集める
2025.02.28
集める
かっこいいもの、かわいいもの、美しいもの、珍しいもの……。自分が好きになったものをひたすら集めることは、昔から人の心を豊かにしてきたように思います。しかし最近は、ただ単に集めるだけでなく、その先に新たな価値を見出したり、形のないものを追い求めたりする人も少なくないよう。テクノロジーの発達によってあらゆるものにアクセスしやすくなった今、人々は何を集めるのでしょうか。その先に見出すものとは? F.I.N.では、「集める」の先にある価値観を探求します。
今回ご登場いただくのは、フィールドワーカーの辻本達也さん。近くを冒険するハンドブックシリーズ『neoコーキョー』で、14日間池袋の路上に座り、街を行き交う人々を数値化するカウント調査を行いました。辻本さんはフィールドワークを通じて、「集める」という行為に何を見出したのでしょうか。「集める行為」の必要性を伺います。
(文:船橋麻貴/写真:大崎あゆみ)
辻本達也さん(つじもと・たつや)
〈松谷書房〉代表、作家、フィールドワーカー。1989年埼玉県出身。2013年、慶應義塾大学経済学部卒業。iPhoneのゲーム開発会社を経て、2016年より演劇団体「マームとジプシー」の作品に継続的に出演。2020年に出版社〈松谷書房〉を立ち上げ、近くを冒険するハンドブックシリーズ『neoコーキョー』を出版している。
自分で自分を楽しませるため、
身の回りをフィールドワークする
『neoコーキョー』の第1弾は、「勝手にカウント調査をはじめよう」がテーマ
F.I.N.編集部
近くを冒険するハンドブックシリーズ『neoコーキョー』を出版しようと思ったのはなぜですか?
辻本さん
僕が『neoコーキョー』を始めたのは2020年。当時演劇をやっていたんですけど、コロナ禍に入ると公演の延期や中止が相次いで。それでぽっかり時間ができたので自分で何かやろうかなと思ってたどり着いたのが、自分の「近くを冒険する」ことだったんです。
テーマを「近くを冒険する」にしたのは、幼い頃から身の回りにある固定概念が壊れて、自分の認識や感覚が押し広げられる瞬間が一番気持ち良かったから。20代だったら出版をやろうなんて思わなかったはずです。興味の湧くものを見つけて次々に飛びこんでいけばいいと思っていたので。でも30代になって、それを軸に自ら主体的に動き続けられるライフワークとなる活動をつくりたいと思うようになっていました。幼少期から抱いていたテーマで出版を始めたのはそんな理由です。
F.I.N.編集部
ご自身が主体的に動くため、身の回りをフィールドワークしようと考えたのですね。
辻本さん
そうです。僕は幼稚園の頃から、ポケモンや仮面ライダーなどのフィギュアを集めるのが好きだったんです。その延長で大きくなってからも漫画や映画の作品を集めたりして。娯楽をそうやって摂取していたんですけど、ずっと物足りなさを抱えていたんです。他者から楽しさを与えられている感覚というか。「楽しいものはあふれているけれど、俺はそれを摂取する機械みたいになってないか?」って。それで、自分で楽しさをつくるならどうしたらいいんだろうと考えた時に出てきたのが、身の回りをフィールドワークすることでした。
辻本さんが子供の頃に集めていたフィギュア
F.I.N.編集部
辻本さんは、『neoコーキョー』の第1弾で14日間池袋の路上に座り、カウント調査をされています。なぜ、調査の対象を池袋にしたのですか?
辻本さん
僕にとって「近く」の街だったからです。当時は要町に住んでいて、1駅隣の池袋によく来ていたんです。ごはんを食べたり、買い物したりしていたんですけど、考えてみたらお店や公園は知っているけれど、池袋のことは何も知らなくて。ただただ家と店を往復しているだけで、街をまったく見ていなかったんです。だから、街の見方を変えたら、固定概念を壊せるかもしれないと思って、カウント調査をすることにしました。
F.I.N.編集部
調査方法に、カウント調査を選んだのはどうしてですか?
辻本さん
当時はコロナ禍真っ只中で、コロナ感染者数が毎日報道されていました。何百人、何千人と増えていく数字を目にしても、正直よくわからなかった。だから、数字の意味を探ろうと思って、池袋の街を行く人の数を数えることにしたんです。
辻本さんがカウント調査をしたのは、池袋の中でも人通りの多いサンシャイン通り。2021年4〜5月の7日間、2023年10月の7日間、計14日間行った
「俺は池袋に座ったことがある」。
街との距離が近づいていった
F.I.N.編集部
池袋の街に座って、カウント調査するには勇気が必要そうですね。
辻本さん
はい。とにかく心細かったですね。街に座ることは禁止されているわけでもないのに、座っちゃいけないという固定概念が自分の中にあって。調査元を探りたいのか、街行くおじさんに「都?区?」と話しかけられたこともありました。そういう人の目にビクビクしながら、通り過ぎる人の数をひたすら数えていくと、街の見え方が変わっていったというより、もっと街がこうだったらいいのにと思うようになりました。
F.I.N.編集部
どんな街になったらいいと思ったのですか?
