もくじ

2019.10.11

稲葉俊郎先生と考える、医療の未来。<全2回>

後篇| すべてが繋がった循環の中に身を浸すことで、整う。

今回ご登場いただく稲葉俊郎さんは東京大学医学部付属病院の循環器科にて医師として仕事をされる傍ら、ジャンルにとらわれることなくさまざまなアーティストとの交流や講演なども行っており、既存の「医療」という枠組みを超えての活動が注目されています。2019年9月25日『からだとこころの健康学』(NHK出版)を上梓された稲葉先生に、医療の未来について、2回にわたりお聞きしています。

前編での「病気学ではない、健康学としての医療」というお話から、後編では今後の実際の取組みとしてどのようなビジョンをお持ちか、また私たちが身体のことを考える際のヒントとなるような具体策も伺っていきます。

◼温泉、音楽、森。「おのずから」のものに身を浸す

F.I.N.編集部

今って身体のことをいたわりたいと考えている人は多くなっているように思います。ただ、みんな「休まなきゃ」という意識は強いのに、どうしていいかわからず不調を抱えている人も多いのではないかと。先生から見てその辺りはいかがですか?

稲葉さん

頭では「休まなければいけない」と思っているけれど、身体が休んでいない、という頭と身体の矛盾状態ですね。頭を動かしている強い力はやはり言葉ですから。今、自分の主体は身体なのか、頭なのか、言葉なのか、主導権の手綱を握っている正体を把握していないと、自分の全体は部分化してねじれていってしまう。生命はそのねじれを元に戻そうと自然治癒を発動してくるので、時に “病気”という現象として一時的に現れます。では、頭の独裁政治から解放されるためにはどうすればいいのだろうと考えると、結局は頭ではなく身体こそが主体となり手綱を握る、という切り替えなのかなと。頭ではなく身体を主体にするために、誰でもわかりやすくできるのは、僕は温泉だと思うんです。

F.I.N.編集部

温泉!いいですね。多くの日本人が大好きなものですし。

稲葉さん

温泉に浸かると、頭がぼーっと、筋肉がゆらーっとしてきて、身体主体になれますよね。僕は温泉とか銭湯が未来の医療の中心の場になるだろうと本気で思っています。温泉の周りに、身体が自ずと反応してしまうものとしての音楽やアートがあるような形が身体のユートピアではないかなと。音楽ライブも “そこに身を浸す=音浴”のようなものだと思いますし、頭の欲(よく)ではなく身体の浴(よく)。もちろん森林浴とかもそうじゃないでしょうか。森の中って、いるだけで勝手に身体が整っていくので。

F.I.N.編集部

○○浴、というのはヒントかもしれないですね。

稲葉さん

日本語でいうと「自ら(みずから)」ではなく「自ずから(おのずから)」のものに身を浸す、という感覚ですね。そういうものに身を浸すと、自分も「自ずから(おのずから)」の中に入っていけて、自然な状態を身体が理解してくれます。インスタレーションなどの空間芸術もそうかもしれないですが「私が身体を持っている」ではなく「身体が私を包んでいる」、もっと巨大なものに包まれている、というような感覚ですね。でもとにかくこの主語と述語の関係性は逆転しやすいので、物事を考える土台として、すごく大事なところかと思います。

◼未来を見るために、過去も同じだけ知る。

F.I.N.編集部

このメディアのコンセプトは“5年先の未来を考える”なのですが、まさに今お話しいただいたような医療の形は、未来的ですね。

稲葉さん

でも本当におもしろいもので、結局、未来というのは過去とペアだと思いますよ。岡本太郎が『太陽の塔』を作ったときに、前側だけでなく、塔の背中側にも顔をつけていました。未来と過去がぶつかったものが「今」である、という表明だと思います。先の未来を見るならば、プリミティブな古代を同じ射程で見ることで、いま必要なものが立ち上がってくる、というシンボルですね。

F.I.N.編集部

過去を同じだけ見てみることでヒントがある、と。

稲葉さん

人間って、目とか鼻などの感覚器が顔の前面についているから、意識も考え方も身体もついつい前のめりになるんです。でも身体が前に傾き続けると背骨が曲がっていく。だから、身体のバランスで考えても後ろに引っ張られる力はとても大事です。生命の流れを考えても、未来の前提には悠久の過去があります。僕らの命は過去の膨大な命の潮流の中で生き残り、その果てしない積み重ねが、今ここ、という一瞬であるわけです。生命が生き残りをかけて、ここまでなんとかやってきた。違うものをかけあわせることで多様性が生まれ、その一つに僕ら人間というものが生まれてきた。あらゆる生命は単細胞生物以来の過去すべての生命の歴史を背負っている、と僕は思うんですよね。40億年前の生命が予想だにしなかった、その先端にいるという事実に、畏怖と共にすごく責任も感じるんですよね。同じ地球上で共生している生命の環の中で、過去を背負って未来を見つめている人類が、今何をすべきなのかと、常に考えちゃいますね。

