2024.09.09

メイドインジャパンを継ぐ人。

第5回| 時代とともに町工場のあり方も変わる。〈GLASS-LAB〉の椎名隆行さん。

近年衰退傾向にあるとされているメイドインジャパンプロダクトの魅力をたずね、それを継ぐ人の価値観を探る連載企画「メイドインジャパンを継ぐ人」。第5回は、東京・清澄白河にあるガラス加工専門店〈GLASS-LAB〉の椎名隆行さんにインタビュー。1950年から続く〈椎名硝子加工所〉の3代目として生まれた椎名さんは、家業の流れをくんだ〈GLASS-LAB〉を創業。新しい江戸切子「砂切子(すなきりこ)」を開発し、ガラス加工の可能性を追求しています。そんな椎名さんに話を伺うと、「人のために」「時代にアジャストさせる」というものづくりへの思いが見えてきました。

 

(文:船橋麻貴/写真:大崎あゆみ)

亡き上司が教えてくれた、ガラス加工の魅力を届ける意味

古い寺院やカフェ、アート施設が建ち並び、新旧が交じり合う東京・清澄白河。そんな街に70年以上前から続く〈椎名硝子加工所〉の流れをくんだ〈GLASS-LAB〉があります。設立したのは、江戸切子プロデューサーの椎名隆行さん。ガラス加工を行う〈椎名硝子加工所〉の3代目として生まれたものの、「家業を継ぐ気は皆無だった」と幼少期を振り返ります。

 

「子供の頃、工房は遊び場でしたね。父や他の職人さんたちと一緒に、仕事の合間に煎餅を食べたりお茶を飲んだりして。たまに仕事を手伝っても同じ作業の繰り返しで眠くなっちゃうし、当時は職人の賃金も低かった。だから、家業を継承することは全く考えてなかったですね」

「職人としての才能のなさには早めに気づきました(笑)」と、〈GLASS-LAB〉の椎名隆行さん

こう話す通り、椎名さんは大学を卒業すると不動産会社に就職。その後、不動産のポータルサイトを運営するIT企業に転職しますが、そこで出会った今は亡き上司が〈GLASS-LAB〉を創設するきっかけになります。

 

「独立志向の人が多く集まる会社だったんですけど、恩師ともいえる上司の1人に、いつも言われていたんです。『お前の夢は何だ?』って。だけど、僕は会社も仕事も楽しくて大好きだったから、その答えが本当にわからなかった。

 

『自分の夢って、何だろう』と考えていたとき、その上司が独立することになったのでメッセージグラスを贈ることにしたんです。当時すでに職人として家業に入っていた弟に、上司がよく言っていた言葉を彫ってもらって。そうしたら、とんでもなく喜んでくれたんです。その姿を見て、ガラス加工っていい仕事だなと初めて思えました」

椎名さんの遊び場だったという工房。創業時から使っている旧式の研磨機は4台あり、それぞれをベルトでつなぎ、1台のモーターで動かしている

家業の技術を融合させた、新しい江戸切子「砂切子」

「ガラス加工で人の心を揺さぶりたい」。そんな思いを抱いた椎名さんは、2014年に〈GLASS-LAB〉を創設。まずは昔ながらの研磨機が並ぶ工房を楽しんでもらおうと、工房見学や「江戸切子」制作体験をスタートします。清澄白河が現在のようなカフェの街になる前のことでした。

 

「ちょうどその頃、工房の近くに〈BLUE BOTTLE COFFEE(ブルーボトルコーヒー)〉の日本1号店がオープンしたんです。そうしたら人っ子一人歩いていなかった街に人が集まるようになって、うちの工房にもお客さんが来るようになって。当時はまだオリジナルのプロダクトもできてなく、たまたま運がよかったんですよね」

 

創設して間もないにも関わらず、〈GLASS-LAB〉はメディアでも多く取りあげられ、その認知度は上がっていきます。そんな中、椎名さんは改めて家業の技術としっかりと向き合い、2つの大きな驚きと気づきを得ます。その1つが、東京の伝統工芸「江戸切子」の技法である「平切子(ひらきりこ)」の技術を父親が継承していること。そしてもう1つが、ガラスの表面に砂などの研磨材を吹き付ける「サンドブラスト技術」を得意とする弟の技術が世界レベルだったことでした。

 

「『平切子』は、一般的な『江戸切子』とは違って、ガラスに『線』を描くのではなく、ガラスを切断して『平』を作る技術のことで、これができる職人は全国に10人程度しかいないらしいんですよ。あと、家業を継いでくれた弟も『サンドブラスト技術』を使って、0.09mmの極細の線までなら確実に描ける稀有な職人だったらしくて。2人とも当然のようにやっていたので、まさかそんな匠の技を持っているなんて知らなかったんです」

