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2018.08.21

未来を仕掛ける日本全国の47人。

21人目 岐阜県飛騨市 フリー編集者・白石達史さん

毎週、F.I.N.編集部が1都道府県ずつ巡って、未来は世の中の定番になるかもしれない“もの”や“こと”、そしてそれを仕掛ける“人”を見つけていきます。今回向かったのは、岐阜県の飛騨市。日本仕事百貨代表のナカムラケンタさんが教えてくれた、フリー編集者の白石達史さんをご紹介します。

 

この連載企画にご登場いただく47名は、F.I.N.編集部が信頼する、各地にネットワークを持つ方々にご推薦いただき、選出しています。

自ら柔軟な働き方をつくり、ローカルで暮らすことの未来を探求する人。

岐阜県の北部、富山県との県境に位置する飛騨市。白石さんはこの飛騨市の古川町に移住し、「飛騨高山ジャズフェスティバル」を企画したり、地元の編集者として地域メディアの制作に関わったり、はたまた自宅をセルフリノベーションしたりなど、幅広く活動されています。推薦してくださったナカムラさんは、「知り合いになったのは、もともと東京で一緒に飲んだことがきっかけ。柔軟に自分の生き方をつくっている人で、オンとオフ、ワークとライフをバランスさせるのでなく、すべて自分の時間として考えている印象があり、そこに未来を感じます」と話してくれました。ご本人にお話を聞いてみました。

F.I.N.編集部

 

白石さん、はじめまして。

白石さん

こんにちは。

F.I.N.編集部

本日はよろしくお願いします。まず、飛騨古川というのはどんな土地なんですか?

白石さん

飛騨古川には、風格ある町家が並ぶ中心地と、山との距離がとても近い農村集落があります。住んでいる人たちは、媚を売らず自然体で、自分たちの暮らしに誇りをもって生きている人が多いように感じます。そして、みんなお酒が大好き(笑)。

他には、毎年4月19、20日に行われる地域の代表的な例祭「古川祭り」では、裸男たちがぶつかり合う「起し太鼓」が有名です。男衆はいつもよりも気性が荒くなり、「やんちゃ祭り」とも言われるほどの激しいお祭りですが、女性は男性のサラシを巻いたり、もてなし用のご馳走をつくったりと家族総出(時には親族や他地域の人も)で祭りを迎えます。それが終わると、「やっと春が来たなぁ」となり、田んぼや畑がはじまります。こういった、かつてはどこにでもあったハレとケが、今でもふつうに続いていることに魅力を感じています。

F.I.N.編集部

日本の古き良き風景が残る、素敵な土地なんですね。白石さんはいろいろなお仕事をされている印象ですが、今のお仕事の領域について具体的に教えてもらえますか?

白石さん

今の仕事は、大きく分けて3種類あります。一つ目は、今年初めて開催した「飛騨高山ジャズフェスティバル」の運営会社である「音楽会社JAM」の共同代表です。2018年の2月に5人のコアメンバーと始めたばかりの会社ですが、みんなの得意分野を生かして飛騨地域で複数の音楽イベントを立ち上げています。今は2019年の5月25日に「飛騨高山ジャズフェスティバル2019」を開催するため、アーティストブッキングに動いています。

 

二つ目は、長野県諏訪市にある古材や古道具のリサイクル会社「株式会社 ReBuilding Center JAPAN」でのディレクターの仕事。代表の東野くんたちとは、かれこれ7年ほどの付き合いですが、正式にジョインしたのが2018年の6月から。主に、会社で進めていくプロジェクトを経営陣と決めていったり、地域内の広報業務を取りまとめたり、“少し先の未来”を見据えて動いています。信頼関係がベースにある働きかたで、月に7日ほど出社し、他の日はリモートワークをしています。飛騨と諏訪を行き来するローカル2拠点生活は、想像していた以上に楽しいことばかりですね。

F.I.N.編集部

そうなんですね。 ReBuilding Center JAPANの東野ご夫妻は、以前F.I.N.にもご登場いただきました。三つ目はどんなお仕事ですか?

