。
テクノロジーによって広がる未来像
F.I.N.編集部
この実験で得た手応えを教えてください。
高江洲さん
熟練の職人さんの技を、中堅の職人さんが体験した時に、「あ、ここで力を抜くんだ」っていう感覚がちゃんと伝わってきたそうなんです。これまで言葉では聞いていたけれど、実際に体感として入ってくるのは全然違いますよね。その実感がすごく大きかったのではないかと感じました。
南澤さん
一度、僕らがうっかり右手と左手の触覚を入れ替えて再生してしまったんです。するとすぐに職人さんに「これ左右逆じゃない?」と指摘されました。職人さんは記録・再生された感覚をなんとなくじゃなく、自分の体の感覚としてしっかり捉えていたんです。まだまだこの技術は、完璧に再現できているわけではなく、本体の感覚の2〜3割程度かもしれません。それでも職人さんに試してもらうと「これは自分の感覚と近い」とか「自分のやり方とは違う動きだ」とか、若手職人がベテラン職人の感覚を感じながら「ここでは力を抜くんですね」といった声が返ってきました。素人の私たちには分からない違いをも、職人さんは感じ取っていたんです。その解像度の高さを実感できたのは、大きな発見でした。
原岡さん
一番うれしかったのは、普段は無口な若い職人さんたちが、実は純粋な向上心を強く持っていると感じられたことです。「もっと技術を上げたい」「すごい職人に追いつきたい」という想いを胸に秘めていたんだなと改めて気づかされました。ラボの技術を試す場に普段は口数の少ない職人が顔を出して、「これで先輩の感覚を少しでも感じられるなら、自分の技術を高められるかもしれない」とつぶやいて帰っていきました。その姿が本当に印象的でした。
F.I.N.編集部
テクノロジーを研究する人と、日々ものづくりに取り組む人。普段はまったく違うフィールドで働く人たちが交流するという貴重な機会でもあったんですね。
原岡さん
そう思います。普段なら交わることのなかった人たちが、工芸という題材をもとに自然に会話をしていました。その場ですぐに何か成果が出なくても、きっと未来につながっていくものになるだろうと感じました。
F.I.N.編集部
最後に、工芸とハプティクスを掛け合わせることで生まれる未来について、お聞かせください。
南澤さん
ハプティクスの技術が広がれば、さまざまな人の技や体験が記録され、世界中で共有できるようになるでしょう。まるでYouTubeで動画を視聴するように「職人の技」というタブをポチッと押せば自分の身体の感覚として体験できる。そんな未来を目指しています。工芸に限らず、スポーツ選手の動きや、医療者の手技、目が見えない人の白杖の感覚まで体験として残すことで、新しい学びや気づきを生むはずです。教育現場で図工や料理の授業と並行して、プロの感覚をデジタルで体験することも可能になるかもしれません。今回のプロジェクトは、そんな未来に向けた第一歩となりました。
高江洲さん
世界の最前線の話を聞くにつれ、AI化の波は避けられないと実感しています。だからこそ、拒むのではなく理解し、使いこなしていくことが必要だと思うのです。30年前、40年前の匠の技は、今の若い世代には到底真似できないものもあります。しかし新しい技術を活用することで、その感覚に触れ、学び、体得できるかもしれない。そうでなければ失われてしまう形や技術が、目の前にあるのです。だからこそ、この技術が未来をひらく希望になると感じています。
原岡さん
南澤先生たちとご一緒するなかで、自分たちでも気づいていなかった工芸の魅力を再発見する場面が何度もありました。私は技術の原理や本質をすべて理解しているわけではありません。ただ、今まで伝わりにくいからと諦めていたことが、ハプティクスとの関わりを通じて伝わるかもしれないと、期待しています。
【編集後記】
「人間国宝」と呼ばれている方々の極められた職人技の感覚は、とても私には到達できそうもない未知の領域であり、まさに国の宝だと感じます。見聞きして覚えるしかなかった職人の方の技術や触覚を、このハプティクスを通して体感できる未来に近づいていることに、期待感が高まりました。生産の場における技術継承はもちろん、無形文化の目に見えない価値を伝える手段として可能性は無限に広がりそうです。このプロジェクトのこれからの展開が一層楽しみになりました。
(未来定番研究所 高林)