地元の見る目を変えた47人。
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2019.01.29
未来を仕掛ける日本全国の47人。
毎週、F.I.N.編集部が1都道府県ずつ順番に、未来は世の中の定番になるかもしれない“もの”や“こと”、そしてそれを仕掛ける“人”をご紹介します。今回取り上げるのは、宮崎県の日南市。スマイルズ代表の遠山正道さんが教えてくれた、飫肥地区のまちなみ再生コーディネーター・徳永煌季さんをご紹介します。
この連載企画にご登場いただく47名は、F.I.N.編集部が信頼する、各地にネットワークを持つ方々にご推薦いただき、選出しています。
“ヒト、モノ、カネ”を繋ぎ合わせ、地域の長く明るい未来をつくる人。
飫肥城を中心とした城下町として栄え、”九州の小京都”とも呼ばれる美しい景観が魅力の日南市飫肥地区。一時は栄華を誇ったこの土地も、過疎に悩み深刻な空き家問題を抱えるに至りました。そんな中徳永さんは、この地区の“まちなみ再生コーディネーター”として2015年に着任。以前からまちづくりは盛んに行われてきていたものの、近年急激に増加してしまい対応が追いつかなくなっていた大型の伝統的建造物の空き家を、宿泊施設や飲食店、企業のサテライトオフィスなどに再生するなどし、地域に再び息を吹き込んできました。今や飫肥地区はアジアをはじめとするインバウンド客などを含めて、多くの人々を惹きつける土地へと変貌を遂げています。推薦してくださった遠山さんは、「徳永さんは日南市に移住をし、腰を据えて伝建地区(伝統的建造物群保存地区)の利活用に取り組み、まちなみ再生を実践しています。日本の資産ともいえる伝統的建造物群は全国各地にあり、ここでの取り組みがいずれは全国各地の同様の活用にも活かすことが可能なのではないかと未来を感じます」と教えてくれました。早速徳永さんにお話を伺ってみます。
F.I.N.編集部
徳永さんこんにちは。本日は色々とお話を聞かせてください 。
徳永さん
よろしくお願いします。
F.I.N.編集部
まずは、日南市飫肥地区の土地の特徴を教えていただけますか?
徳永さん
古くからの武家屋敷跡が残る城下町で、美しい景観が特徴の土地です。一方で大きな町や空港からも離れていて、不便な土地でもあります。
F.I.N.編集部
飫肥地区のまちなみ再生コーディネーターになるまでの経緯を教えていただけますか?
徳永さん
大学を卒業した2010年に、新卒でJPモルガン証券に入りました。日々億単位のお金を動かすエキサイティングな現場だったのですが、言ってしまえば形のないものを右から左へ動かす仕事。実感のなさゆえに3、4年目になってきた頃に、リアルビジネスをやりたいという思いが湧いてきて。ちょうどその時他の仕事に縁があったこともあり、退職しました。結局その仕事もひと段落した頃、前職でお世話になっていた先輩から宮崎に面白い場所があるからと視察に声をかけてもらい、初めて日南を訪れました。それが2015年の6月のことです。
F.I.N.編集部
最初に訪れた時にはどんな印象を持たれましたか?
徳永さん
僕はそれまで九州にすら行ったことがなく、ましてや日南のことはほとんど何も知りませんでした。実際に飫肥地区を歩いてみて、その景観の美しさに「こんな綺麗なところあるんだ」と感動したことを覚えています。そしてその時、たまたま「まちなみ再生コーディネーター」という仕事の募集を目にしました。これは日南市の業務委託という形で、飫肥地区で空き家になっている歴史的建造物を再生していく役割。当時、仕事を辞めて身動きがしやすかったこともあり、「これはやってみよう」と。あれよあれよという間に7月の選考に通り、8月には着任しました(笑)。
F.I.N.編集部
初めて訪れたタイミングで、この土地で働くことを決められるとは……とても決断力がおありですね。
徳永さん
当時はちょうど地方創生の波が来ていたとともに、インバウンドが伸び始めていた時期でもあったんです。飫肥の町も綺麗だし、直感的にやってみようかなと。
F.I.N.編集部
2か月でガラッと生活環境が変わりましたね。現地の空き家を見てどのように感じられていましたか?
