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2019.06.01
未来を仕掛ける日本全国の47人。
F.I.N.編集部が1都道府県ずつ順番に、未来は世の中の定番になるかもしれない“もの”や“こと”、そしてそれを仕掛ける“人”をご紹介します。今回取り上げるのは、滋賀県近江八幡市。ONE STORY代表取締役社長の大類知樹さんが教えてくれた、滋賀県近江八幡市に店を構える、寿し・日本料理店〈ひさご寿し〉代表取締役社長兼料理長・川西豪志さんです。
この連載企画にご登場いただく47名は、F.I.N.編集部が信頼する、各地にネットワークを持つ方々にご推薦いただき、選出しています。
食の歴史を極めて、現代に受け継ぐ人
近江八幡市にある創業59年の〈ひさご寿し〉代表取締役社長兼料理長の川西豪志さん。紹介してくださったONE STORY代表取締役社長の大類知樹さんは、「とにかく滋賀県の食文化を研究されていて、特に琵琶湖の川魚の魚食文化を継承している料理人です。琵琶湖のサスティナビリティについての知識も深く、“料理人”の域を超えています。地元の食文化を深く掘ると同時に、世界的な視野もある稀有な方です。また日本庖丁道清和四條流の師範でもあります。式庖丁清和協会という、清和天皇(859年)まで遡る歴史ある包丁儀式の流れをくむ団体の副会長もされています」と話します。今年5月にリニューアルオープンした〈ひさご寿し〉。そこで、創業当時から受け継がれている寿司や地元の食材を使った会席料理や郷土料理を提供する川西さんに、近江八幡の食文化の魅力や地域に根ざした食文化のおもしろさなどについて、お話を伺いました。
F.I.N.編集部
川西さんの地元である滋賀県近江八幡市は、どのような土地ですか?川西さんが感じる魅力をお聞かせください。
川西さん
滋賀県は、真ん中に大きな琵琶湖があり、琵琶湖を囲うように近江八幡市や大津市、彦根市などの都市が面しています。江戸時代、滋賀県で藩に属さず商人と農民の町だった近江八幡は、人の出入りも多く、さまざまな文化が混ざり合うと同時に、新しく自由な文化が生まれていたようです。北海道から昆布を京都へ主に運んだのも近江商人で、昆布と鰹の合わせ出汁の文化は、彼らをきっかけに生まれたと言われています。
F.I.N.編集部
川西さんが、料理の道を志したきっかけはどんなことでしょうか?
川西さん
幼稚園の時、卒業文集に「コックさんか大工さんになりたい」と書いていたそうです(笑)。祖父と一緒によく工作をしていて、ものを作るのが好きだったことと、母の料理を手伝っていたことが影響したのだと思います。また祖父は田畑も持っていて農作物を作っていたので、“食べるもの”が身近な環境だったこともあり、自然と料理の世界に興味を持っていました。あとは就職を考えた時に、ちょうど『美味しんぼ』のアニメが流行っていて、その影響もありますね(笑)。
F.I.N.編集部
小さい頃から食に関心を持たれていたのですね。〈ひさご寿し〉はどのようなお店でしょうか? 川西さんが入社して、2代目として継ぐことになった経緯なども教えてください。
川西さん
今年で創業59年です。もともとは〈ひさご〉という名前の小さな食堂で、お寿司もありましたが、地域の方々が集まるような和食屋さんでした。当時お寿司はお店に食べに行くというより、祭りや冠婚葬祭の時に配達してもらって、家で食べるというスタイルが主流だったこともあり、その後持ち帰りや出前の寿司を提供する〈ひさご寿し〉に転換。私は高校卒業後すぐ入社して数年後、修行を兼ねて兵庫県にある有馬温泉の旅館で5年間日本料理や懐石料理などを学びました。料理だけでなく、新店の立ち上げなども経験させていただいた後、再び〈ひさご寿し〉へ。三女と結婚して2代目としてお店を継ぐことになったんです。
F.I.N.編集部
後を継がれてから、どのようなきっかけで地元の食材や郷土料理に関心を持つようになったのでしょうか?
川西さん
有馬温泉の旅館では、オーソドックスな日本料理を主に学んだので、後を継いでからは仕出しではなく、店内で会席料理や日本料理を提供することに比重を置きました。ある日、京都の市場から仕入れた食材を何気なく見てみると、近江八幡産が。その時、近江八幡は農作物も盛んで野菜が豊富で、近江牛などおいしい肉など食材もたくさんあることに改めて気づいたんです。唯一、海の魚はありませんが、琵琶湖で採れる湖魚は滋賀県ならでは。地元の食材に目を向けて、生産者や漁師などいろいろな人に会って話を聞くうちに、食材だけでなくできるまでのストーリーや生産者の人柄などにも魅力を感じはじめました。そして、どんな人がどんな思いで作っているのかも伝えていかなくてはいけないのではないかと考えるようになったんです。そうすると、料理の基礎はありつつも、料理へのアウトプットがどんどん独自のものに変わり、地域ならではの使い方や自身が伝えたいことなどを織り交ぜていくと、自然と郷土料理につながっていきました。
F.I.N.編集部
川西さんが地元の食文化や郷土料理について、より深めたいと考えたきっかけはどのようなことでしょうか?