白石さん

フリーランスの地域編集者としての仕事です。これは定義が難しいのですが、取材して記事を書くこともあれば、チームを組んでwebをつくったり、プロジェクトの業務アドバイザーやプランナーとして関わることもあったり。「ちょっと相談なんだけど……」ではじまる仕事が多いです。

F.I.N.編集部

本当にお仕事の幅が広いですね……。そもそも白石さんは、飛騨古川には移住されてきたそうですが、どんなきっかけだったんですか?

白石さん

もともと、カンボジアで日本語の教師をした後、アリゾナの国立公園で木こりをしていました。その後、東京で都会らしい生活を送ったのですが、稼いだお金をクラブやコンビニで消費する生活を2年でギブアップしてしまい……。これから生きていく場所を探しに、ヨーロッパに点在していた木こり時代の友人を訪ねたんです。再会した友人たちは、ほとんどみんな田舎に住んでいて、そこでは、馬やスノーモービルに乗ったり、森にベリーを摘みに行ったり、その土地らしさを感じられる暮らしを体感できました。その時、日本に帰国したら、「住むのは田舎だな」と考えていたところ、たまたま友人の紹介を受けて、飛騨でガイドツアーを始める会社「株式会社美ら地球」を紹介してもらいました。2010年の5月に帰国してプロジェクトの立ち上げメンバーとして参画して、それに合わせて引っ越してきたという感じです。今のように移住ブームもなかったので、そもそも都市部から田舎に引っ越すということに対して、情報がほとんどありませんでしたね。

F.I.N.編集部

日本語教師に木こり、そして岐阜への移住。すごくフットワークが軽くて柔軟でいらっしゃるんですね。その会社ではどんなお仕事をされていたんですか?

白石さん

マネージャーとして2010年から2017年まで勤め、「SATOYAMA EXPERIENCE」という外国人旅行者向けのサイクリング・ウォーキングを中心としたガイドツアーに携わりました。インバウンドという言葉すら一般的でなかった創業期の苦しみから、会社が軌道に乗ってくるまでの過程を経験できた貴重な時間だったと思っています。

「SATOYAMA EXPERIENCE」

F.I.N.編集部

なるほど。苦楽を共にされた会社なんですね。独立されたのはどんな思いからだったんですか?

白石さん

当時の仕事内容は営業、広報、web、ガイド、BtoB案件など、多岐にわたって関わっていましたが、スタッフも増えてきて、ツアーもきちんと予約が入るようになって自走しはじめたので、自分の仕事をしてみようと思い独立しました。そこまで独立志向があったわけではないのですが、シンプルに、自分で食べるごはんのお金は、自分で稼いでみるというところに興味があったのだと思います。独立した今は、飛騨らしい大型古民家を自分たちの手でリノベーションしながら、山沿いの集落で晴耕雨読の暮らしを送っています。

リノベーションしたご自宅の古民家

F.I.N.編集部

独立してから幅広いお仕事に携わっている中で、一番やりがいを感じたのはどんなお仕事ですか?

白石さん

今年初めて開催した「飛騨高山ジャズフェスティバル2018」は、大きな仕事でやりがいがありました。5人がお金を出し合って、借金もしてスタートした事業なのですが、14時〜26時というたった12時間だけのイベントに相当なお金を注ぎ込んだので、「本気でやらないと!」という半ば強迫観念のようなものに捉われていたようにも思います。重要文化財の合掌造りの家屋がステージで、制約が多い中で、素晴らしい会場装飾をするチームや、受付やゴミ拾いや出店なども含めて、地元スタッフが100名以上関わってくれました。このイベントは、地元の方々の協力がないと実現できなかったですね。

F.I.N.編集部

地域を巻き込んでの一大イベントだったんですね。

白石さん

お隣の高山市89,000人、飛騨市25,000人という人口規模からすると、誰もが知っているようなアーティストを呼んだり、大規模なフェスを開催したり、というのは難しいのですが、例えば他の地域でも同じようなフェスが開催されれば、連名でアーティスト招聘をして費用を折半するなど、アーティスト側にとっても運営側にとってもメリットになることもあります。

高山市には外国人旅行客も多いので、来年以降は海外の方々もフェスを目指して飛騨古川に来てもらえるように、いろいろと仕掛けていければと思っています。

F.I.N.編集部

来年も楽しみです。それにしても、白石さんはなぜこんなにも地域の人を巻き込めるんでしょうか。何かコミュニケーションに秘訣があるんですか?