F.I.N.編集部

温泉の話と繋げてみても、古代ローマ時代から、温泉で実際に劇場があって演劇をみたり、音楽聞いたりというのはずっとありましたしね。

稲葉さん

その時はお金が流通していたわけじゃないかもしれませんが、何かが循環していたからこそそうした温泉や劇場のような場へと行っていたんでしょうね。お金じゃなくても……物々交換だったかもしれませんし、心のエネルギーかもしれませんが、何かが流通し“交換”されていたのでしょう。その後、時代とともに貨幣が、資本主義が生まれ、お金の流れが巨大な水路になり、物事を大きく動かしていますが、その限界が来ているならば次は何か別の流れを作って循環の環をつくる時期に来ていると僕は考えています。「お金にならないと意味がない」と勝手に思いこんでいるだけです。「こうした循環も大事じゃないですか」と挑戦を始めることで水路は徐々に豊かになってくるし、今までとまったく違う、何か別の循環の環生まれると、僕は確信しているんですよ。そして、それは生命のあらゆる全体像から学べると思っています。

F.I.N.編集部

循環器科の先生でいらっしゃる稲葉さんだからこそ、マクロ的な循環とミクロの循環を繋げて考えていらっしゃるのかなとも感じられるお話です。

稲葉さん

普段心臓疾患を診ていることも無意識では繋がっているんでしょうね。何かが滞ると、流れがなくなり、生命は動かない。心臓という部分と循環という全体との関係性。“循環”とは、通路や流れを再構築することですね。古代の医療や芸術と現代医療との間にも水路が無いと水は流れませんから、水が流れる水路を作ればいいんだ、と思っています。

F.I.N.編集部

そういったことを示していく時に、逆に西洋医療の「医師」という肩書きがあることでご自身で弊害を感じたことはありませんか?

稲葉さん

うーん、弊害もありますけど、僕は職業の肩書きというのはある種の通路やドアだと思っているんです。たとえば患者さんが家族でやってきて、「うちの夫にタバコをやめてと言っても聞く耳もちません」と言う。だけど医者が言うことで素直に止めることもあるわけです。心に言葉が届くには、そのための “通路”が大切なんですよね。もし自分にはそのドアを開けてくれるのならば、その場所へ正確に言葉を届けるわけです。そういう通路としての医者の役割は全うしたいと思っています。

F.I.N.編集部

ありがとうございます。いろいろなものの“あいだ”に流れをつくっていく、循環させていくということの重要性がすごくよく見えてきました。

稲葉さん

既存の病気学ではない新しい「健康学」を、という話もそうですが、僕らが生きることは学びの連続だと考えれば、すべては学びの通路により繋がると思うんですよね。たとえば教育現場にしても、教える方法、教室の空間の配置、授業時間の配分、机や椅子のデザインなど、あらゆることで身体や心のモードが変わってきますから、創造的に改善すべき点はたくさんあります。病院も一緒です。頭ではなくて、身体や心の観点から再検討したいことはたくさんあります。最初にもお話ししましたが「すべてが繋がっている」状態を目指すことが大事だと思います。子どものときはいろいろなものが繋がっていました。もしそれがバラバラに解体されたとしたら、もう一度自分の創意工夫で関係性を繋げようとすることが、大人の仕事だろうな、と。子どもの時に、戦争、差別、自然破壊・・、色々な問題をはじめて聞いた時、なぜそんなことを起こすのだろう?大人は智慧があるはずなのになぜ解決できないのだろうか?と考えたことがあるはずです。その純粋な思いと、今やっている仕事が全く結びついていないならば、そこをどう結びつけるか、そこに個性が生まれてくると僕は思っています。僕は、体や心、生命の全体性を取り戻す医療が、平和や共存、共生の未来にもつながると、明確にイメージしながら色々な活動をしたり本を書いています。自分が子どもの時に大切にしていたことを汚さないよう、全体性を持って関係性を繋げていく工夫を日々しています。それこそが大人の知恵だと思いますし、子どもだった自分からも一目置かれる大人の生きざまなんじゃないかなと、思っています。

Profile

稲葉俊郎(いなば・としろう)

医師、東京大学医学部付属病院循環器内科助教。医学博士。1979年熊本生まれ。心臓カテーテル治療、先天性心疾患が専門。在宅医療や山岳医療にも従事。西洋医学だけではなく伝統医療、補完代替医療、民間医療も広く修める。2011年の東日本大震災をきっかけに、新しい社会の創発のためにあらゆる分野との対話を始める。単著『いのちを呼びさますもの』(アノニマ・スタジオ)、『ころころするからだ』(春秋社)、『からだとこころの健康学』(NHK出版)など。

HP:https://www.toshiroinaba.com/

編集後記

「健康とは体内の状態」と私達は安易に頭の中で想像してしまいます。しかし今回の取材を通じて、「健康とは、今まで歩んだ過去、そして現在、未来といった時間的なものや、自分の内外の要因と密接に関わり、そして繋がるもの」だと学びました。さらに言えば、医療はそもそも「病を治す行為」ではなく根本は幸せになる事の手助けであるということ、また「健康=幸せ」に生きる為の心の在り方についても知る事ができました。
このメカニズムは概念的ではありますが、社会、企業、生活でも同じく当てはまるのではないでしょうか?自分事として「社会を幸せにするには?」「幸せを提供する企業になるには?」「幸せな生活をおくるには?」と考えた時の糸口となるのものは、現状だけでなく、過去、未来、内側、外側に相互に繋がっていて、大きな流れとして循環しています。そして全体を俯瞰する事ではじめて、その問いの答えを発見できるのだと思いました。
(未来定番研究所・窪)

稲葉俊郎先生と考える、医療の未来。<全2回>

後篇| すべてが繋がった循環の中に身を浸すことで、整う。