2021.02.09

永井玲衣さんと考える、哲学対話が叶える学びの未来。

哲学対話とは、「なんで?」と問い、対話することで、主体性を回復する営みである。そう話してくれたのは、哲学研究家の永井玲衣さん。各地の学校や企業、お寺などで哲学対話を通して「哲学する」ことを広める永井さんに、哲学対話による学びや哲学対話が叶える学びの未来について、お話を伺います。(撮影:猪原悠)

実は身近に溢れている

哲学=「なんで?」と問うこと

F.I.N編集部

永井さんが行っている「哲学対話」とは、どのようなものでしょうか?

永井玲衣さん(以下、永井さん)

哲学というと専門的で、一部の人しかやらないものだとイメージされがちですが、本来は「なんで?」と問うて考える、シンプルな営みです。それをみんなで集まって一緒に考え、対話を通して「哲学する」ことが、哲学対話です。そこにいわゆる「正解」はないので、偉い先生も子どもたちも、誰もが対等に対話ができる探求の場です。

F.I.N編集部

「哲学する」という表現はおもしろいですね。永井さんにとって「哲学する」とはどういうことでしょうか?

永井さん

私にとっての「哲学する」については、ドイツの哲学者であり精神科医のカール・ヤスパースの言葉を借りてお伝えしたいと思います。彼が言うには、「哲学の契機とは、驚異(驚くこと)、懐疑(疑うこと)、喪失(衝撃を受けること)である」。突如襲いくるショックや悲しみ、驚きや疑いなどによって私たちの感情が大きく揺らいだ時に、私たちの「なんで?」という問いが生まれる。それこそが哲学が始まる場所だというのです。この、誰にとっても身近な哲学のあり方に、私は共感を覚えています。

F.I.N編集部

そう考えると、私たちは普段から自然と哲学をしているのかもしれませんね。

永井さん

哲学って、本当に単純で当たり前のことなんです。でも長い歴史が、哲学をある意味で傲慢な場所に座らせてしまった。大学のエリートがやることだとか、難しい専門用語ばかりを使って煙に巻くとか、そういうイメージになってしまったのだと思います。実際にはそんな哲学者ばかりではないのに、これはとてももったいないことです。だからこそ、私たちの哲学対話は、いま特権的なものになってしまった哲学を、身近な場所に下ろして取り戻す、「哲学の民主化」のための活動だとも思っています。

主体性を回復する営み

「哲学対話」とは?

F.I.N編集部

哲学対話をすることは、現代においてどんな意義があると考えますか?

永井さん

現代人は“問う力”が弱まっていると感じます。私も含めて、問うことが苦手な人が多い。日々の生活で何かおかしいと感じても、「まあそういうもんだろう」と問わずにいる場面は、よくあるのではないでしょうか。でも、哲学とは「問うて考えること」なので、まずは立ち止まって考えてみる。なんでこれはこんな形をしているんだろう?なんで私たちは生きているんだろう?なんでこうなったんだろう?という具合です。普段なら、そんなこと考えても意味がないと言われるようなことにも、真面目に向き合ってみる。それによって、その人の主体性が回復されます。哲学対話とは、そういう営みだと思っています。

F.I.N編集部

哲学対話をする場を、哲学カフェと呼ばれているそうですね。

永井さん

哲学カフェは、もともと90年代にフランスで起こった活動なんです。実際のカフェを使って始まったもので、後に日本に伝わり、広まりました。今ではカフェだけでなく、お寺や学校、企業など全国で、哲学カフェが行われています。

F.I.N編集部

幅広い方々に注目されているのですね。ひとりではなく、他人と対話することにはどういった意味がありますか?

永井さん

人が問えなくなるのは、孤独だからだと思うんです。哲学的な問いは、よくわからないし、考えても意味がなく、また答えもないと思われがちです。しかし実際は、答えがないのではなくて、単に観点が少なかったり、ひとり孤独に考えたりしていることが原因だったりします。1つの問いの下に人々が集まり、みんなが平等な立場で考えて、フラットに話し合える。実際にやってみると、それがまず単純に嬉しいんです。もちろんすぐに答えが出るわけではないけれど、対話によっていくつもの観点が提起されると、他者の思わぬ視点に刺激されたり、凝り固まっていた自分の世界が壊れたりします。そういった、怖さと同時に喜びを経験できることが、対話の意味なんだと思います。

F.I.N編集部

哲学対話は、どのように行うものなのでしょうか?

永井さん

哲学対話では、ファシリテーターが話の進行や交通整理をしますが、基本的にみんなが平等な立場で話します。そこにはいくつかのルールがあり、私はよく以下の3つを採用しています。

1つ目は「人の話をよく聞く」。相手が何を言っているのかではなく、何を言おうとしているのかという「前提」を聞き取ることを大切にします。会議のように意見を積み上げて成果を出すというのでなく、むしろその逆向きに、問いについてどんどん掘り下げていく。お互いに「どうしてそう思うのか」を、じっくり聞き合います。その際に相手に積極的に質問することも、「よく聞く」のルールが意味するところです。2つ目は、「偉い人の言葉を使わない」。偉い人がこう言っているから正しい、ではなく、みんなが問いたいことを、みんなの言葉で話します。3つ目は「“人それぞれ”は、なし」。問いに対して、「それは人それぞれじゃん」と言ったらそれで終わり。掘り下げることが目的なので、「人それぞれ」はゴールではなくスタートにしましょうと話します。そしてこれら全ては、場を安全にするために必要な心構えにもなると思っています。

再び学び直す「unlearn」

哲学が叶える新しい学び

F.I.N編集部

哲学と学びは、どんな関係性があると考えますか?

