もくじ

2025.03.18

値段はお客さんが決める。〈TWILLO〉神条昭太郎さんの自由であるための商い方。

スマホ1つで誰もが売り手になれる時代。形のある「モノ」だけでなく、「ノウハウ」や「背景」までもが商品として流通するようになりました。商品があふれかえる今、消費者の心を揺さぶるのは、「何を売るか」よりも「どう売るか」なのかもしれません。実際、サブスクやSNSの活用といった新しい売り方も次々と登場しています。F.I.N.では、現代の商い方に注目し、その背後にある価値観を紐解きながら、新しい商いのあり方を探ります。

 

今回お話を伺うのは、都内に夜な夜な現れる神出鬼没な屋台バー〈TWILLO(トワイロゥ)〉の神条昭太郎さん。風のおもむくままに移動し、日々場所を変えて屋台バーを開店するというスタイルで商いを続けています。その独自の世界観はもちろんのこと、お酒代をお客さんに決めてもらう「投げ銭」スタイルも特徴的です。〈TWILLO〉を始めて20年弱、神条さんは商いに欠かせない「値段」について、どう捉えているのでしょうか。値段設定を相手に委ねることで、ご自身のなかに起きた価値観の変化とは?

 

(文:船橋麻貴/写真:米山典子)

Profile

神条昭太郎さん(かみじょう・しょうたろう)

1972年長野県生まれ。横浜国立大学経済学部国際経済学科卒業。銀行員や衆議院公設秘書などを経て、2006年にモバイルサロン〈TWILLO〉をスタート。固定の店舗を持たず、都内を移動しながら屋台バーを開店する。日々変わる出現場所は、XやFacebookなどのSNSで夜9時ごろに発表される。

X: @twillo0

エリート街道を歩むも、

自分自身を諦めきれなかった

ある時は隅田川を臨む永代橋のたもとで。またある時は麻布十番の公園前で。神条さんは風のおもむくまま、気のむくままに、屋台バー〈TWILLO〉を開きます。バカラのグラスが用意され、キャンドルが灯されると、SNSの事前アナウンスで知った人たちが白い屋台に吸い込まれるように集まってきます。

神条さんが〈TWILLO〉を始めたのは、2006年。国立大学出身かつ、銀行員と衆議院の公設秘書というエリート街道を歩むなかで抱え続けた、ある種の「違和感」がきっかけになったそう。

 

「大学時代、就活へのモヤモヤを抱いたまま銀行員になりました。当時はバブル崩壊直後で、就職が厳しいといわれていた時代。それまで一緒にバカやっていた同級生たちが急に目の色を変えて、同じようなリクルートスーツに身を包んで就活を始めて。大学の教授もOBたちも、今頑張っておかないと就職できないから『とにかく走れ』と口をそろえて言うんです。正直、何に向かって走るのかもわかりませんでしたが、時代にそぐうように、周りに流れされるまま銀行員になりました」

 

就職への疑問を抱いたまま銀行員になった神条さんは、「性に合っている」と感じながらも、3年ほど経った頃に銀行を退職し、アルバイトで生計を立て始めます。仕事をしたりしなかったりの勝手気ままな日々を送るうち、「このままじゃ人生を棒に振る」と衆議院の公設秘書に。再びエリート街道に舞い戻った神条さんでしたが、若い頃から抱いていた「違和感」を拭いきれなかったといいます。

 

「誰かに言われるがままレールの上を走り続け、そこで頑張ろうとした自分がいたんですけど、どうしても自分自身を諦めきれませんでした。疑問を抱え、違和感を抱きながら、この先も自分を裏切り続けていいのか。自問自答を繰り返した後、『これからは誰かを支えるのではなく、自分1人で食べていこう』と決めたんです」

こうして公設秘書の仕事に区切りをつけることを決めた神条さん。この時点では屋台という発想も、バーを営むという気持ちもなかったそう。

 