辻本さん
座り始めて気づいたのは、どうして自分以外に街に座っている人やだんらんしている人がいないのだろうということでした。極端かもしれませんが、この街に訪れる人たちは「池袋に来たい」というより、「池袋にある店やビルに来たい」だけなんじゃないかなって。街がチューブのように目的地まで素通りする空間になっているんじゃないかと思いました。そんな街の姿に、もったいなさを感じたんですよね。僕のように座ってもいいし、広場みたいにくつろいでもいいし、子供がボールで遊んでいてもいい。もっと空間として、人間が力を抜いて気持ちいいと思える場所にできるんじゃないかと。
F.I.N.編集部
人の数をカウントしながら、そういうことも考えていたのですね。
辻本さん
自分の心の動きにも着目したかったので、カウンターの下にメモを忍ばせて、感じたことを書き記していたんです。もちろん、最初のうちは数を数えることに一生懸命ではあったんですけど、慣れてきたらその目的が少しずつ変わって、いつの間にか街について考えるようになっていました。
F.I.N.編集部
合計14日間、池袋に座ってカウント調査したことで、ご自身の中での変化はありましたか?
辻本さん
池袋と少し仲良くなれた気がしました。他の人はやったことないだろうけど、「俺は座ったことがあるんだぞ」という気持ちが湧いて、街との距離が縮まったというか(笑)。
実際、イベントでカウント調査を下北沢で行った時は、参加者の方たちからもそういう声が多かったんです。「最初は絶対に座れないと思ったけど、座ってみたら街に愛着が湧いた」みたいな。やはり、記憶や心に残るような経験があると、いつもの街でも捉え方が変わるんだと思います。
F.I.N.編集部
14日間のカウント調査で、辻本さんは何を得ましたか?
辻本さん
一番大きかったのは、街と仲良くなれたり、自分の心の動きに気付けたりと、思わぬ収穫があったこと。そうしたなかで僕が得たものといえば、街に座れる度胸と自ら動いた喜び、そして〈SIXPAD(シックスパッド)〉ですね。
F.I.N.編集部
〈SIXPAD〉って、腹筋などを鍛えるためのギアのことですか?
辻本さん
そうです。今回の池袋のカウント調査は、〈SIXPAD〉の広告の前で行っていたんです。ずっと一緒にいたので仲間感が湧いてしまって、気づいたら手に入れてました(笑)。
生きている実感を伴いながら、
自らの意思で集めるものを選んでいく
F.I.N.編集部
辻本さんが『neoコーキョー』のテーマに掲げたように、何かを集めるには自ら動くことが大切なのですね。
辻本さん
フィギュアを集めたり、バッジを集めたりするのもすごく楽しいと思うんです。そこに自分なりの集めるルールや「これは並んで買ったんだ」という実感が重なると、さらになんか良いですよね。カウント調査だってテクノロジーやAIを使えば、家からでもできたかもしれません。だけど、街に座るためにイスを出した時の手の震え、見ず知らずの人に話しかけられた時の緊張感など、街のカウント調査は家では体験できないことの連続でした。僕は根が出不精なので、家にいて動画を見ていることが多いんです。そうやって受け身でいると、どんどん生きている実感が薄れていく。カウント調査は恐かったけど、自ら動いている充実感は間違いなくありました。
F.I.N.編集部
では、辻本さんはフィールドワークを通じて、なぜ何かを「集める」のでしょうか?
辻本さん
「テーマを考えて、それを調査する」という行為を「集める」と呼んでいいのなら、僕が「集める」のは好奇心を満たすためですね。1つのことを調査すると、どんどん新たな疑問が湧いてきます。あれも知りたい、これも知りたいって。しかも僕のテーマは「近くを冒険する」。調査対象が身の回りのものだから、もっともっと知りたくなるんです。
そもそも『neoコーキョー』を作る時、カウント調査以外にも企画を100個くらい挙げたんです。それを「地理」や「歴史と物語」、「生活基盤」などのジャンルに分けてマップ化したんですが、これは企画を「集めた」んですね。どうしてこうやってテーマを集めたかというと、先にテーマがズラッと並んでいないと、『neoコーキョー』というライフワークから離れて僕は全然違うことを始めてしまうからです。「集める」というのは実は「範囲を決める」ことでもありますよね。この時に集めたのは、自分が自由に動き回っていいフィールドを限定したかったからです。
F.I.N.編集部
この先、人々の「集める」の価値観にどんな変化を望みますか?
辻本さん
正直、「みんな好きに集めることを楽しめばいい」と思っていますが、あえて言うなら。これからもっと、他者によって楽しませてもらえるサービスやツールが増えていくと予想します。今の僕自身もそうで、音楽配信サービスでおすすめされた楽曲が選ぶことなく流れてきます。便利だし、最高です。これからも使っていきますが、それとは別に自分で選んだ実感を持てるような時間があったほうが良いのかなと思います。例えばポケモンのフィギュアを集めようとした時に、必ずしもすべてのポケモンを集めようとする必要はないんですよね。青いフィギュアだけ集めようとか、自分の名前と関連のあるものだけ集めようとか。本当に好きなやつだけ集めようとか。そのような「集める」には、「集めさせられている」のとは異なる何かがあると思います。
【編集後記】
この取材を通して、確かにそうだな、と改めて思ったことがあります。「集める」とは主体的な行為であるということ、そしてそれが「生きている感じ」をもたらしてくれるということです。与えられ続けた何かより、好奇心や冒険心をもって触れたものから得られる実感、感動が自分の人生をよりユニークで面白いものにしてくれるのだと思います。
同時に、自分から何かを選ぶということは(辻本さんにとっての池袋のように)自分の外にある何かを発見し感じるための大切な手立てです。集めることで私たちは、固定観念を壊すこととは本来楽しくて生き生きとした感覚なのだと知りたいのかもしれません。
(未来定番研究所 渡邉)