永井さん

哲学は、「unlearn」の経験なんです。学んでいたことを、思い込みを捨てて再度学び直す。つまり「既知のものが、未知になる」というのが、哲学のおもしろいところです。例えば、「嫉妬」というよく見知った感情も、対話していると「そういう側面もあるのか」「そういえば、どういう意味で使っていたんだっけ」と再び未知のものになる場合があるんです。それまで凝り固まっていた考えや知識が学び直されて、新しい学びになることが、哲学と学びの関係だと思います。

F.I.N編集部

先ほどご説明いただいた「哲学は主体性を回復する営みでもある」という点と、その学び直しの感覚には、繋がりがありそうですね。

永井さん

そうですね。たくさん対話をして、結果的にありきたりな考えに至ることもあるんです。でもその考えに至るまでの過程で、知っていたはずの道は実は知らない道だったと気づかされ、それを自分で手触りや匂いも確かめながら、再び通い直している。そうすることで、本当の意味で初めて自分のもの、自分の経験になる。その体験こそが、主体性の回復に繋がるものだと思います。

F.I.N編集部

そもそも、永井さんはどのようなきっかけで哲学に興味を持ったのですか?

永井さん

初めて哲学と出合ったのは高校生の時です。疑問だらけの世の中で、どう振る舞えばいいのかわからず、模範解答を探すためにひたすら文学作品を読み漁りました。でもそれは模範解答であって、私で考えて、経験して得た解答ではない。そんな時、フランスの哲学者ジャンポール・サルトルの言葉に衝撃を受けました。「人生は無意味だ。でも、その人生に意味を与えるのはあなた方である」。私自身が模範解答を作っていいんだということに気づいたと同時に、哲学への関心が高まり、哲学科に進みました。今思うと、私が主体性を実感した瞬間だったかもしれません。

F.I.N編集部

現在は学校や企業でも哲学対話を行われていますが、子どもの教育の場で意識していることはありますか?

永井さん

議論や討論という言葉は使わず、あくまで対話にこだわっています。なぜなら、安全な場でないと探求は育たないと思っているからです。日本人はよく議論に不慣れで苦手だと言われますが、それは常にいろんな場面に危険を感じているからでもあると思います。いいことを言わないといけないという強迫観念に囚われている。学校もそうです。教室にはすごいパワーバランスがあり、みんな仲良しということはありえない。そこで何か発言することは、明日からのからかいにも繋がりうる。だから私たちは少しでもそうじゃない場所を生み出せるように、あえて哲学の「非日常」的な性質を活用します。わざと子どもたちに、「いつもとは別のことをやるよ」と話すんです。そうやって、普段の自分の役割やキャラクターから切り離して考えてもらえる機会となるように、意識して取り組んでいます。

F.I.N編集部

誰かとの哲学対話がなかなかできない場合、ひとりでも哲学に触れることはできますか?

永井さん

もちろんできます。哲学対話をする中で、私は感情をすごく重視しています。自分の中にある感情を自覚して、向き合うことも立派な哲学です。感情に向き合うって、一番難しいですよね。私はなんでこの不安を抱いているのか、その正体を言語化してみようとか、不安を自分から引き離して目の前に座らせてみようとか、そういうことはひとりだけでもできるんです。とことん自分の感情に向き合ってみる。そうやって自覚できたことが、具体的な行動や認識に繋がっていくこともある。よし向き合うぞとわざわざ時間を作らなくても、散歩中や、電車に揺られながらでも、自分の感情を掘り下げる機会を持つことはできるかもしれません。

哲学をもっと身近に。

必要な人に届けたい

F.I.N編集部

5年先の未来、哲学や学びはどんな風に変わっていると思いますか?

永井さん

少なくとも、5年前には、哲学対話や哲学を用いて何かを実践することは、ここまで受け入れられていなかったと思います。10年前、20年前は見向きもされなかったし、その中で活動を続けられていた方々には、心から敬意を表します。専門的な哲学者からは子どもに哲学が理解できるわけないとか、ちゃんと哲学の知識を学んでないとダメだとか言われていましたが、最近はようやく浸透してきたのかな、と感じています。5年先には、今よりもっとハードルが下がっているといいですね。

F.I.N編集部

永井さんご自身は5年先、どのような活動をしていたいですか?

永井さん

高校時代、よく周りのみんなが「なんかいいことないかな」と呟いていたんです。その気持ちが、私もすごくわかる。それは、刺激がほしいと言う意味でもありますが、同時にとてつもない閉塞感とか、漠然とした絶望感からきているものだったんだと思います。そういう、「なんだかな〜」というモヤモヤとした気持ちを抱えている人たちにこそ、もっと哲学を届けたい。考えることって、ゆっくりやらないといけないし、相手の話もじっくり聞いて、せかせかした世界や自分の人生に“隙間”を作っていくことが大切になる。活動を通じて、そんな機会を増やしていきたいと考えています。

Profile

永井玲衣さん

哲学研究家。哲学の研究を続けながら、学校や企業、寺社、自治体などで哲学対話を行う。また、ブログやメディアで、日常の中にある哲学を綴った哲学エッセイの執筆活動も行っている。

編集後記

スマホに質問すれば、Google先生が答えを教えてくれる。そんな時代だからこそ、人間にしかできない「哲学する力」はより価値を増しているように感じます。永井さんのお話から、「哲学する」ことは誰にでもできるんだ!という気づきをいただきました。哲学はこれからの時代に生きるすべての人の必須科目なのかもしれません。

(未来定番研究所 菊田)