川西さん
2013年に和食がユネスコ無形文化遺産に登録された時、ご縁でフランスの宮殿で外務省の方々に懐石料理を振る舞うメンバーとして参加させていただき、その2年後に開催されたミラノ万博でも、日本食チームの一人として日本食を世界に広めるため、参加させていただきました。万博ではイタリアの食文化にも触れて、いろいろな方の話も聞くことができました。そこで感じたことは、自国文化に対して誇りと哲学を持っているということ。料理のテクニックだけではなく、なぜそれをするのかという哲学があるんですよね。ハムやチーズのパルミジャーノレッジャーノで有名なパルマを訪れたのですが、とても小さい町で近江八幡市よりも田舎という印象でした。それでもみんな自分が暮らす土地の食や文化を大事にして誇りを持っていることがわかるんです。では、日本は?滋賀県は?近江八幡は?自分はそれだけ、誇りを持てているのか?と、考えさせられました。私自身も、自分が暮らす土地の良さを自分でみつけてもっと料理にアウトプットしていきたい、この場所で自分ができること、やりたいこと、やるべきことは何だろうと、深く考えるきっかけになりました。
F.I.N.編集部
具体的に、どのような郷土料理があるのでしょうか?
川西さん
「じゅんじゅん」という料理があるのですが、漁師さんから伝わる郷土料理なんです。魚を鮮度のいいうちに、鍋で煮て作る料理で、「じゅんじゅん」というのはその煮る時の音を表現しているんです。ネーミングは単純だけど、擬音語を料理名にするという日本人が持っているボキャブラリー、表現力ってすごいですよね。昔ながらの郷土料理ですが、料理法を大切に伝えて、今でも地元で親しまれています。味を簡単にいうと、すき焼きのような味つけで魚を炊いたもので、いろいろと調べると、すき焼きの割り下のルーツにもつながっているようなんです。
F.I.N.編集部
郷土料理の背景や歴史などについても調べていくとおもしろそうですね。料理する上で大切にしていることはありますか?
川西さん
必ずレシピだけでなく歴史や背景まで調べて、自分ならどんな風に伝えるか、コースの中でどう見せるかと考えながら料理をします。日本料理は食材も料理法もたくさんの歴史があります。日本人の食の原点を調べていると、地域と大きく関わっていますし、長い時代の中で変化もしながら、その時代や地域に合わせた料理法もあり、検証していくととてもおもしろいですよ。そしてそれを伝える時も、当時のままの作り方で伝えるのが良いのか、現代風にアレンジした方が良いのか、自分なりに考えて提供しています。
F.I.N.編集部
歴史や料理法などは、どのように調べていらっしゃるのでしょうか?
川西さん
さまざまなジャンルの料理本やエッセイなどの古書を読んでいます。読んでいると、使う調味料や食材も今にはない組み合わせをするなど、昔の人の料理もファンキーだったんだなと思うものも多いですよ。その時代なりの料理を楽しんでいる様子が伺えます。50年後に、今の自分がしていることも、おもしろいことした人がいたなと思ってもらえるといいですよね。古い歴史にこそ、新しい発見があるかもしれないと感じています。資料を読みながら想像力を豊かにすると、毎回新しい味に出会えます。昔のものをそのまま再現することも大切ですが、料理がどうやって作り出されたのか過程を想像しながら、自分の料理に落とし込んでいくことが楽しいんです。先ほどお話しした「じゅんじゅん」も、すき焼きのような味と説明しましたが、昔はすき焼きのタレがあったわけではないし、醤油もありませんでした。当時の人は、塩と味噌が中心だったので、どのように甘い味つけにしたのか不思議ですよね。調べながら鍋にネギ類の根っこの部分や甘い野菜などを入れて甘みを出していたのではないか、と想像してみるのです。
F.I.N.編集部
なるほど。当時と同じ調味料でもないし、昔は少ない中で工夫していたのがおもしろいですね。
川西さん
そうなんです。今は調理法も調味料も豊富なので、昔の人の生活も読み解きながら、上手に“今”に落とし込むことも大切だなと思っています。昔はお寺の行事が多く、地域の人が集まって、料理を持ち寄ったり情報交換したりお酒飲んだりして、交流していたようです。そんな昔の生活風景や季節の情景など、身近な日本の暮らしを見ると、そこから当時の食の文化も見えてくる。先にも話したように、近江八幡は商人の町でさまざまな文化や各地の物が混ざり合う自由な土地。ここだからこそ生まれた文化や歴史にもっと注目したいですね。
F.I.N.編集部
約1年かけてお店を改装し、5月にリニューアルオープンされたそうですね。5年先の未来を考えた時、お店や川西さんご自身の料理について、どのような展望をお持ちですか?
川西さん
新しい店舗は、“近江八幡”を表現した内装になっています。壁や柱など、土地ならではの建築文化を感じられるよう、地元の職人さんたちと一緒に作り上げました。郷土料理には「滋賀料理」と記載し、注文していただいた方には、できるだけ郷土料理にまつわる文化や歴史を話すようにしています。これからは、もっと自分たちが受け継いできた歴史や文化を、哲学的にしっかり理解して考えることが必要になってきます。日本各地、それぞれ大事なものがあるからこそ、その集合体で日本はより素晴らしいものになると思うんです。世界に出た時に、お互いの国を尊重できる文化的なことを語れるといいですよね。地方も、自分たち自身で、自分たちの土地の良さを見つけ出していくことが必要。時間はかかるけど、その土地ごとの表現の仕方を自分たちで編み出していけるのが本当の意味で地方創生になるのではないでしょうか。花は、いきなりは咲かない。自分の代で大成しようと思わず、コツコツ長く続けて、次の人たちが継続できることをやっていく。そして、いずれそれがひとつの形になればいいなと思っています。ワインを楽しむための概念として、ぶどうが育った土壌や気候などの環境や背景のことを「テロワール」と呼びますが、滋賀という郷土の食でもそんな風に、その土地の風土や文化を感じながら、楽しめたらいいなと思っています。
〈ひさご寿し〉
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