徳永さん
東京とは空き家のレベルが違うなと感じていました。東京で空き家といえば、アパートの1室や商店街の1店舗が空いているイメージだと思いますが、飫肥では武家屋敷のような、敷地が2000〜3000平米、建物の延べ床面積は300〜400平米というレベルの大きな建物が町中でぽこぽこ空いてしまっているんです。ただでさえ住民や観光客が凄く多い訳では無いところに普通よりコストをかけて再生事業を成り立たせていくのは大変だなと第一印象で感じましたね。でもこれは逆に言うとアップサイドしかないということ。チャレンジするしかないなと感じました。
F.I.N.編集部
着任後はどんなことから手をつけていかれたんですか?
徳永さん
僕はまちづくりコンサルタントでも設計のプロでもなく、建築もデザインも分からない。金融の知識だけで乗り込んでいったわけで、何をやっていいか分からなかったので、まずは空き家の現状を整理しようと、自治体が調査したデータも借りつつ町を歩き回り、細かく物件のリサーチをしていきました。またそれと同時に、地元の自治会長やまちづくり協議会の会長など、飫肥地区のまちづくりに関わる人たちにヒアリングをして回りました。そして着任して2ヶ月経った頃には、まずは勝目邸と合屋邸の2棟の物件を改築して宿にしようと、一緒に動いていた会社のメンバーと決めました。
F.I.N.編集部
2棟を宿に改築するにあたって、苦労された点はありますか?
徳永さん
とにかく資金調達です。日南市は、人口が年間700人のペース減っているんです。税収が減って予算がどんどん減っていく一方なので、多くの空き家に対処していくためには、いかに民間の資金を投入できるかということが鍵でした。最終的には、この2棟の再生にかかった1.25億円の費用のうち、自治体からの補助金は3400万円くらい。残りの約9100万を民間の金融機関から調達してきました。民間の資金をこの規模で投入して古民家再生事業を行ったことが全国的に珍しく、これがいろいろなところで評価してもらった大きな理由でもありますね。
F.I.N.編集部
なるほど。しかしすんなりと調達できるものなのでしょうか?
徳永さん
もちろん事業性を見られるもの。そこは前職での経験を糧に進めていきました。しかし、着工の直前で融資予定の金融機関が一社降りるという大事件がありました。これはなかなかシビれましたね(笑)。自治体の補助金を利用するには、2016年の4月から2017年の3月の間に補助対象部分の工事を終了させなければならず、そのためには遅くとも2016年の8月には着工させなければなりませんでした。一方この金融機関が降りたのは2016年の7月。一から資金を調達しなければ工事は進められない、かつ、もし工事が実施できなければ、まちなみ再生コーディネーターの任期、2年8ヶ月の間に何も成し得ないことになってしまうということで、かなりの精神的プレッシャーを感じました。最終的にはいろんなつてを使ってギリギリで着工することができました。そして2017年の4月25日にオープンさせたわけです。
F.I.N.編集部
想像しただけで恐ろしい日々ですね……。コンセプト的な部分ではどのように詰めていかれたんですか?
徳永さん
僕らはガチガチの金融業界の人間だったので、あまりクリエイティビティがなく、武家屋敷を宿に改修するということしか考えていませんでした。しかし空き家は今取り組んでいる2棟に限らず町全体の長期的なことも考えてクリエイティブな面で頼れるパートナー企業も探していたのですが、ことごとくNG。ようやくマッチングしたのが乃村工藝社でした。
F.I.N.編集部
乃村工藝社といえば、さぞ強力なパートナーでしょうね。
徳永さん
彼らもたまたま地方創生事業のフィールドを探しており、タイミングが合いました。2016年の春頃に出会い、その時点では僕らは飫肥全体のまちづくりのビジョンも、宿のコンセプトもあまりないような状態で動いていたんです。その状況を見て乃村工藝社の担当者の方が「大丈夫なんですか、今のままで?」と。そこから町全体のコンセプトや宿の空間の作り方もいろいろ提案してくれて。ギリギリのタイミングで彼らが提案したコンセプトを取り入れることを決め、工事はそのまま走りながらプラン変更をして。こちらも資金調達に続いてシビれましたね(笑)。
F.I.N.編集部
資金調達が理由で着工が遅れているのに、さらにプラン変更で……。数々の波を乗り越えてオープンした〈季楽飫肥〉はどのような場になりましたか?
