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2019.02.13

未来を仕掛ける日本全国の47人

38人目 沖縄県名護市 木工職人・渡慶次弘幸・渡慶次愛さん

毎週、F.I.N.編集部が1都道府県ずつ順番に、未来は世の中の定番になるかもしれない“もの”や“こと”、そしてそれを仕掛ける“人”をご紹介します。今回取り上げるのは、沖縄県の名護市。スタジオ木瓜の日野明子さんが教えてくれた、名護市でオリジナルの漆器を手がけられている木地師職人・渡慶次弘幸さんと塗師・渡慶次愛さんをご紹介します。

 

この連載企画にご登場いただく47名は、F.I.N.編集部が信頼する、各地にネットワークを持つ方々にご推薦いただき、選出しています。

本質は変えず、親しみやすい漆器作りに奮闘する2人。

沖縄本島の北部に位置する名護市は、海と山に囲まれた自然豊かなまちです。また、那覇市まで通じる沖縄自動車道の起点で、交通の要衝でもあります。都市と自然が同居している場所といえるでしょう。そんな中、渡慶次さんご夫妻は、〈木漆工とけし〉として沖縄県北部に工房を構え、身近にある木を使って漆の器を製作されています。もともとお二人は沖縄県のご出身。その後、県内の沖縄県工芸指導所で弘幸さんは木工、愛さんは漆について学ばれてきました。1年間の終了過程を終えると、2人は石川県の輪島市でそれぞれの工房で5年間の修行を行い、沖縄県名護市に移住。住居兼工房を構え、日常づかいのできる、沖縄の食卓になじみやすい漆器作りに没頭されています。推薦してくださった日野さんは、「渡慶次夫妻とは、輪島にいる頃、ちらっとすれ違い、その後、沖縄で再会しました。琉球漆器は、宮廷のもので一般的でなかったのに、今は、本来の使い勝手や質を土産物として作り変えた物が主要商品になっています。それを、渡慶次さんは、“地元の木を使って漆器を作る”ことで、新たな<琉球漆器>を作り出そうとしているのが好ましいです。ベースは輪島塗ですが、沖縄の伝統技法も、うまく取り入れなが制作活動を続けられる姿に未来を感じます」と教えてくれました。早速、渡慶次ご夫妻にお話を伺ってみます。

F.I.N.編集部

渡慶次さんこんにちは。本日はよろしくお願いします。

弘幸さん

よろしくお願いします。

F.I.N.編集部

まずは、名護市の土地の特徴を教えていただけますか?

弘幸さん

沖縄県の北部にあるのですが、海と山に囲まれた美しい景観が特徴の土地です。それでいて北部の中心として都市機能も発達しているので、まちと自然がうまい具合に混じり合った土地ですね。ウチの周りは自然が多く、庭にバナナの木が生えています。

F.I.N.編集部

素敵な場所なんですね……。渡慶次さんが名護市で漆器づくりを始めるまでの経緯について教えていただけますか?

弘幸さん

僕は19歳から木工の勉強を始めました。沖縄県工芸指導所というところで木工の基礎を習得し、しばらくは県内の木工作家のもとでアルバイトをするなどしてから石川県の輪島市で漆器木地屋に弟子入りしました。

愛さん

私も同じ学校を出ました。漆の仕事をするためにもっと勉強をしたかったんですけど、学校では1年しか学べず、その後沖縄県内で入れる工房もありませんでした。さらに漆を学ぶとしたら県外に出るしかないと思い、輪島に修行をしに行くことにしました。

弘幸さん

沖縄を出る前は家具や店舗の什器、内装に興味がありましたが輪島ではそれらに加えて重箱や盆、膳、皿、スプーンや菓子切りなどの小さいものまで幅広く作っていました。同時期に妻も輪島で漆を学び、5年間の弟子期間を経て職人として認められたのちに結婚をして子どもも生まれました。長く輪島で過ごす中で少しずつ自分たち自身でももの作りをしてみたいという気持ちが芽生えたのと、子育てなど家族の都合も重なって、そろそろ沖縄に帰ろうということになりました。

F.I.N.編集部

なぜ沖縄の中でも名護に移住されたんですか?

弘幸さん

もともと僕らは浦添市という沖縄でいうと都会の方で生まれ育ちましたが、輪島の自然豊かな環境がとても気に入っていたので似た環境を求めて色々と探す中で名護に行き当たりました。この場所は僕も妻も一目見て仕事と生活をするイメージが湧いてきたので、すぐにここに決めました。それで2010年より〈木工漆とけし〉としての漆器づくりを工房を作るところから始めました。

F.I.N.編集部

見た瞬間に気に入った場所だったんですね。お二人が作られている漆器の特徴を教えて下さい。

渡慶次さん

漆らしい滑らかな質感の漆器は、沖縄ではなかなか目を向けてもらえないだろうと思っていたんです。若い人は特に漆器というものにあまり触れたことがない人がほとんどなので。もちろん漆らしい漆器もとても良いと思っていますが、その一歩手前でもっと気軽な漆器があってもいいのではないかと考えました。

 

