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2018.12.25

未来を仕掛ける日本全国の47人。

34人目 長崎県松浦市 コミュニケーションデザイナー・宮田友香さん

毎週、F.I.N.編集部が1都道府県ずつ順番に、未来は世の中の定番になるかもしれない“もの”や“こと”、そしてそれを仕掛ける“人”をご紹介します。今回取り上げるのは、長崎県の松浦市。水引デザイナーの長浦ちえさんが教えてくれた、コミュニケーションデザイナーの宮田友香さんをご紹介します。

 

この連載企画にご登場いただく47名は、F.I.N.編集部が信頼する、各地にネットワークを持つ方々にご推薦いただき、選出しています。

そっと地域に溶け込み、未来を共に考える。

福岡県出身で、地域おこし協力隊として松浦市に移住をした宮田友香さん。コミュニケーションデザイナーとして活動されたのち、2015年に移住をしてから、市の魅力発信・魅力創造を行う組織「青の大学」を立ち上げ、“地域の魅力発信委員”を担当。本格的に地域に溶け込んで、同世代の仲間とともに市のPRの顔として活躍。今年3月までは市役所の中で地域おこし協力隊と仕事をされていました。推薦してくださった長浦さんは、「宮田さんは、もともと松浦の市役所から仕事を依頼されそのまま移住された方。移住までの流れがとても自然で、地元の方とも積極的に接していられるところが魅力です」とご紹介いただきました。宮田さんにお話を伺ってみます。

F.I.N.編集部

こんにちは。本日はどうぞよろしくお願いします。

宮田さん

よろしくお願いします。

F.I.N.編集部

まずは、長崎県の松浦市について教えて下さい。どんな土地ですか?

宮田さん

松浦市は山にも海にも面したとても豊かな土地です。一般的な知名度はあまり高くありませんが、アジの水揚げ量日本一、日本初の海底の国史跡「鷹島神崎遺跡」、年間3万人が訪れる民泊体験があるなど、全国的に観光と漁業が有名なんですよ。

F.I.N.編集部

知られざる魅力が満載な土地なんですね。もともと宮田さんはどういった経緯で松浦市に来られたのでしょうか?

宮田さん

東日本大震災後に、宮城県石巻市に滞在してボランティア活動に参加したのがきっかけです。震災後の町を車で見て周りながら地元の方に当時の様子をお聞きしました。いつ何が起こるかわからない。明日死ぬかもしれない。被災地のリアルな声を聞いて、後悔しない、自分の気持ちに蓋をしない生き方をしようと深く思いました。当時、福岡の広告制作プロダクションに勤務していて、仕事は充実していたのですが、家族を大切にできない状況に蓋をしていた。けれど、家族も明日どうなるかわからない。後悔しない生き方をしようと思い、会社を辞めて、2015年にご縁のあった松浦市に移住しました。

F.I.N.編集部

そのご意志はとても堅いものだったと思います。松浦市とはどのような縁があったのでしょうか?

宮田さん

松浦市とは実は2013年からつながっていて、市の福岡都市圏へ向けたシティプロモーションのお仕事をさせていただいていました。その際、行政は組織が縦割りで、プロモーション情報が点在しがち。受け手にはその情報が蓄積されず市のイメージ構築がされにくいことが課題だと感じていたので、まずは松浦市の魅力をひとまとめにした“青のまち・松浦市”というプロモーション用のキーワードを作りました。日本トップレベルの魅力“青魚(アジ・サバ)”、“海底史跡”“海山の民泊体験”を“青” という言葉でまとめたんです。この「青のまち・松浦市」の取り組みをもっと本格化したい、そのためには現地の声を聞くことが必要だと考えていました。そんな時、市が地域おこし協力隊を公募。思わず立候補しました。

F.I.N.編集部

そして、松浦市に移住することが決まったんですね。その後、松浦市の印象に変化はありましたか?

宮田さん

松浦の人たちの生き方に魅力を感じるようになりました。暮らしの真ん中には家族があって、その次に仕事や趣味があるようなイメージ。土地や時間など田舎ならではの余裕を活かして暮らしを楽しんでいる人が多数です。自分の気持ちに蓋をしないこんな生き方がしたい、と感じたのが移住のきっかけにもなりました。

F.I.N.編集部

宮田さんにぴったりの場所だったんですね。移住されてからは、具体的にどのような活動をされていましたか?