徳永さん
空間デザインのクオリティが一段と上がり、地域と宿との繋がりが様々なところで散りばめられていて、あたかもそこに暮らしているかのように泊まれる施設になりました。また、地域には、地元の酒蔵や美しい景観の棚田、美味しい地鶏屋さんなど、地域固有の数々の魅力的な要素があり、〈季楽飫肥〉がそうした拠点を繋げるハブになることを目指しています。例えば、棚田を見に行ってもらうだけではなく、見に行った次の朝に、そこで作られた棚田米を使った食事が出てくると、お茶碗1杯分の感動は2倍、3倍になるかなと思っています。そうやって宿が地域の魅力を繋げていく機能を持てれば。コンセプトが機能に繋がり、機能が体験になって、体験が商品になるような場であるよう、工夫しました。
F.I.N.編集部
〈季楽飫肥〉を皮切りに地区内の空き家は飲食店や誘致した企業のオフィスへと生まれ変わるなど、まちづくりの輪が広がっていったように思います。今では飫肥地区全体で繰り広げられるイベント「DENKEN WEEK」も活発に行われていますね。
徳永さん
はい。空き家を拠点にエリア全体を使って、プロジェクションマッピングやアートの展示をしたり、一流のシェフとのコラボレーションによる食の企画をしたり。普段は何もない場所ですが、各拠点で様々な企画や展示をすることで、このイベントだけで1万人以上は来て、飫肥全体の回遊性も高まりました。ハードとソフトの両面から飫肥のリブランデイングを進めています。3年間続け、コーディネーターとしていろんなヒト、モノ、カネを繋げることで、宿ができて、大型のイベントも実施できて。徐々に形になってきたところです。
F.I.N.編集部
推薦してくださった遠山さんは、飫肥での取り組みは全国各地に横展開できるのではとおっしゃっていました。
徳永さん
実際に今飫肥以外で、福岡県や大分県にある自治体様でも取り組みを進めつつあります。再生することはもちろん、その場所の交流人口をどう増やしていくか、いかに地域のストーリーを織り込んだ空間デザインにしていくかなど、蓄積してきたノウハウは他の地方にも広げていければいいですね。
F.I.N.編集部
徳永さんのアプローチでは、民間のお金をいかに調達するかが重要かと思います。まちづくりと言うと、クリエーター寄りの人たちが指揮をとることも多いですが、徳永さんのような金融に強いキーパーソンが地方にいることは重要なポイントになってくるでしょうか。
徳永さん
そうですね。地方のまちづくりというと、ボランティアでの活動や、DIYでの空き家改築など、ストーリーが大事にされる側面も多いと思います。でもやはり、地方の衰退の根本的な原因は経済が回らないこと。例えば〈季楽飫肥〉についても、例え予算が数百万しかなくとも、DIYで改築をして地道に場所を作っていけば、時間はかかるけれどリーズナブルな宿泊施設は完成したと思います。でも、民間の金融機関から大きなお金を投入することで、地元の工務店にお金が回り、工務店から下請けの設備屋に、設備屋から備品屋にとそれぞれで少しずつ利益が乗っかります。すると1億の価値が何倍にも膨れて経済が循環していくようになるんです。そういった意味では、僕はかつての地方財閥が地域経済を支えていたように、今は地域の金融機関などから金融に精通している人がキーとなり、スピード感を持ったダイナミックな動きで経済を回していくことが大切だと思います。そして一方で、クリエイティブなチームと組むことも重要。ただお金を回収するだけではなく、ソフトの面でも地域の文脈に沿ったストーリーのあるものを作っていくことで地方創生が展開していくと思うんです。金融とクリエイティブ、どちらの軸も大切だと思います。
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