愛さん

なので、最初に作り始めたのは蒔地という下地技法を表面仕上げに用いたざらりとした手触りの漆器で、仕上げの色にも赤や黒以外に白や茶色を出したり金属粉を用いたりと、ここでの生活や環境、食生活にもなじみやすいようにと工夫をしました。

F.I.N.編集部

なるほど。漆の概念を変える親しみやすい漆器を目指されているということですね。

渡慶次さん

漆の概念を変えるというのは意識していませんでしたが、土地の素材を使うことで他と少し違った印象を与えているかもしれません。輪島などで漆器に使われる種類の木とはだいぶ異るので、はじめは戸惑いましたがそのうちに輪島と同じ作り方ではなく、ここの素材に合わせようと考えるようになりました。木目が荒いものはのその表情を活かし、柔らかいものは下地で補強しつつその表情を残した仕上がりに、強度があるものは木の表情が透けて見える木製品に近い仕上げのものに、用途によっては漆の良さがより伝わる滑らかな上塗り仕上げにと。特徴を出そうとしたというよりは、与えられた環境にある素材に合わせることで結果としてそうなりました。

F.I.N.編集部

沖縄の木を使っての漆器づくりは困難なことも多いのではないでしょうか?

渡慶次さん

ここでは植林された樹木は成長が足りないので活用には至っておらず、手に入るのは自然に育った木なので安定して木材を仕入れるのが難しいです。また環境の影響もあると思いますが曲がった木が多く通直な材が得難い、節や割れが多かったりして歩留まりも悪い、などいろいろ難しいことは多いです。

F.I.N.編集部

難しくても沖縄の木にこだわった理由はあったのでしょうか?

渡慶次さん

扱い慣れた輪島の木を運んで使うという選択肢もありましたが、沖縄にだって種類は違えど木は生えているのですから、まず身近な木を使うのが自然だと思ったので。それから、これは続ける中で考えるようになったのですが、未だ気づかれていなかったり、忘れられてしまった沖縄の木の魅力、活用方法を掘り起こしたいと思っています。沖縄では木の文化がなかなか伝承されてこなかったようで、住宅もシロアリの被害が多いので木造から鉄筋コンクリートになったし、家具も九州から良質で安いものが入ってきたので、続いてはこなかった。伝統的に続いてきたのは三線やサバニと呼ばれる船、離島でのお面ぐらいではないでしょうか。沖縄の木を工夫しながら使っていた年配の方や林業に携わる方にも教えてもらいながら、いまのもの作りに応用したいと思っています。

F.I.N.編集部

他に漆器作りで苦労されていることはありましたか?

渡慶次さん

夫婦二人で作っているので、思ったように数が作れないことがもどかしいです。輪島などの産地とは異なり全て自分でやらなくてはいいけないで、場合によって伐採現場に立会い丸太を製材所に運ぶところから始まる場合もあり、なかなか時間がかかります。

F.I.N.編集部

すべての流れをご自身で担当しなければならないんですね。

渡慶次さん

大変ですが、輪島の親方たちに教えてもらったり経験させてもらったたくさんのことを、僕たちだけのものにせずに繋げていきたいと思っています。

F.I.N.編集部

渡慶次さんご夫妻は2年前に琉球漆器の展示会を行われていましたが、琉球漆器との関わりについて教えて下さい。

渡慶次さん

琉球漆器はもともと琉球の時代に王様や貴族が使う豪華で華やかなものだったので、時代とともに目的や姿を変えてきたものではありますが、僕たちが普段つくっている日常に使うものとは違うと思っています。浦添市の美術館に収蔵されている古いものが素晴らしく、憧れつつも様々な面で理解が足りないので自ら作るものを琉球漆器と呼ぶことは避けてきましたが、二年前に沖縄のあるお店から老舗の〈角萬漆器〉との二組展という企画をいただき、そこではじめて僕たちが考える琉球漆器を作ることにしました。

愛さん

16~17世紀に作られた重箱を参考にして形を作り塗りを施したものに、同時代に作られた盆に描かれた絵を写すという方法で、加飾を琉球張り子作家の豊永盛人さんに協力してもらいました。古典の絵と豊永さんの絵につながるものがあると以前から感じていましたが、仕上がったものは箔絵の華やかさもありながらおおらかで愛らしい現代の琉球漆器と思えるものになりました。見てくれた方々にも喜んでもらえて、中には古い琉球漆器を見に美術館に行ってみたい、という予想しなかった反応もありました。その後もお互いの共作活動として少しづつ変化しながら今も続いていて、そこから漆器に興味を持ってくれた方も多いです。

F.I.N.編集部

将来的には、沖縄だけでなく日本全国で、沖縄の漆器に対する考えが変わる気がします。

渡慶次さん

そうなると嬉しいですね。沖縄の歴史や文化、風習など時間の堆積を縦軸、いまの生活や環境、周りの人々との繋がりを横軸として、それぞれを大事にしながら縦と横をどこで交合わせるのかを楽しみつつ仕事をしていきたいです。それが様々な素材や分野で行われると、たくさんのつながりを持った独自のすばらしい沖縄の文化として見てもらえるのではないかと思います。

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