「自分1人でできさえすれば、どんな商いでもよかったんです。公設秘書を辞めてから〈TWILLO〉を始めるまでの1年間、知人のバーを手伝ったりしながら、どんな可能性があるかをひたすら考えました。それで思いついたのが、『自分の世界観が表現できること』『自由度が高いこと』『食べていけること』の3つの条件でした。これを同時に満たせるものは何か。最終的にたどり着いたのが屋台バーという今のカタチでした」

これまでの固定観念を手放し、

固定の店舗を持たずに冒険する

自分の世界観を表現するため、神条さんは〈TWILLO〉にさまざまな思いを詰め込みます。屋台を白色にしたのも、バカラのグラスでお酒を提供することにしたのも、自身が目指す美しい世界観を叶えるため。

 

「女性が1人で飲みに行けるような場所があまりないということを知人たちから聞いたんです。そんな人たちでも抵抗なく来てもらえるような屋台バーにするにはどうしたらいいのか。そう考えた時、女性たちが買い物に訪れる百貨店の化粧品売場がふと頭に浮かんだんです。実際に化粧品売場を回ってみたら、白い空間にキラキラしたものがいっぱいあった。それで屋台を白色にすることと、キラキラと美しいバカラのグラスを使うことを決めました」

とはいえ、屋台としては前例のないことばかり。周りから苦言を呈されることも。

 

「屋台は自分でデッサンを描いて南千住の町工場にお願いしたんですが、『白だけは絶対にやめておけ』と言われました(笑)。あとバカラのグラスだって割れることを考えたら、屋台で使う人なんてまずいないでしょう。始める前、周りから『絶対に失敗する』とも言われましたが、自分のなかでは『やる』という選択以外ありませんでした。不安も少なからずあったはずなんですけど、今では思い出せない。そのくらい前向きな気持ちの方が勝っていたんだと思います」

 

2006年のスタート当初は、固定の場所で〈TWILLO〉を開いていたという神条さん。現在のように都内を移動し始めたのは2011年。自身が掲げた商い3条件の1つである「自由度」をさらに上げていくためでした。

 

「お店の場所は商いにとって大事な要素の1つだと思います。同じ場所で長くやった方がきっと有利でしょう。だけど、そういう概念も手放してみたくなったんです。場所に縛られることなく、どこで〈TWILLO〉をやってもいい。そう思ってからは、都内を移動しながら『冒険する』スタイルに変わりました」

値段設定を相手に委ねることで、

もっと自由に、もっと軽やかに

お酒代をお客さんに決めてもらう「投げ銭」スタイルを取り入れたのは、〈TWILLO〉を始めて10年ほど経った2015年ごろ。台風で破損した屋台を修理に出したことが発端でした。

 

「現在はハードリカーを中心とした3種類のお酒を用意していますが、当初はビールやワインなどいろいろなお酒を屋台に積んでいたんです。だけど、屋台を修理に出した時にお酒を全部下ろして引っ張ってみたら、物理的に軽いというのもあるし、なんだかとても清々しかった。よくよく考えてみたら、お客さんの要望に答えるためにお酒をたくさん積んでいて、きっとそれは商いとしては正しい姿だと思いますが、自分でも知らないうちに自分自身を縛り付けていたんですよね。一番はじめに町工場から空っぽの屋台を引っ張って歩いた時の感覚を思い出し、もっと自由に、もっと身軽になりたくなった。それで用意するお酒の種類を減らし、値段の設定自体も取っ払ってしまおうと思ったんです」

神条さんが掲げた商いの3条件「自分の世界観が表現できること」「自由度が高いこと」「食べていけること」。優先すべき順に条件を並べているそうで、「食べていけること」は3条件の中でも優先度は低い。とはいえ値段設定を相手に委ねることは、商いを続ける不安要素になり得る場合も。しかし神条さんは10年間も変えることなく、この「投げ銭」スタイルを続けてきました。

 