宮田さん

移住後は約3年間、松浦市の地域おこし協力隊として市役所で移住定住促進を目的とした魅力発信業務を担当しました。“青のまち・松浦市”というキーワードを柱に、ウェブサイト「青の大学」やSNSで情報発信して点在していた情報を集約したり、プロモーションツールを青で統一してイメージ構築をしたり。また、市のイメージソングをつくったりもしました。2018年3月に地域おこし協力隊は任期満了しましたが、それまでの活動を議会や役所内で評価していただき、今も役所内にいたときとほぼ同じような活動を続けさせていただいています。

F.I.N.編集部

「青の大学」を始めたきっかけはどんなことだったのでしょうか。

宮田さん

当時、情報発信のプラットフォームがありませんでした。また、市民のみなさんが意外と地元の歴史や文化、暮らしている人々などの魅力を知らないことをどうにかしたいという地域の人の声を聞いて。名前を「青の大学」としたのは、地域の魅力を市民や市出身の方と一緒に改めて学んだり楽しんだりしたいと言う思いと、市民や市出身の方のみなさんにとってキャンパスライフのような交流や新たなつながりが生まれればとの思いからです。

F.I.N.編集部

素晴らしい取り組みですね。他に、地域おこし協力隊の任期中に印象的だった出来事はありましたか?

宮田さん

地方創生のリアルを体験したことです。補助金や助成金を活用したプロジェクトでは、一過性で終わってしまい地域住民が苦しむケースも見ました。これでは、何のための地方創生かわかりませんよね。私の専門分野であるデザインでも、デザイナーが現場に足を運ばず、本質的なヒアリングがなされないまま一過性のデザインが成果物として出来ていく様子を目の当たりにしました。結局、自走しなきゃいけない時期になってから多くの課題が浮き彫りになり、相談を受けたことも少なくありません。

F.I.N.編集部

これは、地域おこし協力隊として、行政や地域のなかに入ったからこその発見だったのではないでしょうか。宮田さんが地域の魅力を発信する人として働いていく中で、意識していたことはありますか?

宮田さん

地域で受け継がれる歴史や文化、人々の思いを大切にすること。自分の考えを押し付けず地域の人の思いを尊重することですね。正解や効率にこだわるよりも、失敗も無駄も含めて一緒に経験を積み重ねて自分たちらしいやり方や考え方を見つける方が持続や自走につながると考えています。

F.I.N.編集部

二人三脚で手伝いながらも、いずれは自走できるようにサポートをしてあげるということが難しさのひとつだと思います。地域と常に連携することやコミュニケーションを取り続けることで苦労はありませんか?

宮田さん

広告制作プロダクションに勤めていた頃は、顔の見えないクライアントやターゲットに向かってコミュニケーションを考えることの方が多かったので難しかったんです。でも、今はそうではない。クライアントも、同じ地域で共に暮らしともに働く人たちなので、成果を出すことは自分の未来にもつながる。他人の思いをサポートする仕事から、自分の思いも共有できる仕事にシフトできました。結果を出したりキャリアを積み重ねるためではなく、自分の暮らしや未来を良くするために仕事に向き合うようになりました。

F.I.N.編集部

なるほど。相手をサポートするというよりは、自分も一緒に育っていくという感覚なんですね。また、移住をきっかけに、働き方や環境、暮らしへの考え方にも大きな変化があったとのことで、素晴らしいです。他に身の回りへの変化はありましたか?

宮田さん

移住してからは本当にいろんなことが変化しました。働き方で言えば、以前はクライアントが九州や関西、関東など広範囲だったのが、今は市内のクライアントのお仕事しか受けていません。一度の付き合いで終わるクライアントはほとんどいなくなったので、より本質的にクライアントの気持ちや課題に向き合えていると思います。暮らし方は、食生活が大きく変わりました。以前は外食が多く自炊は週末くらい。いわゆる「ながら食べ」がほとんどだったんです……(笑)。今は3食ほぼ自炊で、打ち合わせをしながらや、資料を読みながら食べることはほとんどありません。時間に余裕ができたことに加えて、農家さんや漁師さんなどの生産者との距離が縮まったことで食への意識が変わったことが要因だと思います。

F.I.N.編集部

暮らしが大きく変化したんですね。

宮田さん

あとは、家族との時間が急増しましたね。これらは自分の人生にとって本当に嬉しい変化でした。以前は、競争社会で取り残されないようにと日々、焦りや不安があって、仕事を休むのが怖かったんです。それで、家族との時間よりも仕事を優先して平日は夜遅くまで、土日も働いていました。今は、無理をせず自分のペースで、目の前のことと向き合っていけるようになったと思います。そのことで、気持ちに余裕が生まれて、結婚や妊娠などの大きな変化にもつながりました。親にはトゲトゲ感がなくなった、親友には別人みたい、と言われます(笑)。

 

F.I.N.編集部

それはすごい変化ですね! 最後に地域おこしの未来についてどのように思われますか?

宮田さん

過去を大事にすることだと思います。歴史やその変遷の中で紡がれてきた人々の思いは、今にも、未来にも、欠かせない重要な要素だと思いますし、そこが地域の個性につながると思います。また、民泊体験を通して昔ながらの道具や手仕事にはそれぞれに意味や役割があることを学び、合理化や効率化しないことも一つの可能性だと感じています。

F.I.N.編集部

「地域おこし協力隊」を経て、本質的な地域おこしを実践している宮田さんの活動と思いを伺いました。その土地に合わせたスピードと方法で自分も一緒に成長し、みんなと盛り上げていくということが大切なんですね。本日はありがとうございました。

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