白石さん

残念ながら、秘訣はないと思います。僕自身は、引っ越してきて友人も誰もいなかったので、ほぼ毎晩居酒屋をハシゴして、カウンターでマスターと仲良くなり、隣の席の人と仲良くなり、ということを地道に繰り返していました。あとは、僕は飛騨が本当に好きなので、都市部や海外の友人たちに「遊びにおいで!」と声をかけまくっていました。それもあってか、東京にいたときよりも友人と会える頻度は増えていましたし、来てくれた友人を飛騨の友人に紹介するなど、つながることを意識していたところはあったかもしれません。

他には、自分が暮らす地域の行事にはできる限り参加しています。例祭だけでなく、草刈りやゴミ当番、交通安全の旗振りなど、お金を稼ぐ仕事とは違いますが、集落の自治にダイレクトに参加できる機会を楽しんでいます。合理的でないことや、効率が悪く感じることもありますが、そういったものも含めて、みんなで「あーでもない」「こーでもない」と話し合う時間こそが、コミュニティの帰属意識を高めているのかなと感じています。

F.I.N.編集部

飛騨への思いと地道な努力があってこそなんですね。推薦してくれたナカムラさんは、白石さんのことを「自分の生き方を柔軟につくっている」と表現されていました。白石さんにとって働くとはどんなことなんですか?

白石さん

これまでの自分は、なんでも”始めたがり”で、「生み出す人こそかっこいい!」と思っていました。ただ、この1年ほどで、自分は誰かの伴奏者でありたいと思うことが増えたように思います。音楽では、伴奏者は地味な存在かもしれませんが、譜面では表せない曲の流れやプレイヤーの意図を感じ取り、曲をよりよいものに整える重要な役です。自分自身、0から1をつくることよりも、1から10をつくっていくことに重きを置いて、世の中に良い価値を広げていければと思って過ごしています。

また、今は好きな場所で生き、好きな働き方をして、自分たちに必要なお金を把握して稼ぐということを意識していますね。8年ほど飛騨に住んでいて、ほとんどの必要なものは地域内や友人のところで買えるので、小さな経済圏でも成り立つということは実感できています。そういう、地域に転がっている”なんてことはないもの”を、大切な人たちと共有しながら暮らしているので、時間のオン、オフはそこまで切り分けていません。

F.I.N.編集部

なるほど。

白石さん

そうは言っても、いずれライフステージは変わるので、そのときは「地域の雇用を生むためにガンガン稼ぐ!」とか言い出すかもしれませんが(笑)。

F.I.N.編集部

(笑)。未来に向けて、白石さんが挑戦してみたいことや、今後の目標を教えてください。

白石さん

今年、飛騨と諏訪とのローカル2拠点生活をスタートさせたのは、念願でした。都市と地方ではなく、どちらも地方で冬は極寒という環境まで似ているので、衣食住はさほど困らずに暮らせそうです。今はまだ少ないですが、今後は暮らしや働く拠点をどこに置くか、考えて実行する人が世界的に増えてくると思っています。いつか、僕と妻が住んでいる飛騨の古民家と、どこかのビーチにある誰かの小屋を住居交換したりするのも面白そう。自分が生きている間に、自動運転で多拠点生活がより身近になったり、遠くない未来でテクノロジーの恩恵を受けたりすることも多いはずです。そういったものも取り入れながら、世界中のローカルと呼ばれる場所の暮らし方を研究していきたいと思います。

F.I.N.編集部

みんなが好きな場所を自由に拠点に選び、それぞれ自らの暮らしと働き方を作っていく白石さんのような生き方が定番になっていく可能性は高そうです。本日はありがとうございました。

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