「通常、モノの価値はおおよそお金で決まります。だけど、例えばアートや音楽は鑑賞者が感じた体験がその価値になるじゃないですか。私としても〈TWILLO〉の世界観を楽しんでいただきたいので、その表現に対する価値を相手に委ねたい。初めてのお客さんのなかには戸惑う方もいますが、自分としてはお客さんが決めてくれた値段ならどんな金額でも構いません。そしてこの値段設定を取っ払ってから、不思議なことに収入自体も変わらなかったんです」

〈TWILLO〉の小さな黒板には、お客さん同士の雑談のきっかけになればと、「題目」が掲げられている。この日の題目は「もっと」

値段は1つの物差しにすぎない。

大切なのは自分の個性を信じること

「投げ銭」スタイルを導入してから、これまでお客さんが一晩で支払った最高額はなんと10万円。一方で最低額は100円台だそうですが、これには後日談があると神条さん。

 

「お散歩途中に興味を持って話しかけてくれた方がいました。飲んでいきたいけど、手持ちのお金が100円ちょっとしかないと。結局申し訳なさそうにそのお金で飲んでいってくれたのですが、また別の場所でやっている時にご友人を連れていらしてくれて。『1杯に1,000円以上の価値があると思っていたのに、先日は払えなかった』と、前回の分も含めてその日はだいぶ多めに支払ってくれました」

 

やわらかな火が灯るキャンドル、美しいバカラのグラス、そしてお客さん同士で自然と生まれる会話。そういった〈TWILLO〉がつくり出す特別な体験が価値となり、それに対してお客さんはお金を支払っているよう。

 

「正直、商いをしているという感覚があまりないんです。お客さんたちからも『もはやバーではない』と言われることが多い。〈TWILLO〉を何かに例えるなら『コンテンポラリーアート』。自分の世界観を表現し、そこにお酒があって、お客さんが集ってくる。そのすべてが1つの作品となっているから、それに対してお客さんは価値を見出してくれているのかもしれません」

この日に用意されていたお酒は、カルヴァドス、ラム、ドクヤクの3種類。写真は、秘密のお酒「ドクヤク」

お客さんに値段設定を委ねてから10年弱。神条さんは、「値段は物差しの1つでしかない」と話します。

 

「そのモノの価値が100円なのか、1,000円なのか。それは買う人の状態にも左右されると思うんです。なぜなら、100円ちょっと支払ってくれたお客さんは、その時の全財産を私に差し出してくれたわけですから。そう考えると、値段というのは物差しの1つでしかないと思うんです。支払った金額の大小でモノの価値が決まるわけではないし、その人自体を測るものでもないと日々痛感しています」

 

〈TWILLO〉という舞台を携え、都内を冒険する神条さん。20年もの間、1人で商いを続けられているのは、どんな時も自分の個性を信じてこられたから。

 

「私は〈TWILLO〉を始める前、自分自身を諦めきれませんでした。要はもっと自分の個性を信じて、自分らしく自由に生きたかった。私がやっていることは少し常識外れだし、商いの枠から飛び出しちゃっているかもしれません。それを個性と捉えて価値をつくっていけたら、たった1人の商いだとしても続いていくはず。明日のことも、この先何が起こるのかもわかりませんが、これからも冒険を続けていきます」

【編集後記】

「値段は1つの物差しでしかない」という言葉にはっとさせられました。価値基準に踊らされず、自分がなにをもって価値あるものと信じるか。神条さんとお客さんのエピソードには、人対人の商いの原点が見えた気がします。

商いの場には、良くも悪くも店主の気配が漂っているように感じます。同じ味、同じ効能でも、ここでこの人からいただきたい。そんな気持ちが人々をその場に集わせているのではないでしょうか。いろいろな職を経ながらもご自身の個性を信じ、唯一無二の商い方を続けてこられた神条さん。その神条さんが信じるものに、人々はリアルさや本物らしさを見出し、そこに身を委ねたくなるのかもしれません。

(未来定番研究所 高林)