ガラス器の側面や下部をフラットに削る「平切子」の技術は、熟練の技術が必要なのだそう

椎名さんは、「平切子」と「サンドブラスト技術」の2つの技術をいかした、新しい江戸切子「砂切子」を考案。ガラスの側面を「平切子」、底面を「サンドブラスト加工」することで、ガラスに施された模様が光に反射して浮かびあがる、これまでにない江戸切子を生み出します。

 

「光を反射する江戸切子はこれまでもありましたが、ここまで精巧に作れるうちの2つの技術は武器になると思いました。だけど、家業は購入したガラスを加工して発注元に届ける仕事が主だったので、自社オリジナルの製品を作って売るのは初めて。おっかなびっくりで始めましたが、ありがたいことにお客さんからご好評いただき、砂切子をシリーズ化することにしました」

飲み物を注ぐと、グラスの中で桜が満開に広がる砂切子「サクラサク」

コロナ禍をきっかけに、新たな職人が誕生

ものづくりをする人の多くを悩ませた、2020年のコロナ禍の訪れ。〈GLASS-LAB〉でも製造がストップしますが、「それがむしろ追い風となった」と椎名さんは話します。

 

「砂切子シリーズが売れるようになっても職人である父と弟は忙しく、製造量に限界がありました。だけど、コロナ禍になって父と弟に余力ができたことで、砂切子シリーズを作る時間が生まれたんですよね。コロナ禍に製造量を増やせたこと、そして家呑み需要もあって、たくさんの方に砂切子を迎えていただけました」

 

椎名さんは、お酒を注ぐと底の蛇の目模様が万華鏡のように広がる『蛇ノ目切子』や、ワインボトルを使ったバングルなども開発。コロナ禍であろうと、江戸切子の新たな可能性を追求することを止めませんでした。

日本酒猪口の代表的な模様である蛇の目を施した「蛇ノ目切子」。「東京手仕事」プロジェクトで東京都知事賞を受賞した

スパークリングワインの空き瓶を活用したバングル「GLASS-LAB NEW PRODUCT “WA”」

そして職人が増えたのも、このコロナ禍での出来事でした。

 

「父が70代に入るタイミングということもあって、平切子ができる職人を育てる必要があったんです。そんな話を父としていたら、バックオフィスを担当してくれていたスタッフが名乗りをあげてくれて。昔ながらの職人気質の父とぶつかることも多かったけど、今ではいい師弟関係を築いてくれています。もう父の手を借りることなく1人で作業できるようになって、ここ最近の製造量は爆上がり。職人不足ともいわれている今、新たな職人が育ってくれたことで、ものづくりにさらに向き合えるようになった。それはとてもありがたいですね」

時代にアジャストする町工場の代表格に

自らガラス加工業に携わることを決めた時、家族から「儲からないからやめた方がいい」と言われていたという椎名さん。しかし、〈GLASS-LAB〉設立から10年、新たなプロダクトや職人を生み出しただけでなく、トークイベントや街歩きイベントなども開催。街の活性化にも貢献し、活動の幅をどんどん広げていきました。

 

「〈GLASS-LAB〉を始めて街の活動をするようになって、見える景色がガラッと変わったんです。街を歩けばいろいろな人が声をかけてくれて、人とつながることってこんなに心地いいものなんだって。仕事に困ったら近所の小商いの人たちが相談に乗ってくれて、僕がやったことを何倍にもして返してくれます。そういう人たちがいる限り、自分の力を全て出し切れる。こんな大切なことにも気づけたので、〈GLASS-LAB〉を始めて良かったと心底思ってます」

街に開けた町工場として、ガラス加工の魅力を届けてきた椎名さん。減少傾向にある町工場の未来について聞くと、こんな答えを返してくれます。

 

「どんなことでも長く続けていくには、時代にアジャストさせる必要があると思っていて。例えば百貨店もそうじゃないですか。始まりは呉服店で、時代とともに業態を変えてきた。そういう風に、僕たち町工場もやっていかないといけない。アイデアをいかしたり、視点を少しずらしたり。時代に置いてけぼりにならないような工夫をしながら、これからもものづくりの新しい可能性を追求し続けていきたいですね」

〈GLASS-LAB〉

1950年創業の〈椎名硝子加工所〉の流れをくんだガラス加工専門店。東京・清澄白河にある工房では、「江戸切子」や万華鏡などの制作体験も行っている。

https://glass-labo.com/

【編集後記】

記事内で紹介した砂切子「サクラサク」に水を注ぐ様子は、職人の熟練した技術が生み出した、まるで発明ともいえるような美しさだと感じました。「高い技術同士の組み合わせが新しい魅力を生み出す」という素晴らしい例を見せていただいたように思います。

また、必ずしも職人になることだけが家業を継続させる道なのではなく、多様な視点から働きかけることで魅力が拡大され、それが結果的に家業の継続に繋がっていく可能性もあるのだということについても学ぶことができました。

(未来定番研究所 榎)